第174話 エピローグⅡ―彼らのこと―(中編)

 籠城戦は攻守双方に多大な忍耐と消耗を強いる。

 その本質は、攻防の舞台がどのような場所であろうとさほど変わらない。

 寄宿学校に立て籠もった犯行グループは、高い城壁も深い濠も持たない代わりに、人質にした教師と生徒百余名という切り札がある。

 いかに中央軍が優勢な兵力と装備で学校を包囲したところで、強行突破に打って出れば、多大な被害は避けられない。

 犯人たちは、人質の生命を盾にすることで、帝都の市中に難攻不落の要塞を作り上げたのだった。

 外部からは塀の内側の様子を窺い知ることは出来ない。攻め手にとっては目隠しをされたも同然の状況のなかで、焦燥と苛立ちだけがいたずらに募っていく。

 交渉材料である人質に危害を加える可能性は低いとはいえ、それすら彼らの胸三寸なのだ。

 早朝から続く拘束と極度の緊張が、まだ未熟な生徒の心身にどのような影響を与えているかも知れない。


 そうするあいだにも、時間は無慈悲に流れていく。

 返答の期限は日没まで――。

 それまでに要求が受け入れられなければ、犯行グループは事前の声明どおり、人質を一人残らず殺害するだろう。

 相手に熟慮のいとまを与えず、全か無かの二択を迫る……敵は弁舌の巧みさではなく、時間そのものを武器に卑劣な交渉に臨んでいる。相手が刻限リミットに追い立てられるほど冷静な判断力を失い、みずからに有利な条件を引き出すことが出来ると踏んでいるのだ。

 太陽はすでに中天を過ぎて久しく、日差しは徐々に赤みを帯びはじめている。何の変哲もない夕陽の色も、今日に限っては凄惨な血の色を彷彿させた。


 ひりつくような緊迫感に支配されたフローレア街区の裏道に、ふいに奇妙な音が響いた。

 と地鳴りみたいな車輪の音を後に引いて、一台の荷車が街路を進んでいく。車体はさほど大きくないが、白い幌に覆われた荷台はうず高く盛り上がり、大量の荷物を積載していることは明らかであった。

 荷車を引いているのは馬ではなく、二人の娘――それも、瓜二つの双子だ。

 全く同じ顔をした二人は、時おりちらちらと互いに視線を交わしながら、あるかなきかの小声で囁きあう。


「おいラケル、なぜ私たちがこんなことを?」

「私に訊くな、レヴィ。文句があるなら私ではなく……」


 答えつつ、ラケルはわずかに首を曲げて背後を振り返る。

 荷車の上では、女商人風の衣装をまとったイセリアが憮然とした面持ちで二人を見下ろしている。


「ほらそこ、無駄口叩いてんじゃないわよ!! モタモタしてると日が暮れちゃうんだから!!」

「作戦の内容は理解している。だが、速度を重視するなら、このなかで一番力がある者が荷車を引くべきでは……」

「ちょっと、さっきの話を忘れた訳じゃないでしょうね? いまのあたしは、あんたたちのご主人様ってことになってるの。か弱い女主人にこんな重い荷車引かせる使用人がどこの世界にいるのよ?」


 得意げに言い放ったイセリアに、ラケルとレヴィはしばらく無言で見つめ合ったあと、


「かしこまりました、――」


 同じ声でそう返したのだった。


「あんたたち、いまちょっとバカにしたでしょ? ねえってば!!」

「いいえ?」

「滅相もありません、お嬢様?」

「やっぱりなんか引っかかるわね……」


 そうこうするうちに、裏道は寄宿学校へと至る大通りに合流していた。

 一帯には中央軍の部隊が展開しているが、荷車はとくに停止を命じられることもなく、速度を保ったまま進んでいく。

 戎装騎士ストラティオテスがその気になれば、さらに速度を上げることは可能である。だが、犯人に不審がられないためには、人間が重い荷物を懸命に運んでいるように見せかけなければならないのだ。


「正門が見えてきたわよ。ここからはおふざけはなし――いいわね?」


 念を押すようなイセリアの言葉に、ラケルとレヴィは黙って首肯する。


***


「なんだ、貴様らは!?」


 防塞バリケードの隙間から身を乗り出した男は、いかにも訝しげに問うた。

 喉から頭頂まで濃褐色の布を巻いているために表情は窺えない。人間らしさを捨て去った顔面にあって、血走った目だけがやけに目立っている。

 男の背後にはさらに四人の姿がみえる。いずれも鉄火箭てっかせんを携え、必要とあればいつでも射撃出来るように待機しているのだ。

 イセリアはわざとらしくを作りながら、男たちにむかって猫なで声を出してみせる。


「ええと、私はこの近くの茶楼の者です。今日は皆さんに差し入れをお届けに上がりましたぁ」

「差し入れだと? そんな話は聞いていないぞ」

「さっきお役人がうちの店にみえて、こちらに食べ物を届けるようにとお命じになられたものですから――もしかして、お話伺ってませんでした?」


 覆面の男はしばらく逡巡するような素振りを見せたあと、


「……そこに載ってるのはすべて食い物か?」


 荷車を指さしながら、低い声で問うた。

 本人にそのつもりはなくても、声音には隠しようもないかつえが見え隠れする。

 日頃からろくな食事を取っていないところに、早朝から続く籠城が体力を容赦なく奪っている。ちょうど学校付きの料理人が朝の買い出しに出かける前だったということもあり、校内にはろくな食べ物がなかったことも犯人たちには災いした。

