第26話 影を追え

 結局、昼の休憩が終わった後も騎士たちの仕事が再開されることはなかった。

 ラフィカがそうさせたのだ。

 「あの時以来ですね。みなさん、お元気そうで何よりでした」

 一同の顔を見回すと、ラフィカは朗らかに言った。

 中性的な、どことなく猫を思わせる面差しである。本人の自称次第で、少年でも少女でも通用する風貌だった。

 「……ていうか、あんたたち知り合いなの?」

 イセリアはいかにも不満げに口を尖らせる。

 自分だけが仲間はずれにされたように感じたのだろう。

 「ええ、まあ……そちらのお三方とは、少しまえにいろいろありましたので」

 「いろいろってなによ?」

 「あとでおれが話してやる。今はよせ」

 アレクシオスがすかさず止めに入ると、イセリアは「ふん」と拗ねたようにそっぽを向いてみせる。

 「それで、折り入って私たちに話とは?」

 ヴィサリオンがたずねた。

 ラフィカが皇太子ルシウス直属の部下であることは承知している。今日ここに来たのもそれと無関係とは思われなかった。

 「もう察しはついていると思いますが――みなさんに皇太子ルシウス・アエミリウス殿下の命をお伝えするためです」

 予想は出来ていたとはいえ、皇太子の名を出されては居住まいを正さずにはいられないアレクシオスだった。

 イセリアでさえ、その名を聞いた途端にぴんと背筋を伸ばしたほどだ。

 ただひとり、オルフェウスだけがいつもと変わらぬ様子でぼんやりとラフィカを見つめている。

 「近頃、帝都で頻発している人さらいの噂はご存知ですか?」

 「……いや、初耳だ」

 アレクシオスは驚いたように言う。

 オルフェウスとイセリアに視線を向けるが、ふたりとも同じように首を横にふるばかりだった。

 「私は何度か小耳に挟んだことはあります」

 口を開いたのはヴィサリオンだ。

 「たしか、昨日の夜もスフェンダミ街区で若い女性が行方知れずになったとか……」

 「そう、それです。今月だけでも同様の事件は二十件ほど起こっています」

 「っていうか、人さらいってそんなに珍しいかしら?」

 イセリアは訝しげに言った。

 「こんなに街が大きければ、なかには悪い奴だって混ざってるでしょ」

 「それが、どうも様子が妙なのですよ」

 ラフィカは懐から巻物を取り出すと、机の上に広げてみせた。

 「――帝都の地図だな」

 アレクシオスはずいと身を乗り出して言った。

 成人男性が両手をめいっぱい広げたほどの大きさの紙には、帝都イストザントの詳細な地図が描かれている。

 細々とした区割りや路地の配列までつぶさに描き込まれたそれは、いわば帝都の解剖図とでも言うべきものだ。当然ながら『帝国』における最高の軍事機密に該当する。

 「これから私が指し示すのは、昨日の夜事件が起きた場所です。いいですか、よく見ていてください」

 そう言って、ラフィカはまたしても懐からに手を入れると、地図の上に何かを置きはじめた。

 白く小ぶりなそれは、盤上遊戯の駒だ。

 駒はラフィカの手で次から次へと地図上に配置されていく。

 「これは……」

 そうしてすべての駒を配置し終えたとき、驚嘆の声を漏らしたのはヴィサリオンだった。

 地図上の駒の数は、全部で七つ。

 そのいずれもが、広大な帝都の各所に散らばるように置かれている。

 「……こんなことがありえるのでしょうか」

 「偶然の一致にしては出来すぎているでしょう? これまで報告された人さらい事件は、そのほとんどが一夜のうちにこれほどの広範囲で起こっているんです。おそらく同一犯の仕業でしょう」

 とても信じられないといった様子で呟いたヴィサリオンに、ラフィカは紛れもない事実であることを追認するように頷いてみせる。

 「ちょっと、二人だけで納得してないで、あたしたちにも分かるように説明してくれる?」

 イセリアが苛立った様子で言う。

 その隣ではアレクシオスが腕を組んだまま考え込んでいる。

 口に出しこそしないが、事態がよく飲み込めていないのはかれも同様だった。

 「……帝都には”犯夜の禁”という制度があります」

 「なによ、それ」

 ヴィサリオンの口から出た耳慣れぬ言葉に、イセリアは怪訝そうな面持ちを浮かべる。

 「帝都の街区同士は門で隔てられていることはご存知ですね。日没からしばらくすると、それらの門は閉ざされるのです。衛兵が寝ずの番をしていますから、よほど火急の用件でないかぎり市民の出入りは出来なくなる――それが”犯夜の禁”です」

