4.脆刃の剣

004-1-01 差別

 八月中旬。お盆に入る時期のはずだが、その港は恐ろしくガランドウだった。帰省する者も観光客もおらず、停泊する船も一隻のみ。同時期の他の場所では、めったに見られない光景だろう。


 これは過疎地へ向かう港だから、というわけではない。この埠頭がアヴァロンへ繋がる唯一の場所だからだ。の島は、普段は入島規制がかけられているため、入口たる港の人口も少なくなっているわけである。


 しかし、数少ない職員しかいない港にも、今日は珍しく客が降り立った。男女のペアだ。


 真っ先に目が向くのは女性の方だろう。腰まで届く濡羽色の髪に白磁のような白い肌、海の底を想起させる勝色の瞳。美しい点を挙げればキリがないほどの美人だった。やや小柄ではあるもののスタイルは悪くなく、白いサマードレスを押し上げる胸部は凶悪の一言だ。まさに、万人の心を掴む美の化身と言えた。


 一方、傍らの男は平凡の一言に尽きる。それなりに整ってはいるが、顔立ちは平均的な日本人のそれであり、人混みに入れば見失ってしまうレベル。体格も、そこそこ筋肉はついているが、特筆するほどの代物ではない。全身から溢れ出る無気力さも相まって、かなり影が薄く感じられた。


 二人の名は村瀬むらせ蒼生あおい伊藤いとう一総かずさ。片や世界を滅ぼす異能の所有者で、片や世界最強の生物。どちらも容姿とのギャップが著しい力の持ち主だ。


 いつもなら自宅でのんびりすごす彼らだが、今回は蒼生の希望もあって、こうして日本の本土へと足を伸ばしていた。というのも、蒼生が帰省するためである。


 先日の首脳会議襲撃事件――否、その前から彼女は悩んでいたらしい。自分が戦闘において足手まといになっていることを。


 世界を滅ぼしてしまう可能性があるから異能の使用を禁じられている以上、仕方のないことだと思うが、当人は現状に甘んじることを良しとしなかったようだ。


 友人を危機に晒してまで安全圏にいるのは我慢ならない。一総の作った異能具いのうぐで異能を制御できるのであれば、自らも戦いたい。そう決心したのだ。


 そういう経緯もあり、より異能をコントロールできるよう、失った記憶を取り戻す努力を始めたわけだ。今回の帰省も、その一環ということ。


 ちなみに、最近行動を共にすることが多かった田中たなか真実まみ天野あまのつかさの二人は来ていない。ただの帰省に何人も必要はないし、出島許可をもらうのは、それなりに面倒な手続きがあるためだ。


 真実には、しつこく一緒に行きたいと食い下がられたが、何とか説得することができた。その時、司が何やら吹き込んでいたので、少し嫌な予感がする。気にしても仕方ないので、なりゆきに任せるしかないけれども。


 さて、手続きを済ませて港を出る二人。そこに広がるのは更地だ。ここはアヴァロン唯一の出入り口なので、下手に潜伏されないよう、建物の一切が排除されているのだ。


 殺風景な場所に留まる理由もない。事前に予約しておいたタクシーに乗車し、最寄りの駅を目指す。


 移動中、蒼生が車窓から見える景色を興味深げに眺めていた。暇を持て余していた一総は、ひとつ尋ねる。


「そんなに珍しいか?」


「うん。アヴァロンの外を見るのは初めてだから」


「帰還してからアヴァロンに来るまでは、どうしたんだ?」


 異世界からの帰還場所は、勇者召喚が行われた地に設定されている。渡された資料には、彼女は東京都内の博物館にて召喚されたと書いてあった。だから、国に保護されてアヴァロンに連れてこられるまで、外の景色を見る機会など多々あったはずだ。


「帰還直後は、周囲を気にする余裕なんてなかった」


「あー……なるほどな」


 一総は納得した。


 彼女はこちらに帰還する以前の記憶がないのだ。まっさらな状態で知らない場所に立っていたら、周りの様子を確認することなどできるわけがない。目に入っていたとしても、ひとつも覚えていないのだろう。


