第79話 闇を灼く殺意

 廃造船所に踏み込んだ騎士たちを待っていたのは、どこまでも続く闇と静寂の世界だった。

 長らく放置されてきた廃墟とはいえ、騎士たちの眼前に広がるのはあまりに荒涼とした風景であった。

 それもむべなるかな。値打ちのありそうなものはほとんど盗賊によって持ち去られ、だだっぴろい空間にはどこまでも廃材とがらくたが散乱するばかり。

 正面にみえる巨大な影は、かつて大量の資材を吊り上げていた木組みの起重機クレーンだ。

 今なお建物内に残置され、闇にうっすらと浮かぶ輪郭は首をもたげた竜のようでもある。もっとも、不埒な侵入者を追い払うでもなく、いずれ訪れる崩落の時を待つだけのその姿は、物言わぬ竜の亡骸というべきであった。

 アレクシオスはざっとあたりを見渡すと、

 「三人で固まっていても仕方ない。分かれて親王殿下を探すぞ」

 言って、オルフェウスとイセリアにそれぞれ進むべき方向を指示する。

 「……ねえ、ちょっと、それマジで言ってんの?」

 信じられないというような声を発したのはイセリアだ。

 「当たり前だ。手分けして探せば、それだけ早く見つけられる。そのくらいはおまえにも分かるだろう」

 「ま、まあ……それは分かるけど……分かるけど、さ」

 「だったら何が不満なんだ」

 はっきりしないイセリアに、アレクシオスは苛立った様子で問い詰める。

 「……イセリア、もしかして怖いの?」

 と、オルフェウス。

 「はあ~~っ!? こ、怖いわけないじゃないのよ!! このあたしを誰だと思ってんのよ!!」

 「私も一緒に行くよ。二人なら大丈夫だから――」

 「だから怖くないって言ってるでしょ!!」

 肩をわなわなと震わせてオルフェウスに食ってかかろうとするイセリアを、アレクシオスは片手で制止する。

 「静かにしろ、ここが敵地だということを忘れるな」

 「でも、あんなこと言われて黙ってられないじゃない!」

 「もういい――おまえたちは二人で行動しろ。おれは向こうを探す。くれぐれも目立つ真似はするなよ」

 言い終わるが早いか、アレクシオスは闇のなかへと駆け出していった。

 追いすがろうとしたイセリアだったが、伸ばした手もむなしく、少年の後ろ姿は見る間に遠ざかっていった。

 こと足の速さに関して言うなら、身軽なアレクシオスに遠く及ばないイセリアである。追いかけても無駄だということは、彼女自身よく理解している。

 イセリアはその場でがっくりと膝を折ると、深く長い溜め息をもらす。

 やがて顔をあげると、オルフェウスをきっと睨めつけ、

 「あんたが余計なこと言うからよ!」

 あくまで恨みがましく言い放ったのだった。

 「……ごめんね、イセリア」

 「べつに謝ってほしくなんてないわよ。まったく、なんでいつもあんたと二人で組まされるのかしら」

 「私は嫌じゃないよ。イセリアと一緒で……」

 「あんたはそうでもあたしは嫌なの!」

 吐き捨てるように言うと、イセリアはさっさと歩き出していた。

 オルフェウスはその場に立ち尽くしている。

 どこか作りものめいた美しい顔貌には感情の欠片も伺えないが、イセリアに拒絶されたことで多少なりとも意気消沈しているらしい。

 つかつかと三十歩ばかり進んだところで、イセリアはふいにオルフェウスのほうを振り返る。

 「なにボケっとしてんのよ! あんた、あたし一人で行かせるつもり?」

 「でも、イセリアが――」

 「こうなったら仕方ないでしょ! 言っとくけど、あたしが働いてるのにサボりは許さないわよ! 鈍くさいことやってると置いてくから、そのつもりでいなさい!」

 イセリアはそう言い捨てると、「ふん」と鼻を鳴らす。

 それは自分の感情を読み取ってくれないオルフェウスへの不満か、あるいは心細さを露呈してしまった恥ずかしさを取り繕うためか――。

 イセリアがすかさず顔を背けたのは、それを悟られまいとするためでもあろう。

 オルフェウスは、イセリアの背中にむけてこくりと頷いてみせる。

 長い金髪をなびかせて、少女は廃墟のなかを駆けていった。


 遠目には巨大な塊みたいにみえる廃造船所は、実際には三つの棟に分かれている。

 騎士たちが立ち入ったのは、中央に位置する船体の組み立て施設であった。

 左手には木材を切り出す製材所、右手には帆や釘といった船体の部材を作る工房が設置されている。どちらの施設も造船所の廃止とともに操業を停止し、吹きつける潮風に晒されて日々風化の一途を辿っている。

