004-4-01 深更の乱闘

 日づけが変わり幾分か経過した頃。丑三つ時も近いとあって、桐ヶ谷きりがや邸は常闇と静寂に包まれていた。広々とした日本式の邸宅なだけに、どことなくホラーな雰囲気が感じられ、そういうものが苦手な人間はこの中を一人で歩くのは難しいだろう。


 そのような深い暗闇に、一総かずさは堂々と立っていた。妖魔の類を怖がるほど純情な性質はしていないし、退魔は霊術の専売特許なので恐怖を覚える理由がない。


 虫や風の流れる音が僅かに聴こえるだけのしじま・・・。微動だにしていなかった一総が、ふと視線を天井へ向けた。


「来たか」


 彼の呟きは、屋敷の閑寂を破る嚆矢こうしとなった。


 間髪入れず増幅した魔力を上へ放射すると、天井板が広い範囲で爆ぜ、破砕音と残骸の落下する音が反響した。


 それだけではない。十数もの人が木片と共にドサリと落ちてきた。全員黒装束に身を包んでおり、一見は何者か見分けがつかない不審者だ。よく見れば、ぽっかりと空いた穴の奥、天井裏にも人影がいくつも見える。


 一総は彼らの正体を正確に把握していた。まとう気配や感じる魂の質、そういった五感に依らない感覚により、連中が桐ヶ谷きりがや流の門下生であることはハッキリ理解している。


 要するに、黒装束の輩たちは牛無うしなしの放った刺客というわけだ。一総の立つ廊下は蒼生あおい侑姫ゆきの眠る部屋へ続く唯一の道で、彼らは一総を退けなければ先へ進めない。まぁ、この道を使わない方法を用いたとしても、部屋には強力な結界を敷いているので、強引に乗り込むどころか忍び込むことさえできないのだが。


 出鼻をくじかれたせいか、混乱して右往左往する黒装束たち。それを悠々と眺めていると、追加の軍勢が姿を現した。


 真正面、廊下の先からズンズンと足踏みを鳴らし、数十の人らが侑姫の部屋へ押し入るために行進してくる。少々浮き足立っている風ではあるが、ある程度の統制が取れた足並みだった。何だかんだ言っても、道場の門下生ということだろう。


 増援の最後尾に、この軍団の首魁である牛無の気配を感じる。周囲一帯を走査したところ伏兵も見られないし、これで全戦力のようだ。


 総勢五十人弱。桐ヶ谷流の三分の一に若干足りないくらいの人数を揃えてきたのは、さすがと言っても良い。牛無の人望というより戦利品の美少女に釣られたのだろうが、それでも、よく短時間で集めたものだと思う。


 しかし、戦略面は愚かと評価せざるを得ない。これだけの人数を集めておきながら、バカ正直に正面突破を選択してしまったのだから。


 開けた土地で行われる野戦だったら物量差によるゴリ押しもアリだが、如何せんここは屋内。狭い立地にて一度に戦える人数は限られてしまうのだ。せっかくの数の優位も意味をなくしてしまう。


 一総のことをめているのか、怒りのせいで気が逸ってしまったのか、それとも己の“真の力”とやらを過信したのか。おそらく全てが理由なのだろうが、元々ゼロに等しかった勝ち筋を自ら閉ざしてしまったことには変わりない。


(さて、どう対処しようか)


 一総は口内で言葉を転がす。


 この程度の人数を一瞬で片づけるには容易い。異世界では、異形の化け物や異能を行使する敵兵を一度に万単位も相手にしたことがある。武術をたしなんだ一般人くらい、ものの数に入らない。


 ──が、あっさり決着をつけてしまうのは、やや躊躇ためらいがあった。


 というのも、牛無や桐ヶ谷家の背後に存在するモノを警戒するがゆえだ。


 この状況が奴らの仕組んだ罠ではないか。排除した途端、こちらを絡め取ってくるのではないか。逆に、こう考えることを見越した時間稼ぎではないか。


 考え出したらキリがないけれど、敵を考慮すれば考えすぎくらいが程良いのだ。


 たとえ何の罠もなかったとしても、連中がこの戦いを覗く可能性は高い。そうなれば、自分の手札を余計に晒すのを避けたいのは当然だった。


 だから、


(門下生たちは体術のみで鎮圧する)


 もっとも手間がかかるが、後々のリスクが低い手段を選択した。


 武術の玄人に、よりにもよって体術で相対する。普通は考えもしないことだが、一総には一切の迷いがない。


 彼は数多の異世界を異能だけで生き残ってきたわけではない。自身を研鑽し続けた結果、今も存在できている。その研鑽には体術も含まれており、桐ヶ谷流の連中に遅れを取る気は微塵もなかった。


