第116話 紫晶の魔指

 紫の電閃が夜気を灼いた。

 美しく鋭角な軌跡が闇にまたたく。プラズマが描き出した一瞬の光芒は、しかし何の手応えもなく消散した。


「ちっ――」


 目論見に相違して空を切った脚を戻しながら、カドライは苛立たしげに呟く。


「悪運の強い野郎だ」


 視線の先にはアレクシオスの姿がある。

 灼き切られた傷口はなまなましい痕跡を晒しているが、それは先ほど受けたものだ。戎装騎士ストラティオテスに生まれつき備わっている驚異的な自己再生能力によって、早くも一部は塞がり始めている。

 黒騎士の身体にあらたな傷を刻み込むはずだった一撃は、わずかに狙いを外れ、プラズマ刃はむなしく大気を灼くだけに終わった。

 カドライにとっては予想外の出来事だ。

 過たず狙いを定めたつもりが、まさか紙一重で回避されるとは。

 努めて平静さを装いながら、カドライの心中では驚愕と動揺とがさざなみのように広がっている。

 最下級のクズ騎士と侮っていた相手に攻撃を躱されるなど、絶対にあってはならないことだ。

 なにかの間違い――偶然にちがいない。

 そう自分自身に言い聞かせることで、動揺を打ち消そうとしている。


「まぐれは一度だけだ。次は外さねえ」


 吐き捨てるように言ったカドライに、


「そう思うのなら、もう一度やってみろ」

「ああ? テメェ、いまなんて――」

「今度は当ててみろと言った」


 アレクシオスははっきりと言いのけたのだった。

 カドライの装甲に覆われた無貌の面に不規則に光が流れていく。

 目鼻のない顔貌かおからは何の表情も読み取れない。それでも、凄まじい怒りに打ち震えているのはあきらかだった。


「……図に乗るなよ、ザコが!!」


 寂莫とした夜の野原に怒号が響きわたった。


「テメェはじっくり料理するつもりだったが、気が変わった。手足を一気に切り落として、身動きを取れなくしてから虫けらみたいに殺してやるよ!! いまさら泣いて命乞いをしても遅いぜ」


 カドライはふたたび構えを取る。

 腰を落とした姿勢は、獲物に飛びかからんとする獰猛な肉食獣を彷彿させた。

 と、カドライの周囲にうっすらと虹色の霧が漂い始めた。

 四肢に組み込まれたプラズマ・ジェネレーターが大気を電離させているのだ。攻撃に先立って暖機運転アイドリングを行うことで、おそるべき溶断兵器は最大限の破壊力を発揮する。


「クズ騎士が……まぐれで避けられたくらいで思い上がりやがって。身のほどを分からせてやる」


 カドライの身体がふっと夜に溶けていった。

 加速に入ったのだ。ひとたび加速に入れば、おなじ騎士の目をもってしてもその姿を追うことは出来なくなる。

 アレクシオスは逃げるでもなく、ただ黙然と立ちつくしている。一切の抵抗を諦めたような姿であった。

 むろん、たとえ相手が戦意をすっかり失っていたとしても、カドライが手心を加えるはずもない。無抵抗の相手をなぶり殺しにすることになんの良心の呵責もなく、むしろ嬉々として殺しにかかる男なのだ。

