第206話 滅びを呼ぶ歌

「どうしても戦うつもりか?」


 わずかな距離を挟んで対峙した青紫色ブルーバイオレットの騎士にむかって、アレクシオスは低い声で問うた。

 返答はない。

 一人と一騎のあいだに生じたのは、砂漠を蕭々と吹き渡る風の音だけだった。

 ややあって、セイレーンの右手がわずかに上がった。

 その挙措にあわせて、ドレープ状に重なり合った袖口の装甲がかちあい、小気味のいい音を立てる。


「……戦うも戦わないも、あなた次第よ」


 セイレーンの声はあくまで落ち着き払っている。

 優美な曲線を描く頭部には幾何学模様のスリットが縦横に刻まれ、その凹部に沿って緋色の光が縷々と流れていく。


「このままあたしを見逃してくれるなら……」

「それは出来ないと言ったはずだ」

「だったら、もう答えは出ているはずよ。……残念だけどね」


 セイレーンの右腕が胸の高さに上がった。

 繊細な五指を折り、拳を作った青紫色の騎士は、アレクシオスをまっすぐに見据える。


「戎装しなさい、アレクシオス。あたしは戦う覚悟を決めたわ。お互いに譲れないものがあるなら、こうするしかないもの」


 決然と言い放った言葉は、悲壮なまでの覚悟に満ちていた。


 アレクシオスは無言のまま、セイレーンにむかって一歩を踏み出す。

 戎装騎士への変形へんぎょうは一瞬のうちに完了する。

 少年の黒髪は漆黒の光沢を帯びた兜へ、四肢は黒い装甲に隙間なく鎧われた異形のそれへと変じていた。

 ほんの一瞬前まで憂いに翳っていた黒い瞳は跡形もなく消え失せ、無貌の面にはあざやかな赤光が迸る。

 黒騎士へと姿を変えたアレクシオスは、あらためてセラスと向かい合う。

 二人の騎士を隔てる距離はわずかに数歩。

 騎士の脚力であれば、ぞれは目を瞬かせるあいだに消失する程度の間合いでしかない。


「こうなることは避けたかったのは、おれも同じだ――」


 セイレーンに顔を向けたまま、アレクシオスはひとりごちるみたいに呟く。


 それが開戦の合図だった。

 月光が霏々と降り注ぐ砂漠に、漆黒と青紫の影が交差する。

 ほとんど同時に地を蹴ったアレクシオスとセイレーンは、空中ですばやく互いの位置を入れ替えていた。

 初撃はどちらも様子見のつもりだったのだろう。さしたる手応えもないまま、二人の騎士は充分な間合いを取ってふたたび対峙する。

 セイレーンはやおら両腕を左右に開くと、アレクシオスに冷厳な声で告げる。


「今度は本気で行くわ」

「おれも手加減をするつもりはない」


 答えるが早いか、アレクシオスの両腕の装甲に変化が生じた。

 黒い装甲を割って現れたのは、月明かりを弾く長大な白刃――槍牙カウリオドゥス

 直撃すれば戎装騎士の装甲をも貫通する刺突兵器は、アレクシオスの最大の攻撃手段でもある。

 二振りの刃を構えた黒騎士は、再度の攻撃にむけて腰を低く落とす。

 その五感を言い知れぬ違和感が見舞ったのは次の瞬間だった。


「……!!」


 アレクシオスは脚部の推進器スラスターを作動させると、とっさに後方に飛びずさっていた。

 ほとんど無意識の反射。

 それが自身の生命を救ったことを、アレクシオスは数秒と経たぬうちに理解した。

 見るがいい。

 つい今しがたまで立っていた地面はすり鉢状にえぐれ、周囲の奇岩ごとぽっかりと消失している。

 セイレーンの攻撃によってもたらされた結果であることはまちがいない。


 問題は、ことだ。

