第195話 ティタノマキア(後編)

「のこのこ出てくるなんて、よっぽど死にたいみたいねえ。だったら、望みどおりにしてあげる――」


 吐き捨てるように言って、テルクシオペーは右腕を振り上げる。

 一見すると何の変哲もない拳打。

 それも、天井に届くほどの巨体から繰り出されるのであれば話はべつだ。

 おそるべき重量を秘めた黒い巨人の拳は、大地を震わせ、岩盤をも打ち砕く威力を帯びている。

 渾身の力を込めた右拳を、テルクシオペーは躊躇いもなく戎装巨兵ストラティオテス・ギガンティアに叩きつける。


「双子!! 避けなさい!!」


 イセリアの叫びは、金属同士の凄まじい衝突音にかき消された。

 大広間じゅうに広がった衝撃波ソニック・ブームは空気を震わせ、爆発によって損傷していた壁面や柱は耐えきれずに崩壊していく。

 さしものイセリアも姿勢を保つことが出来ず、とっさに片膝を突いていた。

 この場に生身の人間が居合わせたなら、衝撃波によってたちどころに内臓破裂をきたし、一瞬のうちに絶命していたはずであった。

 いまだ衝撃の余韻が残る大広間の中心で、二体の巨人は向かい合ったまま微動だにしない。

 直撃の瞬間、戎装巨兵はとっさに両掌を突き出し、テルクシオペーの拳を包み込むように受け止めたのだ。

 攻勢から一変、テルクシオペーは片腕の自由を奪われた格好になった。


「この……!! 放せ!!」

「敵の命令に従うとでも思ったのか。おめでたい奴だ」

「だったら、力ずくで引き剥がしてやる!!」


 テルクシオペーは左拳を構える。

 揃えた黒い指先がもぞもぞと蠢いたかと思うと、五指はみるまに境界線を失っていく。

 ひと繋がりになった手指は、巨大な鉄槌ハンマーへと変じた。

 なおも右拳を掴み取って放そうとしない戎装巨兵にむけて、大質量の鈍器を振り下ろそうというのだ。

 いかに堅牢な装甲をほこる戎装巨兵といえども、加速度をつけて襲いかかる鉄槌をまともに受けてはひとたまりもない。

 攻撃を回避するためには、テルクシオペーの右拳を解き放つほかに手はない。


「――――!!」


 転瞬、テルクシオペーの黒い巨体がおおきく傾いだ。

 戎装巨兵が右拳をひねったのだ。

 強大な磁力によって合着した金属組織は、物理的には流体でありながら、その性質は固体のそれと変わらない。

 攻撃のために姿勢を乱したところに、予期せぬ回転運動ヨー・モーメントを加えられたことで、テルクシオペーはなすすべもなく横倒しになったのである。


「やってくれるじゃ……」


 すかさず立ち上がろうとしたテルクシオペーは、そのまま後方に吹き飛ばされていた。

 倒れ込んだテルクシオペーにむかって、戎装巨兵が強烈な蹴りを叩き込んだのだ。

 床の上を十メートルばかり転がったあと、黒い巨人はのっそりと立ち上がった。

 堅固な城門さえ打ち破る戎装巨兵の蹴撃を受けてなお、その身体に目立った損傷は見受けられない。

 蹴りが入った瞬間こそ腹部におおきな陥没が生じたものの、数秒と経たずに修復したのである。

 微細な金属片の集合体である現在のテルクシオペーにとって、身体の欠損を埋める程度は造作もない。素材となる金属には事欠かない以上、修復も復元も思うがままに行えるのだ。


