006-2-06 情報の精査

 結論から言うと、レジスタンス内部にスパイは存在しなかった。真実の眼でも同じ結果が出たので間違いない。


 つまり、彼らの監視は外部からのみという不安定なものになるのだが──先の一総かずさたちへ対するお粗末すぎる対処を見るに、それでも問題ないと判断されたことは想像に難くない。


 調査を終えた一総は当初の予定通り、レジスタンスへの隠形を解除した。


 すると、彼らの反応が劇的に変わる。


「姉上!?」


「姫殿下!?」


 王子と文官が、目を見開いて驚愕の声を上げた。


 気絶している使用人は別として、意識が残ったまま体の自由を失っていた騎士たちからも、驚きの気配が伝わってくる。声を上げることもできないけれど。


「オレたちはキミらの敵じゃない。むしろ、協力者と言っていい。ナディアと一緒にいるのが、何よりの証明になるはずだ」


 一総の言葉を聞き、文官がこちらへ視線を向けてくる。正確には、彼の頭へ目を向けていた。


「黒髪……そうか、貴様が『黒鬼こっき』か」


「おや、もう敬語はいいのか?」


「それは……」


「冗談だ。話しやすい口調で構わない」


「……」


 ニヤリと笑う一総へ鋭い瞳を向ける文官だったが、ひとつ深呼吸を置くと眼力を弱めた。


 この文官、なかなかやり手のようだ。平凡な強さで通していた第五王女が単独で逃げ果せていて、さらには敵側である『黒鬼』と共にいる異常事態にも関わらず、瞬時に冷静さを取り戻した。加えて、王女の実力に察しをつけた風にも見える。バカの多い印象の強い王国だが、一部には優秀な人材も残っているらしい。


(そうでなければ、国として成り立ってないか)


 過去、王国の王や王太子などと対面する機会があった。あの愚かさでどのように国を治めているか甚だ疑問だったが、部下に助けられていたのだと悟る。


 一方、文官の発言を耳にした王子の動揺は激しかった。


「こ、『黒鬼』だって!? それって、十年前に王国軍を壊滅させたって言う化け物じゃないか。な、何で、そんな奴と姉上が一緒にいるんだ!?」


 大きく後退し、再び体を震わせ始める王子。


 ナディアを保護したと語ったはずなのだが、彼の記憶からはすっかり抜け落ちている模様。先程何もできなかったことと言い、あまりデキの良い少年ではないようだ。十歳ほどの子供には酷な評価とは理解しているが、王族である以上は甘く言えない。


 そんな彼を、ナディアは冷たい声で一喝する。


「落ち着きなさい、アルバス。それでも王家に連なる者ですか? こういった緊急時にこそ冷静にならなくては、誰もついてきませんよ」


「でも……」


「反論は許しません。もはや王族男児はあなたしかいないのです。甘えた態度は許容されない事態であると認識しなさい」


「うっ」


 思うところはあるようで、言葉に詰まるアルバス王子。


 あの様子であれば、王子は彼女に任せて良いだろう。その間に、こちらは建設的な会話を進めなくてはいけない。



 一総は言う。


「こちらはこちらで話を進めよう」


「ああ、そうだな」


「まずは情報共有をしよう」


 そう言って、お互いにこれまでの経緯と、細かな情報や所感を語っていく。


 話の途中で知ったことだが、この文官は何と宰相だったらしい。どうりで頭が切れるわけだ。たまたま書庫へ行っていた時にクーデターが発生し、難を逃れたのだとか。まったく運の良い男だと思う。


 一通り話を終えたところで、一総はチラリと真実まみに目を向ける。彼女は小さく首肯した。手筈通り、『真破写覚しんはしゃかくの眼』で情報の真偽を見抜いてくれたようだ。これで、ある程度の対策は取れるはず。


「一旦、身内だけで情報整理をしたい。騎士たちの拘束は解くから、そっちもそっちで話し合ってくれ」


「了解した」



 宰相と分かれ、一総たちだけで集まる。


 騎士たちが恨みのこもった視線を向けてきたり、何故かナディアがこちら側に集合してきたが、大きな問題ではない。気に留めることなく話し合う。


「で、どうだった?」


 真っ先に真実へ言葉を向ける。今回の情報戦、彼女の眼が頼りなのだ。こういう状況において、かの魔眼は一総を超える力を持つ。


 真実は真剣な顔で口を開く。


「センパイの予想通りの収穫ですね。あの宰相さんは、完全に記憶をいじられてるみたいです。敵の総人数、空間魔法使いの数、どのような術を使ってきたのか、協力者『ブランク』の人数などなど。大半が実際より少ない報告でしたよ。鵜呑みにして挑んでたら、間違いなく惨敗してたと思います」


