006-2-07 幕間、差し伸べられる手

 バァカホ王国の国境線から徒歩で半日かかる森林地帯、辺境領の大都市までは徒歩一日といったところ。そこにはエリザベート第一王女を筆頭に、敗走した王国軍の残兵たちがたむろしていた。その数は二万を切る。元の二割以下という人数は全滅と評して良いだろう、見るも無惨な敗北だった。


 一方的な蹂躙を受けたためか、戦争前には自信満々だった精鋭の面影は微塵もなく、ありもしない追手にビクビクと怯えている。死に物狂いで逃亡したせいで、全員の装備が泥塗れだ。


 三々五々と逃げた兵たちを何とか国境付近で集結させたは良いものの、このありさまでは再戦など夢のまた夢。皆が皆、戦いへの恐怖を目に映していた。


 これもすべては──


「『黒鬼こっき』のせいだッ」


 全軍の様子を眺めていたエリザベートは、怒りを噛み殺した声を溢す。彼女の表情は憤怒でしかめられており、敗走の疲労も相まって鬼神の様相を呈していた。


 エリザベートの湛える激情の原因は、何も今回の敗戦に限らない。そのようなもの、怒りの炎が僅かに勢いを増す程度の燃料にすぎない。彼女が一総へ向ける感情の根本は、十年前の戦争にあった。


 十年前──当時十五歳だったエリザベートには婚約者がいた。霊魔国と同じく王国でも十五歳から成人として扱われるため、結婚まで秒読みだった。


 即座に籍を入れなかったのは、婚約者が軍人であったため。彼は王国貴族には珍しく責任感の強い人間で、なおかつ国内五指に入る実力者。戦時中に結婚するのを良しとしなかったのだ。


 政略結婚だったが純粋に彼を愛していたエリザベートは、その願いを承諾。二人の結婚は戦争が明けるまで持ち越された。


 結果として、二人が結ばれることは永遠になかった。婚約者が殉職してしまったゆえに。彼は戦争の最中に一総と遭遇し、一騎討ちの末に命を落としたのだ。


 婚約者が一騎討ちを提案し、そのお陰で多くの兵士が生き延びることができた。周囲の人間は彼を英雄だともてはやした。


 しかし、そんなものは、エリザベートにとって何の無聊にもならなかった。


 彼女は名誉に価値を見出していなかった。彼女が望んだのは、ただただ愛する者が無事に帰参すること。それだけだった。


 二度と叶わぬ願いを抱えながら失意に暮れたエリザベートが、憎悪に溺れるのは自然の流れだっただろう。彼女はいつか一総を葬る日を夢見て、自身の研鑽を積んでいった。己の戦闘力はもちろんのこと、軍を率いられるように軍略も学んだ。


 成人後に結婚もせず何をやっているのだ。そういった苦言を呈されたのは一度や二度では収まらない。


 だが、彼女は止まらなかった。心を燃やし続ける復讐の念が、一切の停滞を許さなかった。誰が立ちはだかろうと、エリザベートは復讐の道を進んだ。時には武力を以って、時には陰謀を以って、邪魔者を排除し続けた。


 そうして十年。エリザベートは王族とはいえ、女にも関わらず軍の上級幹部へと昇り詰めた。その甲斐もあり、念願の復讐の機会にも恵まれた。


 ──だというのに、


「この体たらくとはッ!」


 互角に戦うどころか、正面に相対することさえ叶わなかった。なされるがままに蹂躙されるしかなかった。


 これほどの屈辱はない。この十年間の努力が無駄だったと嘲笑われた気分だった。


 いや、実際に無駄だったのだろう。彼女の努力など所詮は焼け石に水にすぎず、化け物に立ち向かうには不十分だったのだ。


 あれだけ憎悪を滾らせていたのに、結局は覚悟が足りていなかった。その事実に気づいたエリザベートの心は重い。今にも自決を図ってしまいそうだった。


 幸い、エリザベートの怒りを察してか、側近たちは距離を置いている。彼女の自殺を止められる者はいなかった。


(いっそのこと……)