「どお? これであんたたちにも分かったでしょ? いまのあたしには、どんな攻撃も効かないってことがさぁ――」


 言い終わるが早いか、テルクシオペーは両手首を前方に突き出した。

 固く握り込んだ巨大な両拳は、そのままふた振りの長大な剣へと変じていく。

 磁力によって金属分子の配列を変えることで、テルクシオペーは全身を自在に武器へと作り変えることが出来るのだ。

 不可視の電磁気によって圧延され、研磨された黒剣は、人間が鍛えたいかなる名刀も遠く及ばない切れ味を備えている。

 戎装騎士ストラティオテスの装甲といえども、その刃に触れたとたん、薄紙のように引き裂かれるはずであった。


「すぐには殺さないよぉ。じっくり悲鳴を聴けるように、身体の端からすこしずつ切り刻んであげる!!」


 嗜虐的な笑声を立てながら、テルクシオペーはゆっくりと戎装巨兵へと近づいてくる。

 イセリアは努めて平静を装いながら、戎装巨兵の脇腹を叩く。


、あれ使いなさいよ! あるでしょ、飛び道具!!」

「駄目だ」

「なんでよ!? 出し惜しみしてる場合じゃないでしょ!!」

「さっきの爆発で損傷したようだ。回復にはまだ当分かかるだろう」


 視線を前方に向けたまま、戎装巨兵はレヴィの声で返答する。


「どうするんのよ!! このままじゃやられちゃうじゃない……!!」

「心配するな。武器ならまだある」


 狼狽しきったイセリアを宥めるように答えたのは、ラケルの声だった。

 戎装巨兵の赤の半身に変化が生じたのは次の瞬間だ。

 肘から先の装甲がめまぐるしく形を変え、前腕と手首が収納されていく。

 ほどなくして、戎装巨兵の左腕に出現したのは、イセリアの身の丈ほどもある長大な戦斧だ。

 テルクシオペーはその場で立ち止まると、右腕の剣尖を戎装巨兵に突きつける。


「あっはっは!! それマジ? そんなしょぼい武器ものであたしを止められるとでも思ってんの?」

「止められるかどうか、やってみなければ分からないだろう」

「試さなくても結果は分かりきってるけどねぇ」


 刹那、テルクシオペーは烈しく地面を蹴っていた。

 黒い巨体が躍動する。重量をまるで感じさせない機敏な動作。

 二体の巨人を隔てていたわずかな間合いはたちまちに消失し、剣と斧とが交差する。

 するどい銀光が閃いたのと、甲高い金属音が大広間を領したのは、ほとんど同時だった。


「ちっ――」


 テルクシオペーは慣性を殺しきれず、その場でたたらを踏む。

 右腕の黒剣は、肘のあたりから失われていた。

 戎装巨兵の戦斧を受け止めようとして、そのまま叩き折られたのだ。

 剣の剛性と切れ味とは、一般に反比例する性質とされる。

 戎装騎士の装甲を切り裂くために刃を代償として、テルクシオペーの黒剣は剛性を失い、戦斧との鍔迫り合いに耐えられなかったのである。


「……やってくれる。そっちも無事じゃ済まなかったみたいだけどねぇ」


 左腕の黒剣は、戎装巨兵の身体を袈裟懸けに切り裂いていた。

 赤と緑の装甲を横切るように走った裂け目からは、おびただしい黒血が噴き出している。

 さいわい致命傷には至っていないが、相当のダメージであることにはちがいない。

 ほとんど崩折れるみたいに、戎装巨兵はその場に膝を突いた。

 イセリアはあわててその傍らに駆け寄ると、遠慮なく装甲をぶっ叩く。


「早く立ちなさい!! このままじゃ本当に死ぬわよ!!」

「この傷では無理だ……動けない……」

「あんたたち、二人揃ってこんなときに泣き言言ってんじゃないわよ‼」


 そうするあいだにも、テルクシオペーはふたたび攻撃の体勢に入っている。

 右腕が失われたままなのは、あえて再生させるまでもないと判断したためだろう。

 戎装巨兵もイセリアもかなりの深手を負っている。

 とどめを刺すだけであれば、左腕一本で事足りるはずであった。

 

「ああもうっ!! あたしが時間を稼いであげるから、あんたたちはさっさと傷を治しなさい!!」


 叫ぶと同時に、イセリアは駆け出していた。

 黄褐色の装甲を濡らした黒血はすでに乾き、手足の傷も塞がっている。

 それでも、内部機構メカニズムが被った甚大な損傷は、いまだ完全に修復されていない。

 動くたびに全身を苛む激痛に耐えながら、イセリアはテルクシオペーの前に進み出る。


「あんたの相手はこのあたしよ。忘れてもらっちゃ困るわね」

「へえ? どっちから殺してもいいんだけど、そんなに死に急ぎたいなら、望みどおりにしてあげようか」

「その言葉、そっくり返してやるわ!!」


 イセリアはテルクシオペーめがけて疾駆する。

 巨人の左腕が音もなく上がり、長大な刃が空を裂いた。

 するどい斬撃を紙一重で躱したイセリアは、股下をくぐってテルクシオペーの背後に出る。

 狙うは両膝の裏側だ。

 見上げるほどの巨体も、両足の支えがあってはじめて自立することが出来る。

 その最も脆弱な部分を破壊すれば、もはやテルクシオペーは立ち上がることもままならないはずだった。

 

