005-2-07 過去、苦悩、克服
彼は
一総は、その期待に見事に応えていった。一を学べば十を理解し、あらゆることを器用にこなし、他人には慈愛の精神で接する一方、自身は厳しく律する。まさに、理想とすべき人間を体現していた。僅か七歳の子供が、だ。
当然、周囲の人間は一総を褒めそやした。彼がいれば瀬海家の将来は安泰だと、彼ほど素晴らしい人間はいないと。
大企業の御曹司となれば、婚約者が存在した。一総の婚約者は名家の令嬢だった。大和撫子の言葉が相応しい清楚な少女で、器量も能力も彼に劣らない才媛。
生まれる前から決まっていた相手だったけれど、二人の仲は非常に良好だった。大半の時間を共にすごし、笑顔を絶やさなかった。
実際に、二人はお互いを想い合っていた。恋というものを明確に理解できていない年齢だったが、幼少なりに相手を大事に扱っていた。
一桁の歳でそこまで思いやれるのなら、二人が生涯を添い遂げるのは間違いなかっただろう。
一総は全てを持っていたのだ。金も、地位も、名声も、才能も、友も、婚約者も。
だが、何も苦悩を持たず、これらを享受していたわけではない。彼には彼なりの悩みがあった。
それは期待への重圧、成功するがゆえのハードルの上昇、周囲からの羨望や嫉妬。普通なら子供には向けられない大きな意思たちが、一総の精神を苛んでいた。
誰かに相談できれば楽だったのだろうが、聡明な一総にはできなかった。両親や婚約者を含めた周囲の人間こそ、彼にそれらの意思を向けていた張本人だったのだから。相談してしまえば、自分の価値が暴落してしまうのではないかという恐怖が先行してしまった。
だから、一総は依存した。両親に、婚約者に――家族と分類できる者たちに。
家族との交流が、一総の精神を和らげる唯一の手段だった。彼らに喜んでもらうため、一総はさらに勉学や運動を励んだし、人格者であろうと努めた。趣味の料理だって、振る舞うと家族が笑顔になってくれるから腕を磨いた。家族が一総の全てだったのだ。
家族と支え合う、この温かな時間がずっと続くものだと、一総は信じていた。
しかし、それは夢
彼は七歳の誕生日に、勇者召喚された。そう、ミュリエルのいる異世界へと
無力な七歳児は、その世界で初めて『戦争』を目の当たりにした。殺し殺され、血で血を洗う凄惨な世界を経験した。
右も左も分からない彼は、汚泥に塗れながらも逃げ惑うしかない。強制的に戦場へ放り出される毎日を送る中、必死で生き残る術を身につけ続けた。霊魔国の王たちに施された”アレ”にも耐え続けた。本来であれば、どこかで心折れてもおかしくない苦行を耐え忍んだ。
それも全ては、生きて家族と再会を果たすため。両親や婚約者の温もりを再び感じたいために、一総は立ち上がり続けた。
一年という年月を経て、一総はようやく元の世界に帰還した。彼をこき使っていた霊魔国側に世界滅亡の原因があったのは皮肉だったが、帰ってこられたのは素直に喜ばしかった。
ただ、彼は家族との再会を待ち望んでいたのと同時に、拒絶される可能性に恐怖していた。勇者が家族から捨てられる話は耳にしていたし、召喚前と後で、彼の中身は大きく変質してしまっていたからだ。
結果的に、その心配は杞憂だった。両親も、婚約者も、友も、使用人たちも、一総を笑顔で迎え入れてくれた。涙ながらに抱擁したあの時の感触や温度は、いつまでも忘れないと思う。これからは元の日常が戻ってくるのだと安堵した気持ちも忘れないだろう。
そして――この五日後に訪れる絶望も決して記憶から消し去ることはできない。そう、一総は再び異世界に召喚された。一回目の勇者召喚など、地獄の始まりにすぎなかった。
八月十五日、二回目の召喚。将来的に世界の害となる新種族の少女を殺すことで解決した。自分と歳の変わらない、歌うのが好きだという女の子の最後の叫びは、いつまでも脳裏にこびりついている。少女を探すのに世界中を駆け回ったので、一年かかった。
八月二十五日、三回目の召喚。神族が他の人種を支配する世界で、その支配体制を崩すことで解決した。多くの人間や他人種が迫害される現場を目にした。もちろん、一総自身も酷い目に何度もあった。得意だった霊術が発動しにくい世界だったせいで、十ヶ月かかった。
七月一日、四回目の召喚。電脳技術が発展した世界だったが、その技術革新が世界を痛めつけていた。ゆえに、知的生命体の一掃が解決手段だった。精神面を考慮しなければ一番解決が楽な世界で、半年かかった。
一月四日、五回目の召喚。星単体ではなく、宇宙規模に手を広げていた世界だった。核兵器を超える、世界を壊しかねない兵器を破壊して解決した。宇宙中を駆け回ったが、一ヶ月で終わらせられた。
