005-4-02 初めての決闘

 つかさの呼び出しに応じ、一総かずさは街の外にある草原へと足を運んでいた。


 時刻は黄昏時と言われる頃合い。陽が地平線に重なって草原を赤く染め、空を紫紺に照らしている。


 人気のない広大な大地に司は立っていた。


 二人の距離が五メートルを切った辺りで、彼女は口を開く。


「一総くん」


 その短い言葉に、強烈な鋭さが宿っていた。


 言外に静止を促していると察し、一総は歩みを止める。


 二人の間に静寂の帳が降りる。爽やかな風とそれに撫でられる草の音以外、何ひとつ耳に響くものはない。


 ヒリヒリと焼けつくような無言の時間の後、ゆっくりと司は尋ねてきた。


「どうして呼び出されたのか、分かってるよね?」


「ああ」


「このふたつの資料を読んだよ。ここに書かれてる内容は事実で間違いない?」


 彼女の両手には、一冊ずつ本が握られていた。


 無論、見覚えはある。禁書庫に眠っていた例の代物だろう。図書館の本は持ち出し不可のはずだが、錬成術で複製品でも作ったのだと思われる。


「答えるまでもないと思うが」


「ちゃんと答えて」


 有無を言わせぬ雰囲気の彼女に対し、一総は軽く肩を竦めるに留める。どうにも冗談を挟む空気でもないようだ。真面目に答えるとしよう。


「オレが覚え違いをしてないのであれば、その資料に書かれてることは事実だ。一切の訂正はない」


「……そう」


 司の微かに漏らした返事は、酷く冷え切っていた。


 あの資料の内容を信じ切ることができず、一縷の望みにかけて否定して欲しかったといったところか。


(まぁ、司の心情は理解できる)


 連世の門を開いた経緯のせいか、彼女は命に対して人一倍敏感な感性を有している。資料に記されていた魄法習得の手段は受け入れがたいものだったのだろう。自分の目指す不老不死へ至る道であれば尚さら。


 しかし、過去は書き換えられない。起きてしまった事象は否定できない。


 まぶたを伏せていた司は、おもむろに顔を上げる。それから、信念のこもった鋭い眼差しを一総へ注いだ。


「私に、この研究の詳細を教えてくれない?」


 その言葉は一総にとって予期せぬもので、微かに眉をひそめた。


「何故?」


「一総くんに施した実験って破棄されちゃったのか、詳細のまとめられてるっていうレポートが全然見つからないんだよ。だから――」


「そういうことを訊いてるんじゃない」


 一総は片手を前に出し、彼女のセリフを途中で遮った。


 実験レポートがすでに破棄されているという司の予想は正しい。一総が自らの手で燃やし尽くしたのだから。


 でも、今聞きたかったのは違う答えだった。物理的な可否ではなく、心情的な部分を問い質したかった。


 前述したように、司は命の消失に対して人一倍臆病な性格をしている。それは、これまでの共同生活で実感してきたことだ。だのに、彼女は一万の命を犠牲にした実験の詳細を問うている。大きな矛盾がそこにあった。


 悲願である不老不死を前にして前後不覚になっている? そうも考えられたが、今の司がそのような状態に陥っている風には見えない。瞳には真っすぐな意志が宿っているし、発せられる声も戸惑いはない。


 司が何を想い、どんなことを考えているのか。異能を使わずして知る術はない。かといって、信を置く彼女にその類を行使するつもりもない。


 ただ、どういった思考の元で魄法について調べようとしているかを理解する必要が、魄法を伝授できる・・・・・一総にはあった。


 ところが、しばらく時間を置いても、一向に司が口を開く様子は見られない。自分の心を明かさないという意思表示と取れた。


 これでは自分も明かせないな、と内心で呟いた時、ふと考えを改める。


(そもそも、詳細を教える必要なんてないんじゃないか?)


