第184話 旧怨
「さあ、どうしたの? かわいい妹の仇を取りにいらっしゃい」
右手を軽く挙上したセラスは、嘲りの言葉とともにアグライアを差し招く。
透き通った装甲に覆われた無貌の面。何の表情も読み取れないはずの顔面には、たしかに勝ち誇った微笑が浮かんでいる。
タレイアを氷像へと変えた青氷色の騎士は、玉座を守るもうひとりの皇帝直属騎士へと狙いを定めたのだった。
「一線を越えてしまったわね、セラス――」
わずかな沈黙のあと、アグライアはぽつりと呟いた。
抱きかかえられたエルゼリウスが「ひいいっ」と魂消たような声を漏らしたのも無理はない。
セラスの凍気に勝るとも劣らない、それは冷えきった声であった。
「皇帝陛下への反逆。そして、
「私が聞きたいのは、そんなお題目じゃなくてよ。妹をこんな目に遭わされて怒っているのでしょう?」
「あなたには然るべき罰を受けてもらいます」
力強く言い切って、アグライアは決然と一歩を踏み出していた。
「陛下、お側を離れることをお許しください」
ルシウスは何も言わず、ただ首肯しただけだ。
エルゼリウスはもとより身に寸鉄も帯びていない。
玉座のルシウスに危害を加えようにも、先ほどから貴公子の身体は哀れなほどに震え、その場に立っているのが精一杯というありさまだった。
一方のルシウスも、佩剣を抜いてエルゼリウスを斬り捨てることは出来ない。セラスの言葉がたんなる虚仮威しでないことは、タレイアとの戦いを見れば分かる。もし彼女が暴発するようなことがあれば、玉座の間は極寒地獄と化すだろう。
騎士同士の戦いが決着するまで、人間はひたすら傍観者に徹するほかないのである。
すばやくエルゼリウスから身体を離したアグライアは、蕭々と
「戎装――」
可憐な唇が紡いだのは、
その残響も消えきらぬうちに、アグライアは異形の騎士へと姿を変えていた。
他の
太陽を封じ込めたような黄金の装甲は、凍てついた玉座の間にあって、いっそう輝きを増したようだった。
”光のアグライア”――。
あらゆる波長の光を操る彼女は、こと攻撃能力に関しては他の騎士の追随を許さない。
タレイアが最強の盾であるならば、アグライアはまさしく最強の矛であった。
階を半ばまで降りたところで、ふわりと中空に舞い上がったアグライアは、そのまま音もなくセラスの真正面に着地する。
重力の鎖から解き放たれた挙動は、装甲下に内蔵された
「セラス。言いたいことがあるなら、今のうちに言っておきなさい。……戦いが終わったあとでも口が利けるという保証はないもの」
あくまで冷たく言い捨てたアグライアに、セラスはくっくと肩を揺らす。
「言ってくれるわね。だけど、それはあなたもおなじではなくて?」
「いいえ。勝つのは私よ」
「……本当に気に入らない女。私は昔からあなたが嫌いだったわ、アグライア」
言い終わるが早いか、セラスの右拳のあたりで銀光が閃いた。
ふたたび氷の魔剣を形成したのだ。
セラスがくるりと手首を翻すや、魔剣はひとりでに砕け散った。
ただ粉砕されたのではない。剣の形状はそのままに、大きさだけを縮小させたのだ。
アグライアを取り囲むように空間を埋め尽くしたのは、数百とも数千ともしれない氷の弾幕であった。
極小の魔剣は、その一つひとつが意志を持っているみたいに、黄金の騎士めがけて殺到する。
不意打ちを食らった格好のアグライアは、もはや回避も防禦もままならない状況に追い込まれたのだった。
ふいに黄金の指先で光点が瞬いた。
刹那、アグライアを取り囲むように展開していた小魔剣は、ひとつ残らず消滅していた。
アグライアはその全身にレーザー発振器官を備えている。
黄金の装甲は、それ自体が無数の火砲の集合体であると言っても過言ではない。
