006-1-03 後悔と謝罪と……

 時は、一総かずさが攻撃を放った直後までさかのぼる。


 高高度から自分の攻撃がもたらした光景を見届けた一総は、大きく息を吐いた。そこに込められた感情は、言葉で表すには難しい非常に複雑なものだった。


 千の異世界を渡った一総は、今さら人殺しを気負う純粋な性格などしていない。かと言って、大量虐殺を行っておいて何も感じないほど、人格が破綻しているわけでもなかった。散った命へ想い馳せるくらいの情緒は残っている。


 また、彼は別の考えも巡らせていた。


鏖殺おうさつも容易いな、これは」


 誰にも聞かれる心配がないからか、思わず声が漏れる。


 一総が六万の兵士を抹殺した一撃──【神罰コード抹消ヌル】は、魄法はくほうの中でも特別難易度の高い【神罰】のひとつだ。対象の魂を跡形もなく消し去る術で、消されたら最後、魂が文字通り無に帰す。輪廻転生さえ望めない。


 この術の恐ろしさは威力だけではない。一度捕捉されたら回避はできず、解術する方法は同じ【神罰】にしか存在しないという点も挙げられた。


 そして【神罰】は、術者の力量によって効果範囲が上下する特徴を持つ。【神罰】を行使できるだけでも伝説史に残るのだが、それを六万も対象にできるのは異次元の領域だ。霊魔国の初代国王でも、なし得なかっただろう。


 しかも、それでも一総は手加減をしている。ミュリエルに問われた時、冗談混じりで『王国を滅ぼせる』と口にしたが、先の一撃の感触からして冗談で済みそうになかった。おそらく、本気で撃ち放った場合、王国のみならず周辺国家も含めて殲滅できる。まさに鏖殺みなごろしも容易。


 世界を救う力は、世界を滅ぼす力と紙一重ということか。蒼生あおいをとやかく言えたものではない。自分だって、似たような現象を起こせるのだから。


 普段から力を制限しまくっているせいで、自らがどれほど異常な能力を有しているのか忘れていたようだ。それを再認識できたという意味では、今回の戦争に参加した意義はあったかもしれない。戦わないに越したことはないけれども。


 眼下──混乱する戦場に、新たな動きが見られた。情けなく逃げ惑い、なす術なく殺されるだけだった王国軍に、一人の加勢が入ったのだ。


 語るまでもなく、その正体は侑姫ゆきだった。彼女は刀を片手に大立ち回りを演じ、押し寄せる霊魔国の兵士らを薙ぎ倒していく。


 いくら霊魔国軍が強くなったといっても、この世界の平均と比べた場合にすぎない。兵士たちでは、彼女を相手にするには荷が勝ちすぎていた。


 王国軍が再起不能である以上、侑姫が出張る他にない。それは予期できていた展開であり、一総の望む状況でもあった。


 彼女が殿を務めると確信した一総は、戦場へ舞い降りる。探知阻害と防護用に張っていた結界を解き、【転移】によって舞台を“高度百キロメートル“から“血生臭い戦場“へ変える。


 一瞬で視界が切り替わり、一総は大地に降りた。ふわりと重力を感じさせない動きで、地に足をつける。


 目前には侑姫、後方には霊魔国の兵士たち、侑姫の奥には逃げ惑う王国兵の背も見える。問題なく転移できたようだ。


 突如現れた一総に身体を強張らせる霊魔国兵だったが、彼らはこの展開になることを事前に聞いている。即座に状況を理解し、この場から散開していった。彼が直接指導しただけあって、実に迅速な動きだった。


