第216話 金羊館殺人事件(Ⅷ)

「主人を殺した犯人が分かったというのは本当ですの?」


 問いざま、エレギアは訝しげな視線をイセリアに向けた。

 夕闇が迫るなか、ふたたび屋敷の大広間ホールに集められたのは、イセリアとオルフェウスを除いて四人。

 エレギアとマルシャン、家令のカガニス、そして庭師兼酒蔵の管理人であるダミアンである。

 テーブルに着いた四人のは、それぞれまんじりともせずにイセリアの次の言葉を待ちわびている。


「ええ。あたしの推理が正しければ、犯人はこの中にいる」

「それは重畳ですわ。騎士さま、さっそくお聞かせ頂けませんこと?」

「その前に見てほしいものがあるわ」


 言って、イセリアはオルフェウスを横目で見やる。

 こくりと頷いた亜麻色の髪の少女が取り出したのは、一本の酒瓶だった。 


「そ、それは……」


 魂消えたような声を漏らしたのはマルシャンだ。

 まだ半分ほど中身が残っているその瓶には、たしかに見覚えがある。

 それがこの場に持ち出された意味を理解して、マルシャンの肥満した顔はみるみる青ざめていった。


「ドロテアスさんが晩酌で飲んでいた葡萄酒ワインの瓶よ。たしか、あんたもその場にいたのよね?」

「待ってくれ!! 僕は叔父上を殺してなどいない!!」

「往生際が悪いわね」


 イセリアが何かを言うまえに、横から鋭く言い放ったのはエレギアだ。

 未亡人は勝ち誇った微笑を浮かべながら、狼狽しきった様子の年上の甥を見つめている。

 まるで罠にかかった得物を見下ろすような、それはどこまでも嗜虐心に満ちた眼差しであった。


「私には最初から分かっていたわ。あなたが主人を毒殺したのでしょう?」

「ふざけるな……!! だいたい、僕の無実はそこにいるカガニスが証明して……」

「遺産をちらつかせて抱き込んでいないという保証があって?」


 エレギアの言葉を受けて、カガニスはおもわず身を乗り出していた。


「奥様、私は断じてそのような――」

「おだまりなさい。どんな実直な人間も金銭の誘惑には抗えないもの。自分に協力すれば遺産を分け与えるとでも言われて……」


 掌を打ち鳴らす乾いた音が、嬲るようなエレギアの言葉を遮ったのはそのときだった。

 イセリアは場が静まりかえったのを見計らって、ごほんとわざとらしく咳払いをしてみせる。


「はいはい、そこまで! 勝手に話進めてんじゃないっての!」

「ですが騎士さま、その瓶は――」

「誰もそこのデブが犯人だなんて言ってないわ。早とちりしないでほしいわね」


 予想外の言葉に眉をひそめたエレギアと、拍子抜けしたように口を開いたマルシャンをそれぞれ一瞥して、イセリアはなおも言葉を継いでいく。


「この酒瓶はあくまで参考のために用意させたものよ。……、持ってきてるわね?」

「言われたとおり、ちゃんと持ってきたよ」

「本命はこっちよ」


 イセリアがオルフェウスから受け取ったのは、やはり葡萄酒の酒瓶だった。

 一見してすぐに分かる違いといえば、こちらは中身がほとんど底を突きかけているという点だけだ。

 四人に見せつけるように酒瓶を掲げたイセリアは、努めて厳かな声で言い放つ。


「これは殺人現場に残っていたものよ。ドロテアスさんが殺された謎を解く鍵でもあるわ」


 イセリアが言い終わるのを待たずに、テーブルを叩く音が大広間に響いた。

 それまで沈黙を守っていたダミアンが勢いよく立ち上がったのだ。


「ちょっと待ってくれ。それは昨晩、旦那様がお飲みになる前に俺が毒味をした酒だ。あんたもすぐ隣で見ていただろう!?」

「ええ、たしかにこの目で見届けたわ」

「その酒に毒など入っていない。なんなら、俺がもう一度毒見をしたっていい」

「それには及ばないわ」


 イセリアはぴしゃりと言って、二本の瓶を両手で持ち上げる。


「あんたの言うとおり、この葡萄酒に毒なんて入ってない。さっき見せた瓶と中身はまったく同じですもの」

「だったら、なぜ――――」


 言うなり、イセリアは二本のボトルを掌でくるりと回転させる。

 四人の目の前に突きつけられたのは、酒瓶の底に設けられたすり鉢状の凹みパントだ。

