第114話 双騎士立つ

 風が木立を渡るたび、悲鳴みたいな葉ずれの音が生じた。

 灯りひとつない夜の空気はやけに冷たく、無色の風までもが鉄色を帯びているようであった。

 北峰関から伸びる主だった街道を外れた山沿いの道である。

 左手には鬱然と沈む針葉樹の森、右手には見渡すかぎりの田園地帯が広がっている。

 満々と水を湛えた田圃の彼方には、重なり合うように連なった奇妙な丘がみえる。『東』の歴代皇帝の陵墓であった。王朝の始祖である興祖皇帝から、つい先日崩御したイグナティウス帝まで、皇帝たちが永久の熟寝うまいに就く宮殿は、帝都から離れたこの地に造営されるのがならわしだった。


 いま、森閑とした夜道を走る影はふたつ。

 どちらも背格好はほとんど変わらない。走る姿勢も、顔をすっぽりと覆い隠す暗色のフード付き外套も、引き写したみたいにそっくりおなじであった。

 真横に並んで疾駆していたふたつの影は、ふいに速度を落とした。

 やはり歩調を合わせたまま、二人は五秒と経たないうちに完全に停止する。

 それを待ってたというように、進行方向の木陰から声が投げられた。


「……やっぱりあたしの勘は冴えてるわね」


 イセリアはしきりに頷きながら木陰を出ると、道の真ん中で仁王立ちになる。


「あんたたち、こんな夜更けにどこに行くつもり? お子さまはお家に帰る時間よ。脱走するような悪い子は、力づくで連れ戻してあげるわ」


 イセリアに問われても、二人は沈黙を守ったままだ。


「ちょっと、なんとか言ったら――」


 返答の代わりに聞こえてきたのは、深い溜め息だった。やはり二人同時に、寸秒の誤差もなく。


「レヴィ、この道を選んだのはおまえだ。おまえの失態だ」

「ラケル、特に異論を唱えなかった君に意見する資格はないと思うが」


 はたして、それは会話と呼べるのか。言葉は左右の口からほとんど同時に出た。まるで互いの話す内容をあらかじめ把握しているようであった。

 なにより奇妙なのは、言い争っているにもかかわらず、声色はあくまで冷静だということだ。


「ああ――


 例によって同時に放り捨てられた外套の下から現れたのは、全く同じ顔をした東方人の少女たちだった。

 外見はイセリアと同い歳か、すこし歳下といったところだろう。

 顔も体型も髪型も瓜二つ。こうして二人並んでいると、騙し絵を見ているような心地になる。

 目につく違いといえば、髪の色くらいのものだ。一方は緑がかった黒髪、もう一方はくすんだ赤髪であった。


「双子の騎士? 三姉妹なら知ってるけど、珍しいわね」

「双子ではない」


 緑髪のほう――レヴィが言った。


「じゃあ、なんなのよ?」

「答える必要はない」


 今度は、赤髪のほう――ラケルだ。


「あんたたち、あたしをおちょくってんじゃないでしょうね!?」

「おちょくっているつもりはない」


 二人の声が揃った。


「ラケル、どうする?」

「決まっている。こいつは敵だ。敵は排除する――異論は? レヴィ」

「ない。私も君と同意見だ」


 ラケルとレヴィは示し合わせたみたいに構えを取る。

 イセリアはやれやれと言うように肩をすくめると、片目を開けて二人をみる。


「なに? あたしとる気? やめときなさいな。あんたたちなんか、このあたしにかかれば軽く……」


 言い終わるまえに、イセリアは言葉を切った。

 二人が左右に別れたためだ。挟撃の態勢であることはひと目で分かる。


「こいつとこれ以上言葉を交わす必要があると思うか――ラケル」

「いや」

「また意見が合った。私たちにしては珍しい」


 全く同じ二つの顔は、互いに頷きあう。


「戎装――」


 同時に二人の唇から出たその言葉に、夜風が木々を揺らす音が重なった。

 梢のざわめきが静まったときには、二人はともに変形へんぎょうを終えていた。

 いま、イセリアを挟み込むように佇立するのは、瓜二つの少女たちではない。赤と緑の装甲に覆われた異形の騎士であった。


 やはり姿はよく似通っているが、人間のときよりも差異は顕著だ。

 赤の騎士は右半身、緑の騎士は左半身がやけに大きい。装甲が身体の一方に偏っているためだ。向かい合うと、互いが互いの鏡写しみたいにみえる。


「ふーん、あたしの話を聞くつもりはないって訳ね?」

「そのとおりだ。これから倒す相手と言葉を交わすのは時間の無駄だ」


 レヴィは緑色の装甲に鎧われた左腕をイセリアに向ける。


「あたし、あんたたちが逃げ出した理由を聞きたかったんだけど」

「これから死ぬのになぜ知りたがる?」


 やはり赤い腕を向けたまま問うたラケルに、イセリアは軽く鼻を鳴らす。


「死ぬ? あたしが? あはっ、冗談――」


 イセリアはからからと笑い声を上げる。怪訝そうに見やる二人にむかって、


「事情があるなら話くらいは聞いてやろうと思ったけど、気が変わったわ。あんたたち、泣いて命乞いしたってもう遅いわよ」


 高らかに宣言するが早いか、イセリアは戎装を開始していた。

 少女の皮膚はまたたく間に分厚い装甲へと入れ替わる。栗色の髪は甲殻類を彷彿させるいかめしい兜へ、たおやかな手指は鋭利な爪へ。イセリアの肉体はすさまじい速度で作り変えられていく。

