006-3-02 部屋の主

 一総かずさたちが転移してきたのは森の中だった。鬱蒼とした、という雰囲気ではない。適度に陽の光が差し、穏やかな風が吹き込む。そういった心地の良い自然だ。


 無事に目的地へ到着できたようだ。一総の知る『空の部屋』の景色とは一切が異なっていたが、座標は正確。ここに住むにとって景観を変更するなど造作もないことなのだから、疑問に思う点はない。


 蒼生あおいたち女性陣は周囲をキョロキョロと見渡していたところ、ふと真実まみが溢した。


「この自然、偽物ですか?」


「どこからどう見ても本物じゃない?」


 それに対し、つかさがすかさず反論する。


 普通ならば錬成術、それも生物全般を得手とする司の意見が正しいと判断するだろう。しかし、今回に限っては違った。


「真実が正解だな」


「嘘……」


 一総の答えに愕然とする司。それほど周囲の偽物レプリカが精巧だということだ。


 さもありなんと一総は苦笑いする。


「こういうのを作るのが異様に得意なんだよ、アレ・・は。オレだって事前に知ってなかったら見抜けない。たぶん、初見じゃあ、真実の眼でしか判別できないんじゃないか?」


 真贋を見抜く点において、真実の右に出るものは存在しないと思われる。一総でさえ、彼女には及ばない。


 彼なりの慰めの言葉だったのだが、司は釈然としない様子だった。自分の専売特許で負けた事実が許せないようで、近くにある草木をジーっと見つめている。


 そんな彼女を微笑ましく眺めるが、いつまでも放っておくわけにはいかない。彼らには無駄にできる時間は存在しないのだから。


「司、キミの気持ちは理解できるけど、そろそろ移動しよう。あまり猶予はないんだ」


 一総がそう声をかけると、司は無念そうな表情を浮かべて振り返る。


「うん、分かっ──ひゃあああああああ!!!!????」


「ホッホッホッ、やはり若い女子おなごの尻は良いな」


 司が返答する途中、彼女の甲高い悲鳴と男の独り言が同時に聞こえた。


 見れば、いつの間にか司の背後に初老の男性──ハゲ頭に長いアゴ髭──がたたずんでおり、無遠慮に彼女の臀部を揉んでいた。先の悲鳴は、急に体を触られたせいだと分かる。


 突然の闖入者に蒼生や真実、それと被害者たる司が警戒態勢に移る。そして、そのまま一触即発の空気に入る────ことはなかった。


「何をやってるんだ、このエロジジイがッ!!」


「グハァッ」


 文字通り光速で男の背後に回り込んだ一総が、拳を彼の頭頂部へ垂直に振り下ろしたのだ。


 ゲンコツといった生易しいものではない。青白い発光とゴォォォォという重低音を鳴らす拳の威力は計り知れず、それを受け止めた初老の男はトンカチに叩かれた釘のように地面へ深く埋没した。男は完全に地面へ沈んでおり、拳と地面に開いた穴からは白い煙が立ち昇っている。


