006-3-01 空の部屋

 一総かずさたちが別行動を始めてから一日。集合するのは三日後だったにも関わらず、すでに彼らは勢揃いしていた。


 場所は、レジスタンスのアジトとは正反対に位置する王都の外れ。薄暗く人気の少ない路地裏だった。顔を揃えた面々に浮かぶのは緊迫感を湛えたそれ。各々が相当の実力者であるため、感情に引っ張られるように場の空気も重くなっていた。


 挨拶もそこそこに、ナディアが口火を切って尋ねる。


「緊急事態だとお聞きしましたが、いったい何があったのでしょうか?」


 問いかけの先は一総。予定より早い招集は、彼が望んだものだった。一行の中でもっとも実力と信頼の高い一総が“緊急事態“だと発言したからこそ、こうして緊張した雰囲気がある。


 一総は全員の顔を見渡してから答える。


「想定していた中で、一番厄介な事態に突入してることが分かった。ことは一刻を争うから、情報収集を中断して行動を起こそうと思う」


「どういうこと?」


 蒼生あおいの簡潔な問い。


 それに倣い、一総も簡潔に返した。


「今から一時間後、グインラースたちが霊魔国の王都を強襲する」


「「「「ッ!?」」」」


 彼の発言に、全員が息を呑んだ。


 一総以外の面々は動揺したままだが、落ち着くのを待つ時間も惜しいとばかりに続ける。


「グインラースの真の目的までは分からなかったが、奴らが霊魔国を襲うのは間違いない。どうにも帰国中の軍の混乱を察知した結果、国内に敵はいないと判断したようだ」


「統制がまったく取れてませんでしたからね。あれなら私単独でも勝てますよ」


 先程まで軍の元まで赴いていた真実まみが、しみじみと呟く。


 それにつかさも頷く。


「烏合の衆の言葉がぴったりだったね、あれは。総大将の第一王女が行方不明になったって情報は掴めたんだけど、誰が何のためにどうやって連れ去ったのかは分からなかったよ」


「エリザお姉さま……」


 司の報告を聞き、ナディアが実姉の身を案じて鎮痛な面持ちを浮かべる。


 十三の少女には辛い局面の連続ゆえ、慰めの言葉を一言でもかけておきたいところだが、如何せん状況がそれを許してくれない。時間が逼迫しているというのもあるし、心の機微を察しながら言葉を選ぶのは一総が苦手とする分野だった。


「何者が第一王女を拐ったのかは不明だが、これだけはハッキリしてる。国内の敵を排除し切ったと考えたグインラースの次の目標は──」


「──カルムスド霊魔国」


 一総の言葉を次ぐように蒼生は発した。


 その言葉に対し、全員が沈黙を返す。


 一拍置いて、一総が再び口を開く。


「王城の僅かな守衛を除いて、ほとんどの手勢が霊魔国の王都へ攻め込むらしい。千の空間魔法使いに襲撃されたら、いくらオレが鍛えた霊魔国軍の連中でも全滅は必至。敵の練度と王都の規模を考慮して、三十分もあれば制圧されるだろう」