 耳を聾する轟音が上がったのは次の瞬間だった。

 巨大な鉄槌で、やはり巨大な鐘を思いきりぶっ叩けば、あるいはこのような音が生じるだろうか。

 重々しい残響が尾を引くなか、五十メートルばかり離れた場所で土煙が巻き起こった。

 が地面に激しく叩きつけられたのだ。それは下草をかき分けるように転がり、やがて静止した。


「が……ぐ……ッ!!」


 草の合間からゆっくりと立ち上がったのは、橙色オレンジの装甲――カドライ。

 右の脇腹がえぐり取られたみたいに陥没していた。ほとんど剥離しかかった周囲の装甲は、加えられた衝撃の大きさを物語っている。

 アレクシオスはその場から一歩も動いていない。

 しゅうしゅうと白煙を上げる右の拳を軽く振ると、黒騎士はカドライに向き直る。


「テメェ……ッ!! 何をしやがった!?」

「最速の騎士と言ったな。オルフェウスより速いと――」

「それがどうした!?」

「おまえの速さなど、あいつに較べれば止まっているようなものだ」


 アレクシオスはカドライを指さし、語気強く言い切った。


***


 アレクシオスには、カドライの動きは見えていない。

 迫りくるカドライの攻撃に対して正確に反撃カウンターを合わせた訳でもない。

 ただ、攻撃を仕掛けるであろう場所を予測し、拳をだけだ。


 読みはみごとに的中した。カドライはひとりでにアレクシオスの拳に激突し、あらぬ方向に吹き飛んでいったのだった。

 皮肉なことに、カドライが誇ってやまない速さがみずからに災いしたのだ。

 加速に突入した戎装騎士ストラティオテスは、一時的に視覚と聴覚を失う。

 音をはるかに超越した速度域では、視覚器の露光時間シャッタースピードの上限を超え、流れ込む光量はほとんどゼロに等しくなる。視界は闇に閉ざされ、加速を終えるまでは何も見えなくなるということだ。


 だからこそ、加速能力をもつ騎士は、あらかじめ加速中のすべての動作を自分の身体に入力インプットする必要がある。

 そして、一度動き出してしまえば、もう動作を変更することは出来ない。

 いままでオルフェウスとともに戦ってこなければ、アレクシオスは加速能力の特性など知る由もなかったはずだ。

 不意打ちも同然だった一撃こそまともに受けてしまったが、二度目は回避に成功し、三度目に至っては敵の力を逆用して攻撃に転じることが出来た。


 おなじ加速能力といっても、カドライのそれはオルフェウスより数段劣る――それがアレクシオスの導き出した結論だった。もし相手がオルフェウスなら、たとえ行動を読もうとしても、そのさらに上を行くはずだ。


「どうした、もう終わりか!?」


 アレクシオスはカドライに呼びかける。


戎狄バルバロイもろくに倒せなかったクズ騎士にいいようにやられて悔しくないのか?」

「クソが――上等だ!! そこを動くんじゃねえぞ!!」


 カドライは火を吐くような調子で吠え立てると、アレクシオスにむかって猛然と突進する。

 橙色オレンジの装甲がにわかに輝きを増したようにみえるのは、理性では抑えきれない怒りを映しているためだ。カドライは脇腹の傷の痛みも忘れ、殺意の塊となってアレクシオスに殺到する。