 すべての変化へんげを終えると、黄褐色の戎装騎士ストラティオテスはレヴィとラケルをそれぞれ一瞥する。


「さあ、どこからでも来なさい――二人まとめて相手になってあげる!!」


 そうして、二人に向かってくいくいと手招きしてみせる。この上なくあけすけな挑発であった。


 先に仕掛けたのはラケルだ。

 赤い装甲が夜闇を引っ切って疾駆する。ほとんど飛ぶような疾さであった。

 左腕に較べると二回り以上も太い右腕は、いつのまにか一振りの巨大な斧へと変わっている。

 刀はうっすらと青白い光を帯び、ラケルの挙動に合わせて闇に美しい軌跡が描かれる。

 大斧が横薙ぎに襲いかかったその瞬間、イセリアは後方にむけて上体を大きくそらしていた。

 ほとんど仰向けに倒れるみたいな格好。すんでのところで転倒を免れたのは、生来のすぐれた平衡感覚と、二本一対の"尾”が身体を支えたためだ。

 ラケルの大斧が身体の上を通過したのを見計らって、イセリアはすかさず反撃に出る。


「もらったぁ――!!」


 右腕を猛然と突き出し、刃を備えた爪がラケルの胴体を深々と抉ろうかというそのとき、イセリアは転がるように真横に跳んだ。反射的な動作であった。

 むろん、せっかく巡ってきた反撃の機会をわざとふいにした訳ではない。

 イセリアの意志とは関係なく、のだ。

 ほんの一瞬前まで身を置いていた地面には、直径十センチほどの穴が穿たれている。

 穴からはしゅうしゅうと白煙が立ち昇り、きなくさい臭いが漂う。周囲の地面は高熱のために白熱化し、ところどころガラスと化してさえいる。

 もしラケルへの攻撃を続行していたなら、地面の穴はそのままイセリアの装甲に所を移していたはずだ。


「飛び道具? なかなか洒落たもの使うじゃない――」


 悔しげもなく言って、イセリアはレヴィをちらと見やる。

 やはり非対称アンバランスな緑の左腕は、いつのまにか大きく形を変えている。

 肘下は長大な銃身バレルへと変わり、一見すると腕そのものが火砲と化したようであった。

 だが、先端部に銃口らしきものは見当たらず、なにかが発射された形跡もない。

 確実に言えるのは、強力なエネルギーが地面を穿ったということだけだ。


「ラケル、もう少しで死んでいたところだぞ」

「レヴィ、狙いが甘い。次は外すな」


 二体の騎士は悪態を突くと、わずかに後じさり、ふたたびイセリアと対峙する。


「なるほど――半人前同士が組んでようやくあたしと互角ってとこかしら?」


 またしても挟撃される形になったにもかかわらず、イセリアは動揺する素振りもみせない。

 それどころか、悠然と腕を組み、二本の尾をゆらゆらと泳がせるその姿からは、早くも勝者の余裕すら漂っている。


「でもね、それってつまりこういうことじゃない? ……あんたたちの一人ひとりはあたしの敵じゃないってこと!!」


 刹那、イセリアは激しく地面を蹴った。黄褐色の騎士は、重厚な外観からは想像もつかない疾さで躍動する。


 狙うはレヴィだ。

 厄介な飛び道具を持っているほうを先に仕留める腹積もりであった。

