第90話 姫君来たる(四)

「なんなのよ――これ!?」


 イセリアは後じさりながら呟いた。

 五十メートルほど先で、巨大な光の柱が天にむかってそびえている。

 それも、一本だけではない。最初の柱がだしぬけに現れたかと思うと、次の瞬間には同じものが数十本も市街地のそこかしこに突き刺さったのだった。

 あるものは垂直に屹立し、あるものは斜めに傾き、夜の帝都にこの世ならぬ奇観を現出させている。

 異様な物体が目の前に出現したにもかかわらず、通りを行き来する人々は気にも留めていないようだった。


 当然だ。光の柱はが、その存在を認識することが出来るのは戎装騎士ストラティオテスだけなのだから。

 光の柱は、人間の眼には決して捉えられない不可視光線によって形作られている。

 どれほど目を凝らしたところで、人間の目では光の柱を知覚することは不可能なのだ。

 いまこの瞬間も、通行人たちの目に映るのは、普段と変わらない帝都の街並みであった。


「……アグライア、あれを使ったのか」


 タレイアは夜空を見上げ、誰にともなくひとりごちる。

 戎装騎士である彼女には、むろん光の柱ははっきりと見えている。


「ちょっと、あれってなんなのよ! あたしにも分かるように説明しなさい!」

「耳のそばで騒ぐな。私の姉妹が能力を使っただけだ」

「それだけじゃちっとも分かんないわよ!!」


 詰め寄るイセリアを手で制しながら、タレイアは視界内の光の柱のひとつひとつにすばやく視線を巡らせる。


「いいから、しばらく黙って見ていろ。説明はそのあとでする――」


 タレイアが言い終わらぬうちに光の柱が動き始めた。

 上端は固定されたまま、地面に接する部分だけが音もなく滑っていく。まるで天から垂れ下がった巨大な舌が市街地を舐めているような動作であった。

 光の柱のひとつが自分たちの方に近づいてきているのに気づいて、イセリアは小さく悲鳴を上げた。


「ちょ……ちょっと、やばくない!? 逃げたほうが……」

「心配するな。あれに触れても害はない。この街の人間にも、そして私たちにもな」


 はじめて目の当たりにする光景に狼狽を隠せないイセリアに対して、タレイアはあくまで落ち着き払っている。

 はたして光の柱は二人を素通りし、気づいたときには通りの彼方へと過ぎ去っていたのだった。

 イセリアは自分の身体が無事であることを確かめると、おそるおそる背後を振り向く。

 視線の先には、何が起こったのか皆目見当もつかないといった面持ちで立ちつくす男が一人。


「どうした、余の顔になにかついているか?」


 冗談めかして問いかけたルシウスに、イセリアはぶんぶんと顔を横に振ったのだった。




 光学オプティカル走査・スキャニング――。

 不可視光線を照射し、対象範囲内に存在するあらゆる事物を解析する。

 アグライアのもつ多彩な能力のひとつであり、唯一戦闘を目的としないものである。

 走査スキャニング光線・ビームは木造や煉瓦造りの住宅程度であれば問題なく透過し、屋内にいる人間をも確実に捕捉する。

 いまアグライアが子機を用いて行っているのは、帝都全域を対象とする超広域走査スキャンだ。

 照射された光線の拡散度は絶えまなくモニタリングされ、光量子通信ネットワーク網を介して本体――アグライアにリアルタイムで転送される。


 アグライアは『子機』から送られる莫大な観測データを分析し、目当てのものを見つけるまで選別を繰り返す。何度も、何度でも。

 ラエティティア一人を見つけるために、人口百万人になんなんとする帝都の全市民を調べ上げようというのだ。砂浜に落ちた一粒の麦を見つけるよりも困難なその仕事を、アグライアは誰の力も借りずに成し遂げようとしている。

 一秒にも満たないわずかな時間を重ねるたびに、処理すべきデータ量は指数関数的に増大する。

 それもそのはずだ。誰ひとりとして同じ顔が存在しない市民をふるいにかけ、総当たり的にラエティティアを探り当てようというのだから。

 アグライアがその気になれば、街路樹の葉どころか、葉を食むちいさな青虫の一匹まで認識することができる。解像度を極限まで高めたまま、拾い上げた情報を取捨選択していくことは、たんに広範囲を調べるのとはわけが違うのだ。