 戎装騎士の視覚器センサーを以てしても視認することは出来ず、アレクシオスには前触れもなく地面が破壊されたという結果だけが突きつけられたのだった。

 因果は明白でも、その過程が不明ならば、回避も防御も不可能である。


 アレクシオスの背筋を冷たいものが駆け抜けていく。

 それは、かつてオルフェウスの加速能力を前になすすべもなく敗れた際に感じたものと同質の恐怖にほかならない。

 そうするあいだにも、セイレーンは両腕の位置を変えている。

 あらたな攻撃の構えであることは疑うべくもない。


「くっ――」


 アレクシオスは推進器を全開し、横っ飛びに飛んでいた。

 膝下の装甲はおおきく展開し、むき出しになった噴射口ノズルから伸びた炎の舌が夜闇を灼く。

 瞬時にせん音速域まで加速したアレクシオスは、またしても奇岩が消滅する瞬間を目の当たりにした。

 風によって徐々に削られながら、今日まで数万年もの歳月に耐えてきた奇岩は、にわかに輪郭を歪ませたかと思うと、文字通り霧散したのだった。

 これがセイレーンの能力であるならば、まともに受ければ戎装騎士といえどもひとたまりもない。

 すくなくとも破壊をもたらしている原理メカニズムが定かではない以上、まともに受け止めるのはあまりにも危険すぎる。

 超演算能力によって先手を取ろうにも、演算エミュレーションを成立させるための前提条件があまりにも乏しい。そのような状態で確度の低い予測を行えば、かえって足元を掬われかねない。

 無意識の警鐘だけを頼りに、ひとまずは回避に徹するしかないのだ。


「さすがね――アレクシオス」


 セイレーンは感心したように言って、ちらとアレクシオスを見やる。

 アレクシオスは槍牙を構えながら、いつでも回避出来るように猫足立ちの姿勢を保っている。

 ひりつくような緊張が戦場を支配していく。

 全神経をセイレーンに集中させていくうちに、アレクシオスはあることに気づいた。

 セイレーンの四肢に配された襞状の装甲構造は、すこし前まで閉じていたはずが、いつのまにか開ききっている。

 恐ろしくも美しいそのさまは、月光を浴びて開花した青紫色の花を彷彿させた。

 むろん、戦場で敵にぼんやりと見惚れることは死に直結する。

 不可解な攻撃を仕掛けてくるとなればなおさらだ。


 と、アレクシオスは何かを確かめるように、すばやく左右に視線を振り向ける。


「もう分かったでしょう。あなたは、あたしには勝てない。

「それはどうかな」

「取り返しがつかないことになるまえに負けを認めて――お願い」


 刹那、空間を見えない攻撃が走った。

 アレクシオスの立っていた場所は、またしても地面ごとごっそりと削り取られている。

 不可視の一撃が襲いかかる寸前、黒騎士は推進器を全開して高々と跳躍していた。

 真上にざっと五十メートルあまり。

 遮るものとてない夜空に黒い隻影が踊る。

 アレクシオスを追うように、セイレーンは両腕を空に向ける。


 ふいに赤い砂煙が舞い上がった。

 時おり吹きつけるつむじ風が、地表に滞留していた砂塵をさらっていったのだ。

 青白い月光を赤錆色に煙らせながら、砂の粒子はアレクシオスを隠すように夜空に広がっていく。

 それもつかの間のことだ。

 セイレーンが伸ばした手の先で、砂煙は幻みたいにかき消えていた。

 見えざる巨人のかいなが砂の紗幕を引きずり降ろしたみたいな、それは信じがたい光景だった。

 ふたたび清澄を取り戻した夜空には、しかし、アレクシオスの姿はどこにも見当たらなかった。

 

――どこへ!?