二月二十四日、六回目の召喚。人と魔族が戦争を続ける世界。どちらが勝っても世界が滅亡する状況だったので、両者を戦争継続不能の状態にした。全力で取り組んだため、半月で終了した。
五月十一日、七回目の召喚。生きているだけで世界を汚染する人造生物を討伐し、解決した。問題が明確だったので、迅速に対処できた。半月かかった。
このように、一総は断続的に異世界へ召喚され続けた。最初こそ無条件に迎えてくれた家族だったが、三回目の帰還時には表情を引きつらせており、五回目の時には視線が冷たいものとなっていた。
そして、七回目の帰還を成し遂げた時、一総の両親は彼へ勘当する旨を告げたのだ。
当時のことは、今でも鮮明に覚えている。化け物を見ているかのような瞳、心底汚らわしいといった歪んだ顔、失望と憎悪を抱えた魂の色。
決して我が子に向けて良い代物ではないそれらを受けて、一総の頭の中は真っ白になってしまった。
助けを求めて周りの使用人たちに目を向けるが、返ってくるのは両親と同じ感情を湛えた視線のみ。家の中に、彼の味方は一人もいなかった。
「お前が勇者になってしまったのは嘆かわしかったが、勇者産業に手を出すいい機会だと考え黙認してきた。だがな、お前の力は強大すぎる。強者には多くの者が魅了され集うが、人智を超えた力に待つのは孤独だ。お前の存在は、我が一族の害にしかならない」
父のセリフを受け、この家には自分の居場所など一切ないと悟った。両親の愛は冷めてしまったのだと理解した。──いや、最初から愛情などなかったのかもしれない。父の言葉からは“次期当主”の心配はあれど、“息子”への心配は見られなかったのだから。
あまりの衝撃に涙が溢れてくるが、誰も彼を気遣う者はいない。
逃げるように家を飛び出して向かった先は、婚約者の元だった。これまで支え合ってきた彼女であれば、自分を受け入れてくれる。そう信じていたのだ。
ところが、待っていたのは残酷な現実。門前払いされるも必死に粘り、ようやく対面できた彼女は言い放った。
「瀬海家を勘当されたあなたとは、もう赤の他人よ。金輪際関わらないでちょうだい。瀬海の子だったから、私は婚約者だったの。その肩書きを失ったのであれば、あなたに興味なんてないわ。これは他の者にも言えることね。あなたは全てを持ってたようで、何も持ってなかったのよ。何も持たない化け物に寄り添う人間なんていないわ」
侮蔑の感情がたっぷり込められた、酷く冷たい言葉だった。
彼女の言う通りだった。婚約者の家を追い出された後に友人宅を訪ねたのだが、全員から門前払いされた。化け物と罵られた上で。
勇者を保護する法律のお陰で、路頭に迷うことはなかった。すでに
しかし、一総の心にはポッカリと巨大な穴が空いてしまっていた。何かをする気力も情熱も湧かず、ただ惰性で生きていくことしかできなかった。
このことに対し、その程度のことで情けない、といった苦言を漏らす者もいるだろう。数回召喚された後というのは珍しいが、勇者の大半は家族から捨てられている。彼らの視点から言えば、一総の境遇はありきたりなものだ。
だが、一総にとっては「その程度」では済まなかったのだ。生まれながらにして膨大な期待を向けられていた彼が努力してこられたのは、偏に家族を愛していたから。愛する家族や婚約者の期待だからこそ、過度な重圧に押し潰されずに頑張れた。異世界にて死に物狂いで戦い、誰よりも早く帰還をなしていたのも、全て家族や婚約者の元へ帰るためだった。
そんな大切な人たちから裏切られた一総が活力を出せるわけがない。原動力を失ったのに、以前と同様に動けるはずがない。
それでも、勇者召喚は待ってくれなかった。一総の心情などお構いなしに、彼を異世界へと誘っていく。
戦場で死ねれば良かったのだが、七回の地獄を経験した彼には無理なことだった。意識せずとも敵を狩り尽くし、世界の危機を摘み取ってしまう。
日常と非日常の往復。無気力のまま勇者を続けていき、十回目の帰還を終えたところで、一総はグチャグチャと混乱した思考にやっと結論を下した。
失ったものは戻ってこない。であるのなら、今あるものを──細やかな日常だけは守ってみせよう。強すぎる力が孤独をもたらすのなら、隠し通せば良い。自分には、それをこなすだけの十分な力を有しているのだから。
その日より、一総は日常に固執するようになった。平穏な日々を守るためなら、ほとんど手段を選ばなくなった。残された平和のみが、彼に残された唯一の拠りどころゆえに。
○●○●○
「とまぁ、こんなところだな。勇者にはありきたりの、つまらない話だっただろう?」