 そう思い立った時、不意に声がかけられた。


「心地いい憎悪を持ってるね、キミ」


「ッ!?」


 唐突に背後へ現れる気配。


 エリザベートは何者か確かめる余裕もなく、声の主に向かって霊術を叩き込んだ。この距離であれば、熟練者でも大ケガは免れない威力だった。


 ところが、


「ははは。さすが、それだけの憎悪を溜め込んでるだけはある。容赦ない一撃だ」


 声の主は一笑するだけだった。負傷した気配は一切ない。


 攻撃と同時に距離を取った彼女は、ようやく背後にいた人物の姿を認める。


 はたして、そこに立っていたのは年若い少年だった。十代前半くらいの年頃で、あどけない笑みを浮かべている。少年趣味ショタコンであれば、あの笑顔によって一撃で沈められていたかもしれない。現状、不気味さしか感じないが。


「霊魔国の追手ですか? 手負いとはいえ、我が軍のド真ん中に姿を現すなど、命知らずも良いところですわね」


 エリザベートは警戒を高める。


 鼻で笑うような態度を取っているが、実のところは少年に対して恐怖心を覚えていた。


 何故なら、表面上は飄々とした雰囲気だが、その内面の底が知れないからだ。目前の人物は、少年の皮を被った化け物だと本能が囁いた。


 そして同時に、この警戒が無意味だとも理解していた。チラリと周りを窺った感じ、見える範囲の人間すべてが凍りついたように固まっているので援軍は望めない。目の前の化け物を単独で相手取るなど、気が狂っていても願い下げだ。


 要するに、敵対したら生存は絶望的。今の態度は虚勢にすぎないわけだ。


 それが分かっているのか、少年は笑顔を絶やさない。


「そう警戒しなくてもいいよ。ボクは霊魔国なんて弱小国には所属してないし。むしろ、キミの味方になれる人材さ」


「味方?」


「キミは復讐したい相手がいるんだろう? それを果たせる力を、ボクは与えられるのさ」


「……見返りに何を求めるのでしょう?」


「ふふふ。すぐに断らないってことは、脈ありかな?」


「条件次第です」


 エリザベートは少年の言葉を否定しない。復讐を果たせる力とやらに、強い魅力を感じているのは事実だった。この機会を一蹴できるほど、彼女の念願は弱いものではない。


 少年はエリザベートの内心を見透かしてでもいるのか、不気味なほど頬を上げる。


「そんなに難しい話ではないよ。ボクらの組織に加わってほしいだけ」


「組織、ですか?」


「そう、キミも知ってる組織さ」


「それは……」


 言葉に詰まるエリザベート。


 意味深に“組織“と呼称されて思いつくものは、ひとつしかなかった。


 それを見て、少年はわらう。


「キミの考えは正しいよ。脳裏に浮かんだ“組織“で間違いない」


「我が祖国に、仇をなす気ですか?」


 彼の肯定を受け、エリザベートは眉を寄せた。


 そんな彼女の様子を気にも留めず、彼は返す。


「全然。ボクらに王国をどうこうしようなんて気はないよ。協力者の思惑は別としてね」


 それはつまり、協力者とやらは王国に仇なそうとしている、ということ。


 エリザベートの表情は、ますます曇っていく。


 少年は再び嗤う。


「何なら、協力者の邪魔をしても構わないよ。もちろん、ボクらの組織に加わったとしても」


「どうして? 協力者なのではなくて?」


「もう契約は満了したからさ。未だ惰性で一人が協力してるけど、お互いに求めたものは得た。その後のことは関知しないよ」


 随分と手前勝手なことを言う。協力者とやらは、彼の言う“契約後のこと“が重要なはず。それを邪魔しても良いなど、ただ一方的に搾り取られただけではないか。


 交渉としては下の下。協力を申し出ている相手へ一方的に搾取する例を提示するなど、正気の沙汰とは思えなかった。


 しかし──しかし、だ。エリザベートの顔には、不思議と笑みが浮かんでいた。


 搾取されて不満があるだろうか?


 否。自分は復讐さえ遂げられれば、後のことはどうでも良い。他のすべてを搾り取られても文句はない。


 そう。多少の愛着はある祖国を守れるなら、復讐を果たせるのなら、エリザベートに少年の手を振り払う理由はなかった。


「良いでしょう。わたくし、エリザベート・バァカホは、あなたの組織に加わります」


「ははは、そうこなくっちゃ。よろしくね、エリザベート」




 二人が邂逅して十分後。足止めのために蒼生あおいたちが軍を襲撃するが、その中にエリザベートの姿はなかった。

 

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