「そういうことなら、思う存分に外を楽しむといいさ。今回の目的は切羽詰まったものでもないからな」


「そうする」


 肩を竦めて一総が促すと、蒼生は小さく頷いた。


 彼女は相変わらず無表情だったが、その声音は僅かに弾んでいるように聞こえた。







 蒼生の家族に関する情報だが──彼女の両親は存命していない。父母共に二年前の交通事故にて亡くなっているようだ。兄弟姉妹は元々いない。


 両親は蒼生の帰還を長年心待ちにしていたらしく、その前に死んでしまったことは、さぞ悔しかったに違いない。何とも悲しい結末だ。


 ただ、蒼生の生まれ育った家は親戚の管理によって残っているようで、まず最初はその生家を目指すことになった。だから、家の鍵を受け取るために、親戚宅へと足を運ぶ。


 都内にある一般的な住宅街。お昼時なので、多くの人の気配が感じられた。もちろん、目的地である親戚宅にも。


 蒼生がインターホンを押す。前もって訪問する旨は伝えてあるため、ためらう必要はない。


 ガチャリと音が鳴り、スピーカーから誰何する女性の声が聞こえてきた。


「どちら様でしょうか?」


「村瀬蒼生です、前に連絡した」


「…………今、出ますね」


 蒼生が答えると、妙な間を置いて声が返ってきた。心なし、最初よりも含みがある風に聞こえた気がする。


(面倒なことになりそうだ)


 蒼生の後ろに控えていた一総は、僅かに眉根を寄せた。


 今回の件はプライバシーに関わることなので、足や宿の用意など以外は蒼生に任せっきりだった。無論、親戚との連絡を取ることも。変わった様子がなかったから油断していたが、対応如何では一悶着起こるかもしれない。


 一総がそのような懸念を抱いているとは知らず、蒼生は親戚の登場を前にソワソワしていた。初めて血の繋がりがある人物と対面するだけあって、緊張をしているみたいだ。


 しばらくして玄関が開き、一人の中年男性が現れる。彼は鋭い目つきでこちらを睨み、体を強張らせていた。ものすごく警戒していることが分かる。


 恐る恐るといった様子で男性は近づいてくると、無造作に片手を突き出した。その手の平には鍵がひとつだけ乗っていた。


 突然の挙動に戸惑う蒼生。挨拶もなく、このような行動をされては、困惑するのも当然だ。


 しかし、相手は容赦をしない。なかなか鍵を受け取らない彼女に痺れを切らし、硬い声で言った。


「これがあの家の鍵だ。返しに来る必要はない。家の管理人はアンタに移譲する。権利書なんかは後で郵送するから心配はいらない」


「え、あの……」


 まくし立てられる男の言葉に、蒼生はしどろもどろになる。想定と異なる展開のせいで、理解が追いついていないのだろう。


 ただ、彼女が落ち着く猶予はなかった。その前に、男が声を張り上げたのだ。


「早く鍵を受け取って、さっさと俺たちの前から消えてくれ! 俺は……俺たち家族は、お前らみたいな化け物と関わり合いになりたくないんだよ!」


「…………」


 軽蔑を多分に含んだ罵倒を受け、蒼生は言葉を失う。目を見開いて、完全に固まっていた。


 あまりのショックで微動だにしない彼女に対し、男性は苛立ちを募らせていく。鍵を持っていない方の拳が握り締められ、プルプルと震えていた。


 このまま蒼生に任せておくのは得策ではないか。そう判断した一総は素早く蒼生の横へ移動。ヒョイと男から鍵を摘まみ取ると、軽く頭を下げた。


「貴重な時間を下さり、ありがとうございました。これ以上の長居はご迷惑でしょうから、私たちはお暇しますね」


 そう言って、蒼生の手を引きながら親戚宅を後にする。


 背後から「二度と来るなよ!」などと聞こえてくる。言われなくても再訪する予定は一切ない。


 そんなことよりも、問題は蒼生の方だ。手を引けば歩いてくれるが、未だに固まった表情をしていた。事前の期待値が高かっただけに、喪失感も大きくなってしまったのだろう。


(どうしたもんか)


 この後、自分が彼女を励まさなくてはならないと考えると、自然に溜息が漏れてしまう一総だった。








          ○●○●○








 勇者召喚が発生してから五十年余り。その間に様々な人々の尽力があったお陰で、帰還した勇者たちの社会復帰できる環境が整っていった。


 しかし、全ての問題を解決するには、五十年という年月は短すぎた。その筆頭というべきものが『差別意識』である。


 一般人からすると、勇者という存在は「未知の力を行使する得体の知れない生物」に見えるらしい。異能犯罪者魔王のような輩がいる以上、勇者全体が恐怖の対象とされるのも当然の流れだった。そういった恐怖心が差別意識へと繋がっていくわけだ。


