6.The kingdom rebellion
006-1-01 戦争開始、そして鏖殺
「懐かしく、そして反吐が出る空気だ」
一人の黒髪の青年が、そう吐き捨てた。
日本人の平凡な顔立ち、中肉中背で身長百七十後半の体つき、覇気のない雰囲気。おおよそ特徴の見られない彼の名は
彼は今、酷く苦々しい表情を浮かべていた。高度百キロメートル──地球ではカーマンラインと呼ばれる空と
一総が苛立たしげにしている理由は、眼下に広がる光景にあった。普段なら澄み渡る清涼を湛えているだろう草原に、物々しい武装を整えた人の群れが
一総の愛する平和な日常と対極である戦争。勇者の彼にとって慣れ親しんだ場であると同時に、もっとも忌み嫌う代物だろう。異能により伝わってくる戦場の様子には吐き気を催し、緑の美しい大地が血に染まる未来を想うと憂いが湧き出る。
それでも、この戦いを止めるわけにはいかない。侵略者である王国側にこれ以上好き勝手をさせないため、ここで大打撃を与える必要があるし、今後領地を取り戻す勢いを得なければならない。ふたつの理由から、今回の戦争は大事な一戦と言えた。
正直、一総は王国も霊魔国も興味ないのだが、
この戦での一総の役割は、戦場全体の監視と開幕の一撃。だから、高高度より地上を見渡している。
彼の眼を欺く存在などありはしない。異世界ゆえに自重を捨てているなら尚更。たとえ、空間系異能の行使者がいたとしても、即座に見つけ出すことが可能だろう。
そんな彼が、この戦場に異常はないと判断する。つまり、今回の戦争の結末が決まったようなものだった。突然の乱入者が現れないとも限らないので油断はできないけれど、少なくとも現状は安心しても良かった。
「開戦まで、まだ時間があるな」
僅かながら時間があまった。
といっても、腰を落ち着けるには短すぎる間隙かつ監視も継続しなくてはならないので、何か新たな行動を起こすことはできそうもない。ただ、無為にすごすにも手持ち無沙汰な、中途半端な余剰だった。
仕方ないので、一総は手慰みに仲間たちのことへ思考を回す。
今戦、彼の役割の特異性のせいで、いつも同行していた面々は別行動をしている。
まず、今回の旗頭となるミュリエル・ノウル・カルムスド第二王女は、当然ながら自軍最後方にある本陣にいる。怜悧な
そして、彼女の護衛には二人の少女がついている。
一人は
そも、危機が迫ったせいで“世界を滅ぼす異能“を使われては堪らないため、彼女が平気で殺しができたとしても状況は変わらなかったと思う。
もう一人の護衛は
真実の翡翠の眼は『
真実がミュリエルの眼であるのなら、無論手となる者も存在する。それが一総の使い魔たるミミとムムだった。彼女ら姉妹はミュリエルから直接指示を受けて動く遊撃部隊。主に、暗殺者対策として機能する。伊達に
最後に
一総の仲間たちは、己の力を生かして各々の場所で戦っている。特に真実は、少し前までありふれたシングルの勇者にすぎなかった。それが一総でも再現できない力を覚え、ダブルやトリプル級の敵がはびこる戦場にて重要なポジションを担っている。
彼女ほど、人の成長の凄まじさを覚える人物はいない。ある意味で一総以上の逸材と言えよう。そして、その偉業はひとつの感情から起こした努力だと、一総は知っていた。
「はぁ……」
そこまで考えたところで、一総は溜息を漏らす。先程までの陰鬱としたモノとは異なる、どこか楽しげかつ心底困り果てた風な感情があった。
それは、彼が直面している重要な問題を思い出してしまったせいだ。
その問題とは、一総が三人の少女から愛の告白を受けているというもの。しかも、全員が複数人との交際──ハーレムを承認している。