 セイレーンはすばやく周囲に視線を巡らせる。

 耳を聾する吸気音が砂漠に轟いたのは、まさにその瞬間だった。

 奇岩の陰から飛び出したアレクシオスは、噴射炎の尾を引きながらセイレーンに急迫する。


 あの瞬間――。

 砂塵に乗じてひそかに岩陰に降りたアレクシオスは、セイレーンの攻撃をじっと観察していたのだ。

 自分が攻撃範囲に入っていなければ、冷静に謎の攻撃の原理を究明することも出来る。

 空気の流れからまもなくつむじ風が吹くことを察知したアレクシオスは、あえて逃げ場のない上空へと飛び上がってみせたのである。


 セイレーンが攻撃のために上方に手を伸ばしたこと。

 そして、手を伸ばした先で、舞い上がった砂がぽっかりと消滅したこと。


 これらの事実から導き出される答えはただひとつ。

 アレクシオスは、組み立てた仮説を裏付けるために、みずからの身を以って最後の実証を行おうというのだ。


「くっ……!!」


 セイレーンはアレクシオスめがけて右腕を突き出す。

 とっさの反応では、とても両腕を同方向に向けることはかなわない。

 袖から肘を覆うドレープが開いた。

 それと同時に、その奥に規則的に配置されたも露わになる。

 接近するアレクシオスを過たず捉えたはずの不可視の波は、しかし、むなしく宙空へと放散していった。

 攻撃の直前、アレクシオスは推力の方向ベクトルを強引に転換し、みずからの身体を地面に叩きつけたのだ。

 激しく輾転しつつ、セイレーンの内懐に飛び込んだ黒騎士は、すかさずその両腕を掴み取っていた。

 アレクシオスは騎士のなかではけっして膂力に優れている部類ではないが、それでも、セイレーンの動きを封じることは充分に可能だった。


「離して……!! 離しなさい‼」

「この距離まで近づけば、もうあの攻撃は使えないはずだ」

「なぜそんなことが言えるの?」

「音だ。君は装甲の下から音を打ち出し、攻撃に用いていた……違うか?」


 セイレーンは答えず、ただ顔を俯かせただけだ。 

 無言の動作は、とりもなおさず肯定を意味している。

 アレクシオスの指摘どおり、セイレーンの装甲には指向性の音響兵器ソニックウェーブ・ジェネレーターが隠されている。

 超高サイクルの音波を照射することで、分子レベルでの共振効果を励起し、対象の物理的構造を完全に破壊するのである。

 特徴的な襞状の積層装甲は、音響兵器を秘匿するために特化した機構でもあった。

 兵器そのものを外から見えないところに隠すことで、攻撃の範囲やタイミングを敵に悟られることを防ぎ、不可視の攻撃による不意打ちの効果を最大限に増幅するのである。

 事実、もしその存在に気づかないままであったなら、アレクシオスも致命的な損傷を被っていたはずであった。


「もう分かっただろう。これ以上戦っても君に勝ち目はない」

「まだ……まだ、終わってなんかいない!!」

「皇帝陛下に事情を話せば、きっと分かってくださる。この村の病人たちのことも……」


 わずかな沈黙のあと、セイレーンは消え入りそうな声で呟いた。


「そんな話、いまさら信じられると思うの? あんなことをさせられて、それでもまだ軍に戻れと?」


 あくまで静かなその声には、隠しようのない怒りと絶望が満ち満ちている。


「あたしはもう人殺しの道具になんかなりたくない。あの人たちの命令に従うだけの人形には、絶対に戻らない!!」

「落ち着いておれの話を聞け!! セイレーン!!」

「これだけは使いたくなかった。でも、もうおしまいにしましょう――さよなら、アレクシオス」


 アレクシオスの目の前で、セイレーンの胸部を覆う装甲が形を変えていく。

 やがて胸からみぞおちにかけて形成されたのは、奇怪な形状の器官だ。ゆるやかな曲線を描いて前方に突き出した三本の角は、この世ならぬ魔獣のあぎとを思わせた。

 それがいかなる機能を持っているのかは、セイレーン以外には知る術もない。

 それでも、本能的な危険を察知したアレクシオスは、すかさず後方へと飛んでいた。


 わずかな間を置いて流れ出したのは、美しく澄みきった歌声だ。

 刹那、上空に逃れたアレクシオスの眼下に広がったのは、にわかには信じがたい光景だった。

 赤砂の大地に向けられた歌声は、あらゆるものを無へと還していく。

 わずかな熱も音も生じさせないまま、数秒と経たぬうちに破壊は終息した。

 セイレーンの前に形作られたのは、直径にしておよそ百メートルの巨大な陥穽クレーターだった。

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