 いまアレクシオスが足を踏み入れたのは、かつての製材所だ。

 そこかしこに錆びついたまま放置された鋸や、木材の吊り下げに用いられた滑車の残骸が転がる。見る影もなく荒れ果てた組み立て施設に比べ、比較的往時の景観を留めているようにみえるのは、ここにある物の多くが盗賊にとって魅力的ではなかったためだろう。

 運び出す手間も惜しかったのか、施設の片隅に積み上げられた木材さえ手付かずのまま残されている。

 もっとも、その大部分は長い年月を経るうちに劣化がすすみ、今となっては別の目的に転用することも出来そうにない。

 アレクシオスは木材の陰に身を隠しつつ、周囲の様子を探る。

 建物の内部は常人には文目も分かたぬ闇に包まれているが、騎士の目には昼と変わらぬ景色が広がっている。もし暗闇のなかで動くものがあったならば、アレクシオスはその挙動をはっきりと捕捉できるはずであった。

 と、アレクシオスの感覚器に奇妙な違和感が沸き起こった。

 視覚ではない――耳鳴りにも似た、それはかすかな異音だ。騎士でなければ、海鳴りにまぎれて聞き落としていたにちがいない。

 それがおのれの背後で生じたのだと理解した刹那、アレクシオスは反射的に木材の陰から飛び出していた。

 轟音とともに木材の山が崩落したのは、それから数瞬後のことであった。

 アレクシオスの視界の端でなにやら長いものが踊った。劣化しつつも、かろうじて木材を束ねていた荒縄だ。外力によって切断されたのは明白だった。

 アレクシオスは床を転がりながら、天井に視線を巡らせる。

 地上には何の気配もなかった。もし何者かが動いたならば、アレクシオスが気づかぬはずはない。

 敵はまったく別の場所に潜んでいたのだ。

 おそらくは天井か、天井にちかい壁面――

 飛び道具を放ったとすれば、射手は高所に身を置いているはずだ。木材を束ねる荒縄を狙いすましたみたいに断ち切ったのも合点がいく。

 「出てこい! そこにいるのは分かっている!」

 アレクシオスは大音声で呼びかけるが、返事はない。

 返事の代わりとでも言うように、天井からばらばらと大ぶりな木材が降ってきた。

 先ほどと同様に木材をつなぎ留めていた縄を切断し、落下させたのだろう。

 アレクシオスめがけて殺到する木材は、もともと大型船の竜骨に加工されるはずだったものだ。ひとつひとつがおそろしく太く、重量も並外れている。

 (こんなもので――!)

 アレクシオスは降り注ぐ木材の間隙を縫いながら、広大な廃墟を駆け抜ける。

 しばらく走りつづけると、ふいに開けた場所に出た。

 アレクシオスの立っている場所を起点に扇型に広がった巨大な空間であった。

 どうやら隣接する組み立て施設で正式な艤装が施されるまで、船体を一時的に保管しておくための空間らしい。

 放射線状に並べられた架台の上では、いまも十隻あまりの軍船が永遠に訪れることのない完成の時を待ちわびている。

 天井を見れば、吊り上げられた木材はひとつも見当たらない。ここが船を造る場所ではなく、八割がた完成した船が運ばれる場所であることを考えれば当然だった。

 アレクシオスは周囲を警戒しつつ、あくまで慎重に前進する。

 上方からの攻撃を恐れる必要はないとはいえ、いつまでも閉鎖空間に留まっていては敵の思う壺というものだ。

 ここは一旦建物を脱出し、廃墟の外であらためて敵の出方を伺うのが得策と思われた。

 考えつつ数歩進んだところで、アレクシオスの足が止まった。

 「……なんだ?」

 アレクシオスは訝しげに周囲を見やる。

 べつになにかを見つけたわけではない。無意識の第六感がそうさせたのだ。

 いくら目を凝らしたところで、廃船のほかには何もない空間が広がるばかりであった。

 (気のせい……か?)

