第107話 四騎駆ける!!

 よく晴れた日であった。

 天高くのぼった太陽は燦々とかがやき、大地に惜しげもなく陽光を注いでいる。

 冬の肌寒さはとっくに過ぎ去り、夏の仮借ない暑気もまだまだ遠い。

 春と夏の端境は、人間にとってもっとも過ごしやすい季節のひとつだ。

 草木はそよかぜに踊り、小鳥は空に遊ぶ。まさしく絶好の散歩日和といえた。

 山林にほどちかい丘陵地帯は、こんな日に野遊びをするには実におあつらえ向きだろう。

 もっとも、それも何も起こらなければの話だ。

 ふいに遠くで爆発音がしたかと思うと、青空に黒く細い線が一筋引かれた。

 やや遅れて、ひゅうん――と妙な音が続く。

 すさまじい衝撃が大気と地面を震わせたのは次の瞬間であった。

 巻き上がった土砂は茶褐色の紗幕となってあたり一面に降り注ぎ、衝撃波は百メートル以上離れた山林にまで達した。枝をもつれさせながら倒れた樹木は、一本や二本では済まないだろう。

 深々と抉れた地面からはもうもうたる黒煙が噴き上がり、先ほどまでののどかな風情はすっかり霧消している。

 炸裂弾であった。

 それも、かなりの大口径砲から発射されたものであることはまちがいない。

 これだけの爆発を引き起こすためには、膨大な量の火薬が要る。当然、砲弾はちいさな子供ほどの大きさにならざるをえない。それほどの大きさの砲弾となれば、普通の大砲では撃ち出すことさえままならないのだ。

「冗談じゃないってのよ!!」

 着弾点からすこし離れた丘の陰で、少女は心底いまいましげに吐き捨てた。

 栗色の長い髪に付着した土や葉や小石を払いながら、少女――イセリアはなおも苛立たしげに言う。

「なんなのよ、あいつら!! 急に大砲なんか撃ってきて! おかげで身体じゅう泥まみれになったじゃない!!」

「なんなのって、それは戦いなんだから当たり前だよ。それだけ向こうも必死なんだろうからさ――」

 地団駄を踏むイセリアの背中から、青い髪の少女がひょっこりと顔を出す。

「エウフロシュネー! あんた、飛べるんだからなんとかしなさい!」

「お姉ちゃん、ちゃんとさっきの話聞いてた? 私は大砲までひとっ飛び出来るけど、それじゃ意味ないんだよ」

「それは……も、もちろん忘れてない……けど……」

 エウフロシュネーの言葉に、イセリアはおもわず目を泳がせる。

「あーもうっ! なんであたしたちが囮役なんてやらなきゃいけないのよ!! あたしたちだけ置いて辺境軍の奴らはさっさと帰っちゃうし!」

「普通の人間がいても邪魔になるって言ったのはお姉ちゃんでしょ。それに、私たちが正面で敵を引きつけてるあいだに、お兄ちゃんたちが地下道から内部なかに忍び込むって、さっきの話し合いで決まったじゃない」

「あたしは納得してない!! だいたい、なんであの娘がアレクシオスと――」

 イセリアが叫んだのと、二人の身体が地面に押し付けられたのは、ほとんど同時だった。

 身を隠していた丘に至近弾が命中したのだ。 

 この時代の大砲の命中精度を考慮すれば、ほとんど直撃と言っていい。

 射った側は意図してそこに着弾させた訳ではないだろう。

 偶然の所産か、それとも気まぐれな神のいたずらか。

 砲弾は絶妙な軌道を描き、イセリアとエウフロシュネーのすぐそばに落ちたのだった。

 爆発はちいさな丘を半ばまでえぐり取っていた。

 ほんの一瞬前まで青々とした草に覆われていた丘は、生皮を剥がされたみたいに土の色があらわになっている。

 もし爆発の中心に身を置いていた者がいたなら、その身体は跡形もなく消え去っていたはずだ。

 地形を変えるほどの爆轟に晒されれば、どんな豪傑でも髪の毛ひとすじ残さずにこの世から消滅するほかない。苦痛を感じるどころか、自分に何が起こったのか理解する暇もなく。