「総身に知恵が回りかね――ってね。後ろがガラ空きよ!!」


 裂帛の気合とともに繰り出されたイセリアの爪は、しかし、ついに黒い巨人に触れることはなかった。

 それだけでなく、イセリアの身体は数メートルも後方に弾き飛ばされていた。

 爪が命中する直前、テルクシオペーの背中がふいに隆起したと思うと、無数の黒い弾丸となってイセリアに降り注いだのだ。

 体内の鉄から作り出した即席の砲弾。

 磁力の反発によって打ち出されたそれは、にわかづくりの電磁投射砲レールガンにほかならない。

 親指ほどの弾丸は、イセリアの装甲に無残な弾痕を穿ち、黄褐色の装甲はふたたび黒血に染め上げられていく。

 

「っ!! あんた、よくも……!!」

「無駄な抵抗はやめたほうがいいって。苦しみが長引くだけだからさぁ? まぁ、最初から楽に殺してあげるつもりはないんだけど――」


 言い終わらぬうちに、テルクシオペーはとっさに頭を下げていた。

 直後、風を巻いて飛来したのは、戎装巨兵の戦斧であった。

 戎装巨兵はみずからの左腕を引きちぎり、テルクシオペーめがけて投擲したのだ。

 むろん、そんなやぶれかぶれの攻撃が通用するはずもない。

 標的になんらの痛手も与えぬまま、戦斧はむなしく床に突き刺さった。

 テルクシオペーは戎装巨兵を見やると、呆れたように肩をすくめてみせる。


「あっはあ、バカみたい。何をしてもあたしには勝てないのがまだ分からな――――」


 テルクシオペーの言葉はそこで途切れた。

 それ以上何かを言おうにも、言葉を継ぐことが出来なかったのだ。

 黒い巨人の足元に、さらさらと砂のようなものが流れ落ちた。

 身体を構成していた微細な金属片だ。

 血さながらに流れ落ちるそれは、磁力による結合が失われつつある証であった。

 テルクシオペーは苦しげに首を回す。

 歪んだ視界に映ったのは、背中にぴったりと張り付いたイセリアの姿であった。


「ど……どうして……!?」

「ふん、だから言ったでしょ? 後ろがガラ空きだ――ってね」


 イセリアは手にした戦斧に力を込める。

 戦斧の刃は黒い巨体の奥深くに隠されたに達している。

 あとすこし力を込めれば、テルクシオペーは中枢部ごと両断されるはずであった。

 刃からイセリアの手に伝わる感触が変わった。いよいよテルクシオペーの装甲に切り込んだのだ。


「ま、待って!! それだけは……!!」

「それだけは、何よ? 言いたいことがあるならはっきり言いなさい」

「やめて……!! お願いだから、殺さないで……!!」

「あんた、さっきもそんなこと言って命乞いしてたけど、まんま騙してくれたわね」

「今度は騙したりしません!! だから生命だけは……‼ あたし、まだ死にたくない……!!」

「死にかけのくせによく回る口だわね」


 イセリアは両腕に力を込めると、戦斧をぐいと引き抜いた。

 崩れつつある黒い巨人の背中を蹴って、イセリアは危なげなく着地する。

 戦斧の先にへばりついているのは、琥珀色の装甲に覆われた頭と胴体――テルクシオペーの本体だ。

 なんらかの緩衝・保護材だろう。本体からは粘り気のある液体がぽたぽたと滴っている。


「で、なんだっけ?」

「お願いです、お姉さま!! 殺さないで!!」

「ふうん……あんた、そんなに死にたくないんだ?」

「あ……あたし、生まれてきてからいままで、まだなんにも楽しいことしてないんです‼ 戎狄バルバロイとの戦いが終わったあと、あちこちたらい回しにされて、毎日毎日ちっとも面白くなくて……。そんなときに帝都に連れて行ってもらえるって言われたから、あたしってばつい舞い上がっちゃって……」