 それを証明するように、アグライアの頭脳にかかる負荷は、いまや毎秒数千ペタバイトに達している。黄金色の騎士は一切の遅延を発生させることなく、そのすべてを完璧な精度で処理する。


 走査を開始してから五分あまりが経ったころだった。

 アグライアは十六基の『子機』に対して、光線照射の停止とデータ送信の終了を命じる。

 すさまじい速度で流れてゆく電子情報の海のなかで、アグライアはようやくに辿り着いたのだ。

 住宅街の片隅に放置された空き家。その一室で、ラエティティアが複数の男に囲まれているのが見える。監禁にはおあつらえ向きの窓のない密室であった。

 男のひとりが小刀を懐に隠し持っていることもすぐに判明した。

 子機が捉えたデータから判断するかぎり、まだラエティティアは目立った危害を加えられていないようであった。


 そう――

 現時点での無事は、今後の少女の身の安全を保証しない。まして犯人が凶器を隠し持っているとなればなおさらだった。

 事態は一刻を争う。アグライアはまとわりつく気怠い疲労感を振りはらい、寸秒を惜しんで動きはじめていた。




「……アグライアが公主さまを見つけたようだ」


 光の柱が忽然と消え失せた直後、タレイアはぽつりと言った。

 タレイアとイセリア、そしてルシウスの三人は、大通りから人気のない裏通りに移っている。


「なんで分かるのよ?」

「そうでなければアグライアがを止める理由はないからだ」


 タレイアの短い言葉には、長姉への全幅の信頼が滲んでいる。

 イセリアは一瞬安堵の表情を浮かべたあと、ふいに眉を寄せ、怪訝そうな視線をタレイアに向けた。


「ていうか、こんなにあっさり見つかるんだったら、最初からその能力ってのを使えばよかったじゃないのよ」

「簡単に言ってくれる。あの能力は出来れば使わせたくなかったんだ。しかし、今回はそうも言っていられないからな……」

「どういうこと?」

「あの能力を使うと、アグライアは丸三日はろくに動けなくなる。そのあいだに何があっても頼ることは出来ないということだ――」


 三人の目の前に奇妙な物体が降下してきたのはそのときだった。

 複雑な面で構成された一メートルほどの黄金の角柱。どのような機構しくみを内蔵しているのか、何の支えもなしに宙空にふよふよと浮かんでいる。

 アグライアが飛ばした十六基の『子機』のうち、最も巨大なひとつであった。


「な、ななな……なにこれ……」

「ほう。これは面白い――余もはじめて見た」


 興味深げに眺めるルシウスとほとんど腰を抜かしそうになっているイセリアをよそに、タレイアは子機に手を伸ばし、そっと黄金色の表層に触れる。

 凛々しい唇を真一文字に結んだまま、タレイアは何度も肯んずる。子機を通してアグライアとなんらかの意思疎通を行っているのだ。『子機』は文字通りアグライアの身体の末端であり、光量子通信網によってたえまなく本体と情報をやり取りしている。


「皇太子殿下――公主さまの居場所が分かりました。ここからさほど遠くはありません」

「それは重畳。さっそく向かうとしよう」

「お戯れを……ここは私たちに任せ、殿下は安全な場所でお待ちください」

「余は戯れなど申したおぼえはない。それに、どのような危険な場所であろうと、そなたがいれば何の心配もなかろう。――なあ、”盾のタレイア”よ」


 ルシウスはこともなげに言ってのける。

 深刻さなど欠片もない言葉には、しかし有無を言わせない迫力が宿っている。


「さあ、可愛い妹を迎えに行くとしよう」


***


 無遠慮な視線に晒されながら、ラエティティアはじっと耐えていた。

 手狭な物置部屋のなかには、蜥蜴面の男と髭面の男を含めて七人の男たちがいる。

 あらたに加わった五人は蜥蜴面の男が連れてきたのだ。


大哥あにき、こいつが例の娘です。そんじょそこらの町娘とは違いますぜ。よっぽど偉い役人か、たんまり金を溜め込んだ大店おおだなのガキに違いねえ」


 蜥蜴面の男はへつらいの笑みを浮かべながら早口でまくしたてる。

 大哥あにきと呼ばれたのは、五人のなかで一番小柄な男だった。

 年齢は四十を過ぎたかどうか。顔じゅうに刻まれた大小さまざまな傷痕は、男が身を置く世界の苛烈さを雄弁に物語る。

 東方人であることを差し引いても小さな体躯には、凶猛な気迫がはちきれんばかりに漲っている。ただその場にいるだけで剣呑な雰囲気を撒き散らさずにはいられない男であった。