 エレギアとマルシャン、カガニスがイセリアの不可解な行動に首を傾げるなか、ダミアンはきっと眉根を寄せる。


「それがどうした? そんなもの、ガラス瓶なら必ずついているだろう」

「ええ。の隠し場所としてはもってこいでもあるわ」

「なに……?」


 イセリアは懐から一枚の薄紙を取り出すと、凹みパントに押し当てる。

 最初は晩餐で飲んだ一方から。何度か往復させても、白い紙にはなんの変化もない。

 それが終わると、次はドロテアスが死の間際に口にしたもう一方へ。

 やはり同じように往復させた紙は、先ほどとは打って変わって、薄紅色に色づいていた。

 四人の顔にそれぞれ異なる驚きの色が渡っていく。

 まっさきに口を開いたのはマルシャンだ。


「それはなんなのだ?」

「たぶん、脂とを混ぜて作ったにかわでしょうね。ほとんど溶けてしまったみたいだけれど、こうして紙で拭き取れば、ちゃんと色がつくわ」

「それと叔父上が殺されたことになんの関係がある……?」


 イセリアはマルシャンの問いには答えず、ふたたびダミアンに顔を向ける。

 青白い顔の青年は、相変わらず押し黙ったまま、じっとイセリアの視線に耐えている。


「ねえ、これ、庭に咲いてる毒花の色とよく似ていると思わない?」

「……」

「あんたが昨日言ってたあの害虫避けの花のことよ。忘れたとは言わせないわ」


 ダミアンの返答はなかった。

 それも想定内だというように、イセリアは瓶を持ったままテーブルの周囲を回り始める。


「つまり、こういうこと――あんたは酒瓶の底に毒花を煮詰めて作った膠を仕込み、こっそりあの部屋に持ち込んだ。膠は部屋の暖かさでだんだん溶けてくる。閉じ込められた部屋のなかで、行き場をなくした毒は、ドロテアスさんが息を吸うたびにすこしずつ身体のなかに入っていく……」


 やがてイセリアはダミアンの傍らで立ち止まると、あくまで冷静な声音で語りかける。


「これなら密室のなかで誰にも気づかれず、自分は手を汚さずに時間差でドロテアスさんを殺すことが出来る。部屋に入ったとき、葡萄酒とは違う匂いがしたのも説明がつくわ。それに、膠も溶けて乾いてしまえば証拠は残らない。……どうかしら、あたしの推理?」

「……そのとおりだ」

「やっぱりね」


 ダミアンが意外なほどあっさりと罪を認めたことに驚きつつ、イセリアは尋問に移ろうとする。

 激しい物音が耳朶を打ったのは次の瞬間だった。

 と床を蹴って猛進したマルシャンは、太い指でダミアンの襟首を掴み上げる。


「ダミアン!! 貴様、なぜ叔父上を手にかけた!?」

「それは――」

「答えんか!! 使用人の分際で主人を殺すなど、どういう了見だ!? わが家門の名誉にかけて、貴様は八つ裂きにしてくれるぞ!!」


 興奮しきったマルシャンをイセリアが引き剥がそうとしたとき、くっくと乾いた笑い声が大広間に流れた。

 全員の視線がダミアンに集中する。

 青年の顔に浮かんだのは、まぎれもない薄笑いだった。


「わが家門――か」

「貴様、なにがおかしい!? それとも狂ったか!?」

「笑わずにはいられませんよ。だってそうでしょう。この家の名誉はもう二十年も前に失われてしまったんですからね」

「なにい……?」

 

 意味深長なダミアンの言葉に、マルシャンはおもわず手指の力を緩めていた。

 縛めから解き放たれた青年は、そのまま滄浪とした足取りで数歩も後じさると、またしても不敵な微笑を満面に漂わせる。

 

「いい機会だ。あなたがたにも真実を教えてあげましょうか。本当はドロテアスはとっくの昔に死んでいるんですよ。二十年前のあの事件に巻き込まれてね」


 ダミアンの声には、反論も反問も許さない凄みが満ちている。

 固唾を呑んで見守る一同に向けた顔は、もはや一介の使用人のそれではなかった。

 暗い真鍮色の髪をかきあげると、青年は朗々たる声でみずからの名を宣言したのだった。

 

「俺――いや、私の名前はフォルネリウス。”六月事件”で殺されたの一人息子だ」

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