 周囲にはいまなお土煙が濃くたちこめ、きなくさい臭いが漂っている。高熱と高圧が暴れ狂った跡には、どこまでも凄惨な破壊と死の情景がよこたわっている。

 「ったぁ――」

 あらゆる生命が絶えたはずの爆心地から上がったのは、なんとも素っ頓狂な声だった。

「もう、お姉ちゃんがぐずぐずしてるからだよーっ!」

 またしても。これは別の声であった。

 土煙の向こう側にぼうっと光が灯った。

 青と黄――異なる光の色は、二人の存在を示唆している。

 よく見れば、光の走り方もちがう。二色の光はそれぞれ複雑な幾何学模様をなぞるみたいに循環し、土煙のなかにいびつな輪郭を浮かび上がらせる。

「あんたねえ、あたしに庇ってもらっといてその言い草ないんじゃない!?」

「私、そんなこと頼んでないもん」

「まったく、あの姉にしてこの妹ありね! そうやって生意気なこと言ってると助けてやらないわよ!」

 ふいに土煙がゆらぎ、裂けた。

 土と砂の濃霧をかき分けて現れたのは、二体の異形であった。

 黄褐色の重装甲に鎧われた一方はイセリア、蒼い装甲をまとった小柄なもう一方はエウフロシュネーが変形へんぎょうを遂げた姿だ。

 砲弾が炸裂する真っ只中で、二人の騎士は戎装を終えていたのだった。

 あれだけの爆発に巻き込まれたにもかかわらず、どちらの身体にも小傷ひとつ見当たらない。

 イセリアは言うまでもなく、エウフロシュネーの装甲も常と変わらぬ艷やかな光沢を湛えている。イセリアがとっさに覆いかぶさったためだが、たとえそうしなかったとしても、あの程度の爆発では万が一にも致命傷を負うことはない。