「【転移】で直接乗り込まれたら警戒のしようもないから、完全に不意を打たれるね」


「だ、だったら、早く霊魔国に戻って、このことを教えないと! 私たちが向こうで待ち構えていれば、最悪の事態は避けられるでしょう?」


 一総と司の悲観的ながら現実的な意見を耳にし、慌てた風に真実が言う。


 確かに、一総たちが霊魔国でグインラースらの襲撃に備えれば、最悪の事態は回避できるに違いない。一見、合理的な判断にも思える。


 だが、一総はそれに否で答えた。


「すでにミュリエルへ襲撃の件は連絡済みだ。──が、オレたちは霊魔国に戻らない」


「どうしてですか!?」


 予想外の彼の返答に、真実は声を荒げる。彼が無情な判断をしないと理解しているものの、情を分けたミュリエルたちを苦境に立たせたくないという感情が勝った結果だ。


 即座に、彼女は顔を朱に染めながら「すみません」と頭を下げる。


 一総は気にするなと手を振りつつ、先の結論に至った理由を語り始めた。


「何も霊魔国を見捨てるわけじゃない。今すぐ戻らないってだけだ。戻る前に、とある場所へ寄り道する」


「寄り道ですか? さっきは時間がないって言ってましたけど」


「寄り道を踏まえて、時間が足りないんだよ。普通に戻るだけなら一分もいらない。【転移】があるんだから」


 襲撃への準備を整えるにしても、一時間のタイムリミットは十二分すぎる。彼は最初から寄り道前提で話を進めていたのだ。


「どこに寄るの?」


 蒼生がその昏い瞳で見据えてくる。


 一総はそれをまっすぐ見返し、返答した。


「『からの部屋』──空間魔法を習得するための異世界へ行く」


 彼の発言はあまりにも突拍子がなく、この場にいる誰もが呆然とした。


 全員が言葉の意味を理解するまで幾ばくかの時間を要したのは、言もまたないことだった。








          ○●○●○








 空間魔法を唯一習得できる世界である『からの部屋』は、他の異世界とは相当毛色が異なる。


 まず、総体積の小ささが挙げられる。かの世界は、“世界“と評するのも烏滸おこがましいほど小さい。それこそ『部屋』の名に偽りない、高校の体育館程度の部屋が三つ並ぶだけの世界なのだ。


 そして、その世界に住む住人も一人しか存在しない。老齢の男が一人だけ、『空の部屋』で生活を送っている。


 何故、そのような狭き世界なのか。


 それは『空の部屋』がどの異世界からも隔絶した場所であり、空間魔法を学ぶためだけに存在するからだ。


 要するに、三つの部屋は空間魔法を習得する場所でしかなく、住人の男も空間魔法を伝授する役割だけに存在する。すべてが、ひとつの目的に完結した世界だった。


 ゆえに、『空の部屋』に到達さえすれば、世界のすべてが空間魔法の習得をバックアップしてくれる──のだが、その到達することが一番の難題だろう。何せ、どの異世界からも隔絶された場所に『空の部屋』は存在するのだ。異能どころか、勇者召喚であっても目指せない。


 とはいえ、絶対に足を運べないわけではない。現実に、そこへ到達した者が一人いるのだから。




 到達者の片割れである一総は、驚愕で固まっている面々へ語る。


「今すぐオレたちが霊魔国に戻れば、最悪の事態は回避できる。でも、避けられるのは“最悪“でしかないんだよ。確実に多くの人が死ぬし、おそらくこの中の何人かは瀕死の重傷を負う。練度が低いとはいえ、それだけ空間魔法使いは脅威なんだ。百人単位ならオレ一人でもキミらを守り切れるが、千人に加えて実力未知数の『ブランク』の幹部がいるとなると自信を持てない」


 実力不足。それが、彼が彼女たちに『空の部屋』への寄り道を提案した理由だった。


 実はこの案、王国側に『ブランク』が関わっていると判明してから考えていた。空間魔法使いが大量発生しているのを予期できていたためだ。だから、グインラースたちが霊魔国に攻めなくとも、王国の内部偵察が終わり次第、『空の部屋』へ向かうつもりだった。


 その辺りを説明すると、勇者の三人は表情を曇らせる。


「そんな前から考えてたんですか……」


「私たち、結構強くなったと思ってたんだけど、それでも力不足だったんだね」


「慢心してた」


 どうやら、いつの間にか生まれていた自身の油断を悔いているようだった。


 まぁ、それも無理のない話だろう。彼女たちは油断してしまうほどに強くなった。特に、真実と司は勇者の枠組みを逸脱するレベルの能力を身につけている。空間魔法使いが相手でなければ──いや、せめて空間魔法使いが十人単位であれば対処できていたはずだ。


「不足してる部分を埋めるために、私たちに空間魔法を習得させるってわけだね?」


 後悔もそこそこに、司が問うてくる。


 見れば、蒼生と真実も力のこもった目に切り替わっていた。こういう切り替えの早さは称賛に値する。


 一総は首を縦に振る。


「その通り。空間魔法さえ習得してしまえば、敵の空間魔法を簡単に対処できるようになる。たとえ空間魔法の練度が劣ろうとも、他の部分でキミたちの方が実力は高い。有利に立ち回れるさ」


