第185話 簒奪者の仁義

「何が望みだ、エルゼリウス?」


 ルシウスに問われ、エルゼリウスははたと我に返った。

 すでに皇帝直属の二騎は倒れ、近衛兵は玉座の間を覆った冷気のために身動きも取れない。

 もはやルシウスを守る者はいない。

 先ほどまでの窮地から一変、いまやエルゼリウスは皇帝に勝利を収めたも同然なのだ。

 げに恐るべきは、最強格の姉妹騎士を倒したセラスの実力だ。

 こうまで順調に事が運ぶとは、当のエルゼリウスさえ予想していなかったのである。

 貴公子は動揺を悟られまいと、ごほんとわざとらしく咳払いをしてみせる。

 一方のルシウスは、常と変わらず悠揚迫らぬ佇まいを保ったまま、


「玉座が欲しいなら、そう言ったらどうだ」


 まるで茶飲み話でもするみたいな調子で言ったのだった。


「私を侮るな、アエミリウス!! 力ずくで帝位を簒奪したのでは、貴様の先祖と変わらぬ。栄光あるルクレティウス朝の再興には相応しくない」

「ならば、余に何を望む?」

「知りたいなら教えてやろう――」


 エルゼリウスはルシウスに向き直ると、舞台上の役者もかくやという大仰な身振りを交えて語りはじめた。


「ルシウス・アエミリウス、私をいますぐ丞相に任命しろ。そして皇帝の事実上の後継者として、すべての権限をこの私に委ねるのだ」

「それで、どうするつもりだ?」

「貴様はにより政務から退いたということにする。先の皇帝大詔令は、貴様の狂気の産物ということにしておいてやろう。忌まわしい狂帝として歴史に名を刻むがいい」

「忠告しておくが、余を生かしておくのは得策ではなかろう」

「心配するな。貴様は帝城宮バシレイオンの地下牢に幽閉のうえ、我が治世が落ち着いたころにさせてやる。臣下として貴様の葬礼はせいぜい盛大に執り行ってやろう。そして、我がルクレティウス朝は簒奪者の誹りを受けることもなく、あくまで道義と法に則って、ふたたび帝位に返り咲くのだ!!」


 エルゼリウスは呵々と大笑したのもつかのま、


「……なんだ、その目は!? 自分の置かれている立場が分かっているのか、アエミリウス!! じきに私に呼応した中央軍の将軍たちが兵を率いて帝城宮バシレイオンにやってくる。あとは元老院議員どもを黙らせれば、貴様はもう終わりだ!!」


 声を荒げ、拳を高く振り上げていた。

 ルシウスの落ち着き払った態度がよほど癇に障ったらしい。

 これから辿る悲惨な運命を突きつけられ、恥も外聞もなく命乞いをするかと思われた皇帝は、相変わらず端然と佇んでいる。


「エルゼリウス、我が父祖クラウディウス・アエミリウスが帝位に就いた折の出来事を知っているか」

「な、なんの話をしている?」

「クラウディウスは、に日没までの猶予を与えた。生命を救う代わりに玉座を退くか、帝位に留まったまま処刑されるかを当人に選ばせたのだ」

「むろんだ。誇りある我が先祖は、生き恥を晒すことを潔しとせず、皇帝のまま死を選んだ……」

「そなたにとってクラウディウスは許しがたい逆賊であろう。その逆賊でさえ、皇帝がおのれの進退を決するまでには一日いちじつの時が必要だと理解していた……」

「何が言いたい、アエミリウス……」

「鼎の軽重は、そう簡単に問えるほど軽いものではない。日没まで待つことだ。さもなくば、そなたは逆賊にも劣る愚物ということになろう」


 ほんの一瞬、エルゼリウスの面上を憤怒の相がよぎった。

 ルクレティウス朝の血を引く人間にとって、クラウディウス帝は憎悪すべき奸賊である。

 その大悪人よりも劣ると言われては、冷静でいられなくなるのも当然であった。


「よかろう!! 日没までは待ってやる。ただし、もし約束を違えたときは……」

「ただし?」

「我が配下に命じ、貴様を生きたまま氷漬けにしてくれる。これは脅しではないぞ!!」


 啖呵を切るや、エルゼリウスはセラスに目配せをする。

 青氷色アイスブルーの騎士は無言で頷き、右手を掲げた。

 音もなく玉座の周囲に張り巡らされたのは、まさしく氷の檻であった。

 精巧なガラス細工を思わせる透明な格子からは、無数の氷の棘が突き出し、触れた者の骨までも凍りつかせる。

 その内側で、エルゼリウスは勝ち誇ったようにルシウスを見やる。

 

「どうだ、アエミリウス? これで貴様はどこへも逃げられん」

「まだ気づいていないのか、エルゼリウス」

「今さら何を言っている? 負け惜しみならいくらでも聞いてやろう。私は寛大な男だからな」

「ここから逃げられぬのはそなたも同じだということだ」

 

