006-1-02 監視する少女

「ふぅ」


 霊魔国軍本陣にて、銀髪の少女──ミュリエルは小さく息を漏らしながら席についた。その表情には僅かながら疲労が窺える。つい先程まで計十五万もの兵士たちに対して演説を行い、満身創痍の王国軍へ追撃を命じたのだから当然か。普段とは異なる王族としての振る舞いに加え、死体に鞭を打つ命令を下すというのは、精神的負荷も相当あるだろう。


 それでも、これは必要なこと。王国軍を情け容赦なく叩き潰すことで、今後霊魔国へ手を出すのを躊躇ちゅうちょさせる企てなのだ。であれば、国へ命を預けた軍属の兵士らへかける慈悲を捨てられる。


 そも、王国軍は何の罪もない霊魔国民を虐殺している。その時点で、ミュリエルから与えられる慈悲などカケラもなかったと思われる。


 それにしても──


「これが一総センパイの攻撃、か」


 『真破写覚しんはしゃかくの眼』により戦場を監視していた真実まみは、繰り広げられた惨劇に何とも言えない表情を浮かべる。


 実のところ、自重を捨て去った一総の攻撃を見るのは、今回が初めてのことだった。過去──侑姫ゆきの『心の迷宮』でも彼の本気は見られたが、あれは自分たちの補助と侑姫を相手にした時のみ。。殺意を持った一撃はお目見えできなかった。


 たった一撃で十万の軍を瓦解がかいさせる力。それは驚愕と共に、愛する人の強大さを誇らしく思えるもの。


 だが、それと同時に悲しくも感じてしまう。一総は誰よりも平穏な日常を望んでいるのに、彼がもたらしたのは真逆の光景なのだから。


 戦場を見る彼がどんな感情を抱いているのか。想像するだけで胸が痛み、すぐに寄り添えない己の力不足を悔しく思う。


「これで全力じゃないって言うのだから、カズサの力は底知れないわよね」


 真実の呟きを聞いていたらしく、自席で一息ついたミュリエルが言葉を返してきた。彼女の顔も真実と似たようなモノを湛えており、同様の思考をしていたと分かる。


 彼女も、彼をきちんと理解してくれている。孤独な一総の理解者が自分だけではないことを嬉しく思い、真実の表情は幾分か和らいだ。


 それから、固くなってしまった空気を穏やかにするため、冗談混じりの声音で会話を続ける。


「ですね。開幕の一撃でどれくらい倒せるかって質問に、『全力でやれば王国を・・・全滅させられる』なんて答えたのは驚きでした。センパイには毎度驚かされっぱなしです」


 軍ではなく王国そのものを滅ぼせる、そう一総は返したのだ。これを聞いて、自らの耳を疑わぬ者は存在しないだろう。


 元の世界に比べたら人口が少ないとはいえ、それでも王国民は一千万以上はいる。領土面積だって膨大だ。それを一切合切一撃で抹殺できると言うのだから、普通であれば信じられない。他ならぬ一総ゆえに納得してしまうのだ。


「あの時のミュリエルの顔ときたら、ケッサクでしたね。今思い出しても笑っちゃいます」


 絶世の美女が大口を開く姿は、何度思い出しても笑いを誘う。


 からかう真実の言葉に、ミュリエルは頬を朱に染めた。


「わざわざ掘り返さないでちょうだい。とても驚いたのだから仕方のない反応でしょう? アタシの想定以上に彼が強くなっていたと知って、感情の制御が利かなかったのよ」


「まぁ、ムムさんたちから話を聞いてたとはいえ、ミュリエルはセンパイの規格外さに慣れてませんからね。ああいう反応もしちゃうでしょう。私も、最初の頃は驚愕の連続でしたし──いえ、今も驚きっぱなしですが、昔ほど大きなリアクションを取ることはなくなりました」


 嫌な慣れです、と真実はうそぶいた。


 ミュリエルは安堵したように言う。


「そうでしょう? 誰だって、ああなるわ」


「一総センパイの規格外を見せられて変顔しないのは、蒼生あおいセンパイみたいな表情変化に乏しい人間くらいだと思います」


「ん?」


 今まで聞きに徹していた蒼生は、急に自身が話題に挙げられたため小首を傾ぐ。そして、不思議そうに口を開いた。


「私も結構驚いてる」


 自分も皆と大差ないと主張したいようだ。


 しかし、そう感じているのは本人のみだろう。彼女の表情の変化は、長く接している者ではないと分かりづらい。


「……どうやら、あちらは予定通りに動き始めたみたいです」


 会話が途切れたタイミングで真実が言う。彼女の瞳は半透明の水色に輝いており、どこか遠くを見つめていた。


 それを聞いた二人は、表情を引き締める。


 真実の魔眼は、写し取った異能に合わせて色を変える。今使用しているのは魄法はくほうの【魂魄感知】であり、リアルタイムの最前線を見通しているのだ。


 彼女は認識した戦場の様子を語る。


この眼・・・桐ヶ谷きりがやセンパイを見るのは初めてなので断言できませんが、ここまでソックリなら間違いないでしょう。彼女が前線に躍り出て、こちらの追撃を食い止めてます。さすがというか……一人で抑え切ってますよ。五万の兵を相手に、よくやりますね」