 同じ土台を得られれば、勇者でない量産空間魔法使いに遅れを取る彼女たちではない。元々、十人程度までなら相手できる力量はあるのだから。


 三人が空間魔法習得に理解を示したところで、今まで黙していたナディアが恐る恐る手を挙げる。


「あのー……勇者さま方が霊魔国側の対処に動いている間、わたくしはどのように行動したらよろしいでしょうか?」


 先程までの説明が蒼生たちのみに向けられていたのを察してか、自分が『空の部屋』へ同行できないことを理解しているようだ。


 聡い彼女に感心しつつ、一総は答える。


「ナディアは一足先にミュリエルの元へ送る。王国の王女としては複雑かもしれないが、彼女の手助けをしてほしいんだ」


 手薄になる王城の奪還を一瞬考えはしたが、いくらナディアでも城に残る空間魔法使いは相手できない。ここは無難に戦力を集中しておきたかった。口にしたように、彼女の立場からしたら納得できない部分はあるだろうが。


 しかし、ナディアは含みのない笑顔を見せた。


わたくしはあなたさまの奴隷。ご命令とあれば否はございません。それに、ミュリエルさま──霊魔国と仲良くしておくことは、今後の王国の先行きを考えれば大きな利益を得られましょう。ですから、勇者さまがご懸念する必要は、何ひとつございませんよ」


 感情面だけではなく実利を説く辺り、やはりナディアは強かな性格をしている。


 彼女がそう言うのであるなら、気にしないでおこう。


「ありがとう」


「もったいないお言葉です」


 一総はナディアへ【転移】の術式を展開する。目的の座標はミュリエルの元。事前に連絡は送っているので、向こうの状況を心配する必要はない。


「ミュリエルをよろしく」


 彼の言葉にナディアは頷き、そして姿を消していった。


 彼女が転移したことにより、場には勇者のみが残される。


 一総は蒼生たちに目を向ける。


「じゃあ、オレたちは『空の部屋』へ行こう」


「『行こう』って気軽に言いますけど、そう簡単に行ける場所なんですか?」


 彼の言葉に対し、真実は訝しげに問う。


 今まで二人しか辿り着けた者がいないだけあって、その疑問は当然だった。


「普通なら気軽には行けないな。一定の条件を揃えた上、運が良くないとダメだ」


「一定の条件って?」


 次は司が尋ねてくる。


 伝説の空間魔法が学べる場所ということで、三人とも興味津々らしい。無言の蒼生も、その瞳に好奇心を宿している。


 一総は苦笑いを浮かべながら答える。


「大前提として、自分の生まれた世界以外からじゃないと渡れない」


「つまり、勇者限定ってことだね」


「そうだ。で、その異世界で『次元の裂け目』を見つけ、そこに飛び込む。運が良ければ、そのうち『空の部屋』に到着するかな」


「『次元の裂け目』って何です?」


「読んで字の如く、次元にポッカリ開いた裂け目のことさ。異次元への落とし穴みたいなもので、その先は世界と世界の狭間に繋がってる。ごく稀に、世界のどこかで発見できるんだよ。めちゃくちゃ確率は低いけど」


 千の世界を渡った一総でも片手で数えられる程度しか見たことがない、と説けば、その希少性を理解できるだろうか。


 彼の説明で『次元の裂け目』が何たるか理解できたのか、司は顔色を青くした。


「……それって、もしかしなくても、そこに落ちたら普通は死ぬんじゃないかな?」


 彼女の言に、一総はこともなげに首肯する。


「二度と現世に戻れないって意味では、死んだも同然だな。世界と世界の狭間を永遠に漂うことになる。時間の概念を外れるせいで老衰もしないから、文字通り“永遠“に」


 その発言でようやく理解が及んだようで、残る二人も顔色を悪くした。


「さっき、センパイは『次元の裂け目』に飛び込むって言いましたよね?」


「『運が良ければ』とも言った」


「お察しの通り、『空の部屋』に向かうためには、死亡率九割以上の博打に勝つ必要がある」


 ハッハッハッと、一総は他人ごとの如く快活に笑った。


 そこへ、真実はすかさず突っ込む。


「笑いごとじゃありませんよ!? 無謀にもほどがありませんか、センパイは!」


 一歩間違えたら、というレベルの話ではない。賭けに勝ったから笑っていられるものの、永遠に世界の狭間を漂っていた未来もあり得たのだ。彼を愛する者として、そのバカげた行動はたしなめたかった。