 それが戎装騎士ストラティオテス――人智を超えた異形の戦士であった。

 爆発をものともしないすさまじい防御力は、あくまでその性能の一端を示したにすぎない。

 たとえあと数十発の砲弾が降り注いだとしても、二体の騎士は平然と耐えきってみせるだろう。

 そして、爆煙のなかから立ち上がり、やはりおなじように軽口を叩きあうにちがいない。

「さあて、そろそろ反撃といこうじゃない。やられっぱなしは性に合わないものね」

「お姉ちゃん、囮だってこと忘れないでね」

「あんたに言われなくても分かってるっての!」

 言って、イセリアは力強く一歩を踏み出す。

 荒れ果てた丘に立つ二騎の視線は、どちらもおなじ方向に向いている。

 視線の先には、丘陵地帯を見下ろすように屹立する山がある。

 木々の緑もまばらな山肌にあって、遠目にも胸壁や望楼の特異なかたちがはっきりと見て取れた。

 巨大な城郭であった。

 ほとんど山体と一体化しているために目立たないが、その規模スケールは一般的な城塞をはるかに凌駕している。

 地上に露出している部分はあくまで氷山の一角にすぎない。山全体に地下茎みたいに通路が張り巡らされ、山中には数年の籠城に耐えるだけの食料と弾薬が貯蔵されている。

 ヴラフォス城――。

 帝都盆地へと通じる要衝に築かれた、難攻不落の山岳城塞。

 山ひとつをまるごと城塞に仕立て上げるという破天荒な計画は、五十余年の歳月を経てみごとに実を結んだ。いまから六十年ほど前のことだ。

 だが、多額の予算と労力をつぎこんで築き上げた城が『帝国』に反旗を翻すことになろうとは、よもや建設を主導した当時の皇帝も想像していなかっただろう。

 そうするあいだにも、イセリアとエウフロシュネーの目は、城から上がった砲煙をはっきりと捉えていた。砲撃が再開されたのだ。

 いま、魔王のごとく佇む城は、ふたたび騎士たちに牙を剥こうとしている。


***


 道は闇の深奥へと続いていた。

 細く狭い道であった。

 素掘りの岩壁いわかべに囲まれた地下道は、人ひとりがようやく通れる程度の道幅しかない。

 天井も同様に低い。上背のある者がここを通ろうとするなら、つねに頭を庇っていなければならないだろう。

 地下特有のひんやりとした空気のなかで、三人分の足音はよく響いた。

 一行の先頭を行くのは腰の曲がった老人だ。

 どうやら案内役らしい。ひょこひょこと脚を動かして、灯りひとつない隘路を慣れた様子で進んでいく。

「旦那がた、ちゃんとついてきてくだせえよ――」

 老人はしわだらけの首をくいと曲げると、すぐ後ろを歩く二人に呼びかけた。

 黒髪の少年と、亜麻色の髪の少女であった。

 少年の黒髪と黒い瞳は闇に溶け込み、少女の輝く髪と紅い瞳は闇のなかでもなお際立っている。

 どこまでも対照的な二人だが、不思議と足並みは揃っている。

「心配するな。

 アレクシオスはこともなげに言うと、

「それより、城の地下まではまだかかるのか? もうだいぶ進んだはずだが……」

 前を進む老人に問うた。声音には隠しきれない猜疑心が滲んでいる。

「へえ、なにしろ出入り口があるのは一番深くですから。じきに着きますよ。旦那とおなじくらいの時分からこの城で働いとった私が言うのだから間違いない」

「だったらいいが――」

 アレクシオスはそれ以上問おうとはしなかった。

 いまは老人の言葉を信じるしかない。この道の行き着く先を知っているのは老人だけなのだ。アレクシオスも城の地下に出るということは聞いているが、それが本当かどうかは終点に到着してみないことには分からない。

 アレクシオスはふと思い立ったように振り返る。

 玲瓏な顔貌かおが容赦なく視界に飛び込んできた。

 すこし前なら目をそらしていたが、いまはまっすぐに見据えることも出来る。

「どうかした? アレクシオス――」

 鈴が軽やかに鳴るような声は、暗い地下道にはあきらかに場違いだ。

 しかし、考えてみれば、この少女が生来の美しさに見合う場所にいたことなど一度もないのではないか。確実に言えるのは、どのような場所においても、その美貌にはわずかな翳りも生じないということだけだ。

「いや、べつにどうという訳じゃないが……しっかりついてきているなら、いいんだ」

「心配してくれてるの?」

「……まあ、そういうことだ」

 アレクシオスはぷいと顔を元の位置に戻す。

 暗闇のなかでも騎士の目には昼日中と変わらない景色が映っている。自分がいまどんな顔をしているかも一目瞭然ということだ。

 ふいに右の袖を引っ張られたのはそのときだった。

 アレクシオスはとっさに振り返る。今度は顔だけでなく、上半身ごと。

「オルフェウス、おまえ、なにを――」

「こうすれば、はぐれたりしない」

 少女の白い指は、アレクシオスの袖をしっかりと掴んでいた。

 こうしていれば闇のなかでも互いの場所が分かる。掴んでいるあいだは離れ離れになることはない。

 なるほど、たしかに合理的なやりかただった。

(しかし、なぜだ――)

