第112話 裏切りの五騎士

「つかれたあ――!!」


 石積みの城壁に背をもたせかかりながら、イセリアは大きく伸びをした。

 城壁はところどころ崩れかかっている。むろんイセリアの仕業だ。緻密に築き上げられた城壁を力任せに、果物の皮を剥くみたいにぼろぼろと引き剥がしていったのだった。

 戎装騎士ストラティオテスでも屈指の怪力をもつイセリアならではの力業であった。

 もっとも、黄褐色の騎士は籠城側の兵士たちを恐怖のどん底に陥れはしたものの、ついに城壁を突破することはなかった。

 出来なかったのではなく、手加減をした結果であることは言うまでもない。


「お姉ちゃん、ちょっとやりすぎたんじゃない?」


 イセリアの背後から声がかかった。反射的に振り向けば、二つ結びにした青い髪が風に揺れている。

 エウフロシュネーはイセリアの顔をちらと見やると、ちいさくため息を漏らす。


「なによ、そのため息は? ……約束どおり城の内部なかまでは攻め込まなかったでしょ。なんか文句あるわけ?」

「私が必死で止めてなかったら絶対やってたよね」

「ああもう! うるさいわね! 結果よければすべてよし、でしょ?」


 言って、イセリアは城壁の一点を指差す。

 周囲の城壁のなかで唯一無傷のまま残されているそこは、ヴラフォス城の正門だ。

 重厚な鉄扉は大きく開け放たれ、防御施設としてはもはや用をなさない。

 いま、城塞の正門から山の麓へと至る険しい道は、黒々とした線によって切れ目なく結ばれている。

 城塞を追い出された兵士たちの行列であった。

 ほんの数時間前まで鉄の結束のもとに城塞を守備していた兵士たちは、粛々と城を退去していく。

 総勢二万人になんなんとする籠城兵のなかで、誰ひとりとして開城への異議を叫ぶ者はいなかった。

 抵抗の余力は十分に残っていたにもかかわらず、彼らはあくまで従容と敗北を受け入れたのだ。

 さしたる抵抗もなく武装解除に応じたことに、城内に踏み入った辺境軍の部隊のほうが肩透かしを食ったほどだ。

 指揮官であるアザリドゥスが降伏した以上、もはや籠城を続ける理由はどこにもない。

 この籠城戦が始まったときから――それよりずっと前から、兵士たちにとってアザリドゥスの命令は絶対だった。

 ほかの西方人とは何もかもが違う風変わりな将軍。

 決して東方人を見下すことなく、率先して部下と労苦を分かち合おうとする奇矯な男。

 ともに兵営で日々を過ごすうちに、兵士たちがアザリドゥスに心酔したのも道理であった。

 だからこそ、徹底抗戦を命じられれば万骨が枯れるまで戦い抜き、降伏を命じられたならば、未練もなく城塞しろを捨てる。

 彼ら自身の心がどうあれ、すべてを委ねた指揮官が決断を下したなら、一も二もなくその命令に服する。それが人間として扱ってくれた男への信頼に報いる唯一の方法であるならば。