 場に残るは一総と侑姫の二人。


 一総はジッと侑姫を見据える。


 最後に顔を合わせてから三ヶ月。濡れ羽色の黒髪も、切れ長の瞳も、均整が取れた体躯も、その凛とした雰囲気も変わりない。紛れもなく、彼の知る桐ヶ谷侑姫だった。


 しかし、決定的に昔とは異なる部分がある。


 ──魂だ。前から中身の薄い魂だと感じていたが、現在はそれが悪化している。自我が残っているのが不思議なほど、彼女の魂は空虚だった。


 これも全部、一総の責任なのだろう。『心の迷宮』にて、無遠慮に彼女の心を踏みにじったせいだ。


 その証拠に、一総が現れてから侑姫の魂がきしんでいた。一見無事だった魂魄の外皮がミシミシと震えている。彼を目撃したことで彼に非難された過去を思い出し、彼女の魂が悲鳴を上げていた。痛々しい音なき絶叫が耳に届く。


 自分の失敗を目の当たりにし、一総は唇を噛む。


 千の勇者召喚の中で、一総はすべてを最善手で解決してきたわけではない。むしろ、その逆。何度も何度も失敗と後悔を重ねてきた。その上で、それらの経験を糧にして成功に繋げてきたのだ。二度と悔いを残さないために努力したのだ。


 だというのに、再び失敗した。彼女の心をズタボロにしてしまった。最後まで面倒を見ようなどと偉そうな考えをしておいて、自分が彼女をドン底まで突き落としてしまった。悔やんでも悔やみ切れない。己の不甲斐なさを恥じ入るばかり。


 結局、どんなに対策を講じても、悔やまない結果を得られない。世界で一番強くなったところで完璧にはなれない。そんな現実はとっくに理解していたつもりだったけれど、『心の迷宮』での結末は、それを改めて突きつけられたものだった。


 とはいえ、当然の結果失敗を気に病まずにはいられない。己が過ちを仕方なしと割り切れるほど一総は老成していないし、達観もできていない。


 その影響で、この三ヶ月、蒼生あおいたちに余計な心配をかけてしまったのは反省すべきだろう。何かと元気づけようとしてくれた彼女には感謝の念が絶えないし、それに応えられなかったことを申しわけなく思う。


 しかし、クヨクヨするのも今日で終わりだ。


 今、目の前に侑姫がいる。自分のせいで傷つき泣いている女性が立ちはだかっている。


 今さら何ができるか分からない。だが、全力は尽くそう。己の後悔を拭うために。何より、自分を頼りにしていた先輩を救うために。


「先輩、お久しぶりです。ここからはオレがお相手します」


 そう語りかけながら、【ストレージ】から日本刀『くろがね』を引っ張り出す。


 刀を構えた一総の戦意を受け、呆けていた侑姫も我に返った。相変わらず魂は軋んでいるが、表情を真剣なものに改める。


 『心の迷宮』以来の対面。三ヶ月ぶりに、二人の勇者が刃を交える。








 踏み込みは同時だった。合図は何もなかったにも関わらず、まるで示し合わせたかのように、二人は同じタイミングで前方へと駆け出す。彼我の距離は、たった五メートル。刹那すらも長いと思える間隙を超えて、両者の刃は衝突した。


 ガキン。およそ刀が鳴らしてはいけない激しい音が響き、行き先を失った力が周囲を揺らす。草々を切り裂き、大地をえぐっていく。


 人外のつばぜり合いは短い。一秒の硬直の後、お互いに得物を引き、最小限の動きでそれを再び振るった。一度、二度、三度。鈍色にびいろの塊は甲高い音を鳴らしながら重なり、辺りに火花を散らす。


 数合の斬撃を終えると、再度つばぜり合いの状態となった。ただ、今回の均衡は片方が無理やり作った状況だった。一総が、絶妙な力加減を以って侑姫の動きを牽制しているのだ。


 接触している刀が震える。侑姫が、この場から離れようと尽力しているのが分かる。だが、簡単に離脱させるほど、一総は甘くない。刀を前後左右に揺らし、自身の重心も細やかに動かす。そういった熟練の技巧を駆使して、両者の接点が離されないように工夫した。