 それは同志である司も、ベクトルは違えど彼を大切に思う蒼生も同様で、二人とも眉間にシワを寄せている。


 それを受け、一総はバツが悪そうに頬をかいた。


「あの時は色々あったんだよ。今後は似た機会があっても博打に打って出たりしないから」


「「「当然です(だよ)!!!」」」


「あ、ああ」


 異口同音に物申され、思わずたじろぐ一総。それだけ大事に想われていることが理解でき、気恥ずかしく感じてしまう。


 照れを隠すよう咳払いをすると、彼は話を軌道修正した。


「とはいえ、今語ったのは初見で『空の部屋』へ向かう方法だ。オレたちが今から使うのは、当然別の手段だぞ」


「いくら緊急事態とはいえ、分の悪い賭けをするわけにはいきませんもんね」


 うんうんと真実は頷く。


 すると、蒼生が訊く。


「空間魔法?」


 いつにも増して簡潔な言葉だったが、言いたい内容は理解できた。


 一総は「嗚呼」と肯定する。


「村瀬の言うように、空間魔法を使って『空の部屋』に向かう。あの魔法は、隔絶とか断絶とか関係ないからな」


「空間魔法を学ぶ場所へ安全に行ける唯一の方法が空間魔法って……意地が悪いにもほどがあるね」


 空間魔法使いに知己がないと命を賭けに出すベッドするしかない。そうまでしてでも空間魔法を渡したくないという、強い意志を感じてしまう。困難でも方法が残されているのもまた、欲に駆られた人間をおとしめる罠のようだ。


 司の感慨深そうな言葉に、一総は肩を竦めた。


「空間魔法は人智を超えた力だから、できるだけ人類に与えたくないのかもしれない。まぁ、いちいち『空の部屋』へ行く面倒を嫌って、『ブランク』は別の手段を用意しちゃったわけだ」


「『空の部屋』の話を聞くと、さもありなんって感じですよね。新しい空間魔法使いを用意する度に運ばなくちゃいけないんですし」


 この世界だと千人ですよ、と真実は苦笑する。


「運ぶ労力が手間ってのもあるけど、時間の節約もしたかったんだろう。あそこに転移しようとすると、この異能を熟達してると自負するオレでも、一人につき十五分前後かかるからな。帰りは一瞬なんだが」


「だから、一刻を争うって……」


 一総のセリフに、蒼生が呟く。


 先日の桐ヶ谷きりがやの一件で、空間魔法の習得──『心の迷宮』内では時間経過がほとんどないのは知っていた。ゆえに、一時間も猶予がある状況で何を急いでいるのか不思議だったのだが、今の言で理解できた。


 四人×十五分ということは、行きだけで一時間使ってしまう。あちらに到着してからの諸々を考慮すれば、どう足掻いても霊魔国襲撃には間に合わない。


 遅れた時間の内に、残すミュリエルたちに何か起こるかもしれない。そのような不安を押してでも、彼女たちが空間魔法を習得するのは必要なのだ。


 真実が焦ったように口を開く。


「や、やばいじゃないですか。呑気にお喋りしてる時間なんてないのでは!?」


 それに対し、一総は落ち着いた様子を崩さない。


「安心しろ。もうすでに【転移】は展開してる。あとは飛ぶのを待つだけだ」


「いつの間に……」


 真実の眼で注視すれば見えるだろう。いつからか、彼らの周囲には【転移】と思しき魔法円が展開していた。


 “思しき”と言葉を濁しているのは、彼女の知る普通の転移とは些か異なるためだった。『空の部屋』専用の術式に違いない。


 瞠目どうもくする真実を見て、一総は小さく笑う。


「全員揃った時点で展開してたさ。時間がかかるのは分かってたんだから、当然の処置だろう?」


「道中に時間がかかるんじゃなくて、【転移】の発動に時間が必要だったんだね」


 司の呟きに彼は頷く。


「転移の道を繋げるのが難しいんだ。だから、熟練度によって待機時間も変わる。あと四十分ほど残ってるから、各自好きにすごしてくれ。術式の外──オレを中心とした半径十メートルの範囲から出ないのなら、何をしても構わない」


 その言葉を皮切りに、少女たちは思い思いの行動を起こしていく。


 一総は術に集中するため、その場に座り込んで瞑想を始めた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る