 アレクシオスは気を取り直し、建物から脱出すべくふたたびの前進を開始する。

 両足に地響きにも似た振動を感覚したのは、まさにその瞬間だった。

 今度は錯覚などではない。

 そのとき、アレクシオスの目は四方から迫りくる廃船をはっきりと認めた。

 留め具が外れたのか、未完成の軍船が架台の上を滑走する。

 もっとも、それらが行き着く先は晴れがましい進水式の海ではない。数秒後には埃が積もった床面に舳先から激突し、砕け散る運命であった。

 アレクシオスにはもはや逃げ場はない。

 少年の姿は重なり合う船の合間に飲み込まれ、忽然と消え失せる。

 刹那――木材がへし折れ、あらぬ方向に裂けるすさまじい轟音が廃墟に轟いた。

 やがて断末魔みたいな残響も落ち着いたころ、闇から這い出るみたいに現れた人影がある。

 戦装束に身を包んだ長身痩躯は、暗中にあって幽鬼みたいにゆらいでみえる。

 ――シュラム。

 歴戦の暗器使いは、隠形おんぎょうの術を解いて地上に降り立ったのだった。

 いかなる魔技を用いているのか、シュラムはほとんど足を動かすことなくつつと床を滑っていく。膝を一切動かすことなく、ただ足指の力だけで音もなく移動しているとは、はたして誰が見抜けよう。

 シュラムは音もなく進み、いまだ砂埃がもうもうと舞い立つ激突の現場に立った。

 眼前に広がるのは、どこまでも凄絶な破壊の光景だ。

 舳先から衝突した軍船は、互いに船体を突き破りあい、激しく破損しながら奇妙な結合体を形作っている。あらぬ位置からいくつも船尾や檣楼が生えたその外観は、無数の頭をもつという神話の怪物を彷彿させた。

