第17話 夜明け

「いいざまだな、パトリキウス」


 鉄鎖に絡め取られたパトリキウスを見下ろし、ルシウスはあくまで冷たく言い放った。

 一行は、闘技場からすこし離れた小高い丘の上に場所を移していた。

 身動きの取れなくなったパトリキウスとカミラは、投げ出されるようにルシウスの面前に引き出されたのだった。

 アレクシオスとオルフェウス、ヴィサリオン、そしてラフィカがぐるりと二人を取り囲んでいる。

 まさしく進退窮まった状況のなか、カミラはぐったりとうなだれて言葉もない。

 それに対して、パトリキウスはどうやらまだ観念していないらしい。

 ルシウスに恨みがましい視線を向けながら、しきりにぶつぶつと何事かをつぶやいている。


「貴様さえ現れなければ……」

「現れなければ、なんだと言うのだ?」

「知れたこと――儂はこの地で新たな皇帝になっていたはずだった!」


 パトリキウスはぬけぬけと言いのけると、


「計画はすべて順調だった……それを、よくも……!!」


 なおもルシウスを睨めつけながら、怨嗟の言葉を吐き出しつづける。


「語るに落ちたな、パトリキウス。貴様を領袖に頂くかぎり、たとえ余が現れなかったとしても、おそらく結果は変わらなかっただろう」


 軽侮を隠そうともしないルシウスに、パトリキウスは色めき立つ。


「皇帝のために国家があるのではない。至尊者アウグストゥスは国家と民に仕えるのだ。それを取り違えた貴様は、とても一国を治める器ではない」

「ほざけ! 戎狄バルバロイにいいように国土を蹂躙され、いまだ辺境の復興もままならぬではないか!」


 もはや自暴自棄となったパトリキウスの言葉に、ルシウスは不敵な笑みを浮かべる。


「――だからこそ、余はこの国に戻ったのだ」


 パトリキウスがぽかんと口を開けるその横で、アレクシオスがふいに膝をついた。

 右の掌全体を地面にぴったりと密着させ、何かを探っているようであった。


「どうしました、アレクシオス?」

「……何かが近づいてきている」


 ラフィカもただならぬ事態が迫っていることに気づいたらしい。

 より詳しい情報を得るため、片耳を地面につける。


「馬蹄の音……こちらに近づいてきます。ざっと三千あまり――」


 ラフィカの語気に穏やかならぬものを感じ取ってか、一同に緊張が走る。


「ふ……ふ……ふはははははは!!!」

「何がおかしい、パトリキウス」


 狂ったように哄笑するパトリキウスに、ルシウスは問うた。


「バカめ! 貴様らはもう終わりだ!」


 一同の顔を見渡し、パトリキウスは勝ち誇ったように叫ぶ。


「儂が思うままに動かせるのは、そこの小僧が倒した者共だけではないぞ。州都に駐屯しておる辺境軍が救出に来たのだ! カミラ、よくやったぞ!」

「こんなこともあろうかと、伝令に別命を託しておいた甲斐がありましたわ」

「……どこまでの往生際の悪いクズどもめ!」


 アレクシオスはすぐにでも二人を殴殺してやりたい衝動を抑えつつ、忌々しげに吐き捨てた。


「戦うなら、私も一緒に行くよ」


 いつの間にか真横に立っていたオルフェウスに、アレクシオスは多少面食らったようだった。


「おれ一人で十分だ。おまえは殿下の護衛につけ!」

「私はいちゃだめ?」

「駄目とは言ってないが、しかし――」


 ルシウスは二人の騎士を一瞥したあと、なにかを思案するように目を閉じる。


「そう焦る必要もないだろう」


 ようやく口にした言葉には、緊張感の欠片もない。どこか他人事のようだった。

 泰然自若たるふるまいはルシウスの常だったが、この状況でも慌てる素振りすらないのは異常だった。


「お言葉ですが殿下、今は悠長に構えている場合ではありませんよ!」

「皇太子殿下、どうかご命令を!」


 頭の上で繰り広げられるやり取りを聞きながら、州牧とカミラは互いに顔を見合わせる。どちらともなく笑みを浮かべ、ひそひそとささやき始めた。


「カミラ、どうやら逃げられぬと見て観念したらしいぞ。最後まで希望は棄てぬものよのお」

「そのようですわ、閣下」

「畏れ多くも皇太子を騙る不埒者め、思い知るがいい!」


 そうこうする間にも、その時は刻一刻と迫りつつある。

 馬蹄の響きは早暁の大地を揺るがし、兵馬の巨大な群れが接近しつつある現実をその場の全員に突きつける。

 このまま機を逸すれば、まちがいなく敵に包囲される。そうなればルシウスを無事に逃がすことも難しくなる。


「殿下! ご決断を!」


 焦燥感に駆られたアレクシオスの叫びを耳にしてなお、ルシウスは依然として命令を下す素振りもない。


「――来ますよ!」


 ラフィカが鋭く叫んだ。

 無数の馬蹄が石敷きの路を叩き、高いいななきが清澄な大気にこだまする。

 馬上の兵たちの息遣いまでもが一塊の音となって大地を駆け、威圧感とともに立ち現れようとしている。


「アレクシオス、オルフェウス!」


 ヴィサリオンがたまりかねて叫ぶ。


「私が許可します――殿下を守ってください!」

「言われるまでもない! 行くぞ、オルフェウス!」


 少年と少女は、一瞬のうちに紅と黒の騎士へと変化を遂げる。

 消滅したアレクシオスの槍牙は、すでに半ばまで再生しつつあった。


「殿下、今度ばかりは気まぐれが過ぎますよ。たとえどうなっても御身はお逃しするつもりですが!」


 呆れたようにラフィカは言い、迫りくる敵を迎え撃つべく剣を抜く。


「無駄だ、無駄だ! 貴様らはひとり残らずここで死ぬのだ!」

「助けが来た途端に急に元気になりやがって! なんなら貴様が真っ先に死んでみるか?」


 アレクシオスはパトリキウスの頭を無造作に掴むと、鋼と化した指先をわずかに皮膚に食い込ませる。

 つい先ほど岩塊をも砕く騎士の握力を目の当たりにしたパトリキウスはさすがに恐怖の色を隠せないが、しかし高揚感は恐怖すらも麻痺させたようだった。


「バカめ、儂を殺しても貴様らの運命は変わらん。あれを見ろ! あれぞ我が軍の、旗、じるし――」


 パトリキウスの太い指が、太陽を背に迫りくる軍団を指し示す。

 先頭を駆ける騎兵は、背に差した旗を風に翻らせている。

 その旗に描かれたを理解した瞬間、パトリキウスの目は限界まで開かれ、唇はそれ以上言葉をつむぐことが出来なかった。

 緋紫の錦旗にあざやかに映えるのは、雄々しく両翼を広げた金色の瑞鳥――鳳凰。

 それは、古帝国時代から受け継がれてきた皇帝家の定紋にほかならない。

 皇帝直属軍以外には決して掲揚することの許されない旗だった。


「――遅かったではないか」


 ルシウスは事もなげに言うと、あっけにとられた様子の一同をよそにつかつかと歩み出していた。

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