005-5-01 終幕、王国軍の不和

 見渡す限りに広がる草原。そこは平時であれば美しい景観が望めたのだろう。しかし、今はそれも見る影もない。


 片や十万にも及ぶ大軍勢であるバァカホ王国軍が勢揃いし、片や数は五万と劣るものの粒揃いである精鋭のカルムスド霊魔国軍がくつわを並べている。


 場に流れるは一触即発の空気。緊張の糸が限界まで張り詰めており、些細な衝撃でも暴発してしまいそうだった。


 そのような戦場の中だというのに、ひとつだけ毛色の違う雰囲気のところが存在した。


 それは王国軍の本陣である。陣幕の中には旗頭のエリザベート王女と各将軍、勇者の侑姫ゆきがいるのだが、それぞれ戦争に向ける態度や温度が大きく異なっていた。


 エリザベートや侑姫、ベテランの将軍らは前戦と同様、あるいはそれ以上の緊迫感を持っていた。しかし、若手――この一年で実力を向上させた者たちは、どこか楽観的な様子でいるのだ。


 この差を生んでいる原因が何かといえば、経験不足と恵まれた環境ゆえだろう。


 若手たちは今回の戦争が初めての実戦だった。そして、この戦争では敵に苦戦することなく、順調に侵攻できた……できてしまった。


 他の戦を知らない彼らは、簡単に蹴散らせてしまった霊魔国軍を見くびるようになってしまった。自分たちの方が圧倒的に強い、敵が何をしてきても負けるはずがない。そういった慢心を心に抱えてしまったのだ。


 何より、若手たちは肝心な存在を忘れている。――否、忘れているというよりは、甘く見ているというべきか。彼らは敵側に『黒鬼こっき』がいる可能性を覚えていながらも、これまでの勝利に酔ってしまったせいで、自分たちで倒せる存在だと信じ切っていた。三万以上の人間を単独で殺した相手を返り討ちにできると、本気で考えていた。


(非常にまずい状況ね)


 自陣営の現状を一歩引いた場所から観察していた侑姫は、冷静に考察する。


 一番の問題は若手連中であることは、火を見るよりも明らか。だが、それと同じくらい悪影響があるのは、緊張感を湛えているベテラン組だろう。


 というのも、味方同士で決定的に認識が異なるというのは、いざという場面において破滅を招いてしまうものだからだ。何か緊急で決断せねばならない時に考え方に大きな乖離が存在してしまえば、意見が割れて即断できなくなってしまう。結果、致命的な敗因を作りかねないのだ。


 であるのなら、慎重論を唱えるベテラン組に意見を揃えるよう調整すれば良い。


 ――が、そこにも問題が存在した。霊魔国軍を軽視する筆頭が、今回の部隊の中でエリザベートに次ぐ権力者であったためだ。


 その権力者、グインラース・フェムルガ次期侯爵がちょうど口を開いた。


「今回の戦いも圧勝できそうですね。これまで敗北を喫してきたというのに、敵国は我々の半分の人員しか導入していない。こちらに勝利を譲っているようなものだ。霊魔国の……化け物共の考えは全然理解できません」


 彼は増長した傲慢をふんだんに混ぜ込んだセリフを吐き捨てる。若手たちはその意見に同調し、いっそう敵軍を侮る空気を作っていく。


 それを見ていたベテランたちの視線は厳しいものだ。口には出さないものの、「こんなバカな連中に背中は預けたくない」と内心で考えているのが伝わってくる。


 本当は忠告したいのだろうが、相手はフェムルガ家の次期当主。家格を重視する王国軍において、彼に反論できる将軍はいない。


 ただ一人、エリザベート王女だけは実行に移せるのだが、彼女は眉間にシワを寄せて瞑目するのみ。グインラースたちへ注意を促す素振りは見られなかった。


 先刻、それとなく黙している理由を尋ねたら、エリザベートは簡潔に答えくれた。


「戦を甘く見る者など、死んでしまえばいい」


 実に過激な意見だった。


 楽観している本人のみが死ぬならまだしも、それに巻き込まれる兵士だって出てくるだろうに。エリザベートはその辺りの事情をまったく考慮していない。


 そも、彼女は自身が目をかけた人間以外への興味が薄いのだろう。侑姫に対しては優しいため勘違いしていたが、彼女はバァカホ王国の王族だ。その他大勢の市民に向ける関心など存在しなかった。


 盛り上がる若手らと、それに反比例して士気を落としていくベテランら。これ以上放っておくと、真面目に全滅の可能性が出てきそうだった。


 仕方なしと、侑姫は重い腰を上げる。


 正直言うと、彼女はグインラースを嫌っているので、できるだけ関わり合いたくなかったのだ。しかし、状況的に我がままも言っていられない。


「フェムルガ殿、口がすぎますよ」


 こちらが不快に感じていることが伝わるよう、極力声を低くして僅かな殺気も混ぜる。


 すると、若手のほとんどが顔色を悪くし、高揚していた気分を急降下させた。


 おおむね、狙った通りの状況に運べた。この後、油断するなと釘を刺せば、怯えた連中は大人しくなるはず。


 ただ、もっとも厄介な相手が、侑姫の殺気に動じていなかった。無論、グインラースのことである。


 彼は不敵な笑みを浮かべた。


「物騒な気配を収めてくださいませんか、ユキ殿。私は平気ですが、周囲の将軍は耐え切れそうにありません。これから戦が始まるというのに、彼らが体調を崩してしまったら、部隊を指揮する者がいなくなってしまいます」


