005-2-06 瀬海一総

 ヒースロイクたちは、一総かずさらを異物として処断しにきたのではないのか? 盗み聞きしていた先ほどまでの主張と異なっている。


 また、目前の青年がミュリエルの婚約者というのも驚きである。いや、家格も年齢もつり合ってはいるのだが、十五歳を超えても結婚していない彼女に、婚約者の存在がいるとは考えもしなかった。


 というより、ミュリエルからの話では、彼女が国家運営へ協力する代わりに婚約破棄と結婚時期の無期延長を約束させたと聞いていた。どうにも話が食い違っている。


 一総が思考を混乱させていると、後ろに控えていたミュリエルが声を張り上げた。


「勝手なことを言わないでちょうだい! あなたとの婚約は五年も前に取り消したでしょう。それなのに、しつこくまとわりつくなんて、ストーカーと大差ないわよ!」


吸魂魔ソウル・サッカーの長い生からしてみれば、五年など細やかな時間だ。今から婚約し直しても遅くはない。それに知っているのだぞ。君が結婚したがらないのは、そこにいる黒鬼に恋慕を抱いているためだと! であれば、そやつを倒せば君が手に入るではないか!」


「な、ななななななな、何でこんなところで言っちゃうのよぉぉおおおおお!!!! もう怒ったわ。今この場で、あんたを葬り去ってくれる!」


「やれるものならやってみろ!」


 売り言葉に買い言葉というべきか。ミュリエルとヒースロイクの二人は口論を始め、ついには霊術による戦闘を開始してしまった。他の面々を置いてけぼりにして。


 一総は呆れながら二人の周りに結界を張り、蒼生たちの元へ下がっていく。


「えーっと、どういう状況なんでしょう、これは?」


「知るか」


 頬を引きつらせる真実まみの質問に、一総は投げやりに返す。


「え、でも、ミュリエルさんがケガでもしたら……」


「ご心配には及びません。お嬢様はご主人様に次ぐ霊術の使い手。つまり、この世界にあの方より強い者はおりません」


 なおも気遣う真実だったが、ムムが見事なまでにインターセプトした。世界最強と言われてしまえば、何も言えなくなる。


 そも、貴族の姦計などを警戒したから、一総が口を挟んだのだ。ところが、蓋を開けてみれば、ただの色恋問題。念のために記憶を探ってみたが、ヒースロイクに暗い裏側はひとつもない。


 無駄に疲れてしまった。自分から首を突っ込んだようなものだが、とんだ茶番につき合わされた。早く自室に帰って休みたい。まぁ、周辺被害を抑える結界を維持しなくてはならないので、ミュリエルたちの気が収まるまで休めないが。


 何とも言えない空気の中、司が一総へ不思議そうに問うてくる。


「それにしても、ミュリエルちゃんが一総くんのことを好きだって知っても驚かないんだね。自分に向けられる好意には鈍感だって、前に言ってなかったっけ?」


「鈍いぞ。でも、ミュリエルは別なんだよ。彼女からは帰還前に告白されてるから」


 補足しておくと、驚いてはいるのだ。十年もの間、ずっと想いを寄せられていたとは思ってもいなかったため。


「「「ええええ!?」」」


 勇者組の三人が瞠目した。いや、蒼生あおいは無表情のままだが、他の二人は結構驚いている。まさか、すでに告白が済んでいるとは思わなかったらしい。


 彼女たちの反応に一総は苦笑する。


「帰還する少し前だったかな、好きだって言われたのは」


「返事はどうしたんですか?」


「当然、断ったよ。勇者はいつか元の世界に帰る存在、無責任なことはしたくなかった」


「そう、ですよね……」


 真実は複雑な表情を浮かべる。


 彼が誰ともつき合っていないことへの安堵と、告白を断られても諦めていないという似た境遇への同情が合わさった感じか。ライバルが減ったと素直に喜べない辺りが、彼女の損点であり美点だろう。


 思いがけない昔話にしんみりとしていると、ムムが爆弾を放り込んだ。


「ご主人様、嘘はいけません」


「嘘ですか? 私の眼は反応してませんけど」


 嘘を見破れる真実が、真っ先に返す。


 すると、ミミが言葉を継いだ。


「正確には、全てを語ってないってところッスね。勇者の立場は、断った理由の一部にすぎないッス」


「本当ですか、センパイ?」


 二人の発言を聞きいた真実が、一総へ矛先を向ける。


 対する一総は目元を手で覆い、天を仰いでいた。嘘に関して真実が妥協を許さないと知っているため、話を誤魔化すのが不可能だと悟ったのだ。


「後で覚えてろよ」


 その小さな呟きは、使い魔の姉妹へ向けたもの。要するに、彼女たちの言葉を認めたことになる。


 一総は姿勢を正し、溜息混じりに答えた。


「ミミたちの言う通り、勇者を理由に断ったのが全部じゃない。あとひとつ、オレには断る理由があったよ」


「それは?」


「オレには当時、婚約者がいたんだ」


 忌々しく吐き捨てるように、彼は口にした。


 それの破壊力はすさまじく、一瞬にして耳を傾けていた真実たちを呆然とさせてしまう。彼女たちが彼のセリフの意味を理解するまで、しばらくの時間がかかった。


 ようやく思考が回ってきた三人は、三様の反応を見せる。


 蒼生に変化はない。やや息を呑んだ気配は伝わってきたが、無表情デフォルトを崩すほどの感情の揺れはなかったようだ。


 つかさは納得した表情を浮かべている。婚約者の話はカケラも話したことはなかったけれど、普段の生活から何となく予想ができていた感じか。僅かながらの動揺は見えつつも、大きく取り乱したりはしていない。