 なかには全長七十メートルを超える大型船もある。その大きさは、船というよりほとんど海に浮かぶ城と呼ぶべきものだ。

 これほどの大質量に押し潰されては、さしもの鉄の怪物――戎装騎士ストラティオテスといえども無事では済むまい。

 アレクシオスの屍体を確かめるべく、シュラムが一歩を踏み出したそのときだった。

 残骸の山が鳴き声をあげた。

 奇怪な鳴き声であった。

 めきめきと木材が軋り、繊維が爆ぜるたび、奇怪な鳴き声は大きくなっていく。

 シュラムは後ずさりしながら、はっきりとを認めた。

 ちぎれた船首を持ち上げ、残骸のなかからゆらりと立ち上がった異形の影。

 人間ではないことはすぐに分かった。

 四肢は隙間なく漆黒の装甲に鎧われ、顔貌に取って代わった兜には幾筋も不規則な赤光が走る。

 いまシュラムのまえに立つのは、人ならざる黒騎士であった。

 船の激突に巻き込まれたあの一瞬、アレクシオスは戎装を完了していたのだった。

 戎装騎士ストラティオテスへの変化は一瞬のうちに完了する。

 ひとたび鋼より堅牢な甲冑へと変じたその皮膚は衝撃をものともせず、あらゆる制約を解き放たれたその腕力は、巨船を砂糖細工みたいに引き裂いてみせる。

 人知を超えた超常の存在を前にして、シュラムの拳は小刻みに震える。

 異形と対峙した恐怖のためではない。かつてない強敵との戦いを前に歓喜に震えているのだ。

 アレクシオスはシュラムのまえにゆっくりと進み出ると、

 「……言え」

 低く冷たい声で言い放った。

 「エンリクス・アエミリウス殿下はどこにいる。言えば、生命だけは助けてやる」

 ふたたび赤光を迸らせながら問う。

 言葉の端々からは怒気がにじむ。感情を隠すつもりもないのは、もはや闘いは不可避と悟っているためであった。

 シュラムはしばらく無言のままアレクシオスを見つめていたが、やがてと不敵な笑みを浮かべた。

 死神の笑顔とは、きっとこのようなものであるにちがいない。それは鬼気迫る破顔であった。

 「教えて欲しくば、拙者をねじ伏せてみろ」

 暗器使いの手が閃いた。

 すかさず防御の姿勢を取るアレクシオスだったが、シュラムの速攻が勝った。

 アレクシオスの頭部と胸に立て続けに衝撃が走る。乾いた音を立てて足元に落ちたのは、三つ又に分かれた先端をもつ凶器だった。

 飛叉とよばれる投擲武器だ。本来は護身用の武器だが、熟練の暗器使いは数十メートルの距離を隔てた相手への狙撃も可能とする。

 心臓と脳――シュラムは、人体の最大の急所をほとんど同時に撃ち抜いてみせたのだった。

 常人であれば即死は免れないが、アレクシオスは何事もなかったみたいに立っている。直撃を受けてなお、光沢を帯びた装甲には傷ひとつついていない。

 シュラムはとくに驚いた様子もなく、数歩下がってアレクシオスと距離を取る。

 もとより小手調べのつもりだったのだろう。強敵と見込んだ相手があれしきの攻撃で斃れては、シュラムとしても期待はずれというものだ。

 一方、先制攻撃を許したアレクシオスもなされるがままではいなかった。

 黒騎士は身体をわずかに矯めたかと思うと、残骸の山から軽々と飛び上がってみせる。推進器を一切用いない、純粋な脚力だけによる跳躍であった。

 と、天井ちかくまで飛び上がったアレクシオスの両手の甲から、すらりと細く長い銀光が伸びる。

 槍牙カウリオドゥス――両腕に一基ずつ備わったそれは、戎装騎士アレクシオスの最大の武器だ。

 槍の名が示すとおり対象を穿ち貫くことを得手とするが、使いようによっては斬撃や打撃のみならず、防御にも使用できる万能性をもつ。三次元的な機動性を付与する両脚部の推進器とあわせて、蝶のように舞い、蜂のように刺すヒット・アンド・アウェイこそがアレクシオスの最も得意とする戦法だった。

 自由落下に身を委ねつつ、黒騎士は上方からシュラムに襲いかかる。

 アレクシオスは着地の寸前まで推進器を温存することで、シュラムがどこへ身をかわそうと追随できると考えていた。

 いかにシュラムが敏捷でも、人間の反応速度にはおのずと限界が存在する。

 極限までおのれの心身を鍛え上げた達人であろうと、人間である以上は決して戎装騎士の能力を上回ることはない。シュラムはどうあってもアレクシオスの攻撃から逃れることはできないはずであった。

 「もらった!」

 アレクシオスが裂帛の気合とともに突き込んだ槍牙の一撃は、しかし虚しく空を切った。

 シュラムは悠然とその場で体を翻すと、ふたたびアレクシオスに向き直る。

 (バカな――)

 速度も狙いも、およそ望みうる最高の条件を揃えたうえで繰り出した一撃だった。

 絶対に避けられるはずのないその攻撃を、シュラムはあっさりと躱してみせたのだった。それがまやかしなどではないことは、仕損じたアレクシオス自身が誰よりもよく理解している。

 アレクシオスはシュラムの全身にすばやく視線を走らせる。

 と、シュラムの両手に奇妙な道具が握られていることに気づいた。

 それは取手の付いた鉄の輪だ。輪の前縁部にはわずかに大きな半円状の鉄輪が取り付けられ、二重円を形作っている。

 一見しただけではおよそ武器には見えない。

 優雅な曲線を描く鉄輪は、踊り子の舞台道具というほうがしっくりくる。

 「圏」という。

 古代の東方で発明され、もっぱら暗殺者に愛好された武器であった。

 衣服の下に忍ばせることが出来るすぐれた秘匿性に加えて、達人が扱えば通常の剣に劣らない殺傷能力を発揮する。外縁の鉄輪には薄い刃が焼き付けられ、人体に触れればたやすく筋骨を引き裂くことが可能だった。