 そのような状態で大量の食料を前にすれば、いかに凶悪犯といえども心が揺れ動くのは道理であった。

 そのうえ運んできたのがとても戦闘員には見えない娘三人となれば、警戒心も薄れるというものだ。


「おい、どうなんだ!?」

「も、もちろん! いろいろありますよ。串焼きの羊肉にスープ油条あげパンにお菓子に……」

「俺たちはここを動けん。女、荷物の中身をひとつ持ってこっちに来い」

「それなら、この二人に持たせて――」

「駄目だ。貴様が一人で来い」


 イセリアはわずかに戸惑ったものの、


「……分かりました」


 次の瞬間には、荷台から籐籠バスケットをひとつ掴み、男たちのほうへと歩き出していた。


――行ってらっしゃいませ、お嬢様。

――お気をつけて、お嬢様。


 遠ざかる背中にむかって投げかけられた忍び笑いにも努めて無表情を装い、イセリアは防塞バリケードの前まで進む。 


「ずいぶん変わった匂いがするな?」

「えぇ、ご存じないですかぁ? 近ごろ帝都でとっても流行っている焼き菓子なんですよぉ。上等な蜂蜜と牛酪バターをこれでもかってくらい練り込んだ生地に、黄桃と杏の砂糖漬けを載せてあります。甘いものなら子供は喜ぶだろうと思って――」

「それなら、なおさら西方人のガキどもには食わせられんな。あの連中は俺たちのなけなしの稼ぎから毟り取った租税カネでさんざん贅沢をしてきたんだ。奴らにとってこれが最後の晩餐だろうと関係は……」


 うっかり口を滑らせたとでも言うように、男はひとつ咳払いをする。


「まあいい。荷車はそこに停めたまま、食い物だけを内部なかに運ばせろ」

「は、はい! では、すぐに――」


 覆面男の背後から「待て」の声がかかったのはそのときだった。

 それまで成り行きを見守っていた別の男が身を乗り出し、鉄火箭の銃口をイセリアに突きつける。


「ずる賢い西方人どもの考えることだ。人質の前に俺たちが食うことを見越して料理に毒を盛っているかもしれねえ」

「たしかに一理あるが……このまま追い返すか?」

「この女に毒見をさせりゃいいのさ」


 言って、男は鉄火箭の銃口でイセリアの右肩を小突く。


「おめえ、その菓子を食ってみろ。妙な真似をしたら顔に風穴が開くとおもえ」

「私がですか? ホントに? いいの?」

「ゴチャゴチャ言ってねえで早くしねえか!! 俺は気が短けぇんだ!!」


 男の剣幕に、イセリアは意を決したように籐籠バスケットを開く。

 そのまましばらく無我夢中で手と口を動かしていたが、それを中断させたのは、またしても男の胴間声だった。


「おい、小姐ねえちゃん!!」

「はい!? なにか!?」

「毒見しろとは言ったが、一気に十個も食うやつがあるか!? ったく、バクバクと大口開けやがって。帝都娘には慎みってもんがねえのか?」


 焼き菓子を口いっぱいに頬張ったままのイセリアを押しのけ、鉄火箭の男は力任せに籐籠を引ったくる。


「こいつは俺たちのものだ。残りの料理も持ってこい。もちろん全部毒見はしてもらうが、バカ食いしやがったら承知しねえぞ」


 イセリアはラケルとレヴィに合図を送り、荷台から大鍋やさまざまな大きさの籐籠を運ばせる。

 五人の男たちは依然として周囲の警戒に当たりながら、先を争うようにして料理に手を伸ばしていった。この分では、人質はおろか、校舎内にいる三十人からの同志に行き渡るまえにだいぶ量が減っているだろう。生死の瀬戸際にあっては、志を同じくする仲間への配慮さえ霧散するらしい。