 わずかな沈黙が玉座の間を覆った。

「あっ……」と情けない声を漏らしたのは、はたして主従のどちらだったのか。

 エルゼリウスとセラスは、ほとんど同時に顔を見合わせていた。


 そして、間抜けな失敗を取り繕うことに意識を集中させるあまり、彼らはついに気づかなかった。

 床に突き刺さった半ば凍てついた黄金色の物体が、そろそろと動き出していたことを。

 アグライアの身体から分離した”子機”は、ひそかに玉座の間を抜け出ると、そのままいずこかへと飛び去っていった。

 

***


 スフォルツェスコ四世は怒りに燃えていた。

 元老院議員としての初登城という人生において最も輝かしかるべき日を、彼は全身に包帯を巻かれた悲惨な姿で迎えたのである。

 昨日、イセリアに窓から投げ捨てられた青年貴族は、かろうじて一命は取り留めたものの、落下の衝撃によって全身骨折と重度の打撲傷を負ったのだった。

 半死半生となりながら、彼はそれでも登城を諦めなかった。

 四代続く元老院議員としての誇りと自負が、軟派な青年をして怪我の痛みに耐えさせたのである。


――あのタヌキ顔の娘、絶対に許さん……!!


 すでに家中の者に命じて調べはつけさせている。

 報告によれば、官庁街にあるボロ家に入っていったということだった。

 住居か職場かまでは判然としないが、ともかく、素性が割れればあとはこちらのものだ。

 『帝国』の司法機関である最高法院に暴行・傷害・殺人未遂事件として提訴し、法の裁きを受けさせるのである。どのような事情があろうとも、皇帝の諮問機関である元老院の構成員に危害を加えたとなれば、厳しい判決が下ることはまちがいない。


――絶対に訴えてやる!! 元老院議員にここまでの無礼を働いたらどうなるか、思い知らせてやるぞ……!!


 包帯の下でフゴフゴと息巻くスフォルツェスコ四世に気づいたのか、隣席の老議員が心配そうに顔を覗き込んだ。

 

「スフォルツェスコの御曹司、お苦しいのか? あまり無理をしてはならぬ。すぐ医者を……」

「ふぉふぃんふぁいはく(ご心配なく!!)」

「……?」


 何が何やら分からぬまま、老議員はあいまいに頷いただけだ。

 まもなく議会が開場する。

 今日のところは顔合わせ程度のものだが、新人議員にとって大事な初出勤であることに変わりはない。

 いかなる事情があろうと、途中で退席したとあっては、家名に傷がつく――。


 議場の扉が勢いよく開け放たれたのはそのときだった。

 雪崩を打って場内に駆け込んできたのは、武装した兵士たちであった。

 何事かとざわつく元老院議員たちの前に粛々と進み出たのは、ひとりの軍人だ。

 辺境軍の軍服に身を包んだ壮年の男であった。

 帝都の防衛を担っている中央軍ならいざしらず、辺境軍の人間が帝城宮バシレイオンにいるのはなにゆえか。

 不安と戸惑いの入り混じった視線を一身に浴びながら、男は慇懃に一礼する。


「元老院議員の皆々様、どうかご静粛に。くれぐれもお騒ぎあるな――」


 男――ジェルベールはひとしきり議場を見渡すと、落ち着いた声色で語りはじめた。

 

「これより重大な発表がございます。皆様におかれては、何とぞ議場にお留まりいただきますよう……」

「そんな話は聞いていないぞ!! 誰の命令だ!?」

「神聖な元老院議会に土足で踏み込むとは、いったいどういう了見をしている!!」

「所属と官名を名乗れ、慮外者!!」


 元老院議員たちの怒号は、しかし、すぐに別の音にかき消された。

 前列の兵士たちが天井にむけて鉄火箭てっかせんを発射したのである。

 あくまで威嚇射撃とはいえ、火薬が炸裂する轟音は、人の口に蓋をするのに充分だった。

 きな臭いにおいが立ち込める議場は、水を打ったように静まり返っている。

 もし迂闊な真似をすれば、鉛玉は今度こそ元老院議員たちに向かって飛来するだろう。


「む、む、む……むふぉんふあぁ……(謀反だ!!)」


 スフォルツェスコ四世は、相変わらずモゴモゴと嗚咽とも呻き声ともつかない不明瞭な声を漏らしている。

 しばらく考え込むような素振りを見せたあと、包帯姿の青年貴族は激しく身をくねらせはじめた。

 ともすれば滑稽な動作も、重傷の身で行えば、それなりに鬼気迫ったものに見える。


「スフォルツェスコ殿、どうなされた!?」 


 隣席の老議員が何度声をかけても、包帯に巻かれた身体はぴくりとも動かない。


「し、死んでいる……!!」


 むろん、本当に絶命した訳ではない。

 倒れ込んだまま、じっと息を殺しているだけだ。

 この危機的状況を脱出するための迫真の演技。

 外部にこの危機を知らせる唯一の方法。

 すなわち――――”死んだフリ”であった。

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