 指と指を絡ませるより、こうしているほうがずっと気恥ずかしく感じるのは。

 慌てて顔を前に向けると、老人と目が合った。

 前歯のほとんどない口をにやりと歪めながら、アレクシオスのほうを見ている。

「ところで旦那……そのおきれいなお嬢さんは、もしかして旦那の……」

「断じて違う!!」

「私はまだ何も言っとりませんで」

 老人はにっと相好を崩してみせる。一本取ったとでも言いたげであった。

「いやはや、お羨ましいかぎり。お若いうちは思いきり楽しまれるがええ。年寄りになってからではムスコも言うことを聞きませんでの」

「くだらんおしゃべりはそこまでだ。自分の仕事に集中しろ」

「おお、怖や怖や――」

 言うなり、老人は突然速度を上げた。歩くというより、ほとんど小走りにちかい。

 アレクシオスとオルフェウスもその背中を追う。

 そうして数分も進んだところで、道は唐突に途切れた。

 周囲は相変わらず闇に包まれているが、隘路で感じていたような圧迫感はなくなっている。

 アレクシオスの目は、いま自分たちがいる場所をはっきりと捉えていた。

 筒みたいな縦長の空間であった。アレクシオスたちがいるのは、ちょうど筒の底の部分だ。十メートルほどの高さの壁面には、ぽっかりと環状の闇が口を開けている。

「おい、ここはいったい……」

「私の仕事はここまでです。では、ごゆるりと――」

「なんだと?」

 老人を問い詰めようとした瞬間、頭上がふいに明るくなった。

 大勢の人間が火を起こしたのだと気付いたのは、アレクシオスたちがいる場所にむかって数十本の燃えさかる矢が放たれたあとだった。

 アレクシオスはとっさに飛びずさり、矢の雨をかいくぐる。

 同時に、背後で重いものが崩れ落ちる音が生じた。地下道が崩壊したのだ。これで退路は完全に断たれたことになる。

「オルフェウス、無事か!?」

「私なら大丈夫。アレクシオス、あの人は?」

 アレクシオスはとっさに周囲に視線を巡らせる。老人の姿はどこにもなかった。

 壁にも床にも出入り口らしきものは見当たらないにもかかわらず、一瞬のうちに老人は忽然と消え失せたのだった。

 老人の不可解な消失も気になるが、目下の問題はそこではない。

「くそ、なにが案内役だ!! 最初からおれたちを罠に嵌めるつもりでまんまと一杯食わせたな!!」

 アレクシオスはオルフェウスの手を引き、脱兎のごとく駆け出す。

 二人を狙って間断なく射掛けられている矢から逃れるためだ。

 筒の全周を囲むように配置された射手にとっては、底部で逃げ惑う獲物を狙い撃つなど造作もないはずだった。

 とうとう壁の一面に追い詰められると、どういうわけか射撃はぱったりと熄んだ。

 攻撃を中断した訳ではないことはあきらかだ。追い詰めた獲物をじわじわと料理しようというのだろう。

「本当は正体を隠して潜入するはずだったが、こうなったら仕方ない」

 アレクシオスはオルフェウスに目配せをする。

 オルフェウスは何も言わず、ただこくりと頷く。それが答えであった。

「戎装――」

 言い終わるが早いか、二人にむかって矢が殺到する。

 射手たちが息を合わせて放った矢は、これまでにない密集をみせている。降りしきる雨粒を避けられる者がいないのとおなじように、豪雨となって襲いかかる無数の矢を回避することはまず不可能だ。

 数秒と経たないうちに、身体じゅうを射抜かれた哀れな男女の死体が出来上がる――はずであった。

「――――!?」

 射手たちはことごとく息を呑んだ。

 彼らが射た矢はことごとく払い落とされ、あるいは空中で消え去っていた。

 いったいどんな魔術を用いたというのか。

 百本以上の矢が放たれたにもかかわらず、標的に達したものはひとつとてない。

 だが、それすらもいまの彼らには些事にすぎなかった。

 眼下に目を向ければ、つい先ほどまで逃げ惑っていた少年と少女はどこにもいない。

 いま、射手たちの目に映っているのは、漆黒と真紅の装甲をまとった二体の異形であった。

 頭部と四肢を備えた身体のつくりは人間とおなじだが、その姿は人とはまるで異なっている。体表は一分の隙もなくまばゆい光沢を帯びた装甲に覆われ、目鼻も口もない顔面には絶え間なく光が流れる。

 射手たちはようやく少年と少女が異形に変わったのだと理解しはじめたが、混乱は解消されるどころか、いっそうひどい恐慌状態へと陥っていった。

――人間が異形の存在に変わるなど、あっていいはずがない。

 しかし、騎士たちはたしかに存在している。

 ほんの十メートルほどの距離を隔てて、彼らの前に立っている。

 ありえないはずのものを目の当たりにしたとき、現実から目を背けたがるのは人の宿命だ。

 そんな敵の動揺ぶりをよそに、最初に一歩を踏み出したのは黒騎士だった。

 すっかり魂消た様子で見つめる射手たちにむかって、アレクシオスは高らかに宣言する。

戎装騎士ストラティオテス、アレクシオスおよびオルフェウス! 皇帝陛下の勅命により、これより反乱軍に占拠されたヴラフォス城を解放する!」

 アレクシオスは顔を上方に向けたまま、なおも言葉を継ぐ。

「おとなしく投降すれば生命は保証する。ただちに武装を解除し、この反乱の首謀者アザリドゥスのもとへ案内してもらおう!!」

 言葉は返ってこない。

 異形の騎士が人の言葉を発したことに驚いているのか。

 それとも、その要求に応じる言葉を持たないがゆえの沈黙か。

 何かが風を切って飛来した。アレクシオスが足元を見やると、一本の矢が床に突き立っている。

「それが貴様らの返事か?」

 やはり答えはない。

 代わりに起こったのは、またしても矢羽が風を切る音だった。

 さっきよりもずっと大きい。単純に矢の数が三十倍になっているためだ。ほとんど同時に射掛けられたためでもある。

 様子見のような先ほどの一矢とはちがい、すべての矢が明確な殺意を帯びている。

 射手たちも覚悟を決めたようであった。

「すんなり行くとは思っていなかったが、貴様らがそのつもりなら、おれたちも相手をするまでだ――行くぞ、オルフェウス!!」

 迫りくる矢を避けながら、オルフェウスはちいさく肯んずる。

 黒と紅の騎士はすばやく左右に分かれると、それぞれ戦闘を開始したのだった。

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