 何故か教える前提で思案していたが、一総は魄法関連の話を永久に口外したくないのだ。となれば、司が心情を吐露するか否かなど最初から関係ないはずだった。


 もしかしたら、家族同然の司の要求を無意識のうちに受け入れようとしてしまったのかもしれない。身内限定でものすごく甘い人種が存在するのは彼も既知としていたが、自分も同類の可能性があると発覚したことは、正直複雑な心境だ。過去に親しき者たちから捨てられた彼への強烈な皮肉だろう。


 一総が苦い表情を浮かべていると、今まで黙っていた司が口を開いた。


「私が何を考えてその結論に至ったのか、ちゃんと言う。でも、その前にやりたいこと――やってほしいことがあるんだけど、いいかな?」


「……内容によるが、話は聞こう」


「ありがとう」


 要求を断ると決めていたので、司の頼みを聞く必要性は皆無だ。とはいえ、彼女が先の決断を下した理由が気になるもの確か。


 ゆえに、様子を見ることにした。この先の話を聞くことで自分の決意が翻る確率がある、そんな期待とも好奇心とも取れる感情を抱いて。


 司は大きく深呼吸をし、力強い眼差しで言った。


「私と決闘をしてほしい」


「……」


 それを耳にした彼は目を細めた。


 正気を疑ったわけではない。彼女が決意を込めて発言したのは紛う方ないから。


 しかし、解せないことは変わりなかった。


 司は理知的で計算高い人間である。悪く言うなら、狡猾で腹黒いと表現できるか。行動のひとつひとつに理由を持たせるし、戦うのは必勝が確約された時のみというタイプだと窺えた。それなのに一総へ勝負を挑むのは、あまりにも非合理。いつもの彼女らしくない。


 自分も知らない奥の手があるのか? そう思考を巡らせたところで、彼はそれを振り払った。


 司が一総に勝利することは不可能だ。傲慢と取れるが、これは客観的に見た彼我の実力差であり、純然たる事実。


 ――ということは、今回の決闘の申し出は勝敗が重要ではないかもしれない。そういえば、司は勝ち負けに関して言及していない。


 彼女の真意を探るためにも、その辺は訊いておいた方が良さそうだ。


「勝ったら魄法に関して喋れっていうことか?」


 直截な問いかけだったが、今さら取り繕うような関係ではない。


 対し、司は苦笑を漏らす。


「違うよ。そんな条件を出したら、一総くんは決闘を受けてくれないでしょう? それに、億が一にも私の勝利はあり得ないし」


「じゃあ、どうして?」


 勝てないと分かっていて、戦うことに何の報奨もないと知っていて、何で戦いを申し込むのか。


「私の覚悟を示したいから」


 司は説く。


「私がどれだけの覚悟を持ってるか、あなたに知ってほしいから。戦いの中で魂をぶつけて、私の心を知ってほしいから。私がどんな道を歩もうとしてるのか、その道程をあなたに見てほしいから。私の告白をあなたに届けたいから」


 彼女の言葉は重さを湛えながらも、どこか楽しげだった。自らの感情を慈しむような優しさを感じる。


 最後に、彼女の瞳が一総を射抜く。


「だから、私は一総くんと戦う」


 本気の眼だった。司は覚悟を持って、一総と刃を交えようとしている。


 今の説明で彼女の本心が理解できたわけではない。むしろ、謎が深まったように思える。


 だが、これを断るのは無粋だろう。本気でぶつかりたいと言う相手に対し、背を向けるのは情けない。前に、『唯一無二の親友から決闘を申し込まれても受けることはない』と言ったこともあるが、発言を撤回しよう。


「分かった。決闘を受けよう」


 一総の口から、自然と承諾のセリフが零れていた。


 その瞬間、二人の間に流れていた空気が変化する。日常から非日常のそれへ変遷する。


 幾度となく決闘を申し込まれ、すべてを断り続けてきた『異端者』。その初の決闘が今、異世界の空の元で行われようとしていた。

 

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