「本当のところは?」



「総数は千と少しで、すべて空間魔法使いです。術も全員が最低中級を使えて、敵の大将であるグインラースに至っては上級まで扱えるみたいですよ。『ブランク』は現状一人のみですが、どうにも幹部っぽいです」


「聞いてた話の十倍って」


 淀みなく語る真実の敵情報を聞き、司は呆れたように声を漏らした。


 彼女の気持ちはよく分かる。偽の情報を与えるにしても、かなり過剰な偽装だった。この手の誤魔化しは信憑性を高めるため、事実に寄せるのが一般的なのだ。十倍も差をつけるのは定石から外れていた。


「敵が愚かなのか、それほど記憶改竄に自信があったのか」


 司は口元を片手で押さえ、悩ましげに呟く。


 一総は答える。


「後者だろう」


「その心は?」


「オレが行った事前の記憶走査で、記憶改竄の痕跡が見当たらなかったからだ」


「それは……」


 絶句する司。他の面々も眉間にシワを刻んでいる。


 説明するまでもなく、全員が状況を理解してくれたらしい。


 世界最強たる一総が見破れないとは、それだけ相手の力量が高いことを示す。特に、彼は精神系異能が得意な部類であり、魂の根幹を覗くことができる。だのに、改竄が見抜けなかったのだから、警戒を高めて当然だった。


 一総は言う。


「おそらく、『ブランク』の幹部とやらは高度な精神系異能──こと記憶関連の操作に特化した者だろう。魂を違和感なくいじれるとなると、霊術にもある程度精通してるな」


 実に厄介な敵だ。一総を上回る記憶操作能力となれば、知らぬ間に認識を操られる可能性もある。絶対に安心と言えるのは、手数の多さにより対応力の高い一総と常に真実しんじつを見抜ける真実まみくらい。