 自分が標的だと理解するより早く、レヴィは左腕をイセリアに向けていた。 


 不可視の光条が走ったのは次の瞬間だった。猛然と疾駆しながら、イセリアはたしかにを視た。

 正確に言うなら、イセリアが躱しざまに目撃したのは、またたく間に変質した周囲の大気だ。

 透明な空洞に流れ込んだ大気は、直接触れていないにもかかわらず、イセリアの装甲表面を炭化させるほどの高熱を帯びている。

 レヴィの左腕が撃ち出すのは、弾丸でもなければ、なんらかの光学的エネルギーでもない。


 銃身から放たれるのは、なにものでもない。

 しいて言うなら、「無」そのもの――それこそがレヴィの能力だった。


 任意の座標に対して量子的空孔を形成し、周囲の物質が空孔に流入する際の余剰エネルギーを用いて、目標に致命的な破壊をもたらす。

 むろん、正真正銘の「無」が放たれたなら、反作用によってこの宇宙そのものが崩壊する。レヴィが作り出すのは、あくまで偽の「無」だ。

 それでも、単体の戎装騎士ストラティオテスの武装としては破格の威力であることは間違いない。

 イセリアの右肩を覆う装甲がすっかり消し炭と化し、ひとりでに崩れ去ったことがそれを証明している。あらゆる騎士のなかでも指折りの重装甲も、レヴィの武装の前ではなんら意味をなさないのだ。


 なおも急迫するイセリアに対して、レヴィはふたたび攻撃の態勢を取る。

 それに合わせてラケルも動く。双方向から同時にイセリアを追い詰め、逃げ場をなくした上でトドメを刺そうというのだ。

 しくじるたびに口を極めて互いを責めていた二人とは思えない、それは緻密きわまる連携だった。


 ラケルの大斧はイセリアにむかって振り下ろされ、レヴィの砲は過たずその胸を射抜こうとしている。どう足掻いたところで逃れる術はない。双騎士の織りなす死の罠に足を踏み入れたことに気付いたときには、すでに進退は窮まっているのだ。


「あんたたち、あんまりこのあたしをナメてると……」


 イセリアはふいに足を止めた。

 言うまでもなく、この状況で立ち止まることは自殺行為だ。

 敵が取った予想外の行動に面食らった様子もなく、赤と緑の騎士は粛々と攻撃へと移る。


「本当に痛い目見るわよ」


 ラケルが大斧を振り下ろしたその瞬間だった。 

 イセリアは避けるどころか、刃にむかって自分から突進したのだった。

 発光する刃がイセリアの左前腕に食い込む。

 そのまま腕を切断するはずだった斧は、半ばでぴくりとも動かなくなった。イセリアの尾がラケルの右腕に絡みつき、肩から先の自由を奪い去ったためだ。


「なんのつもりだ?」

「分からないなら教えてあげるわ――」


 イセリアはやおらラケルの頭を掴むと、レヴィにむかって投擲する。

 ちょうどイセリアを狙っていた砲の射線を逆しまに辿るように、ラケルはなすすべくもなく吹き飛ばされていく。

 さしものレヴィも今度ばかりは冷静ではいられなかったらしい。左腕を宙に向けると、はるか天上から閃光と轟音が降ってきた。砲から発射された「無」は上空の雲に接触し、連鎖的に爆発反応を引き起こしたのだ。