 片方が離脱を望んでいるのに持続する、奇妙なつばぜり合い。彼がわざわざ状況を維持するのには、明確な理由があった。


 それは侑姫の魂の治癒を行うため。彼女の魂は今、自然に快癒するのが難しいほど損傷している。何らかのキッカケでバラバラに散ってしまう、そんな確率を孕んでいた。


 そのような状態に陥らせた原因が一総にある以上、放置しておけるはずがない。魄法はくほうによる治療を施すには、至近距離に身を置くことが最も効率的。だから、こうやって離れないように立ち回っていた。


 しかし、間近で見ると、改めて侑姫の魂魄の惨状が認識できる。中心にある核を除いて、無事な箇所がひとつも存在しない。拷問を受けた末の魂という風体で、それを何とか元の形に留めているようだった。


 この酷く歪な魂は、一総の存在が如何に侑姫の支えになっていたかを証明していた。己よりも圧倒的強者が傍にいること。それが彼女にとっての精神安定剤になっていたのだろう。そのありさまは、どことなく過去の一総に似ている。


 彼も、たったひとつのモノを心の支えにしていた。かつては“家族”であり、少し前までは“日常”であった。今でこそ、仲間たちという大切な存在ができたとはいえ、それまでは前述したものだけを守ろうと必死だった。


 そう考えると、侑姫が暴走したのも深く理解できる。家族に裏切られた時の心痛は、何年も経った現在でも鮮明に思い出せるほど、想像を絶するものだったのだから。


 一総が耐え切れたのは、彼女よりほんの・・・少しだけ心が強かったことと、新たな支えを見つけられたからにすぎない。一歩間違えればつかさが懸念した通り、別の人格贄となった魂に体を乗っ取られていた。


 一総には侑姫の痛みが共感できた。できてしまったゆえに、よりいっそう自分が許せなかった。一秒でも早く、彼女を救いたいと強く思う。


 事態が硬直して一分くらいが経過したか。ふと、侑姫が言葉を溢した。


「やっぱり、本物ね」


 どこか疲れたような声と表情の彼女。


「偽物の可能性にすがりたかったけど、残念ながら違うみたい。『黒鬼こっき』って一総のことだったのね」


 侑姫の言い分から察するに、対面してから今まで、一総の正体を探っていたらしい。世界によっては、敵の動揺を誘える者の姿に化ける輩もいる。歴戦の勇者に相応しい冷静な判断だった。


 どれだけ心がすり減っていようと、培った習慣は拭えないということか。


 離れようとする侑姫を押し留めながら、一総は肩を竦める。


「お察しの通り、オレが『黒鬼』本人ですよ。驚きました?」


 魂は不安定なものの、以前のように暴走する気配は見られない。ゆえに、心の距離を詰めるため、気楽さを演出する風に語った。


 しかし、そう簡単にことが運ぶわけがなく、侑姫の態度はやわらがない。鋭い目つきのまま、彼女は言葉を発する。


「そんなことないと言えば、嘘になるわね。でも、思ったよりは驚いてないのよ」


「へぇ……。どこで気づいたんですか?」


 一総は侑姫の言わんとしている内容を理解して問いかけた。


 それを受け、彼女は小さく息を吐く。


「相変わらず、察しがいいわね。気づいたってほどでもないのよ。ただ、『黒鬼』の所業を聞いて、『そんなことができるのは救世主セイヴァーしかいない。だったら、一総じゃないか?』と直感しただけ。その後、時系列的に合わないって否定しちゃったけど」


 何となく予感があったから、驚愕を抑えられたといったところか。一方で、当時初召喚だった彼に救世主並の活躍ができたはずがないと、その直感を棄却していた。だから、それなりに驚いていると。