 「だから、それが人さらいとどういう関係があるのよ?」

 なおも納得できず食い下がるイセリアに、ヴィサリオンはさらに言葉を重ねる。

 「昨夜の事件はすべて異なる街区で起こっています。もし犯人が同一人物だとすれば、門を通って街区から街区へと移動していなければ説明がつきません」

 「しかし、その門は夜のあいだは閉ざされている――当番にあたっていた衛兵も、それらしい人物は見ていないそうですよ」

 補足するようにラフィカが付け加える。

 二人から説明を受けて、イセリアもようやく腑に落ちた様子であった。

 「たしかに妙だ。だが、犯人が複数いるという可能性もあるんじゃないか?」

 疑問を口にしたのはアレクシオスだ。

 「私も最初はそう考えました」

 ラフィカは一旦同意を示しかけたところで、それを打ち消すように首を横に振った。

 「ですが、どうやらその可能性は低いようです」

 「どういうことだ?」

 「目撃者がいるんですよ」

 そう言って、ラフィカはスフェンダミ街区と、かなり離れた場所にあるもうひとつの街区を指差した。

 「この二つの場所でたまたま外に出ていた住民が犯人らしい人影を目撃してるんです。鳥の仮面をかぶった男が裏路地を徘徊していた、と……」

 「鳥の仮面だと?」

 「たぶん『西』で流行り病の治療にあたる医師がつけているものでしょう。向こうにいたころに何度か見たことがあります」

 そんなことより、とラフィカは咳払いをして話を続ける。

 「ふたつの場所で目撃されたのは同一人物と見て間違いないと思います。もし犯人が複数いるなら、わざわざ同じ格好をする意味もないでしょうし――」

 「そんなふざけた格好してる奴が何人も夜中にうろついてるなんて考えにくいものね」

 イセリアが意地の悪い笑みを浮かべつつ言った。

 「……それで、おれたちにどうしろと言うんだ?」

 アレクシオスに問われ、ラフィカはあらためて一同に向き直る。

 「単刀直入に言います。事件解決のため、騎士の皆さんの力を貸してもらいたいのです」

 「帝都の取り締まりは中央軍の管轄だったはずだ」

 「よくご存じですね。たしかに犯罪は中央軍が対処し、捕らえた犯人は帝都法院に引き渡すことになっています……が」

 そこまで言って、ラフィカは口ごもる。

 「今回の事件に関してはどうも捜査の進捗が思わしくないのです」

 「中央軍の手に負えなくなったから、いよいよおれたちにお鉢が回ってきたということだな」

 「ご明察ですね」

 ラフィカはあっけらかんと言うと、あらためて一同を見回した。

 暗に同意を求めているのはあきらかだった。

 「いいんじゃない? 退屈な書類仕事より、人さらいの犯人探しのほうが面白そうだし!」

 まっさきに沈黙を破ったのはイセリアだ。

 続いてアレクシオスも首を縦に振る。

 「おれもべつに反対している訳じゃない。帝都で人さらいを働くような輩を放っておけないからな」

 ラフィカは二人の返答を聞き、ぱっと表情を明るくした。

 そして、すかさずヴィサリオンに視線を向ける。

 「騎士のお二方は乗り気のようですが、ヴィサリオンさん、監督役としてどう思われます?」

 「私は帝国の官吏です。元より殿下の命に異を唱えるつもりはありません。ただ――……」

 ヴィサリオンはひとまず言葉を区切ると、先ほどから沈黙したままの亜麻色の髪の少女に視線を向けた。

 「オルフェウス、あなたはどうですか?」

 よもや自分に話しかけているとは思わなかったのか、オルフェウスの反応は鈍かった。

 わずかな間を置いて、深く澄んだ真紅色の瞳がヴィサリオンを見据える。

 「……私?」

 「そう、あなたです。アレクシオスとイセリアだけでなく、あなたの意見も聞いておきたいのですよ」

 「……私もそれでいいと思う」

 オルフェウスはこくりと頷く。

 「それでは決まりですね? 騎士のみなさんに協力して頂けるなら一安心です」

 この場にいる全員の賛同を得て、ラフィカは弾むように言った。

 「必要な資料はあとで運ばせます。皆さんは準備が整い次第、さっそく捜査に取り掛かってください」

 「ちょっと待て。捜査に協力するのはいいが、ひとつ大事なことを忘れていないか?」

 踵を返そうとしたラフィカにアレクシオスは叫ぶ。

 「なんですか、アレクシオスさん?」

 「おれたちの立場だ。こうして帝都に集められたはいいが、まだ正式な役職も部署名もない。……そうだな、ヴィサリオン?」

 ふいに水を向けられ、ヴィサリオンは苦笑しつつも頷く。

 「なるほど。それはたしかに問題ですね」

 「中央軍の管轄に足を踏み入れるかもしれないなら、なおさらだ。連中が人一倍縄張り意識が強いのはおまえも知っているだろう。所属も名乗れないようでは、かえって怪しまれることになりかねん」

 「その件はもちろんあとで殿下にお伝えしますが――取り急ぎ仮の名前だけでも必要でしょうか?」

 「そうしてくれるとありがたいな」

 ラフィカはうーんと小さく呟くと、腕を組んで思案し始めた。

 しばらくそのまま考え込んでいたが、やがて何かを思いついたように片目を開く。

 「では、騎士庁ストラテギオンというのはいかがでしょう?」

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