いま、飛来する氷の魔剣をことごとく空中で蒸発させたのは、指先から数フェムト秒の間隔で連続照射されたパルスレーザーだ。
真に恐るべきはその威力ではなく、一発たりとも外すことなく命中させた射撃管制能力であった。
あえなく初手を防がれたセラスは、さして狼狽した風もなく、
「お見事と言っておくわ。だけど、これは躱せるかしら?」
とだけ言って、わずかに後じさる。
青氷色の装甲に鎧われた両腕がひらひらと
雅やかな舞踊を彷彿させる挙動は、およそ戦場には似つかわしくないものである。
数秒と経たぬうちに、セラスの輪郭が白く霞みはじめた。
周囲を漂っていた凍気が一点に凝集しつつあるのだ。
やがてはっきりと視認出来るほどに成長した凍気の大渦は、アグライアを飲み込むべく移動を開始する。
見よ。
大渦が通過した絨毯は凍土と化し、大理石の柱さえも凍結した。
セラスが作り出した大渦――極低温の
さしものアグライアも、直撃を受ければ無事では済まない。
これほど巨大な凍気の渦を消滅させることは、いかに”光”を司る騎士といえども至難であるはずだった。
「観念したようね。あなたもタレイアと同じように、氷の像におなりなさい」
微動だにしないアグライアにむかって、セラスは高笑いを上げる。
勝利に酔いしれるような笑い声は、しかし、すぐに熄んだ。
凍気の大渦はいつのまにかセラスの制御を離れ、際限なく膨張を続けている。
はたして、無軌道に膨れ上がった大渦は、数秒と経たずに爆ぜた。
愕然と立ち尽くすセラスの視界に乱舞するのは、黄金に輝く剣状の物体。
アグライアは、全身に装着していた大小の”子機”をひそかに分離させ、大渦を取り囲むように展開させた。
”子機”から照射された不可視の熱線は、大渦の内部に著しい温度の不均衡を生じさせた。それも複数の熱源を同時に与えることで、冷気の循環を阻害したのである。
ついに冷却器としての機能を喪失した大渦は、温度差に耐えきれずに崩壊したのだ。
「観念するのはあなたのほうよ、セラス」
アグライアは、浮遊していた”子機”のひとつを手元に呼び寄せる。
掌に収まると同時に、”子機”の先端から細い光が伸びた。
青白い光芒は、超高温のレーザー刃だ。
レーザー発振器は弾体を射出するだけでなく、連続的に稼働させることで、光の刃を形成することも出来る。
触れただけであらゆる物体を切断する光の刃。
その分エネルギー消費も激しく、長時間の使用には不向きである。近接戦闘はもっぱらタレイアに一任しているアグライアにとって、まさしく奥の手と言うべき武装であった。
セラスも氷の魔剣を構え、二騎は真っ向から対峙する格好になった。
「最後にこれだけは聞かせてちょうだい。セラス、なぜあんな男に力を貸すの?」
「白々しいわね。こうなったのも、すべてあなたたち三姉妹のせいよ」
「私たちの……?」
何のことやら悉皆見当もつかないといった様子のアグライアに、セラスは氷の剣尖を向ける。
「忘れもしない三年前のあの日、私はあなたたちに裏切られた……!!」
「ちょっと待って。さっきから何を言っているのかさっぱり――」
「とぼけないで!! あなたたち姉妹が帝都に呼ばれてから、私がどんな思いで過ごしてきたと思っているの!? そうよ、あなたたちは私だけをあんな寂しいところに置き去りにしていったんだわ!!」
呆気にとられた様子のアグライアをよそに、セラスは声も枯れよと喚き立てる。
「北方辺境がどんなところか、あなたもよく知っているでしょう。目に入るものといえば雪と岩山と枯れ木ばかり。あなたたちが出ていってから、私は来る日も来る日も待ち続けたわ。いつかきっと帝都に呼ばれる日が来ると信じていたけど、待てど暮らせど何の音沙汰もなかった。あなたたちが