 一総が思考を回している間に、門下生──黒装束たちの混乱は収まったようだ。敵意をこちらへ向け、ついには攻勢へ出てくる。


 対する一総も呼吸を整え、迎え撃つ体勢を整えた。


 広い屋敷とはいえど、廊下で一度に動けるのは精々四人。中空を使っても六人が限度だろう。背後からの攻撃を意識しなくて良い分、かなり楽な多対一の戦闘だ。


 案の定、最前線にいた四人が駆けてくる。緩急をつけた独特の歩法を駆使し、それぞれが左右に入れ替わりつつ接近してくる。


 あの歩法は桐ヶ谷流の技術と思われる。似たような武術から類推するしかないが、自分の認識を錯覚させる効果を狙ったものだろう。実際、彼らの姿が霞みがかって見える。


 しかし、一総には通用しない。探知系の異能を使用すれば一目瞭然だし、使わなかったとしても、戦場を生き抜いてきた経験により看破できる。今回は後者によって相手の動きを捕捉していた。


 仮の呼称として、向かってくる黒装束をA、B、C、Dとしよう。


 一番手で一総へ接敵したのはAだ。それまで他のメンバーと共に撹乱するよう走っていたのを一転、真っすぐ突っ込んでくる。その手には刃渡り十センチメートルほどの短刀が握られていた。


「シッ」


 研ぎ澄ませた殺意を乗せ、Aは斬撃を放つ。その斬り下ろしは一総の脳天を狙っており、躊躇ちゅうちょは全く存在しない。


 その道の達人でも目を見開くレベルの技だったが、一総は何の感慨もなく避けた。刃が身を傷つけないギリギリを見極めた上、すれ違いざまに短刀を真っ二つに折るというオマケつきで。


「なっ──」


 Aは驚愕の声を漏らす。回避は予想できていても、武器を壊されることまでは想定外だったらしい。


 驚きは思考の空白を生む。それを見すごす一総ではないし、いつまでもAばかりにつき合っている暇もない。拳を彼の腹部に叩き込み、手早く気絶させた。


「──ッ!」


 一総に休む猶予はない。倒れ込むAの陰から、いつの間にか接近していたBが間髪入れず刺突を繰り出した。彼の持つ得物はスティレットと呼ばれる刺突特化の短剣で、その主な用途は対象の殺害にある。


 完璧なタイミングで放たれた死の一撃は一総の喉一点を狙っていて、致命打になり得る強烈な攻撃だった。──普通であれば。


 直進してくる凶器を視界に収めても、一総の顔に微塵の曇りもない。まるで一連の流れを予想していたかのように、小さく頭を傾げた。


 たったそれだけの動作。首を僅かにずらしただけで、一総は死神の鎌を回避せしめる。


 その後は言わずもがな。攻撃を外したBは無防備な状態で彼の懐に飛び込むこととなり、瞬く間に地に組み伏せられ、意識を刈り取られた。


 二人を撃破した一総だったが、敵の攻撃は終わっていない。


 Bの撃破から一秒と置かず、残るCとDが仕かけてきた。今度は一総の左右からの挟撃。それぞれの手にあるのは片刃の直刀だ。


「「ヤァア!」」


 二人は同時に刀を振るう。同じ一文字斬りだが、軌道の高さが異なった。高低を網羅することで、跳ぶ屈むの回避手段を潰す目的だろう。


 確かに、普通の人間だったら避けるのは難しいが、一総にとっては不可能ではなかった。だが、ここはあえて他の手を講じようと思う。その方が敵への衝撃は大きかろう。


 一総は迫る刃の軌道を見極め、そっと両の手を置いた。


 すると次の瞬間、宙に置かれた手の中にはそれぞれ刃が挟まれていた。二本の斬撃を同時に白刃取りしたのだ。


 この所業にCとDは絶句。Aの二の舞にはならんと即時撤退を選んだのは良い判断だが、それでも遅かった。一総は両者に高速で拳を放ち、即座に無力化する。


 ここまで十秒にも満たない。四人を相手に、彼は無傷どころか十秒で沈めてしまった。


 これを目撃した残る黒装束たちはどよめく。五十人もいれば問題ないという謎の自信は、目前で巻き起こった一方的な鎮圧劇によって脆くも崩れ始めた。


 一旦動揺してしまうと士気の低下は加速する。徐々に後ずさる者たちが増えていく。


 一総としては、戦わずに済むのなら面倒が少なくて良いと思っているのだが、そうは問屋が卸さなかった。黒装束の瓦解もあと少しと見られた時、後方から叱咤が飛んできたのだ。