「敵を侮る将がいても、兵を無駄死にさせるだけでしょう。そのような輩であれば、床に伏せられていただいた方が味方のためになります」


 対し、侑姫は落ち着いた調子で返した。あおって会話の主導権を握るつもりだったのだろうが、彼の魂胆はお見通しだ。見えている罠を自ら踏む趣味は持っていない。


 自分の思惑が外れたことに驚いたグインラースは、ほんの一瞬目を見開く。だが、すぐに表情を改め、うさんくさい笑顔を張りつけた。


「ユキ殿はその美しい容姿に似合わず、苛烈な物言いをなさるようですね。あなたの新たな一面を知られて、私は嬉しく思います」


「私は当然のことを言ったまでですよ。戦場に絶対はないのですから、それを失念した者から死ぬのは摂理。死を誘う者を足手まといと呼ばず、何と呼べばいいのでしょう? 逆賊のそしりを受けないだけ、マシだと思ってもらいたいものです」


「逆……いえ、そうですね。戦いに絶対は存在しない、戦士なら誰でも心に留めておく事実。今回は我々が悪かったようです。勝利に酔ってしまったと言うのでしょうか、勝ちすぎるのも宜しくありませんね」


「勝って兜の緒を締めよ、という言葉もあります。特に、今回の戦は『黒鬼』が出陣する確率もある。油断せずに参りましょう」


 侑姫のセリフを受け、将軍たち全体が引き締まり始める。


 この様子なら、戦争中に余計な問題が発生することもないと思われる。グインラースとの口論は終始ヒヤヒヤしたが、何とか収められて良かった。


 しかし、憂慮がまったくなくなったとは言えない。


 侑姫は、他の将軍たちと今後の詳細を話し合うグインラースの姿を見る。


 逆賊と言われた際、彼の顔に張りつけていた仮面が微かに剥がれかけた。侯爵家の人間にとって許されない言葉なのだから、動揺してもおかしくはない。ただ、剥がれた時に垣間見えた彼の本性が気になった。


 ほんの一瞬だけ認められたそれは怒り。それも普通の怒りではない。憤怒という表現でも生易しい、苛烈すぎる感情だった。


 逆賊と呼ばれたのが、それほど腹に据えかねた? いや、それのみが原因とは考えられない。他の何かが、彼に強烈な怒りの感情を抱かせているのだろう。


 その正体を侑姫が突き止めることは叶わない。少なくとも、戦争直前の今は不可能だ。だから、このようなことへ心を配るのは無意味だと理解している。


 だが、そうだとしても、侑姫の懸念は消えなかった。グインラースの浮かべたあの表情が、心の片隅にへばりついて忘れられなかった。








          ○●○●○








 王国軍陣営のグインラースが担当する区画。全軍の中でも右翼後方に位置するそこには、侯爵家が用意した三万の軍勢とその将であるグインラースがいた。


 作戦会議も終わり、あとは開戦を待つのみ。ピリピリした緊張感が漂うはずの場には、どこか妙な空気が流れていた。


 緊張感であることは間違いないが、その質が異なっていたのだ。 腫れ物に触れないよう気を遣っている、そういう類のものだった。


 原因はひと目で分かる。彼らの頭であるグインラースだ。彼は目に見えて気分を害しており、何度も何度も舌打ちを繰り返している。


 グインラースは己の感情を吐き出すため、強い声を漏らした。


「あの人形女がッ。こちらが下手に出ていれば、調子に乗りやがって! 戦に絶対はない? そんなものは普通の戦士の間だけであって、我ら選ばれた人間には関係のない話だ。そのようなことも理解できぬとは、やはり勇者と言えど、あれは人形にすぎないな」


 口説き文句を言っていた軽薄な彼はどこにもいない。そこに存在するのは、憎悪と怒りに塗れた狂戦士だった。


 呪詛の如き罵詈雑言を吐き続けること数分。ようやく気を落ち着かせたグインラースは、傍に控えていた自らの近衛兵を呼びつけた。


「ご命令を」


「例の計画を実行する。この戦争が始まり次第、行動を開始せよ。また、人形女に対する切り札も使用する。準備しておけ」


「御意に」


 近衛兵は慇懃無礼に頷き、その場を後にした。


 命令は確実に実行されるだろう。その先に起こることを想像すると、自然に頬が緩んでいく。先の怒りも、いくらか軽減された。


「とはいえ、許すわけではない。私を愚弄した人形女には、とっておきの絶望を味わってもらおう」


 グインラースは嗤う。王国の、霊魔国の、侑姫の――そして、自身の未来さえ嗤う。


 彼の浮かべる本性の顔は獣のように貪欲で、悪魔のように破滅的だった。

 

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