 直後、ラケルとレヴィは激しく衝突し、数メートルあまりも地面を転がったあとで停止した。


「……ラケル、どけ!!」


 レヴィが声を荒げる。

 ラケルがはたと我に返ったときには、すでに手遅れだった。

 イセリアは高く跳び上がり、二人にむかって頭上に組んだ拳を叩きつける。

 並外れた膂力のすべてを一点に集中させようというのだ。

 その威力は想像を絶する。

 まさしく「魔女マレウス鉄槌・マレフィカルム」と呼ぶべき一撃であった。


 金属と金属をぶつけ合う甲高い音が深夜の森を領した。地響きがあたりを震撼させ、樹上で眠りについていた鳥たちが一斉に飛び立つ。

 土煙がもうもうと巻き起こり、三騎の姿をすっかり包み隠している。


「……」


 ゆらりと立ち上がったのはレヴィだ。すこし遅れて、ラケルも苦しげに身を起こす。

 どちらも装甲はひび割れ、大斧と砲は見る影もなくひしゃげている。もはや武器として用をなさないことは一目瞭然であった。


「ふん――見た目の割にしぶといわね」


 イセリアは身体についた土埃を払うと、呆れたように呟いた。

 足元の地面は、直径三メートルあまりに渡ってごっそりと抉られている。

 隕石の落下現場クレーターと見紛うほどの凄絶な破壊の痕跡。衝撃が一点に集中している分、破壊力はヴラフォス城の巨砲をはるかに凌駕するだろう。


「で、どうすんの? その身体でまだ続ける気?」


 イセリアは二人を交互に見やると、世間話をするみたいな調子で言った。


「あんたたちが素直に降参するならこのくらいにしといてあげてもいいけど、もしまだ戦う気なら、今度は確実に殺すわよ」


 沈黙が一人と二人のあいだを埋めた。

 イセリアがしびれを切らしかけたそのとき、赤と緑の騎士は同時に口を開いた。


「ラケル――相手を見くびったな」

「レヴィ――私も同じことを思っていた」


 互いの失敗を責めるでもなく、責任を押し付けあうでもなく。

 これまでになく落ち着いた声は、なにかが変わったことを如実に示している。


「これはの失態だ」


 二人の指と指、腕と腕が絡んだ。 


「だから、が挽回する」


 ぴったりと身体を寄り添わせたラケルとレヴィは、傍目には睦まじい恋人同士のよう。ちょうど互いの肉体の足りない部分を補い合うみたいに、装甲の薄いほうの半身を隙間なく密着させている。


「ちょっと、あんたたち、何を――」


 それはけっして目の錯覚などではない。


 イセリアの目の前で二人の身体は溶け合い、見るまに形を変えていく。

 硬質の装甲は、まるで粘土と化したみたいに柔くとろけ、互いが互いを喰らうあう。

 つい数秒前までくっきりと分かたれていた赤と緑は境目を失い、複雑に混じり合っていく。

 おのれの目と鼻の先で生起しつつある信じがたい光景に、イセリアは言葉を失って立ちつくす。数歩後じさったのは、無意識の反射であった。

 ほどなくして、イセリアのはるか頭上で二色の光芒が瞬いた。

 がすべての工程シークエンスを終えた合図だ。

 

――戎装巨兵ストラティオテス・ギガンティア


 夜空に聳立した鋼鉄の巨人は、イセリアにむかって拳を振り上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る