もし、この内容を他者が耳にしていたら、「リア充爆発しろ!」とか「戦争そっちのけで考えることじゃないだろう、アホか」などと罵声を浴びせるだろうが、当の本人は真剣に悩んでいた。
そもそも、一総にとって──彼は認めたくないだろうが──戦禍は改めて苦悩する必要性のない身近なもの。対して恋愛は、家族に裏切られたトラウマから他人を遠ざけていた影響で、まったくノウハウを持たない。どちらが彼に難解な問題であるかは言うまでもなかった。
加えて、ようやくトラウマを克服したタイミングでのハーレム承認発言である。そちらの事情に疎い一総が大いに混乱しても仕方がないのだ。
まぁ、客観的に見て、愛の重い彼女ら全員を受け止める以外の選択肢は存在しないのだが、何年越しに『家族』を受け入れ始めた彼には酷な判断か。真剣に向き合っているだけマシなのかもしれない。その点を分かっているからこそ、三人も急かさず待っているとは思うけれど。
この問題の帰結は、一総が覚悟を決めるかどうか。今の彼が何を考えたところで結論が出るはずもなく、僅かな余剰時間は経過してしまう。
眼下から
ついに、戦争が始まるのだ。
○●○●○
戦争開始の合図となる螺貝の音が聞こえる。それと共に、緊張と高揚の入り混じった戦場の空気が一変した。鋭く、重く、痛く、苦しい、暴力が支配した気配へと変貌する。
……何度経験しても慣れない。
王国本陣前に待機している勇者、
生来、暴力沙汰を好まない彼女だから、そういった感想も仕方ないのだろう。家庭環境ゆえにフォース最強に到達する実力を有しているが、その本性は“やや少女趣味の入った女の子“であり、普通の少女の精神性と大差ない。
此度の戦争、侑姫の役割は『霊魔国側の勇者を倒すないし抑えること』。前線に立たず、ほぼ最後方に配置されている。
だから、というわけではないが、開戦直後でも余裕のあった彼女だからこそ、
敵の本陣上空に、一人の女性の姿が浮かび上がったのだ。
彼女は同性でさえ目を奪われるほど美しかった。顔の造形もそうなのだが、病的なくらい青白い肌、星々の輝きの如き銀髪、手先や足先に至るまで
噂に聞いたことがある、霊魔国の頭脳と呼ばれる美姫の存在を。彼女こそがカルムスド霊魔国の第二王女なのだろう。向こうにとって負けられない一戦だと分かっていたが、まさか第二王女が出張ってくるとは些か驚いた。
【投影】の霊術で戦場全体に姿を見せたミュリエルは、周囲を見渡す仕草をする。上空に映るそれは幻影の一種である以上、何の意味もない動作ではあったはずだが、効果は絶大だった。彼女の赤い眼に見据えられた兵士たちは、すでに戦は始まっているのにも関わらず、その場で硬直してしまった。
何らかの異能が使われたわけではない。蛇に睨まれたカエルのように、彼女の持つ気迫に呑まれてしまったのだ。それだけの実力とカリスマをミュリエルは備えている証左だった。
硬直こそしなかった侑姫だが、浮かぶ表情は優れない。
王国兵は霊魔国軍を物ともしないほど強い。そんな者らを偽りの視線のみで封殺できる実力者が敵の旗頭というのは、非常に望ましくない状況だった。加えて、彼女は頭脳も明晰だと聞く。もっとも敵に回したくない類の人物だろう。
知略に優れるミュリエルが、わざわざ顔を出した。嫌な予感を覚えつつ、侑姫は彼女の一挙手一投足に至るまでを注視する。
戦場に沈黙の帳が下りてから数秒。一息ついたミュリエルが口を開いた。
「私の名はミュリエル・ノウル・カルムスド。カルムスド霊魔国の第二王女にして、今回の戦の将を務めております。色々と申し上げたいことはございますが、ここは刃を交わす戦場。言葉は簡潔にしましょう。バァカホ王国軍の者たちよ、降伏するというのなら命だけは奪いません。即刻投降しなさい。いきなりではありますが、これは最後通告です」