「ガキ一人に何を怯えてる! お前たちの進む先は、後ろではなく前だぞ!」


 その声は、軍勢の大将である牛無のものだった。


「お前たちの目的は、奥の部屋にいる女どもだろう。ここで油を売ってる暇はないはずだ! それに、栄えある桐ヶ谷流の人間が『イビルドア』のガキ一人如きに逃げ出したとなれば、その名誉の失墜は免れないぞ!」


 最初こそ、安全圏から命令を下す牛無に反発的な様子だった黒装束一同だったが、『名誉の失墜』と言われた辺りで戦意を取り戻した。敵意や殺意を宿した瞳が、再び一総へと突き刺さる。


 牛無は門下生たちのウィークポイントをよく理解しているらしい。色々と残念な男であるが、扇動の才能はそれなりに持っているようだ。


 やる気を漲らせた黒装束らが大きな波となって襲い来る。


 そのさまを認めた一総は溜息を吐いた。それから気合いを入れ直す。ネズミ一匹たりとも、ここより先は通さないと。








 正面から二撃、左右から一撃ずつ、上空からも二撃。これが一瞬で繰り出される最低限の攻撃。もっと手数が増える場合もあるし、フェイントなどの奇策を仕かけられる時もある。それが間断なく襲いかかっていた。


 到底、一人の手でさばける状況ではないのだが、一総は汗を一滴も流さず無傷であり続けた。それも己が肉体のみを使って、だ。


 さすがに手数が足りないので、こちらからの攻撃によって戦闘不能者を出すのは難しい。だが、蒼生たちの眠る部屋へは一人たりとも行かせていない上、彼には未だ余力が存在した。このまま丸一日戦い続けても平然と立っていられるだろう。


 攻撃が始まってから三十分以上は経過するのに、たった一人の障害さえ取り除けない。その事実は黒装束らの精神へ負荷をかけていく。些細なものかもしれないが、緩やかに彼らのプライドを傷つけ、心を疲弊させていった。


 武器の重なる金属音、肉体同士のぶつかる打撃音、苛立ちを吐き出すための怒声。あらゆる雑音がひしめく戦場は、その後も状況を維持したまま時間だけを消費していく。




 戦闘が開始され、ちょうど三時間が経った時、とうとう事態が動き出した。今までは次から次へと攻撃が降りかかっていたところ、ほんの一瞬──瞬きよりも短い間隔だけ合間が生じたのだ。


 時間と呼ぶには、あまりにも刹那的な間隙。これほど長時間も戦っているにも関わらず、この程度の隙しか見せないのは凄まじいものだ。


 しかし、その貴重な隙間を一総は見逃さない。


「ハッ!」


 戦闘開始以来、初めて発せられる彼の裂帛の気合は、場の空気を震撼させた。


 弾ける大気を受け肌を震わせつつも、黒装束たちは動きを止めやしない。その程度の根性は彼らも持ち合わせていた。


 ところが、一部の──一総の周りを囲んでいた面子の動作だけは停止していた。ざっと十人弱か。


 何故動かなくなったのか。そう訝しむ他の黒装束らだったが、すぐに疑問は解消される。停止してから一秒も経たず、彼らが地に崩れたのだ。見れば、全員白目をむいて気絶していた。


 周囲の黒装束たちに衝撃が走る。心なし、動作の精細さが欠けた風に見られる。


 どうにも、今の一瞬に何が起こったのか理解できてしまったようだ。一総が刹那の間に十数人の意識を奪ったと。


 その予想は正しく、一総は人間の速さの限界を超え、拳を周りの者たちに叩き込んでいた。気絶はするが死にはしない、絶妙な力加減を以って。


 微妙なバランスで保たれていた戦線だ。攻撃側の精細さが失われれば、必然的に防御側に余裕が生まれる。細やかな間隙は、より大きな隙に変化する。


 一総の行動は早かった。黒装束たちの心の動きを見逃すことなく、彼らの隙間を縫うように駆け出す。誰の目にも留まらぬ速さで、時には見て盗んだ桐ヶ谷彼らの技術を用いて一総は走る。そして、すれ違いざまに拳や手刀を叩き込み、次々と敵を打倒していった。


 時間にして一分ほど。影をも残さぬ素早さで駆け回っていた一総は、ようやくその足を止めた。


 彼の足元に広がるのは気絶した黒装束の山。あれだけ存在した軍勢が、一人を残して全て薙ぎ払われた。


 パンパンと手の汚れをはたきながら、一総は残った──あえて残した一人の方を向く。そこには口をパクパクと開閉させ、肩を震わせる牛無の姿があった。

 

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