 もっとも狼狽ろうばいしているのは真実だ。青天の霹靂だったのだろう。思考の許容範囲を超えたのか、目をぐるぐる回し、壊れたレコードのように「婚約者」という単語を繰り返し呟いている。


「まみ、しっかりして」


「婚約者婚約者婚約者婚約者婚約者こんやくしゃこんにゃくしゃこんにゃくししゃ…………ハッ!?」


 蒼生が肩を揺すると、真実は我に返った。若干顔色は悪いが、正気には戻っている。


 その様子を見ながら、司は疑問を口にした。


「一総くんって良家の出か何か?」


 婚約者のことを話せば、そういった質問が来るのは予想できていたので、一総は冷静に返す。心境は諦観といったところ。


「本名……と言っても戸籍は変更してるから、旧名って表した方が適当か。とにかく、オレの前の名前は瀬海──瀬海せかい一総かずさだ」


 一見して、彼は司の問いに答えていないように思える。


 しかし、今の回答で十分だった。一総の出生を伝えるのに、これ以上の返答はなかった。それだけ、“瀬海”という名には大きな意味が込められている。常識の欠ける真実や世俗に疎い蒼生でさえ言葉を失うほどの。


 口を半開きにして呆気に取られている三人を見て、一総は自嘲気味な笑みを浮かべた。


「やっぱり驚くよな」


「それは当たり前だよ。だって、あの・・瀬海でしょう?」


「だよなぁ」


 あわよくば、と淡い期待をしていなかったと言えば嘘になるが、その望みがゼロに等しいのは理解していた。僅かな希望にすがりたくなることくらい、一総にだってある。


「瀬海って、『ワールド・コーポレーション』の瀬海で合ってます?」


 事実をハッキリさせたかったようで、真実が核心を突く質問を投げかけてきた。


 ここまで話しておいて誤魔化す必要もない。一総は大きく首肯した。


 すると、真実は再び目を回してしまった。その他はともかく、精神的には一般市民と変わらない真実には、受け止めるのに時間がかかる内容なのだろう。思考が追いつくまで、そっとしておいた方が良さそうだ。


 そこへ、蒼生がボソリと口ずさむ。


「『ワールド・コーポレーション』……世界ナンバーワンの企業」


 そう、ワールド・コーポレーションとは、世界一の業務成績と規模を誇る一大企業だ。日用品から戦略兵器まで幅広い分野に手を伸ばしており、その名を知らない人間はいないだろう。


 また、一流企業では珍しく、勇者産業から一歩身を引いているという特徴もある。英国の失墜で大打撃を受ける会社が多い中、唯一損害が軽微だったのは記憶に新しい。


 そして、瀬海という一族は、代々ワールド・コーポレーションの社長を務める血筋。要するに、一総は世界最大企業の御曹司というわけだ。


 ……否、“だった”と表現するのが正しい。彼はとっくの昔に廃嫡させられているのだから。


 未だ戸惑いの抜けない司がぼやく。


「何となく育ちがいいとは思ってたけど、まさか瀬海だったとはね」


「予想はされてたのか」


「割と分かりやすかったよ。所作の丁寧さとか、普段の何気ない行動がお上品だったもん」


「私は分からなかった」


 どことなく気落ちした雰囲気を見せる蒼生。


 司は苦笑する。


「見る人が見れば分かるって感じだね、あれは。そっち方面の知識がないと区別はつかないと思う」


 彼女の指摘を受けた一総は、小さく唸る。


 無意識下の動きから見破られていたのは、些か想定外だった。かといって、それを正すのも難しい。体に染みついた所作を矯正することは、たとえ一総であっても一朝一夕では行えないのだ。偽ることはできなくもないが、普段から気を張るのも面倒くさい。