 この世界で覚えたのだろう霊術を筆頭に、空間魔法までも出し惜しみなく行使しているのだから当然の結果か。相対しているのは下位の兵士とはいえ、人数差を物ともせず鎧袖一触がいしゅういっしょくに屠る様は鬼神の如く。無双系のゲームを覗いているよう。


 魂より溢れ出ている霊力も膨大だ。これほどまでに力強い波動は、一総とミュリエルを除いて見たことがない。それはつまり、霊術を最上級の術者レベルで扱える証左。いくら勇者の異能習得が早いと言っても、三ヶ月しか経っていないとは思えない成長速度だった。


 つくづく、彼女は戦闘の才能に恵まれているらしい。本人が喜ぶかは別だが。


 ただ、気になる点がひとつ。魔眼によって窺い知れる侑姫の魂魄が、かなりボロボロなのだ。外見は普通の魂に見えるのだけれど、中身がスカスカの空っぽ。小さな核以外が存在しなかった。


 これが同じ人間の魂魄なのかと疑いを持ってしまうが、侑姫の来歴を考えると納得できてしまう部分もある。彼女はずっと誰かに従って生きてきた。結果、本質と外面くらいしか魂が育たなかったのかもしれない。


 加えて、『心の迷宮』での一件。一総との間に何があったかは、彼が語ってくれなかったので知らない。だが、今の侑姫の魂魄の惨状を作り上げた要因であるのは間違いないだろう。でなければ、一総があそこまで気にかけるはずがない。


 真実が憂慮していると、ミュリエルが言葉を返す。


「やっぱり、鬼門は向こうの勇者ね。軍の精鋭でも敵わないかしら?」


「無理ですね」


 即答する真実。


 精鋭とは一総と模擬戦を行っていたメンバーを指しているのだが、彼らであっても手も足も出ないと断言できた。相手は以前からフォース最強と謳われた存在で、この世界に来てからも強くなっている。現地民どころか、並みの勇者でさえ戦いにならないほど強い。


 ためらいない彼女の返答を聞き、ミュリエルは眉を曇らせた。


「そう。なら、こちらも予定通り、カズサをぶつけるしかないわね。彼の希望でもあるし」


 こちらの有する戦力で、侑姫を相手取れるのは一総しかいない。彼自身もそれを望んでいるのだから、その案を否定する要素はなかった。


「カズサが前線に出る以上、マミの負担が増えるわ。できる限り頑張ってほしいけれど、無理はしないでちょうだい」


「分かりました。でも、問題ありません。最後までやり遂げてみせます」


 真実は大きく頷く。


 今回の一戦で、一総の憂いが晴れる公算が高い。そう考えれば、彼女は気合を入れて頑張れた。愛する人のためであれば、真実はどこまでも力を尽くせるのだ。








 その後も真実は監視を続ける。一総と侑姫が戦闘を始めてから十分ほど、戦場に大きな変化は見られない。王国軍が逃げ惑い、霊魔国軍がそれを叩いていく構図だった。


 さすがに敵の旗頭は逃してしまったが、問題はないだろう。現時点で軍の七割が戦闘不能──全滅状態である以上、戦争の継続は不可能。彼らは国元に戻る以外の選択肢はない。むしろ、報復戦を仕かけられる心配を作らないよう、わざと逃した節もあるくらいだ。


 もはや決着はついた。侵略された土地を取り戻すのは容易いし、残るは賊と化す可能性の大きい残党の掃討と一総たちの戦いの終了を待つのみ。


 手持ち無沙汰になった本陣では軽い雑談を交わしていたのだが、その途中で真実が虚空に視線をさまよわせた。


 それに気づいたミュリエルが問う。


「刺客?」


「はい。ここから四時の方向より、侵入者が三人ですね。まだ五キロ先と遠いですが、目に入ったので」


「来るとは思っていたけれど、存外遅い訪問だったわね」


「一総センパイの攻撃に放心しちゃってたのかもしれませんよ。なんか、慌てた様子で接近してきてますし」


「ああ、それはあり得る話ね。事前に知っていたアタシたちも平静ではいられなかったもの。……まぁ、刺客はムムたちに伝えておけば、始末してくれるでしょう。問題ないわ」


 敵が本陣を直接狙ってくるのは予想できていた。だからこそ、ミュリエルの傍には側仕えのミミとムムではなく、眼となる真実を置いたのだ。敗北が確定した頃合いで襲撃してきたことは多少驚いたが、おおむね予定調和である。


 それから数分後、真実は刺客の反応が消えたのを察知する。すぐ近くにメイド姉妹がいるので、彼女たちが処理したのだろう。一総の使い魔だけあって彼女たちも十二分に強い。この世界でも五指に入り、勇者ではトリプルと戦える程度の実力を持つ。


 最上級の魔眼とタッグを組んだ彼女たちを出し抜ける輩などいるはずがない。結果、ミュリエルたちは安心して本陣ですごせていた。


「……どうかしましたか、蒼生センパイ?」


 刺客討伐の報告を受け取り、再び気楽な空気が流れ始めたところ。真実は、蒼生が自身をジッと見つめているのを認めた。


 彼女から微かに淀んだ気配を感じたので尋ねたのだが、彼女は問われると慌てて目を逸らして「なんでもない」と答える。


 その様子は絶対に何でもないわけないのだけれど、先の仄暗い気配も霧散していたため、真実は追及することをしなかった。首を傾げながらも、戦場の監視へ戻っていく。


 刻一刻と戦争の終わりは近づいていた。

 

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