第31話 籤引き

 「……お手上げだな」

 アレクシオスはやりきれないといった面持ちで呟いた。

 つい今しがた騎士庁ストラテギオンの詰め所に戻った三人は、ヴィサリオンに今日一日の調査の結果を報告し終えたところだった。

 ヴィサリオンも詰め所に戻った三人の様子を見るなり、すべてを察したらしい。

 何の成果も得られなかったことを責めはしないが、かといって慰める言葉も見つからない。

 「探しても見つからないんだからしょうがないじゃない。あたしたちは精一杯やったわ」

 机の上に突っ伏したまま、イセリアがいかにも投げやりに言う。

 先ほどから顔の下でしきりに手を動かしているようだが、何をしているかまでは分からない。

 「とにかく、三人ともご苦労さまでした。今のところは新たに事件が発生したという報せもありませんし、しばらくはこのまま様子を見るしかありませんね」

 「……つまり、次の事件が起こるまで何も出来ないということだ」

 絞り出すようなアレクシオスの言葉には、悔恨の色がにじむ。

 「犯人は今もこの帝都まちのどこかに潜んでいる。今は大人しくしていても、しばらくすればまた動き出すだろう」

 「そう考えるのが妥当でしょうね」

 「そのまえに何とか尻尾をつかんでやりたかったんだがな」

 アレクシオスは小さく吐き捨てた。

 それは誰に対してででもなく、不甲斐ない自分自身に対して

 「そういえば、例の証拠はどうなった?」

 「あなたたちが戻ってくる少しまえに分かったことですが――」

 そこまで言って、ヴィサリオンは言葉を濁した。

 「断定は出来ませんが、おそらく牛か豚のものだろうということでした」

 「……そうか」

 予断は禁物と分かっている一方で、かすかな希望を抱いていたのもたしかだった。

 さすがのアレクシオスも堪えたらしく、深くため息をついた。

 「ねえ、あたし思うんだけどさ」

 「なんだ、イセリア――悪ふざけなら後にしろ」

 何かを思いついた様子のイセリアに、アレクシオスは至極冷淡に応じた。

 これまでのイセリアの言動を振り返れば、十中八九ろくでもないことを言い出すにちがいないという確信がある。

 「犯人の手がかりが見つからないなら、こっちから動けばいいんじゃない?」

 「なんだと?」

 「だから、こっちから犯人を探しに行くのよ! ここでじっとしてても埒が開かないわ。見つけ出して捕まえちゃえば一件落着でしょ?」

 よほど自信があるのだろう。イセリアは顔を上げると、勝ち誇ったように胸を張る。

 呆れた様子のアレクシオスに対して、ヴィサリオンは感心したように深く頷く。

 「いい考えかも知れません。あなたたちが出かけている間、これまで起こった事件のことを調べてみましたが、大抵一日か二日の間隔をおいて起こっています。直近の事件が一昨日なら、犯人が今夜動く可能性は高いですね」