 単独行動なのは救いだが、早々に対策を整えるべきだ。


魄法はくほうを身につけてる可能性は?」


 魂をいじれるならその予想も立てられるのでは、と司が問うた。


 それに対し、一総は数秒の黙考の後に返す。


「否定はできない──が、確率は低いと思われる。精神系異能と空間魔法、霊術の三点があれば魂はいじれるし、何より魄法が使えるなら別の手段を取った方が楽だ」


 術者のこだわりや魄法の練度が低いといった要素は残っているが、やはり魄法はないと思う。彼の勘がそう囁くのだ。


「これから、どうしましょう?」


 情報整理が終わったところ、ナディアが問う。


 彼女の顔は不安の色を湛えていた。敵の強大さを嫌というほど聞かされたのだから当然の反応か。弱音が口を吐かないだけ気丈だと言えた。本当に十三歳の少女かと疑うほど。


 年下の女の子を、いつまでも不安にさせているわけにもいかない。一総はできるだけ柔らかく今後の方針を語る。


「直近の目標は王国軍との合流。その後に王城の偵察だな」


「合流してしまって、よろしいのですか?」


 以前、敵が軍とレジスタンスの合流を狙っていると教えたからだろう。思惑に乗って良いのかと彼女は訊いた。


 彼は「大丈夫だ」と頷く。


「向こうが合流を望んでるのは、攻勢を仕かけてきた王族を返り討ちにしたいからさ。だから、軍やレジスタンスを動かないよう説得できれば問題ない」


 加えて、一総の力があれば、敵に気づかれず合流することもできる。あちらの思惑を外す算段は考えついていた。


 しかし、ナディアの表情は晴れなかった。


「説得できるのでしょうか?」


「何か懸念でもあるんですか?」


 真実が首を傾ぐ。彼女が、いつになく深刻そうな気配をしていたためだった。ただの漠然とした不安とは異なる様子に見える。


 ナディアは何とも言えない複雑な表情を浮かべてから、おもむろに口を開く。


「軍の総大将は……エリザお姉さま、ですから」


「それの何が問題?」


 要領を得ない回答に、続けて蒼生あおいが首を傾けた。


「え、えーっと……」


 彼女の無感情な視線を受け──否、元々言いづらい内容だったのか、ナディアは言葉を詰まらせる。


 どうにも態度のおかしい彼女に対し、全員が怪訝な顔をする。


 いたたまれなくなったナディアは、ついに意を決して言葉を発した。


「エリザお姉さまは、勇者さまのことが死ぬほど嫌いなんです!」


「「「「…………」」」」


 場に沈黙の帳が降りる。


 それは、予想外の回答に全員が呆気に取られたゆえ。そこから次第に、得心のいった空気に変わっていく。実姉が憧れの人を嫌っているなど、言いにくいに決まっていた。


 気まずい静寂の中、ナディアは続ける。


「お姉さまの感情を考慮すると、いくら合理的でも従ってもらえないかと思うのです」


「そんなにセンパイを嫌ってるんですか?」


「ええ、それはもう。名前を出しただけで激昂して、その場を荒野に変えるくらいです」


「えぇぇぇ。何したんですか、センパイ?」


 ナディアの即答に、真実は頬を引きつらせる。



 名さえ耳にしたくないレベルとは、よほどのことを仕出かさないとあり得ない。


 一総はバツの悪そうな表情を浮かべつつ、「あー」と抜けた声を漏らした。そして、虚空に視線をさ迷わせながら一言。


「婚約者を殺した」


 再び訪れる沈黙。


 しかし、今度のそれは先とは異なった。納得と座り心地の悪さが同居した、同情的なものだ。


 同情の行く先は第一王女と一総である。


 前者は言わずもがな。恋する乙女が半分以上を占める勇者組は、愛する人を失う辛さを共感したのだ。そういう事情があるのなら、死ぬほど嫌っても無理はないと。


 後者へは、勇者という立場ゆえのもの。戦場に立ったならば、敵は殺さなくてはならない。相手の事情を考慮している余裕があるはずもなかった。好き好んで買った恨みではないのだから、哀れみも湧く。


 一総は思い出を反芻はんすうするように呟く。


「そうか、そこまで恨まれてるのか」


「申しわけありません」


「謝る必要はない、彼女の感情は正当なものだ。オレはそれほどのことをした」


 第一王女の気持ちを知ることはできないが、推し量るくらいは可能だ。もし、蒼生たち三人が殺されたとしたら、一総はその相手を一生恨むだろう。地獄の果てまで追いかけて、死んだ方がマシだという目に遭わせる自信がある。


 そう思えば、嫌われ恨まれているのを、とやかく言う気はない。そも、もの申す資格さえない。


 だが、そのせいで、ひとつの問題を抱えてしまった。


「となると、合流は悪手か」


 話を聞く限り、王国軍は大人しく待機しないだろう。一総たちの制止に耳を貸すことなくグインラースたちに全面戦争を仕かける未来は、予知系の異能を行使しなくとも脳裏に浮かんだ。


 であれば、第一王女自ら慎重論を唱える状況を作るしかない。せめて、一総たちが事態を解決するまでは静観してもらいたい。


(王国軍の足止めが急務だな)


 一総はすぐさま次善策を打ち出す。


 第一王女もバカではない。情報不足の状況で戦いは吹っかけないはず。ならば、情報を抱えるレジスタンスとの合流を回避させるのがベストであり、そのためには軍の帰国を遅らせるのが手っ取り早かった。


 レジスタンス側の動きにも注意するべきだが、内情からして積極的に行動を起こせないと考える。


 そうと決まれば、行動あるのみだ。


 一総は蒼生たちへ指示を出す。


「これからの方針だが、三手に分かれようと思う。村瀬、真実、司の三人には王国軍の妨害をしてもらいたい」


「時間稼ぎだね?」


 打って響くように司が答える。


 四回の勇者経験を持つだけあって、一総の狙いを察してくれたらしい。説明が省けて助かる。


 他の二人は完全に理解していないようだが、細かいところは司に任せよう。


「その通り。探知した感じだと残り一日で王国に到着するみたいなんだが、プラス三日ほど帰参を遅らせてほしいんだ。まぁ、無理はしなくていい。できる範囲での妨害を頼みたい」


「センパイの頼みなら否はないですけど、その間にセンパイとナディア王女は何をするんですか?」


 真実が了承を口にしつつ、尋ねてくる。


 一総は返す。


「ナディアにはレジスタンスを抑えてもらう。残存戦力的に下手な動きはしないとは思うが、一応目はつけておきたい。敵の監視も、隠密特化のナディアなら一定は欺けるだろうし」


「承りました」


「ああ、頼む。で、オレは王城の偵察をする」


「危なくないんですか?」


 再び真実が問う。その表情は「直接乗り込むのが危険だから遠回りに情報収集をしているのに」とでも言いたげだ。


 身を案じてくれているのは嬉しいが、こればかりは仕方がない。


「敵情視察をまったく行わないのは、さすがに厳しい。で、空間魔法使いが千もいる場所に誰が侵入するってなると、オレ以外に選択肢はない」


 真実の眼なら代役が務まるかもしれないが、彼女は覚醒したばかり。まだ十全に力を使いこなせていないため、数日間に及ぶ情報収集には向いていないのだ。今回は一総が出張る他になかった。


「他に質問がなければ行動に移ろう。次の集合は三日後の正午だ。各自、無理のない範囲で頑張ってほしい」


「「「「はい!」」」」


 異口同音に女性陣が返事をし、それぞれの目的へ向けて散開する。一総も、敵の本拠地へ歩み出す。


 鬼が出るか蛇が出るか。


 この偵察がたった一昼夜で終わることを、この時の彼は知らない。

 

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