 まぁ、常識的な判断だ。まさか、シングル未満の勇者が万単位の虐殺を行えるとは思うまい。


 侑姫の意見に納得していると、彼女は胡乱うろんげな視線を向けてきた。


「ところで、私と対等に戦えているけど、実力を隠すのはやめたのかしら?」


 セリフと同時。侑姫は大きく身を引いてすぐ、思い切り刀を叩きつけてきた。そのタイミングは絶妙で、大半の者はつんのめった隙に吹き飛ばされるに違いない。


 だが、一総は異なる。予期していたかのように彼女の動きへ追随し、反動を殺し切っていた。


 一連の動作の後、彼はうそぶく。


「これくらい、勇者でなくても可能でしょう?」


「本気で言ってる?」


「冗談ですよ」


「笑えない冗談ね」


 終わらないつばぜり合いの中、両者は対極の表情を湛えている。片や余裕の微笑、片や固い真顔。どちらが誰なのかは言をまたない。


「この世界ではオレの実力が知られてるので、今さら隠す意味もないんですよ」


「私に知られるのはいいの? あんなに否定してたのに」


「それこそ今さらでしょう。先輩とは『心の迷宮』で戦ってしまってますから」


「『心の迷宮』? 戦った?」


 侑姫の表情が困惑に歪んだ。


 それを見た一総は、ここに来て初めて眉をひそめた。


「まさか、覚えてないんですか?」


 僅かな動揺は見せたものの、不思議はない。あれだけ魂魄が傷を負っていたら、記憶の一部が欠けるくらいあり得る話だった。


「ええ、この世界に来る直前の記憶が曖昧なのよ。でも、一総と顔を合わせてから、妙に胸が痛いのよね。ぼんやりと記憶が戻ってきてるし、あなたに対する拒絶感がすさまじい。……まぁ、あなたの態度から、だいたいの察しはつくわ」


 そう首肯する彼女の瞳は冷ややかだった。心なしか、刀から伝わる圧力も増したように感じる。


 一総が仕出かしたことを考えれば、当然の反応だろう。彼は彼女の人格を否定し、拒絶するような発言をしたのだ。甘い対応だと言っても良い。


 ただ、彼にとっては都合が良かった。会話が可能なくらい冷静かつ二人の間で起こったことを完全に忘れたわけでもない。想定した中では、一番やりやすい状況だった。


 懲りずに逃げようとする侑姫を牽制しつつ、一総は表情を改める。気安いものから真剣なそれへ。


「だいぶ時間が空いてしまいましたし、このような状況で言う内容ではないんですが……この機会を逃すと永遠に話せない気がするので、失礼を承知で言わせていただきます」


 真っすぐ向けられた視線を受けた侑姫は、無言で先を促す。


 彼は一呼吸置いてから、言葉を続けた。


「オレは無遠慮にあなたの心を踏みにじり、尊厳を傷つけました。言葉を重ねた程度で許されるとは思っていませんが、それでも言わせてください。申しわけありませんでした」


 武器を向け合っている現状、頭を下げることは叶わない。だが、真摯に紡がれた声や言葉からは、精いっぱいの謝辞が感じられた。状況次第では土下座をしていたのではないかと思えるほど、切迫したものが詰まっていた。


「……」


 侑姫の顔は動かず、声も発しない。


 ゆえに、一総は続けた。


「以前口にしてしまったものの数々を、今になって撤回できるなんて無責任な考えはありません。あれらがオレの本音であると指摘されれば、否定もできません。でも、それが全てではないと知ってもらいたいんです。オレは先輩を弾劾しましたが、決して嫌ってるわけでも、見捨てたわけでもありません」


 今さらすぎる、言いわけ染みたセリフだ。いや、“染みた“ではなく、正真正銘の言いわけだろう。内容自体は彼の本音だけれど、はたから見れば、そこに大きな差異はない。


「ッ!?」


 そのような情けない言葉を聞いたせいか、侑姫からの圧力がさらに増した。身体から吹き出す霊力が唸りを上げ、力任せの斬撃が一総を襲う。

 

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