 「ほら、やっぱり!」

 「たしかに、上手くいけば次の犠牲者が出る前に犯人を捕まえることも出来るだろうが……」

 アレクシオスは半ばまで同意を示しながら、どこか納得がいかない様子だった。

 「犯人はこの広い帝都のどこにいるかも分からないんだ。当てずっぽうで見つけられるとは思えん」

 「それは……そうだけどさ」

 「だが、おまえにしてはいい目の付け所だ。街を見回っていれば、もしかしたら奴らを見つけられるかもしれないからな」

 その言葉を聞いた途端、イセリアの顔がぱっと明るくなる。

 手放しで賞賛された訳ではないとはいえ、アレクシオスに認められたことがよほどうれしいらしい。

 「そうと決まればすぐに出るぞ。ラフィカが言っていた通りなら、奴らが動くのは夜のあいだだけだ」

 言って、アレクシオスは先ほどから沈黙を守っているオルフェウスを見る。

 少女は返答の代わりに席を立つ。それは無言の了解だった。

 「ヴィサリオン、留守を頼んだ」

 「私も一緒に……と言っても、あなたは聞き入れてはくれないでしょうね」

 「あの二人だけで手一杯だ。おまえの面倒まで見きれるかよ」

 冗談めかして言いつつ、アレクシオスはいそいそと出立の準備に取り掛かる。

 「ここからは騎士おれたちの仕事だ」


 「ねえ、あたしにいい考えがあるんだけど」

 詰め所の玄関を出ようとしたところで、イセリアがふいに口を開いた。

 「さっさと言え。聞くだけは聞いてやる」

 「囮を使うのよ。わざとさらわれて、そのまま犯人の根城アジトを突き止めれば一網打尽でしょ?」

 どうやら先ほどの提案が採用されたことですっかり自信をつけたらしい。

 得意満面のイセリアに対して、アレクシオスは瞼を閉じて考え込んでいる。

 「それで、誰が囮になるんだ。まさかおまえが志願するつもりじゃないだろう」

 「もちろん! こういうのはクジで決めるものよ」

 言うが早いか、イセリアはどこからか三本の長細い紙きれを取り出していた。

 よく目を凝らせば、そのうちの一つには先端に赤い色がつけられている。

 「赤いのを引いた人が囮になる――ってことで、どう?」

 「おまえ、いつの間にこんなものを……」

 「いつだっていいでしょ。ほらほら、早く引かないと夜が明けちゃう!」

 二人を急かしつつ、イセリアは心中で邪な笑みを浮かべていた。

 見回りに出ることも、さらには囮を使う作戦も、詰め所へ戻る道すがらに思いついたことだ。

 すべてはオルフェウスを陥れるための策だった。

 アレクシオスと二人になるためには、邪魔者を遠ざける必要がある。

 とはいえ、単なるわがままが通るはずもない。下手をすれば、今朝のようにかえって二人の距離を縮めることにもなりかねない。

 だが――クジ引きの結果で決まったことなら、誰に邪魔されることなくオルフェウスを排除できる。

 イセリアはそのように考え、今まさに計画を実行に移しつつあるのだった。

 (こいつでお邪魔虫を追っ払ってやるわ!!)

 赤い印をつけたクジには、あらかじめ小さく切れ込みを入れてある。

 掌のなかにあるかぎり、それがどこにあるかを把握することは容易だ。

 一見公正に見えるくじ引きに罠が仕掛けられているなど、むろんアレクシオスとオルフェウスは知る由もない。

 「さ、――まずはあんたから引きなさい。ほら早く!」

 そう言って、イセリアはクジをにぎった掌をオルフェウスの前に突き出す。

 亜麻色の髪の少女はそれをぼんやりと眺めながら、意外そうな様子で問い返す。

 「……本当にいいの?」

 「いいに決まってるでしょ! 時間ないんだから、さっさとやりなさい!!」

 白い指がクジに触れようとしたその時、横から声がかかった。

 「待て、おれが先だ」

 「アレクシオスは二番目!」

 「最初に引かせてくれないか。当たりそうな気がする」

 「ちょ……ちょっと待ってて! よく混ざってなかったような気がするから!」

 イセリアは努めて平静を装いつつ、掌のなかでクジの位置を変える。

 怪訝な面持ちで見つめるアレクシオスに悟られまいとするあまり、切れ込みの位置を見失ってしまったことに気づく。

 (やば……ハズレがどこにあるか分からなくなっちゃった……)

 いつまでも掌のなかでクジを弄っているイセリアに痺れを切らしたのか、アレクシオスは手を伸ばすと、

 「もう充分だろう。……引くぞ」

 そのままクジを一本引き抜いた。

 「……ハズレか」

 白いクジを手にしたまま、アレクシオスは残念そうに呟く。

 「次は私でいい?」

 「ああもう! 勝手にしなさいよ!」

 残るクジは二本。

 オルフェウスの指がそのひとつにかかる。

 イセリアはいつになく真剣な面持ちでその様子を見つめている。

 アレクシオスは胡乱げな視線を向けるが、イセリアはそれにも気づいていないようだった。

 もはやハズレのクジがどこにあるかは、罠を仕掛けた張本人にも分からなくなっている。

 (さあ、赤いのを引きなさい!!)

 白い指が動き、クジが引き抜かれる――。

 

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