 イセリアは黙って耳を傾けている。

 しばらく考え込むような素振りを見せたイセリアは、やがて納得したように頷いた。


「なるほどね。あんたにも事情があるってわけだ」

「そうなんです! だから許して……」

「まあ、あたしたちには関係ないからどーでもいいけど。遺言も聞いてあげたことだし、あんた、このまま死んどきなさい」


 戦斧にぶら下がっていたテルクシオペーの本体がぽとりと地面に落ちた。

 よほど落胆したらしい。磁力を振り絞って手足を引き寄せる気力も失せたように、琥珀色の装甲は小刻みに震えている。

 そんなテルクシオペーを見下ろして、イセリアはひとりごちるみたいに口にした。


「……なんてね。あたしも鬼じゃないもの。可哀想といえば可哀想だし、殺すのだけは勘弁しといてあげる」

「本当ですか⁉ あ、ありが――」

「喜ぶのはまだ早いわよ。あんたにはとびきりキツいお仕置きを受けてもらう」

「それは、どういう……」


 答える代わりに、イセリアはテルクシオペーからついと視線を外す。

 視線の先には、赤と緑の装甲をまとった巨人の姿がある。


「ねえ、あんたたち、エウフロシュネーに引っ張られて空のずうっと上に行ったことがあるって言ってたわね」


 イセリアに問われて、戎装巨兵はこくりと首肯した。


「そ、それがあたしとどういう関係が……?」

「決まってるでしょ? これからあんたを宇宙そこに飛ばすの。さんざん人に迷惑かけたんだから、暗くて冷たいところでしばらく反省なさい。しばらくしたらあたしの仲間が迎えに行ってあげるから心配いらないわ。いつになるかは分かんないけど――」


 すげなく言ったイセリアに、テルクシオペーは抗議の声を張り上げる。


「イ……イヤ! それだけは! それだけは許して‼ 空の上とかありえないし?!」

「あんた、今さら何ビビってんのよ。だいたい戎装騎士がそのくらいで死ぬわけないでしょ」

「し、死ぬとか死なないとか、そういう問題じゃな……」


 これ以上の問答は無用とばかりに、イセリアは一方的に会話を打ち切る。

 右手の爪でテルクシオペーを掴むと、砲丸投げの要領でおおきく振りかぶる。

 二度、三度とその場で回転するうちに、テルクシオペーを凄まじい遠心力が襲った。


「いやいやいや‼ 誰か助けて〜〜っ‼」

「あたしへの無礼はこれで帳消しにしてあげる! 分かったら、覚悟決めて行ってこーーーーーいっ‼」

「いやあああ〜〜〜〜っ‼」


 絶叫に耳を貸すことなく、イセリアは遠心力が最大限に高まる一点を見計らって手を放す。

 屋根の裂け目をすり抜け、テルクシオペーはあっというまに天空高くへと打ち上げられていった。

 その姿が空の彼方に消えたあとも、イセリアの視覚器センサーは、大気圏を突破する様子をつぶさに捕捉している。

 やがてテルクシオペーが完全に大気圏外に出たことを確かめると、イセリアは糸が切れた人形みたいにその場に膝を突いた。


「今回はちょっとヤバかったわね……」 


 安堵のため息とともに漏らした言葉は、偽らざる本音だ。

 土壇場での連携が上手く行かなければ、イセリアはレヴィやラケルともども倒されていただろう。

 薄氷を踏むような危うい勝利。

 テルクシオペーとの死闘で満身創痍となったイセリアには、もはや立ち上がる力も残ってはいない。

 オルフェウスとエウフロシュネー、それにアレクシオスのことは気がかりだが、この身体ではどうすることも出来ないのだ。

 

(まあ……たぶん、なんとか……なるでしょ……)

 

 ばったりと仰向けに倒れた黄褐色の騎士は、いつのまにか栗色の髪の少女へと変わっていた。


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