「見てくださいよ。翡翠の髪飾りなんぞつけてやがった。大哥あにき、どうです?」

「てめえで取っとけ――」


 風貌に違わぬドスの利いた声であった。

 すっかり竦み上がった様子の蜥蜴面の男には目もくれず、ラエティティアのほうへ向き直ると、


「お嬢さん、どこの家の娘か教えてくれるかね。素直に教えてくれれば手荒な真似はせんよ」

「だまれ、無礼者! わらわをいますぐに解き放たぬか!」

「これはまた、変わった言葉を使うなあ――」


 背後に控えていた男たちのあいだでどっと笑いが起きた。

 髭面の男はただひとり、すっかり血の気の失せた顔で小柄な男とラエティティアのやり取りを見つめている。


「頼むよ。教えてくれんことにはご両親と交渉のしようもない。お嬢さんがこれ以上強情を張るようなら、こっちにも考えがあるんだぜ」

「いい加減に諦めるがよい! わらわが脅しに屈すると思ったら大間違いじゃ!」

「そうかい、だったら――」


 小柄な男は、いったん両手を腰の後ろに回すと、ごそごそと肩を動かす。

 ふたたび現れた男の指には、奇妙な道具が嵌め込まれていた。

 指輪が三つ連なったような握り手に長い鉄針が装着されている。ラエティティアはむろん初めて見る物体だが、鋭い針先は本能的な恐怖を喚起するのに十分だった。


「こいつは峨嵋刺がびしと言ってな。俺たち筋者やくざものの喧嘩では剣の代わりにこれを使う」

「……それで何をするつもりなのだ」

「決まってるだろう――お嬢さんの身体の風通しをよくしてやるのさ。安心しな。そう簡単に死にはしない。長い時間をかけて、ゆっくり躾をしてやる」


 嗜虐心に満ちた笑みを浮かべながら、小柄な男は峨嵋刺の先端をラエティティアに近づけていく。

 髭面の男がとっさ身を乗り出そうとしたとき、少女の叫び声が狭い部屋に響きわたった。


「分かった――言えばよいのであろう!」

「ほお、さっそく素直になったか。いい子だ。それじゃあ、まずは名前から聞かせてもらうとしようかねえ」

「わらわは……」


 ラエティティアは意を決したように男たちを睨めつける。

「わらわは、ラエティティア・アエミリウス。皇帝イグナティウス・アエミリウス・シグトゥス陛下の末娘である!!」


 小柄な男は一瞬眉を寄せたあと、くっくと忍び笑いを漏らしはじめた。

 それがあからさまな哄笑へと変わるのに時間はかからなかった。蜥蜴面の男と四人の手下たちも背後で笑い声を唱和させる。


「お嬢さん、冗談はいけねえ。皇帝の娘だと? おえらい姫様がこんな場所にいるもんかい。あまり大人をからかうもんじゃないぜ」

「冗談などではない! 疑っておるなら、わらわの腰帯の内側を調べてみるがよい!」


 小柄な男は手下の一人に目配せすると、ラエティティアの腰帯の中に手を突っ込ませる。


「こら、おかしなところを触るでない! くすぐったいではないか!」


 自分で言いだしたこととはいえ、男のごつごつした手で身体をまさぐられる感覚にラエティティアはおもわず身悶えする。幸いというべきか、手下は女性としての魅力に乏しい身体にさして興味を示すこともなく、腰帯のなかに隠されていたを早々に探り当てる。