 敗残兵とそしられても仕方ない立場だというのに、城を出ていく兵士たちの足取りには、かけらほどの後ろめたさも卑屈さもない。

 それどころか、流れていく無数の横顔は、どこか誇らしげですらある。

 そんな兵士たちの気高い姿も、イセリアの眼中にはすでにない。


「この分だと日が高いうちに帰れそうね。まったく、こんなにあっさり城を明け渡すんだったら、最初からそうすればいいのに――」

「それもお兄ちゃんたちが敵の将軍を捕まえたからだよ」

「上手く行ったのはあたしが外で敵を引きつけておいたおかげよ。アレクシオスが帰ってきたらいっぱい褒めてもらわなくちゃ!!」

「それ、の間違いだよね?」


 と、例のごとく言い争いをはじめた二人の頭上からふいに声が降ってきた。


「おまえたち、そこにいたのか」


 黒髪の少年は返答を待たなかった。胸壁から身を乗り出し、寸毫ほどの躊躇いもなく飛んだ。

 地上までざっと三十メートル以上はあろう。常人であれば墜死、よくて大怪我は免れない高度だ。

 少年は軽やかに着地すると、あらためて二人の少女に向き直る。


「アレクシオス!! ねえ、ちょっと聞いてよ!!」

「お兄ちゃん! それよりお姉ちゃんが――」

「分かったから、二人同時にしゃべるな!!」


 我先にとまくしたてるイセリアとエウフロシュネーに、アレクシオスはうんざりしたように首を振る。 


「アザリドゥスは連行され、ヴラフォス城は陥落おちた。おれたちの役目はほとんど終わったようなものだが、まだ任務中だということは忘れるな」

「ねえ、そういえばあの娘は?」

「……オルフェウスなら、まだ城塞の内部にいる」


 アレクシオスは城壁のほうにちらと視線を向ける。


「一人で五百人からの敵を相手にしたらしい。追い詰められた敵は部屋に火を放ち、あいつを焼き殺そうとしたらしいが――」

「そ、それで!? どうなったの!?」

「どうもしない。戎装騎士おれたちは火に包まれた程度でどうこうなるほどヤワじゃない。それはおまえも分かっているだろう」


 興奮気味に問い詰めるイセリアに対して、アレクシオスの返答はなんともそっけない。


「ただ、身体じゅう煤まみれになっただけだ。いまは城内の水場で煤を落としている」


 その言葉を耳にした瞬間、イセリアの面上をよぎった表情を、エウフロシュネーは見逃さなかった。


「お姉ちゃん、無事でよかったって顔してるよ?」

「じょ……冗談言ってんじゃないわよ。あの娘がどうなろうと、あたしには関係ないし!!」

「ホント、素直じゃないんだからさ」


 イセリアは買い言葉も見つからないのか、ふんと鼻を鳴らすと、拗ねたみたいに横を向く。心が波立ったままでは、口論をするにも分が悪いと判断したのだろう。


「とにかく、おれたちはここであいつを待つ。もともと城のなかにいる反乱軍がすべて出ていくのを見届けるまではここに留まっている手筈だったからな」


 言い終えて、アレクシオスは耳を澄ませた。どこかで馬蹄が大地を叩く音がきこえる。

 ほどなくして、麓へと下っていく投降兵の長い列に逆らうように、馬に乗った兵士が単騎で駆け上がってくるのがみえた。

 兵士は城門の手前で馬首を巡らせると、アレクシオスたちのほうに近づいてくる。


戎装騎士ストラティオテスか!?」


 軍服に簡素な兜を引っ掛けただけの兵士は、三人の姿を認めるなり、声を張り上げて問うた。


「そうだが――」


 一歩進み出たアレクシオスを騎士たちの統率役と見なしたのか、兵士は馬から降りもせずに言い放つ。


「喫緊の問題が発生した。ただちに本陣に帰還せよ。仔細はその後で伝えるとのことだ」

「ちょっと待ちなさいよ! あたしたち、ひと仕事終わったばかりなんだけど?」

「それがどうした?」

「どうしたもこうしたもないわ! ついさっき戦いが終わったばかりなのに、休む暇もなくあっちこっちに引っ張られたんじゃたまんないってのよ!!」


 噛みつかんばかりの剣幕で言い立てるイセリアに、馬上の兵士も面食らったらしい。見かねて間に入ったのはアレクシオスとエウフロシュネーだ。


「イセリア! よせ!」

「お姉ちゃん、ワガママ言っちゃだめだよ」

「やーよ! いくら命令でも、素直に聞けることと聞けないことがあるわ。だいたい、いつもいつもあたしたちのことを便利に使いすぎなのよ。たまにはガツンと言ってやるんだから!」