「テメェはこの俺がバラす!!」


 カドライが叫んだのと、アレクシオスが高々と飛び上がったのは同時だった。

 両脚の推進器スラスターを全開し、アレクシオスは三十メートルも垂直に上昇する。吐き出された噴射炎が夜空を赤く染めていく。

 地上を見下ろせば、カドライの身体は忽然と消え失せていた。

 アレクシオスは身体をひねり、推力と慣性に身を委ねる。

 一瞬前までなにもなかったはずの虚空に鉄の感触が生じたのはそのときだった。

 闇にわずかな光が差したかと思うと、刺々しい輪郭が浮き上がる。

 アレクシオスの足底は橙色オレンジの装甲をえぐり、落下の姿勢はみごとな飛び蹴りの型へと変わった。


「ぐおおっ――!!」


 カドライの装甲の下からくぐもった悲鳴が漏れた。

 ちょうど胸の中心に強烈な蹴りを喰らったのだ。推進器が生んだ膨大な運動エネルギーを叩きつけられれば、戎装騎士といえどもひとたまりもない。

 装甲に走った無数の裂け目からは赤黒い液体がひっきりなしに噴出し、驟雨みたいに大地に降り注いだ。

 アレクシオスはカドライを蹴り出すと、空中ですばやく身体を反転させる。

 ほとんど同時に地面に落ちた二人だが、その姿はどこまでも対照的だった。

 一方は悠然と着地し、もう一方は受け身を取る暇もなく叩きつけられた。


「テ……メェ……ッッッ!!」 


 カドライは赤黒いものを吐いた。喉のあたりに生じた亀裂から噴き出した液体は滝みたいに流れ落ち、下草を濡らしていく。


「もう勝負はついた。諦めろ、カドライ」

「諦めろだと……? バカ言ってんじゃねえ……だれがテメェなんぞに……!!」


 精一杯声を荒げてみせるが、虚勢であることはあきらかだ。

 アレクシオスは両腕の槍牙カウリオドスを展開し、カドライに近づいていく。


――相手の武器ばかりを見ているからそうなる。


――君は戦いの機微が分かっていない。


 あのとき、アザリドゥスが口にした言葉だ。

 アレクシオスはあらためてその言葉の意味を噛み締めていた。


 高く飛び上がったあの一瞬、アレクシオスが見極めようとしたのは、カドライの動きではない。

 言ってみれば、カドライと自分のあいだに存在する空間そのものだ。

 本来見えないはずのものを見極めることで、敵の動きを手に取るように把握することが出来る。

 ともすれば、実際に敵の姿を追うよりもずっと正確に。

 アレクシオスのように推進器を持たない騎士は、いったん跳躍してしまえば、空中ではほとんど身動きが取れなくなるものだ。

 行動の選択肢が限られる分、攻撃を仕掛けてくる位置を予測することも、地上にいるときよりずっとたやすい。

 そうして逃げ場を奪った上で、アレクシオスは必殺の一撃を叩き込んだ。戎装騎士ストラティオテスを戦闘不能に追い込むためには、敵の攻撃を待ち受けるだけでなく、積極的に打って出る必要があるのだ。