 いにしえの暗殺者がこの武器を好んだのは、さらにもうひとつ大きな理由がある。

 「……!!」

 アレクシオスは立て続けに槍牙を繰り出すが、その槍先はシュラムを逸れていくばかり。

 シュラムがたくみに圏を動かし、槍牙の軌道をわずかに歪めているためであった。

 傍目にはごくわずかに手首を返しているようにしか見えないだろう。攻撃者に気取られないためには、動作は必要最低限に留める必要がある。

 それが奏効している証に、アレクシオスはなぜおのれの攻撃が当たらないのか分からぬまま、槍牙を突き出しては虚空を穿つことを繰り返している。

 必要に応じて攻撃にも防御にも用いることができる柔軟性――

 それこそが動乱の時代、圏が刺客に重用された最大の理由であった。

 携行する武器をひとつでも減らしたい刺客にとって、一つの武器が複数の機能を兼ね備える利便性は計り知れない。

 シュラムは攻撃を受け流しながら、ゆるゆると舞うようにアレクシオスに近づいていく。

 距離感を狂わせる暗殺者の歩法である。近づかれた者は、間合いを詰められていることにさえ気づかない。

 アレクシオスが異変に気づいたのは、シュラムの拳をまともに受けたあとだった。

 があん、と鈍く重い音が沸いた。

 それは硬質の金属同士がぶつかりあったときに生じる音だ。

 打撃音は途切れることなく廃墟に響きわたり、澱んだ空気を震わせた。

 わずか数秒のあいだに、シュラムはすさまじい数の散打をアレクシオスに見舞ったのである。

 むろん素手ではなく、その拳は無骨な鋼鉄の手甲に覆われている。指の付け根がひときわ分厚く盛り上がっているのは、みずからの拳を保護しつつ、敵に致命傷を与えるための工夫であった。

 強烈な殴打をまともに喰らったアレクシオスは、ぐらりと姿勢を崩す。

 これまでシュラムが繰り出してきた攻撃と同様、戎装騎士の装甲を突き破るには至らなかったとはいえ、凄まじい衝撃が体内を駆け巡ったのだ。

 普通の人間ならば原型を留めぬほどに頭蓋骨を破壊されているはずであった。

 さしもの戎装騎士もすぐに反撃に転じることはできず、態勢を立て直すためにわずかに後じさる。

 冷たく硬いものがアレクシオスの胸に押し当てられたのはそのときだった。

 シュラムの右袖から鉄の筒が伸びている。それが小型の火薬砲であることはひと目で分かった。

 一見すると丸腰にしか見えない身体に、これほどの武器を隠し持っていたとは。

 全身にさまざまな凶器を忍ばせ、なおかつそれを他者に気取らせない暗器使いの面目躍如であった。

 「終わりだ――怪物」

 シュラムは軽く肘を曲げる。砲の発射装置を作動させるための動作だ。

 鉄のひんやりとした感触は一瞬に消え失せ、代わりにすさまじい灼熱と衝撃がアレクシオスの全身を駆け抜けた。

 黒騎士はそのまま数メートルも宙を舞い、あたりに転がっていた船の残骸に叩きつけられた。

 もうもうと立ち込める黒煙のなか、赤光はもはや見えない。

 シュラムは手際よく腕の固定具を外し、高熱を帯びた小型砲を捨てる。

 鉄火箭とは桁違いの威力を発揮する反面、一射すれば銃身が使いものにならなくなる。あくまで不意打ちにしか使えない兵器であった。

 身軽になったシュラムは、アレクシオスが落ちた場所に向けてゆっくりと歩を進める。

 戎装騎士はまさしく超常の存在である。

 その装甲はいかなる名剣も通さず、達人の放った矢であろうと弾き返される。

 いずれ劣らぬ猛者であるファザルとアウダースが敗れ去ったことからも、人間の力では勝ち目がないことはあきらかだった。

 人間の力が及ばないなら、それをはるかに超える力をぶつけるしかない。

 現時点で人類が持ち得る最大の破壊力――すなわち、多量の火薬を至近距離で撃ち込むこと。

 最初に対騎士戦における火薬の有用性を説いたのはラベトゥルだ。一見突拍子もないその提案をシュラムは承諾し、実戦の場で実験に及んだのだった。

 火薬が実用化されたのはここ二百年ほどのことだ。暗器術の伝統から見れば邪道以外の何ものでもない。

 それでも、シュラムは火薬の使用をためらわなかった。

 道ならとうに外れている。今さら暗器術の本道にこだわることにさほどの意味があるとも思えなかった。

 否――それどころか、暗器術と凡百の武術を分かつものが倫理の有無なら、勝利のために邪道を恐れぬことこそが暗器使いの本来の姿であるはずだった。

 一撃のもとに吹き飛んだアレクシオスを見るに、どうやらその判断は正しかったらしい。

 もし古来の技術だけに拘泥していたならば、戎装騎士に一矢報いるなど不可能であったにちがいない。

 とはいえ、実際に死骸を確かめるまで予断は禁物であった。

 シュラムは勝利の余韻に酔うこともせず、淡々とアレクシオスを覆っている残骸を取り除いていく。

 焼け焦げた木片を傍らに積み重ねるたび、乾いた音が深夜の廃墟に反響した。

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