「うちの料理はお気に召して?」

「ああ。こんな美味ぇもんは辺境じゃついぞ食ったことがねえ」

「ふうん――まあ、これが最後の食事なら美味しさも格別でしょうね」

「なにい?」

「言ったとおりの意味よ」


 刹那、男の身体は腰のあたりでに折れていた。

 イセリアが目にも留まらぬ疾さで裏拳を繰り出したのだ。

 戎装騎士ストラティオテスにとっては撫でる程度の打撃であっても、人間には巨岩の直撃を受けたに等しい。

 盛大に胃の中身をあふれさせ、白目を剥いて失神した男にはもはや目もくれず、イセリアはさらにその両隣の敵を同時に叩き伏せていた。

 ラケルとレヴィも、それぞれ近くにいた敵を一人ずつ倒している。

 武器を携えた五人の男を制圧するのに要した時間は、わずかに三秒。実にあざやかな手際であった。


「上手く行ったみたいだね?」


 エウフロシュネーは正門の脇の植え込みから顔を出すと、安堵したように言った。

 周囲の景色に同化出来る能力を活かし、他の面々に先んじて単身校内に潜入していたのだ。

 正門が見える位置の敵は、すでにエウフロシュネーが倒している。しばらくは感づかれる気遣いは無用ということだ。


「もしかしたら私が手伝うことになるかも……なんて思ってたけど、その心配はいらなかったね」

「当たり前でしょ。このくらい、あんたの手を借りるまでもないわ。ていうか本番はこれからなんだから、あんたこそドジ踏むんじゃないわよ」

「分かってるよ――ね、お兄ちゃん?」


 首肯しつつ、エウフロシュネーは大鍋の蓋を取る。

 黒髪の少年は跳ね上がるように大鍋から出ると、すばやく周囲に視線を巡らせる。


「ひとまずは上出来だが、油断は禁物だ。ここからは予定通り二手に分かれる。敵に感づかれる前に大講堂まで辿り着き、人質を全員救出する……」

「もし敵に見つかっちゃったときは?」

「さっきと同じように対処しろ。今回は時間との勝負だということを忘れるな。五人で同時にかかれば、敵が異変に気づく前に制圧出来るはずだ」


 それだけ言うと、アレクシオスとエウフロシュネーは、早々とその場を立ち去った。


「私たちも急いだほうがいいのでは? お嬢様」

「なんなりとご命令を。お嬢様」

「……あんたたち、おふざけはなしって言ったわよね?」


 ラケルとレヴィの顔を交互に見て、イセリアは長いため息をつく。


「行くわよ!! あたしについてきなさい!!」


***


「……さすがですな」


 窓枠から身を乗り出したハリラオスは、心底からの感嘆を込めて言った。

 公会堂の最上階にある物置部屋からは、寄宿学校の校内を眺望することが出来る。建物同士の位置関係から、実際に見えるのは正門付近に限られるとはいえ、五人の騎士たちが潜入に成功したことを見届けるには十分だった。

 いま、ハリラオスとヴィサリオンは、狭小な部屋で膝を突き合わせている。


「やはり、あなたがた騎士庁ストラテギオンにお任せして正解だったようだ」

「ありがとうございます。ですが、作戦はようやくちょについたところです。人質が無事救出されるまでは安心出来ません」

「いかにも。まだ予断を許さぬ状況であることには変わりないのですからな」


 常と変わらず沈着なハリラオスの双眸には、それでも、先ほどとは打って変わって希望の光が兆している。

 一時は絶望的と思われた状況は、戎装騎士の投入を期に好転しつつある。人質の全員救出という難題も、彼らならば成し遂げられるかもしれない。

 ヴィサリオンはしばらく何事かを考え込んでいる様子だったが、やがてためらいがちにハリラオスに声をかけた。


「ところで、ハリラオス将軍。今回の事件は、寄宿学校の雑役夫の通報によって発覚したということですが……」

「あの男なら、いまも中央軍総司令部で保護しています。それがなにか?」

「どうも気がかりなことがあるのです」


 脳裏に浮かんだ考えを慎重に検討しながら、青年は言葉を継いでいく。


「彼は、なぜわざわざ三つも先の街区にある総司令部に駆け込んだのでしょう。フローレア街区には兵士が常駐している士官学校もあり、街区と街区のあいだには門衛や立哨もいたはずです」

「突然のことにすっかり気が動転していたのでは?」

「たしかに、正常な判断力を失っていたのかもしれません。ですが、一般市民が総司令部に赴いたところでまともに相手にされないのは分かりきっています。ようやく部隊が現場に到着したときには、すでに犯人たちは籠城の準備を整えていたとも聞いています」

「つまり、それは――」

「私には、彼の行動がように感じられてならないのです。これほどの大事件なら、隠そうとしてもいずれ露見します。それなら、いっそ最大限に時間を稼ぐ方法を選んだのではないか――と」


 夕陽の色に染まりはじめた物置部屋を重い沈黙が包んだ。

 二人の男はどちらも押し黙ったまま、あらゆる可能性に思いを巡らせている。

 さきに口を開いたのはハリラオスだ。その相手は、しかしヴィサリオンではなかった。

 急き立てられるように部屋を出たハリラオスは、別室で待機していた部下を呼び寄せると、


「例の雑役夫をここに。詳しく取り調べる必要がある」


 将軍の呼び名にふさわしく、峻厳な声で命じたのだった。

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