「まだ戦いは終わってねえ……俺は負けちゃいねえ!!」


 カドライは雄叫びを上げると、ふらつきながらも立ち上がる。

 驚くべき精神力であった。アレクシオスもすかさず槍牙を向ける。どうしても戦いを続けるつもりなら、このままトドメを刺すつもりだった。


「――そこまでにおし」


 ふいに声が投げかけられたのはそのときだ。

 よく通る美しい声。女の声であった。


***


「エリスの姐御――」


 カドライはすっかり魂消たような声を漏らす。

 アレクシオスがとっさに振り返ると、街道上に女がぽつねんと立っている。

 東方人の女であった。歳は二十歳を過ぎていないだろう。

 浅葱色の艷やかな長髪と、闇に茫と浮かび上がる白い雪膚が目を引く。

 切れ長の双眸はアレクシオスとカドライに向けられている。冷たく澄んだラベンダーの瞳に見つめられると、こころなしか周囲の気温まで下がったように感じられる。


「姐御、こいつは俺の戦いだ!! 余計な口出しはやめてくれ!!」

「あんたの負けだよ、カドライ」

「なぜそんなことが言えるんだ!? 俺はまだ戦える!!」

「その身体でやりあえば、あんたは殺される。そのくらい分かってるだろう?」


 エリスは呆れたように言うと、しっしと手を動かした。

 カドライに戦場から下がるように言っているのだ。飼い犬を扱うような挙措は、二人のあいだに横たわる絶対的な上下関係を窺わせた。

 カドライは戎装を解くと、消え入りそうな声で「畜生」と呟いて、足早に戦場を離脱する。


「次の相手は貴様か?」


 アレクシオスはエリスに槍牙を向ける。

 エリスの口元がふっと緩んだ。

 花がほころんだような嫣然たる微笑。それでいて、見る者の背筋にぞくりとしたものを走らせずにはいられない笑みだった。

 アレクシオスは怯むことなく、なおも距離を詰める。


「本気で私とやりあうつもりなら、やめておいたほうがいいわ」

「……なんのつもりだ?」

「親切心で言っているんだよ。おとなしく通してくれれば、あんたには何もしない」

「そんな申し出を聞くと思ったのか? ……貴様らをここから先へは行かせない」


 エリスはため息をつくと、


「だったら、死んでもらうしかないね」


 あくまで冷たく言い放ったのだった。

 微笑はすでに消え失せている。赤く艶めかしい唇が動いた。


「――戎装」


 言い終えたときには、エリスは異形の騎士へと姿を変えていた。

 全身を覆う透き通った薄紫の装甲。勇壮さと優美さを兼ね備えた姿形は、一個の紫水晶アメジストから削り出された女神の彫像のよう。

 背丈はアレクシオスとほとんど変わらないだろう。

 やわらかな曲線を帯びた身体のどこを見渡しても、武器らしい武器が見当たらないのは奇妙であった。


「望むところだ。おれは逃げも隠れもしない!!」

「後悔しても、もう遅いよ」


 カドライを退けてますます意気軒昂なアレクシオスに、エリスはぽつりと呟く。


「行くぞ!!」


 仕掛けたのはアレクシオスだ。

 黒い身体が闇を駆けた。間合いに入ると同時に、槍牙が縦横に襲いかかる。

 アレクシオスの猛攻を前にしても、エリスはべつに慌てた風もなく、柳が風を受けるみたいに悠然と攻撃を捌いていく。

 よどみない身のこなしは、歴戦の戦巧者の片鱗を窺わせるには十分だった。

 とはいえ、防戦一方であることには変わりない。

 負けることはないにせよ、このままアレクシオスに対して有効な反撃が出来ないままでは、いずれ戦況は膠着状態に陥るだろう。

 エリスとしても、ここで時間を浪費することは避けねばならないはずだ。敵の戦力が結集すれば、それだけ状況は不利に傾く。

 と、エリスの右腕がわずかに動いた。

 攻撃ではない。ただ、肘から先を軽く振っただけだ。

 その一瞬に生じたわずかな隙をアレクシオスは見逃さなかった。

 力強く地面を蹴ると、黒騎士は一陣の風となって突進する。

 このまままっすぐにエリスの胸を貫くつもりなのだ。

 胸部には戎装騎士ストラティオテスの最大の弱点がある。ここを破壊されれば、騎士はその生命を絶たれる。自己再生能力は停止し、二度と目覚めることはない。

 外から見るかぎり、エリスの装甲はさほど堅牢ではないようだった。アレクシオスの槍牙の直撃を受ければ、薄紫の装甲はあっけなく砕け散るだろう。


「おおッ!!」


 アレクシオスは裂帛の気合とともに飛びかかる。


「――――!?」


 槍牙の穂先は、エリスの胸の数センチ手前で停止していた。

 むろん、アレクシオスがみずからの意思で攻撃を中断した訳ではない。この局面で敵に情けをかける必要などどこにもない。

 ほんのわずかに力を込めれば、それで勝負は決するはずだった。

 アレクシオスは槍牙を動かそうとして、右腕の自由が完全に失われていることに気づく。

 まちがいなく自分の腕だというのに、まるで他人の腕と入れ替わってしまったような奇妙な感覚。肘や手首を曲げることはおろか、小指一本さえ思うに任せない。

 槍牙が手首に格納されたのは次の瞬間だった。アレクシオスは何もしていない。ひとりでに装甲が開閉し、最大の武器を覆い隠してしまったのだった。

 アレクシオスは愕然とその様子を見つめることしか出来ない。

 はたと我に返ったときには、左腕、そして両脚の自由も失われつつあった。


「きさま……なにを……!?」

「そんなに知りたいなら、教えてあげる――」


 エリスは右手の指先をアレクシオスの目の前に突きつける。

 紫水晶を連ねたような細い指から、きらきらと光るものが無数に伸びている。

 極細の糸であった。

 直径は百ナノメートルにも満たないだろう。

 一本一本は人間の髪の毛の数十万分の一の細さしかない。

 数千本を束ね、さらにエネルギーを伝導させることで発光させているのだ。そうでなければ、戎装騎士の視覚でも捕捉することは出来ないはずであった。

 エリスが放った糸は、アレクシオスの装甲の間隙から音もなく体内に侵入し、神経伝達システムを上書きしたのだった。

 アレクシオスが異変に気付いたときには、すでに全身の神経を侵食された後だ。

 痛みも違和感もなく、操られていることさえ無自覚なまま、アレクシオスはエリスの傀儡と化したのだった。


「安心なさい――


 エリスはアレクシオスの顔をいとおしげに撫ぜる。

 まるで、新しい玩具を手に入れた子供が丹念に手触りを確かめるように。


「あんたにはせいぜい役に立ってもらう――」


 すぐそばで囁かれたはずの声は、はるか彼方で聞こえたような気がした。

 視界は徐々に暗くなり、あらゆる感覚が果てしなく遠ざかっていく。

 一秒ごとに自分の身体が自分のものではなくなっていく恐怖。

 必死で抗おうにも、どうすることも出来ない。


 エリスの指が離れた瞬間、アレクシオスの意識は暗い淵へと沈んでいった。

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