 ある程度は割り切るしかないのだろう。見た者が全員感づくわけでもないのだから。


「その婚約者さんとは、どうなったんでしょうか?」


 ようやく混乱から復帰した真実が、身を乗り出しながら尋ねてくる。翡翠色の瞳がギラギラと煌めいており、彼女の必死さが強烈に伝わってきた。


 その勢いに引きつつも、一総は答える。


「瀬海家との絶縁と同時に別れたよ。元々、政略結婚みたいなものだったから、オレが瀬海でなくなったんなら、婚約者であり続ける理由がない」


「それなら安心ですけど、ドライな関係ですね。苗字が変わったからって赤の他人になっちゃうんですか。センパイは、その婚約者さんのことは好きじゃなかったんですか?」


 一般家庭出身の真実にとって、政略結婚は得心しづらいものらしい。喉に小骨が刺さったような、判然としない表情をしていた。


「うーん」


 彼女の質問に対し、どう答えたものかと逡巡する。


 正直に答えても良いのだが、このまま婚約者の話題を続ければ、絶対に三人の心は荒む。特に、真実は一段と騒がしくなるはずだ。それは避けたいところだが──。


 真実へ伝える言葉を選ぶ一総だったが、それは徒労に終わってしまう。またしても、メイド姉妹が余計な口を聞いたために。


「ご主人様はお相手のことを、子供ながらに愛していましたよ。それを支えにこの世界で戦い抜き、お嬢様の告白も断ったのですから」


「ドライというか、非道なのは婚約者の女だけッスね。ご主人様が何度も異世界に召喚されるのを不気味がって、一方的に罵倒して捨てたんッスから。勘当されたのも同じ理由ッスよ」


 ムムとミミの発言に、場の空気が凍った。真実と司などは完全に表情が死んでいる。真顔を通り越した何かだった。


 ミュリエルたちの戦闘音を残して静まり返るところ、スパーンと小気味良い音が響いた。それは一総がミミとムムの頭を平手で叩いたものだ。


「「痛い」」


 涙目になり、異口同音に不平を口にする姉妹。いつまでも後頭部をさすっていることから、かなり力を込めて殴られたと分かる。


 対して、一総は二人を鋭く睨めつけた。


「二人とも、さっきからわざと口を滑らせてるだろう? 元実家関連の話はデリケートなんだから、気軽に話すな。見ろ、三人とも驚きすぎて固まってるぞ」


 他人に聞かせられるものではないという理由もあるが、彼にとって瀬海家にまつわる話題は腫れものだった。誰にも語ったことはないし、最近までは口に出すのも苦痛だった代物。こうも簡単に話されては怒りたくもなる。


 大方、使い魔のパスを利用して得た情報なのだろう。この調子だとミュリエルも知っていると考えて良さそうだ。


 あまり知られたくない過去を、六人の女性に知られている。その事実に、一総は深い溜息を吐いた。


 どう蒼生たちに説明しようか悩んでいると、痛みから復帰した使い魔姉妹が口を開く。


「気軽じゃないッス。必要だと判断しての行動ッスよ」


「ご許可なく実行したことは謝罪いたしますが、後悔はしておりません。お三方には話すべきだと判断しました」


「それは……」


 二人の力強い視線に、一総は言葉を詰まらせた。


 彼女たちが、どういう意図を以って話したのか理解した。


 二人はこう言っているのだ。異世界にまでついてきてくるほど一総を信用している蒼生たちへ、信頼で応えなくてはいけないと。過去を伝えた程度で今の関係性は揺るがないと。


 確かに、ミミたちの行動は正しい。安らげる日常を与えてくれている三人に、自分からも何かを返すべきだとは思う。特に真実は、傍からしたら意味の分からない理由で告白を断られたというのに、未だに好意を寄せてくれている。


 本来なら、もっと早くに説明をするべきだった。それなのに黙っていたのは、偏に怖かったからだろう。数々の敵と相対してきたための障害と言うのか、自らの瑕疵かしを他人へさらけ出すことに、かなりの抵抗があったのだ。だから、何も話さなかった。こちらに踏み込んでこない彼女たちの優しさに甘えて。


 これは良い機会なのかもしれない。一総の過去を知る者が彼以外にもいる世界でなら、蒼生たちに語っても良いと思える。全ては無理だが、元実家のことなら話しても大丈夫だろう。


「分かった。楽しい話じゃないが、オレの昔話をしよう」


 一総がそう答えると、姉妹は嬉しそうな表情を浮かべ、蒼生たちは緊張した面持ちで喉を鳴らした。様子から察するに、勇者三人も一総の過去には興味があったらしい。まぁ、当然と言えば当然か。


 とはいえ、この場で今すぐ語り始めるわけにもいかない。他人の耳がないところが望ましいので、移動は必須だった。


 そのために、ミュリエルの戦闘を終わらせる必要があったのだが、


「ふん。アタシに勝とうなんて千年早いわよ」


 ちょうど決着がついたようだ。ミュリエルが無傷で仁王立ちをしており、その足元にはボロボロのヒースロイクが倒れていた。分かり切っていたことだが、戦闘というよりも一方的な蹂躙だった模様。ちなみに、取り巻きの連中はミュリエルが攻撃を始めた辺りで逃げ出している。


 一総は周囲に展開していた結界を解き、ミュリエルへ声をかけた。


「ミュリエル、終わったなら来てくれ。重要な話がある」


「えっ、急に何?」


 何を勘違いしたのか、顔を真っ赤にして一総の方へ駆け寄ってくるミュリエル。いや、蹂躙劇が始まるキッカケを考慮すれば、その勘違いも仕方ないのだが。


 一行は屋敷へと戻っていく。その時の一総の歩みには、不思議と憂いはなかった。

 

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