 蒼生たち全員が、「あっ、これは死んだな」と呑気な感想を抱くほどの迫力だった。


 ところが、


「師匠に向かって【穿孔空牙せんこうくうが】を放つとは、罰当たりな弟子じゃな」


「邂逅から早々、司の尻を触るエロジジイが悪いんだろうが」


「じゃって、久々の若い女子おなごじゃよ? ここに来てから初めて遭遇する異性じゃよ? 昂るのが男児というものじゃろうが!」


「何を偉そうに言ってるんだ、男児なんて言える歳じゃないだろう。いい加減、発情してないで枯れておけ!」


「ワシはまだまだ現役じゃ!」


「嘘を吐くな、クソジジイ!」


 といった風に、初老の男は無傷で一総の隣に立っていた。しかも、当然の如く彼と罵り合っていた。


 蒼生たちは目を丸くする。


 ここで彼女たちが驚愕した点は、大きく分けてふたつある。


 ひとつは無論、一総の攻撃を受けても男が五体満足どころか傷ひとつ負っていないこと。


 もうひとつは、一総が男に対して感情を剥き出しにしていること。普段の彼なら冷静に振る舞うし、罵倒などしないはずだった。


 驚きの連続で呆然としていた三人だったが、すぐに我に返る。それから、代表して司が恐る恐る彼らに声をかけた。


「あのー、一総くん。そちらのセクハラオヤジは一総くんの知り合いなの?」


 いつも柔らかな態度を心がけている司にしては、刺々しい言葉を含んだ問いかけだった。


 それだけ怒っているのだろう。何せ、彼女の言うように尻を触られるという痴漢行為をされたのだ。腹の底ではグツグツと怒りが煮えたぎっていても不思議ではない。


 その隠れた激情を感じ取って、一総らは口論をやめた。


 一総は「あー」と意味を持たない声を漏らしてから、彼女たちに説明を始める。


「このクソジジイが『空の部屋』唯一の住人であり、空間魔法の伝授者だ。名前は……何だっけ?」


「仮にもお主の師匠じゃろうに、名前も覚えておらんかったんか」


「オレの中で、あんたは『クソジジイ』か『エロジジイ』でインプットされてるからな。というか、あんた、オレに名乗ったことあったっけ?」


「…………名乗っておらんな」


「三人とも、この爺さんは好きに呼んでくれ。おすすめは『エロジジイ』だ」


「おい、ちょっと待て! 若い女子にその呼称をされるのは嫌じゃ。今から名乗る。ワシの名は──」


「よろしくお願いしますね、『エロジジイ』さん!」


 初老の男ことエロジジイが名乗りを上げるのを遮り、司が一総の推奨した呼び名で挨拶をした。彼女の表情は満面の笑顔であり、有無を言わせぬ迫力を放っている。


 間違いなく司は怒り心頭だった。彼女がされたことを考えれば当然の感情であり、エロジジイに反論が許されるはずもない。


「う、うむ。ワシはエロジジイと言う。よろしく頼む」


 結局、エロジジイは意気消沈した様子で頷いた。


 何とも言えぬ空気が流れる中、蒼生が不動の表情で言う。


「時間ない」


「そ、そうですよ。いつまでもコントしてる場合じゃないです」


 それに真実も続いた。


 彼女らの言う通り、本来一総たちに余裕はないのだ。エロジジイの奇抜な登場で茶番を繰り広げてしまったが、テキパキと進行せねばならない。


 それを聞いて、エロジジイは訝しげに問う。


「何じゃ。お主ら急ぎの用なのか?」


「ああ、こうして無駄話をしてる時間も惜しいほどにな」


「用心深いお主がそのような状況に追い詰められておるのか。ふざけてる場合ではないようじゃな」


 一総が肯定すると、エロジジイはフサフサの髭をさすりながら唸る。その表情は先程までとは異なり真剣なものだった。


 彼は目をすがめ、再び問う。


「で、何の用があって、ここを訪れたんじゃ?」


「ここに来る理由なんて、ひとつしかないだろう?」


 一総は肩を竦める。


 エロジジイは笑った。


「カッカッカッ、その通りじゃな。では、修練場へ移動しよう」


 言うや否や、エロジジイはそのしわがれた・・・・・両手を合わせる。


 乾いた音が周囲に響くと同時、一行の目にする景色は一転した。




 一面が白い部屋。距離感どころか上下左右の位置感さえも狂ってしまいそうな場所に、一総たちは立っていた。


 先までいた森林からの一瞬の移動。それを受け、真実が呆然と呟く。


「転移ですか? まったく前兆に気づきませんでした」


「癪だが、ジジイの空間魔法の腕はオレ以上だからな。これくらいは当然だろう」


 空間魔法を習得してから修練を怠ったことはない。ゆえに、現在なら追いつけていると考えていたのだが、今の転移の手際の良さを見るに、まだまだあちらの方が上手だと実感してしまった。


 色々と食えない男ではあるが、空間魔法の腕に関しては誰よりも上なのだ。


「ここで『心の迷宮』を開くの?」


「そうじゃよ。ここは心と体の境界を曖昧にする。心の扉を開きやすい場所なんじゃ」


 蒼生の疑問にエロジジイが頷く。


 この場こそ、本来の『心の迷宮』を開く部屋なのだ。かつて『ブランク』が施した術式よりも安全にことを為せるのは間違いない。


「三人のお嬢さんに試練を受けさせるってことでいいんじゃな?」


 エロジジイの確認に、一総は首肯で答える。


 それを認めると、彼は両手を前方に突き出し、いくつかの魔法円を展開した。


「本当は一人ずつなんじゃが、お主らは時間がないと言うし、まとめてやってやろう。細かい調整はワシが何とかする」


「恩に着る」


「お主が素直に礼を言うとは……明日は雪じゃな」


「ぶっ飛ばすぞ」


 『心の迷宮』の展開時、術者以外の側にいた人間も巻き込まれる。だから、普通は一人ずつ試練を受けるものなのだが、今回は特別に一総たちの事情を考慮してくれるようだ。


 これはお互いに信頼を置いている証であり、二人が単なる師弟関係でないことを物語っていた。二人が罵倒し合っているのは、仲の良さの裏返しなのである。これを両者に指摘すると必死に否定するだろうが。


 一分と置かず、術式は完成する。蒼生たちは光に包まれ、一瞬の内にその姿を虚空に消した。

  

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