ミュリエルの屋敷の談話室にて、一総は瀬海家にまつわる過去を明らかにした。
最後、重くなってしまった空気を霧散させるために
何も、ふざけた一総に怒っているわけではない。話に出てきた瀬海家の人々や婚約者へ怒りを向けているのだろう。それくらい好かれているという自覚は、さすがにある。
「オレのために憤慨してくれるには嬉しいけど、もう終わったことだし、この場にいない者のことを考えても不毛だ。肩の力を抜いてくれ」
一総が苦笑を溢すと、彼女たちは一斉に息を吐いた。同時に、ピリピリ張り詰めていた部屋の空気が緩和される。
「センパイが日常を大切にする原点、ですか……」
「何があったかは聞いていたけれど、改めて本人から話を聞くと、感情が抑え切れないわね」
一総を傷つけたことが許せないようで、先程より幾分かはマシになったものの、未だ怒りのオーラがその身を漂っている。
自分のために憤ってくれているのを嬉しく感じつつも、話が進まないので、二人を優しくなだめた。
「二人とも落ち着けって。オレはもう、そこまで気にしてないからさ」
「むぅ」
被害者である一総に言われては仕方がないと考えたのか、真実は不服そうにしながらも、深呼吸をして冷静さを取り戻す。
一方、これまでの彼を使い魔越しから知り得ていたミュリエルは、反論を口にした。
「落ち着けるわけないじゃない。あなたの人生の全てを否定して、あなたから家族を信頼する心を奪った人間よ? あ、あああ愛する人を不幸にした輩の話を聞いて、平然となんてしていられないわ」
“愛する人”と口にするところで盛大に顔を赤くしていたが、一総を見つめる瞳と声は真剣なものだった。傷心していた彼を知る者として、簡単には割り切れないのだろう。それはメイド姉妹も同様で、大きく頷いている。
ミュリエルのセリフを聞き、司が「あっ」と声を漏らした。
「一総くんが恋人を作らない理由って……」
彼女の言葉に、蒼生と真実の二人も目を見開いた。
そして、真実が眉根をつり上げる。
「気にしてないなんて嘘じゃないですか。恋人を作れないくらい、ガッツリとトラウマ抱えてるじゃないですか!」
好きな人がトラウマを残すほど傷ついていると分かり、真実は怒りを再熱させた。自身の告白を断られているだけあって、余計に感情が湧き立っている。
対して、一総は冷静さを失わない。
「嘘なんてついてないよ。それは魔眼持ちのキミなら分かってるだろう? 確かに、最近までは思い出すのも嫌なくらいだった。でも、今は違うんだ」
柔らかさの含まれた声音から嘘は感じられず、真実の瞳にも引っかからない。彼の言っていることが本当だと理解できる。
ゆえに、疑問が生じた。告白をしてから半年も経っていない。そのような短い期間で、どうやって長年抱えていた
困惑しつつも、真実は問うた。
「違うって、どういうことですか?」
どうとでも解釈できそうな、曖昧な質問だった。
だが、一総は誤魔化すことをせず、真摯に答えを返す。
「完全に、とはいかないが、ほとんどトラウマは乗り切ったんだ。この数ヶ月を村瀬や真実、司とすごしてきて楽しかったんだよ。オレの敷いた境界線を、関係ないと言わんばかりに踏み込んでくるキミたちとの生活が」
だから、身内を作るのを拒絶していた自分がバカバカしいと思えた。そう、一総は笑った。
それを聞いた蒼生たちはしばし呆然としたが、そのうち顔をほころばせていった。蒼生はいつもの無表情を崩し、真実は感激で涙目になり、司は花の咲いたような満面の笑みを浮かべる。
反応はそれぞれだったが、喜びを露わにしているのは全員に共通していた。
一総の中で身内同然である彼女たちに喜んでもらえるのは嬉しいが、それほど心配をかけていたと思うと申しわけなくもある。
「真実」
一総は彼女を見据えて言った。
「近いうちに答えを出すよ」
それは主語のないセリフだった。
しかし、その場にいる全員にはそれだけで十分だった。一総が何の答えを出すつもりなのか、十二分に理解できた。
「は、はい。待ってます!」
嬉しさと緊張と憂慮と、様々な感情をない交ぜにして、真実は大声で返事をする。
顔を真っ赤にする彼女の反応に微笑を溢しながら、一総は立ち上がった。
「昔話はおしまいだ。明日から忙しくなる予定だから、今日は早く寝よう」
その言葉と共に、本日は解散となった。各自が用意された部屋へと散っていく。
去り際の少女たちの顔には覚悟があった。それぞれが何の思惑を抱いているのかは判然としない。
だが、非日常とは別の――日常の戦いが起ころうとしているのは間違いなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます