004-3-07 幕間、急転

「クソクソクソクソクソクソッ!!!!!!!!!!!!!!!!」


 桐ヶ谷きりがや邸の片隅。人気が皆無と言って良い場所で、牛無うしなしはたいそう荒れていた。床を踏み抜いてしまうのではないかと心配になる勢いで、何度も何度も地団駄を踏んでいる。


 先の一件、侑姫ゆきを頂くのを邪魔されたことが、よほど腹を据えかねたらしい。一総かずさが横槍を入れなければ、今頃極上の果実を味わえていたのに。そう思うと、止まることなく怒りが湧き上がってきた。


 最初から、牛無は一総の存在が気に入らなかった。強盗事件の際、武装した警察官に囲まれているというのに、スカした表情をしていたこと。屋敷内で再会した時、こちらは次期当主候補だというのに、全くへりくだろうとしないこと。何より、婚約者の自身よりも侑姫の信頼を得ていたこと。彼の何から何までが憎悪の対象だった。


 今回侑姫を襲ったのは、そういった感情から来る焦燥のせいだった。侑姫が実家の決定に逆らえないとは知っていたが、一総と彼女の間柄を見ていると万が一がありそうで不安に駆られるのだ。


 あの方々・・・・から力を頂き、長年の夢であった桐ヶ谷流次期当主の座が目と鼻の先まで迫っていたのに。それがポッと出の小僧などに取られるなど我慢ならない。


 そんな自分勝手な思想から、侑姫の有力な情報をあの方々・・・・から伝授してもらい、行動に移した。結果は散々なものとなってしまったけれども。


「うがあああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」


 一総に良いようにあしらわれ、あまつさえ、牛無がもっとも嫌悪する異能で我が身を縛られてしまった。その事実を思い返した牛無は、言葉にならぬ奇声を上げる。


 体の汚れを落とすように両肩をさすり、心の底から湧く怒りや屈辱、拒否感を必死で誤魔化した。


 だが、そのような自慰行為も長くは続かない。負の感情は加速的に山積していき、あっという間に牛無の限界を超えた。元々、彼は短気な性分。己の感情を抑え込めるはずがない。


 もはや、牛無に一総たちを生かす選択肢は残されていなかった。彼らの死以外に、自分が異能を施されたという汚泥を注ぐ方法など存在しなかった。


「ただでは殺さん。可能な限りの屈辱を奴に味あわせてから殺してやる。……そうだ、一緒にいた女をいたぶって・・・・・やればいい。奴は女のことを大事にしてるようだったからな。きっと血の涙を流すぞ、くくく。その後に女を拷問して殺せば、さぞやアイツは面白おかしくさえずってくれるに違いない」


 ブツブツと呟く牛無の表情は、狂気にまみれていた。


 己が欲望のため他者をおとしめる行為に、彼は微塵も躊躇ちゅうちょをしていない。


「女の見てくれは一級品、人は簡単に集まる。問題は仕かけるタイミングだが……日が変わると同時だな。さすがに現当主の意向を無視するのはマズイ。日をまたげば命令の効力は失われる。先走っても、何とでも言いわけはできる」


 そうと決まれば、早速準備を始めなくては。その呟きと共に、牛無は駆け出した。


 彼の頭には失敗の言葉はない。傲慢な性格ゆえに。与えられた真の力とやらを過信しているがゆえに。


 また、彼は致命的な事実を忘れていた。先の一件で一総に抵抗する際、その真の力を行使していたことを。


 牛無の行く末は、予想するまでもなく明らかだった。








          ○●○●○








 桐ヶ谷邸の最奥、当主久道くどうの書斎にて二人の人物が顔を合わせていた。


 一人は書斎の主人、精悍な顔立ちと鋼の肉体を持つ久道その人。彼は自らのデスクに腰をかけ、いつもの荘厳な顔つきをよりいっそう険しいものにして腕を組んでいた。


 もう一人はデスクの対面に用意された椅子に座っている。十代前半くらいだろうか、あどけない顔をした少年だった。ダボダボのローブに身を包んでいて、重苦しい空気の室内で場違いなほど屈託のない笑顔を浮かべている。


 ただ、普通の少年だとは言えないだろう。彼のまとう雰囲気はどこか異質で、思わず息を呑んでしまうような底の知れなさが感じられるのだから。


 この少年は何者なのか。それに答えられる存在は、本人以外にはいない。目の前にいる久道も、少年が所属する組織のメンバーでさえも、彼の正体を正確に把握していないのだ。


 顔をしかめる久道とニコニコ笑う少年。相反する二人がジッとしていること幾許いくばくか。最初に口を開いたのは久道だった。


 彼は組んでいた腕を外し、デスクの上へ置く。


「本当に、大丈夫なのだな?」


 ゆっくりと吐かれた言葉は、一文字ずつに相応の重さが乗せられていた。それこそ、一般人であるなら返答に詰まってしまうレベルの重圧だ。


 しかし、対する少年は気にした様子もなく、平然と軽い口調で言う。


「大丈夫大丈夫。すでにウチで何回も使用してるから、問題なんて起こりっこないよ。もし、万が一が起こったとしても、最悪の事態には陥らないよう、ボクらがフォローするから安心して」


「貴殿らの『フォロー』とやらが信用ならんのだが」


「うわ、ひっどいなぁ」


 苦渋に満ちた声を出す久道に、少年はふざけた調子で大仰に肩を竦めた。言葉と態度が一致していない、まるで道化を相手にしている風な錯覚を覚える。


 端然とした姿勢を崩さない久道ではあったが、この得体の知れない少年には恐怖を感じる。


 何故なら、彼に対して警戒したいのに警戒し切れないのだ。どことなく憎めない人間は往々にして存在するものだが、目前の少年はどことなく安心してしまう存在ということ。警戒できない敵ほど怖いものはない。それはつまり、相手からの攻撃に対処できないことに繋がってしまうのだから。


 今はまだ協力関係を築けているが、この先どうなるかは分からない。ゆえに、久道は意識的に少年を警戒していた。気を抜かず、常に己を律することで、何とか緊張の糸を張り詰めさせていた。


 そんな久道の滑稽な努力を少年は見抜いているのだろう。彼の目には、時折愉悦の色が見て取れた。圧倒的強者が浮かべる傲慢なモノがそこにはあった。


 久道の反応を楽しみながら、少年は言葉を紡ぐ。


「完全にこちらを信用できないのは分かるよ。キミらはボクらみたいな存在が嫌いなんだからね。でも、今回に限っては安心してほしいな」


何故なにゆえ?」


「今回の作戦は、ボクらも成功させたいからさ」


 少年の言葉には先程までの遊びはなく、確固たる信念が感じ取れた。すなわち、今の言に偽りはない証左。


 少年の言う通り、完全に信を置くのは不可能だ。しかし、多少憂いを晴らしても良いのかもしれない。そも、もはや後に引くことはできないのだから、フォローを任せる他にないのだ。


 それでも憂慮してしまうのは、感情を持つ人間なのだから仕方がない。いくら厳格な性格を有する久道でも、全てを機械的に采配することはできない。


 久道は小さく息を吐いた。


「分かった。万が一の場合はそちらに任せよう。くれぐれも頼む」


「りょーかい。大船に乗ったつもりでいてよ」


 そういうふざけた話し方をするから信用をなくすのだが、少年はわざとやっている節があるので、言っても無駄だろう。


 話し合いは終わった。久道は椅子に深く背を預け、少年も退室しようと腰を浮かす。


 ──が、


「おや?」


 中腰の状態で少年が動きを止めた。その体勢のまま数秒硬直したかと思うと、へぇと興味深そうな声を漏らす。ここではないどこかで何か興味を引くものを見つけた、そういった反応だ。


 それから彼は中途半端だった姿勢より立ち上がると、様子を窺っていた久道に対し、ニヤッと意地の悪く見える笑みを浮かべた。


「かなり面白いことが起こってるみたいだよ、この屋敷で」


 クツクツと笑声を上げる少年は心底楽しそうで──その反応によって、久道は最悪の予感を覚えた。


 眉間にシワを刻んだ久道は訊く。


「問題はないのか?」


 それは久道含む桐ヶ谷流がこれから行おうとしていること、ひいては少年らのフォローに支障はなのか、という意図の問いだった。


 少年とは一年に満たないつき合いだが、彼が楽しそうにしている時は、決まって詳細を話さない。たとえ我が家で発生している事態だとしても、それを久道がとても気にしていたとしても、絶対に内容を伝えてくれはしないだろう。


 であれば、少年の言う『面白いこと』は放っておいて、明朝に計画している“アレ”が失敗しないかを尋ねるだけだ。


 久道の気苦労を見透かしてか、少年はフフッと微笑みながら返す。


「相変わらず、見た目に反して空気を読むのが上手いというか……察しがいいよね、久道くんは」


「貴殿が曲者すぎるだけだ」


「ははは、そうかもしれないね。それで質問の答えだけど、問題ないよ。ボクら・・・は目的を達成できるさ」


 浮かぶ笑みに凄惨な色を乗せ、少年は言う。


「どんな者でも、ボクを止めることはできなやしない。一般人はもちろん、最強と謳われる勇者でもね」


 瞬間、覇気が放たれた。この場にいたのが強靭な精神力を持つ久道でなければ心停止を起こしていただろう、濃密で強烈な気配。それが書斎を覆い尽くした。


 さしもの久道も肩を震わせる。


 一体どれほどの数の戦場を駆け抜け、いくらの屍を踏み越えて来たら、このようなごうまみれた代物を身につけられるのか。


 武を修めたからこそ分かる。狂気と執念が深く混じり合った何かが、少年の奥深くに感じられた。


 怯える久道に気づいたようで、少年は即座に覇気を収める。


「おっと、ごめんごめん。気分が高揚したせいか、思わずちょっとだけ気を漏らしちゃったよ。大丈夫?」


「……ああ、気遣いは無用だ」


 返す言葉こそ冷静であったが、内心で久道は焦っていた。


(あれほどの覇気だったというのに、『ちょっとだけ』だと!?)


 精神の強さなら、間違いなく勇者にも引けを取らない久道。その彼を以ってしても背筋を凍らせる覇気が、少し漏らしただけのものだと言うのだ。衝撃は計り知れなかった。


 自分はとんでもない化け物と契約を交わしてしまったのかもしれない。今さらながら、後悔にも似た情を宿らせる。


 しかし、すでに賽は投げられている。後戻りなど許されなかった。


「じゃあ、ボクはお暇するよ。明日の作戦の成功を祈ってるね。何かあった時は駆けつけるから」


 少年は無邪気な笑顔を浮かべて手を振った。


 すると、まるで空気に溶けるように、彼の姿は消えていった。


 残ったのは久道のみ。書斎に静寂が訪れる。


 しばらく張り詰めたままの場だったが、久道が大きく息を吐いたことで弛緩する。彼は腰かけていた椅子に体重を預け、最大限に上げていた警戒を緩めていった。


 数秒だけ呆然としていた久道は、すぐにでも思考を回し始める。考えるのは無論、明朝の計画について。もはや先に進むことしかなく、失敗もできない。文字通り全てを賭した計画。


 リスクは信じられないほど大きいが、リターンもそれに見合った分はある。


 問題はないと太鼓判を押されたとはいえ、それを盲目に信頼することは不可能だ。こちらはこちらで対策を立てておくしかない。


「作戦開始は陽が昇るのと同時。それまでに各員へ準備をさせなくては」


 眠る暇はない。今夜が大事な時なのだと、久道は己が身に力を入れる。






 急転する展開の裏には複数の思惑が錯綜する。


 それが、どういった結末を迎えるか。未来は当事者たちの知る由もない。


 そして、『異端者』のさじ加減次第で全てが決まってしまうことも、彼らの誰も知らなかった。

 

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