「そ、それと反逆者に力を貸すことに何の関係が……」
「エルゼリウス様は、そんな私に声をかけてくれたの♡ 一緒に帝都に行かないかと言ってくださったとき、私、本当にうれしかった。私を退屈から救ってくれたあの御方のためなら、どんなことでも出来ると思ったわ。そのことをエルゼリウス様に話したら、私にだけは本当の計画を打ち明けてくださったのよ」
「セラス……あなた、そんなことのために皇帝陛下に背いて……!?」
「あなたにとってはそんなことでしょうね。私が味わった悔しさ、たっぷりと思い知らせてあげる!!」
まくしたてながら、セラスは氷の魔剣を猛然と突き出していた。
アグライアも負けじと光の刃で迎え撃つ。
レーザーに溶断された氷の魔剣は、斬られたそばから再生し、攻防の応酬は果てしなく連鎖していく。
青氷色と黄金色の騎士は互いの位置を忙しなく入れ替えながら、玉座の間狭しと激しい剣戟を繰り広げる。
「セラス。どうしてあなたが帝都に呼ばれなかったか分かる? あなたが皇帝直属の騎士になれなかった理由を教えてあげましょうか」
「もったいぶらずに教えなさい!!」
「それはね――」
紙一重のところで斬撃を躱しながら、アグライアはセラスに肉薄する。
「あなたがどうしようもないバカだからよ!! 昔から賢そうなのは見た目だけで、やることなすこと考えなし!! 頭の中に雪でも詰まってるんじゃないかと思っていたけど、どうやらそのとおりだったようね」
「こ、この女……!! 言わせておけば――ッ!!」
怒りに任せて斬りかかったセラスをいなしつつ、アグライアはすばやく背後に回り込む。
光の刃に触れたが最期、戎装騎士の装甲といえども瞬時に切断される。
いかにセラスの凍結能力が強力でも、四肢を切り落とせば、もはや戦闘を継続することは出来ない。
アグライアはセラスの右腕に狙いを定めると、光の刃を躊躇なく振り下ろしていた。
ごとり――と、硬質の音が玉座の間に響きわたった。
肩口から右腕を斬り落とされたセラスは、その場で力なく膝を折る。
「くっ……!! よくも……!!」
「終わりよ、セラス」
「私を殺すつもり……?」
「いいえ。戎装騎士の生殺与奪は皇帝陛下が決めること。それに、あなたにはタレイアを元に戻してもらわなければならないもの」
セラスは戎装を解くこともなく、黙然と俯いたままだ。
やがてその身体が小刻みに震えはじめた。
それが悔し泣きではなく、笑いを堪えているのだと気づいて、アグライアは怪訝そうに顔を覗き込んだ。
「アグライア、これで勝ったつもり?」
「負け惜しみは見苦しいわ。これ以上戦っても勝ち目がないことは、あなただって分かっているはずよ」
「どうかしら――本物のバカはどっちか、思い知るといい」
アグライアの全身を凍気が包んだのは次の瞬間だった。
凄まじい凍気の奔流は、セラスの右腕の切断面から噴出していた。
黄金色の装甲はまたたくまに凍結し、四肢の自由はほとんど失われようとしている。
「いいざまね、アグライア」
「セ……ラス……やめなさい……」
「安心なさい。氷漬けにしたあとは妹ちゃんと一緒に飾ってあげる。姉妹揃って末永く私の目を楽しませてちょうだい」
アグライアが完全に凍りついたことを確かめたセラスは、切断された右腕を拾い上げると、切断面同士をぴたりと張り合わせた。
損傷部を薄い氷が覆っていく。
やがて氷が剥離すると、確かに離断されたはずの右腕は、傷跡も残さずに修復されていた。
セラスはエルゼリウスに向き直ると、
「エルゼリウス閣下、邪魔者は排除いたしました♡」
心底から嬉しげな声で勝利を報告したのだった。
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