ミュリエルの発したセリフによって、場が先程までとは違う静寂に包まれた。そこに含まれる意図は『何をバカなことを言っているんだ、あの王女は』だと思われる。王国軍全体の心がひとつになった瞬間だった。
その後、王国軍がざわつく。大半がミュリエルを『箱入り娘の世間知らず』と嘲笑するもの。
そんな彼らの反応など意に返さず、ミュリエルは続ける。
「王国は勇者の存在を論拠に我が国へ侵攻してきましたが、その前提はすでに崩れ去っています。こちらには四人の勇者が味方につきました。それはつまり、王国の主張に正当性は一切なく、そちらの行為は野蛮な侵略者と変わらないということ。侵略者を撃退する霊魔国こそ正義なのです」
王国軍に、今度は動揺が走った。侵略者と侮蔑されたからではない。敵側に勇者が四人も存在すると知れたためだ。
ただ、その動揺も長くは続かない。勇者の数では負けてはいるものの、こちらの兵士は全員精鋭。ダブルの勇者までなら対等に戦える戦力が十万もいるのだ。今さら四人の勇者程度で怖気づくわけがなかった。
だが、一部の見識ある者たちは恐怖を覚えていた。『霊魔国の頭脳と言わしめる第二王女が、この程度の根拠で降伏を促すのか』と。彼女も王国兵士の強さを知っているはずなのだ。それにしては、あまりにも弱い説得が不安をあおる。当然、侑姫もその一人だった。
そして、侑姫たちの懸念は大当たりする。
一通り王国軍の反応を確認したミュリエルは、再度言葉を発した。
「降伏はないようですので、こちらも全力で応戦しましょう。我が軍の最大戦力である『
『黒鬼』の言葉を耳にし、慌てて戦線を離脱しようとした者が何人もいた気がした。
気がした、と曖昧に表現したのには理由がある。何故なら、彼らが逃亡するよりも早く、殲滅が始まったのだから。
ミュリエルの演説が終わり、彼女の幻影が消えたのと同時、空が輝いた。月光の如く青白く光る空の範囲は、ちょうど王国軍の最前線から五分の三──六万程度が収まるもの。光は大地に降り注ぎ、範囲内にいる王国兵士たちを明るく照らす。
謎の現象に呆然と空を見上げる兵が多かったが、いくらか異なる反応を示す者もいた。光に照らされている方はその場に泣き崩れ、そうでない方は安堵の涙を流している。
侑姫の記憶が正しければ、泣いているのは全員十年前の戦争経験者だったはずだ。そこから導き出される答えは
ふと、視界の端に、光の範囲から逃げ出す兵士の姿が映る。おそらく、範囲の外縁部にいたため脱出が叶ったのだろうが、その行動の意味は皆無だった。範囲外に逃げたというのに兵士の体は輝き続けており、攻撃対象を外れていないことが一目で判別できる。
つまり、この光る空の攻撃は喰らったら最後、逃れる術はない。回避するのも光より速く動かなくてはならないし、効果範囲によっては光速を以っても脱出は難しい。
恐ろしい技だ。戦闘特化の侑姫でさえ、空間魔法を使わなければ逃げられない。移動特化の勇者でも、広範囲を指定されてはお終いだろう。
侑姫が『黒鬼』の術に戦慄していると、ようやく攻撃の効果が目に見えて発揮された。
「うわっ、なんだこれ!?」
「ぎゃああああ、俺の腕がアアアアア!!」
「死にたくない、死にたくない!」
「いやだ、消えたくない! 俺はあんな死に方はゴメンだアアア!!」
光り輝く兵士たちの体が、その末端から崩れ始めたのだ。崩れた残骸は光の粒子となって空気中に霧散しており、人の死を目の当たりにしているというのに美しい光景に見えてしまう。そこが余計に恐怖を誘う。