「なんだ――こいつは?」


 手下の指がつまみ上げたのは、一枚の金貨だった。

 表面には太祖皇帝の横顔が彫り込まれている。裏面には、『帝国』の国花である銀梅花マートルの意匠。国内に流通するいかなる貨幣とも異なる形に、男たちは胡乱げな目を向ける。

 子供のおもちゃかなにかにちがいない――。

 しばらく見つめるうちに、小柄な男の顔色が変わりはじめた。


「ちょっと待て――は、まさか……」

「皇帝金貨を見たのは初めてか? そちらもこれで信じる気になったであろう!」


 皇帝金貨。

 実物を見たことはなくとも、この国の人間でその名前を知らない者はない。

 『帝国』において、皇族とひと握りの近臣だけに与えられる希少な金貨。市場にはまず流通することがなく、それゆえ半ば伝説めいて語られる幻の硬貨。

 一枚で家が建つと言われるほどの金銭的価値は、あくまで副次的なものにすぎない。その真の価値は、身の証として用いられる時にこそ発揮される。


「分かったであろう。早うわらわをここから出すがよい。今ならそちらの罪も軽くしてやろう」

「……駄目だ」

「なに?」


ラエティティアが言い終わるまえに、蜥蜴面の男が吹き飛んでいた。

小柄な男に横っ面を殴り飛ばされたのだ。蜥蜴面は二、三度床の上を転がったあと、壁に叩きつけられて呻き声を上げる。


「てめえっ――ろくでもねえガキを拾ってきやがって! どう落とし前をつけるつもりだ!?」

「す、すまねえ! 大哥あにき、許してくれ! 知らなかったんだ!」

「この大馬鹿野郎、すまねえで済むかよ! もしこれがお上に知られてみろ。俺たちは帝都じゅう引き回されたあとで火炙りだぞ!!」


 すっかり激昂した様子の小男は、蜥蜴面の男を何度も足蹴にする。

 ふたたびラエティティアのほうを振り向いたときには、床には血の海が広がっていた。


「おい――」


 小柄な男の目は血走り、荒く浅い呼吸を繰り返している。

 激情に任せて暴力を振るううちに、身体の内側に押し込んでいた狂気の箍が外れたようであった。


「お姫様には悪いが、ここで死んでもらう。あんたには顔を見られちまったからな。ばらさなけりゃ俺たちの身が危ねえ」

「待て! わらわを自由にしてくれれば、そちらの生命は助けてやると申したであろう!」

「ガキが! そういう問題じゃねえんだよ!!」


 野太い怒声を叩きつけられ、ラエティティアはちいさく悲鳴を上げる。 


「とにかく、てめえには死んでもらう。死体は細かく刻んでドブネズミにでも喰わせてやるよ。証拠が残らねえようにな」


 小柄な男は、峨嵋刺を構えてラエティティアに近づく。

 髭面の男が横合いから割り込んできたのは、針先がラエティティアの肌に触れるかという瞬間だった。


「なんだ――てめえは」

「お願いします。この娘を助けてやってください」

「ああ? おい、俺の話を聞いてなかったのか? どけ!! さもないとてめえからバラすぞ!!」


 口を極めて罵られても、髭面の男はなおもその場を動こうとしない。

 吹き荒れる悪意の風からラエティティアを庇うように立ちはだかっている。


「そち、いったい何をしておるのだ! 本当に殺されてしまうぞ!」

「さっき約束しただろう。君に手荒な真似はさせないって……」


 髭面の男は背を向けたまま、訥々と言葉を紡ぐ。


「こうなったのも元はと言えば僕のせいだ。僕は駄目な男で、意気地なしだ。もう何もかも手遅れかもしれない。それでも、約束くらい守りたい」

「さっきからゴチャゴチャうるせえ野郎だ――」


 大きな背中がぐらりと揺れた。

 髭面の男はふいに背を丸めたかと思うと、くぐもった呻き声を漏らす。胸に峨嵋刺を突き立てられたのだ。


「さあ――お姫様、次はてめえの番だ」


 ラエティティアは数歩後じさったところで、壁に突き当たる。


 すぐ目の前には血に塗れた針先が迫っている。

 足が震える。身体の芯が冷えていく。心身が恐怖に染め上げられるなかで、少女はほとんど無意識にその名を叫んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る