 五十年前に比べれば大分改善されているけれど、それでも根絶はされていない。蒼生の親戚のように「化け物」と罵る者もいれば、酷い場合だと暴力に訴える輩だっている。


 アヴァロンという特区は、そういった問題から勇者たちを守る役目もあった。




 一般人から勇者は嫌われている旨を蒼生には説明していたのだが、まさか親戚もその派閥だとは考えていなかったらしい。罵倒された衝撃は大きく、あれから一時間は経過したというのに、依然として呆然とした態度は変わらなかった。


 近場の喫茶店に入ったので時間を潰すには困らないけれど、いつまでもこの調子では後々のスケジュールに支障が出てくる。用意した荷物からして、長くても一週間しか滞在できないのだ。蒼生の軌跡を追う目的を考えれば、一日を丸々無駄にする余裕はなかった。


 空になったコーヒーカップをソーサーの上に戻し、一総は意を決して話しかけた。


「村瀬、いつまで落ち込んでる気だ? そんなことに時間を浪費するために、島の外に出てきたわけじゃないだろう?」


 一総の言葉に反応し、蒼生はうつむかせていた顔を上げる。彼女の瞳は、いつも以上に感情が希薄だった。相当気落ちしているのが窺える。


 本来の目的を思い出せば、やる気も再燃するかと考えたのだが、効果はなかったみたいだ。この様子だと、実の両親も自分を疎んでいたのでは? などと悪い方向に思考が向かっているのかもしれない。


 心の裡で溜息を吐く一総。やりたくはなかったけれど、最終手段を用いるしかないようだ。


 彼は小さく頭をかきながら語る。


「言いたくはなかったけど、村瀬みたいな境遇の奴は五万といるぞ。勇者の大多数が家族や血縁から見捨てられてる」


 勇者に対して差別意識を持つ者もそうだが、赤の他人は良くても身内に勇者がいることは許せないという輩が結構な数いるのだ。そういった影響から、アヴァロンにある学生の大半が寮暮らしだった。


 真実は特殊な例だが、司や三人娘も同様の境遇のはずである。それに──


「かずさも、そうなの?」


 蒼生が、そう尋ねてきた。


(やっぱり、聞いてくるよなぁ)


 内心でゲンナリする一総。


 この質問が来ると分かっていたから、最終手段は使いたくなかったのだ。一総は非常に自分の過去を語ることを嫌うから。状況的に仕方なかったとはいえ、それでも彼が身を切ったのは、蒼生の心情を慮ったゆえ。それだけ、彼女の心を大切に思ったからだ。


 一総は表に出そうになる渋い表情を抑え、できるだけ淡々と答える。


「ああ。オレの場合は勘当された上に、苗字まで変えさせられたよ」


 名前の変更まですることは滅多にないこと。それこそ、家の汚点を消そうとする富裕層でごく稀に行われる処理なのだが────。


 チラリと蒼生の顔を窺うが、同情の色以外は見受けられない。裏事情に関しては気がついていないようだ。


 それを把握した彼は密かに安堵する。覚悟はしていたが、過去を知られないに越したことはない。




 一通りの話を聞いて、蒼生はゆっくりと頷く。


「わかった。かずさ・・・つかさ・・・が気丈に振る舞ってるのに、私だけ落ち込んでられない」


 切り札を使っただけあって、気力を取り戻してくれたようだ。


「発破をかけておいて何だが、無理はするなよ?」


「大丈夫だ、問題ない」


「そのセリフを聞くと、全然大丈夫に聞こえないから不思議だ……」


 軽いジョークが言えるのなら、本当に大丈夫なのだろう。


「それじゃあ、早速村瀬家に向かうか?」


 一総が問いかけると、蒼生は片手を前に出して「待った」をかけてきた。何か他の問題があったのだろうか?


 怪訝に思う彼だったが、次の彼女の言葉で納得した。


「気が緩んだら、おなかが空いた。先にゴハンを食べたい」


「ぷっ」


 実に蒼生らしい理由で、一総は思わず吹き出してしまう。


 それに対し、彼女は恥ずかしそうに視線を逸らした。


「笑わないで」


「悪い」


 笑みながら謝罪する一総に釣られ、蒼生にも笑顔が浮かぶ。


 笑い合う二人。そこには、家族のような温かい空気が流れていた気がした。

 

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