六万の悲鳴は膨大で、戦場のすべてに響き渡る。体の端から徐々に消えていくので、最後の最後まで痛烈な声が途絶えることはない。酷く
助けに入りたくてもできない。光の範囲に入ってしまえば自身も死んでしまうし、仮に無事だったとしても術を解く方法が分からない。
術者である『黒鬼』を探し出そうともした。──が、空間魔法の探知を使用しても、それらしき影を見つけられない。
結局、崩壊していく皆を見つめることしか叶わなかった。フォース最強と謳われた侑姫が、手も足も出ない状況だった。
五分後、うるさく聞こえていた音が消えてなくなる。空の光も消滅し、戦場にはポッカリと空白地帯が生まれた。
五分間も味方の死に際を見せ続けられた王国軍の士気は壊滅的だった。いや、よく見れば、霊魔国軍側も気落ちしている。まぁ、あのような惨劇を目の当たりにしたら、いくら敵だとしても同情くらいしてしまうのかもしれない。
いつまでも続くのではないかと思われた停滞だったが、そう長くは保たれなかった。ひとつの螺貝が、王国軍側から鳴らされたのだ。
それは撤退の音。軍の半数以上が殺され、士気も大幅に低下しているのだから、当然の判断だろう。
体を震わせていた兵士たちは脱兎の如く逃げ出す。もはや隊列など意味をなさない。誰もが皆、一刻も早くこの場から去りたかった。
王国軍が三々五々に逃げて行く中、再び螺貝が吹かれる。今度は霊魔国側、追撃の合図だった。
侑姫は頬を引きつらせる。こちらは再起不能なほど瓦解しているのに、何と容赦のないことか。ミュリエルが指示を出したと思われるが、彼女は美しい見た目とは違って、苛烈な性格をしているらしい。いや、美しい花にはトゲがあるとも言うし、見た目に即した性格と評価すべきなのか?
こうなると、侑姫の行動は決まってくる。一人でも多くの兵士を帰還させるため、
侑姫はスキル【足定】を使って宙を駆ける。人がごった返す地上を避け、あっという間に最前線へ到達した。
到着するまで一分もかかっていないはずだが、すでに幾人もの王国兵士が霊魔国兵士の手で倒されていた。いくら士気が落ちていても、精鋭である彼らがここまでやられるのは不自然だ。
推測にすぎないが、霊魔国軍も実力を上げたのだろう。前の一戦から一ヶ月くらいしか経過していないが、勇者が四人も在籍しているのであれば、短期でのパワーアップもおかしくない。
「ここは私に任せて、早く逃げなさい!」
「あ、ありがとうございます!」
殺される寸前だった兵を助け、侑姫は複数の霊魔国兵士と相対する。
一対五の構図。見る限り、全員相当の霊力を有している。
普通なら圧倒的不利な状況だが、それは侑姫には当てはまらない。
「勇者、桐ヶ谷侑姫。いざ参る!」
霊力と練気を混ぜて物質化させた刀を片手に、【身体強化】を全開で発動。爆発的に上昇した身体能力に任せ、一瞬のうちに敵三人を斬り伏せる。
それを見た残る二人が動揺した隙を突き、またもや一瞬で斬り払った。
ものの数秒で場を制圧したが、安堵するのは早い。相手は追撃を仕かけてきているのだ。休む暇もなく援軍がやってくる。
次の敵は十人。先程の二倍はいるが、力量的に問題はないはず。彼らに侑姫を止める実力はない。
襲いかかってくる敵兵を見据え、侑姫は刃を振るう。
タイムリミットは王国軍が安全圏に到達するまで。敵は約五万。しかも、勇者が四人も控えている。
絶望的な状況だが、諦めるわけにはいかなかった。彼女の腕には、王国軍四万の命がかかっている。そして、それが王国側の
侑姫の戦争は、まだ始まったばかり。
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