 あくまで頑ななイセリアの言葉に、アレクシオスは無言のまま眉根を寄せる。

 今回ばかりは自分勝手なわがままと切って捨てるつもりにはなれなかった。理不尽な命令であることには違いないのだ。


「非礼はおれが代わりに詫びる。だが、もうすこし待ってもらえないか。仲間がまだ一人戻ってきていない。帰還するなら四人揃ってからのほうが都合がいいはずだ」

「長くは待てん。ただちに連れ戻せとの命令だ」

「……それほど急ぎの用件なのか?」


 アレクシオスは兵士に胡乱げな目を向ける。

 騎士たちが攻城戦を終えたばかりだということは当然知っているはずだ。

 にもかかわらず、伝令を送ってまで本陣への帰還を急かすのは、よほどの理由があるにちがいない。アレクシオスが知りたいと思ったのも当然だ。


「仔細は本陣に戻ってから伝えると言った……が」


 馬上の兵士は三人の騎士をそれぞれ一瞥する。

 異なる色を湛えた六つの瞳は、問いただすような視線を兵士に投げかけている。

 高圧的に命令したところで、素直に従うとは到底思えない。

 ややあって、兵士はわずかに俯いたまま、


「私も詳しく知っている訳ではないが……」


 小声でそう前置きしたうえで、ゆっくりと口を開いた。


戎装騎士ストラティオテスが脱走したらしい――」


***


 夕刻――。


 辺境軍本陣の帷幄テントは、時ならぬ喧騒に包まれていた。

 難攻不落のヴラフォス城を攻め落とした歓喜に湧いているのではない。

 本陣には、いまなお戦の最中と変わらない張り詰めた雰囲気が漂っている。

 帷幄には命令書を携えた兵士だけでなく、腰を据えて指揮を執るべき高級将校たちまでもが慌ただしく出入りを繰り返している。


「まったく、とんでもないことになった――」 


 聞こえよがしに慨嘆したのは、居並ぶ将校たちのなかでもひときわ年かさの男だ。

 男は短く刈り上げた白髪頭を両肘で抱え込みながら、


「ようやくヴラフォス城が陥落したかとおもえば、今度は戎装騎士ストラティオテスの脱走とは!! なぜこうも我らの管轄にばかり面倒事が舞い込んでくる!?」


 忌々しげに言って、末席の青年をじろりと睨みつけた。


「司令官殿、落ち着いてください」

「これが落ち着いていられると思うのかね? それと、いちいちはつけんでよろしい。本来の司令官はどんなことがあろうと前線にはお出でにならんのだからな」

「はあ……」


 ヴィサリオンの気のない返事が癇に障ったのか、白髪のは苛立たしげに長机を指で叩く。


「そんなことより、君の連れてきた戎装騎士はまだ戻らんのか」

「まだ降伏からさほど時間も経っていません。あれだけ広大な城塞しろの内外で戦っていたなら、集合には時間もかかるはずです」

「それならばいいが、もし奴らまで逃げ出すようなことがあれば、君には監督不行き届きの責任を取ってもらう」

「と、申しますと――」

「その女子おなごみたいな細首を刎ねて帝都に送り返してやる」


 声を低くして凄んでみせる司令官に、ヴィサリオンは震え上がるでもなく、


「お気の済むように」


 涼しげな声でそう答えただけであった。 

 見かけによらず肝が据わっているのか、それとも自分の生命に無頓着なのか。

 どうにも判断のつきかねた司令官は、値踏みするみたいに青年の細面をじっと見つめる。父親ほど年の離れた男に不躾な視線を向けられても、ヴィサリオンは端然と佇んだままだ。

 息を切らした伝令兵が帷幄に駆け込んできたのは、まさにそのときだった。


騎士ストラティオテスが戻りました――」


 声を張り上げた伝令兵の背後から、四人の少年少女が連れだって現れると、そこかしこで驚嘆の声が沸き起こった。

 将校たちのなかには騎士たちの姿をはじめて目にする者もいる。

 自分たちが二月ふたつきがかりで攻め落とせなかったヴラフォス城を攻略し、名将アザリドゥスを捕らえたのが、まさかこんな若者と子供だったとは――彼らが漏らしたのは、そんな驚嘆と疑念とがこもごもになった声だった。

 司令官は努めて平静を装いながら、わざとらしく咳払いをひとつすると、

「まずはご苦労だった。我々としても此度の戦における諸君の勲功を讃えたいのはやまやまだが、そうも言っていられない非常事態が出来しゅったいしたのだ」


 重々しい声で騎士たちに告げる。


とは?」


 アレクシオスは素知らぬ風で問い返す。そうしたほうが話は早いはずであった。


「南方辺境に配置されていた戎装騎士ストラティオテスが立て続けに脱走した。たったいま現地の部隊からもたらされた報せだ」

「脱走……ですか」


 意外なほど落ち着いた様子のアレクシオスに、司令官は訝しげな目を向ける。

 すでに騎士たちが三人がかりで伝令を取り囲み、知っていることを洗いざらい吐かせているとは知る由もない。それとなく勘付いているのはヴィサリオンだけだ。


「脱走した戎装騎士は五人。最後に確認された足取りから推測するに、おそらく全員が帝都方面に向かったとのことだ。すでに帝都盆地に侵入したと見ていいだろう。アザリドゥスの反乱に兵を割いたおかげで各街道の封鎖もままならん」

「あの――ひとつ訊いてもいいですかぁ?」

「いいだろう」


 イセリアは精一杯の猫なで声を出す。吹き出しそうになるエウフロシュネーに肘打ちを食らわせながら、


「南方辺境から帝都までかなり離れてるし、あちこちに戎装騎士はいたと思うんですけど……?」

「むろん、脱走に気付いた時点で南方辺境軍はただちに追手を差し向けた。それも、選りすぐりの戎装騎士をな」

「……どうなったんですか?」

「出撃した騎士は一人も戻らなかった。全滅だ」

「全滅!?」


 オルフェウスを除いた三人の声が揃った。

 ヴィサリオンは司令官に目配せをすると、彼が着席したのとほとんど同時に立ち上がった。それは説明を引き継ぐ合図だ。


「追手として派遣された騎士のなかには、あのラグナイオスもいました」

「あのラグナイオスがか? それなら、なぜ全滅などと……」

「彼も他の騎士と同様、無惨な亡骸となって発見されたそうです」

「バカな――」


 アレクシオスは心底から魂消えたような声を上げた。

 ラグナイオスの実力はアレクシオスもよく知悉している。

 恐るべき力を秘めた聖槍ハスタ・サンクトゥスを操る紺碧の戎装騎士ストラティオテス。 三百体近い戎狄バルバロイを葬った、北方辺境における英雄の一人だ。

 かつて、アレクシオスはおなじ槍を武器とする騎士としてあこがれを抱き、遠く及ばない自分自身に忸怩たる思いを抱いたものだった。

 そのラグナイオスが殺された。にわかには信じがたいことだが、ヴィサリオンの言葉を疑う理由もない。


 問題は誰が手を下したか――だ。

 最強格の騎士を殺すことが出来るのは、やはり最強格の騎士だけだ。

 アレクシオスの知るかぎり、戦闘能力においてラグナイオスと伍する騎士はこの世にただ二騎ふたり

 そのうちの一人は、いま傍らに立つ亜麻色の髪の少女。

 そして、もう一人は――。


「ヴィサリオン、脱走した騎士というのは……」

「五人の騎士の名前はすでに判明しています。エリス、カドライ、ラケル、レヴィ、そして――」


 細面の青年はいったん言葉を切り、深く息を吸い込む。

 そして、まるで重い塊を吐き出すみたいに、ゆっくりと最後の名前を口にした。


「……ヘラクレイオスです」

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