005-2-08 二度目の告白
明日から行う戦争介入に緊張して眠れない、というわけではなく、彼は就寝前に本を読むのをルーティーンとしているだけだ。空間魔法の【ガレージ】を自分の隣の空間に関連づけてまで書庫を持ち歩く徹底振りには脱帽するばかりだが。
本を読み始めて一時間ほど経過した頃、部屋の扉がノックされた。
誰がやって来たのかは、だいぶ前から気配を察知していたので分かっている。ついでに、部屋の前を三十分もウロウロしていたのも承知していた。
何も意地悪で声をかけなかったのではなく、来訪者の性格を考慮すれば、自分のタイミングで決心させた方が良いと判断しただけだ。
読みかけの本に栞を挟んでサイドテーブルへ置くと、一総は扉まで歩み寄り、それを開いた。
部屋の前にいたのは果たして、ミュリエルだった。淡い水色のロングネグリジェに身を包み、ポットとティーカップを乗せたお盆を持っている。漂う香りからして中身は紅茶だろう。
「夜分にどうしたんだ?」
大体の察しはついているが、一応の質問をしてみる。
ミュリエルは赤い双眸を揺らめかせ、か細い声で答えた。
「一緒にお茶でもしない? 明日からはゆっくり時間も取れなさそうだし、二人っきりで話したいのよ」
頬を赤く染めていることから、勇気を振り絞った誘いなのだと分かる。
色々規格外なところはあるが、彼女も一国の王女。貞淑であれと育てられたゆえに、夜に男性の部屋を訪ねるような、大胆な行動を起こすのは恥ずかしいのだ。
「そういうことなら歓迎さ」
予想通りの誘いだったため、一総は迷いなく応じた。
淑女を部屋に招くなど妙な誤解を受けかねないが、この屋敷には身内しかいないので問題ない。それに一総としても、十年振りに再会した友人と話の花を咲かせたかった。
部屋に入った二人はお茶の準備を終え、談話用のソファへと腰を下ろした。向かい合う形ではなく隣同士で。
さすがに密着するほどではないけれど、ミュリエルにしてはグイグイと積極的に来ている。使い魔姉妹が入れ知恵したのは想像に難くなかった。
紅茶を一口二口飲むまで無言だった両者だが、そのうち言葉が漏れ始める。
「こうして二人でお茶するのも久しぶりね」
「十年振り……いや、最後の方はミミたちも一緒だったし、純粋に二人きりとなると、もう少し前になるか」
あの姉妹を拾ったのは召喚されてから七ヶ月後で、使い魔の契約を結んだのは更に一ヶ月後。その辺りから四人でお茶をするようになったため、ミュリエルと一対一で会話するのは十年と四ヶ月振りくらいだ。四ヶ月など誤差にすぎないかもしれないが。
「カズサがあの二人を連れてきた時は、それはもう驚いたわ。絶滅したと考えられていた淫魔の生き残りだったんだもの。あなたが【魅了】されたんじゃないかって、お父さまたちも大慌てだったわね」
からかう雰囲気で話すミュリエルに対し、一総は気まずそうに頬をかく。
「あの時のことは悪かったと思ってるよ。二人がそれほどの希少種だなんて知らなかったんだ。淫魔が何たるかも、子供だった当時は知らなかったし」
「知っていても助けたでしょう?」
「……そりゃあね。両親を含めた同族全員を王国軍に殺された同い年の女の子を、今と違って正義感溢れてた当時のオレが助けないわけがない」
淫魔は成人──十八歳を超えると、“人間”から精気をもらわないと生命活動が行えない種族だ。その特性上、人間とは切っても切れない仲であり、人間が好む見目麗しい容姿を持って生まれてくる。
大昔は淫魔と人間の共存も叶っていたらしいのだが、現在は見る影もない。自分たちを餌にする化物だと、人間たちからは駆除の対象となっている。
かといって、霊魔国を筆頭とした人外の国には逃げられない。彼らは人間がいないと生きていけないためだ。
人間に襲われながらも、人間なしでは滅びてしまう。そのようなジレンマを抱えた淫魔たちは、人里で身分を偽るか辺境で身を隠すか、そのどちらかを選択し、細々と生活を送ってきた。
結果、淫魔は見る見るうちに人数を減らしていき、一総の知る限りでは、もはやミミとムムしか生き残りはいない。そういった悲運の存在を、一総が放っておけるはずがなかった。彼もまた、この異世界で不遇の扱いを受けていたのだから。
「『今と違って』ねぇ」
一総のセリフに、ミュリエルは意味深に笑む。
彼は眉を寄せた。
「何が言いたいんだよ」
「いえ、今も昔も、カズサは正義感を持っていると思っただけよ」
「はぁ? そんなわけない、今のオレはかなり利己的さ。ミミたちから話を聞いてるなら、承知してるだろう?」
彼女の言葉に耳を疑った。
家族に捨てられるまでは人格者であろうと努めていた。ゆえに、帰還を第一目標にしつつも、召喚された世界の人々のためにも働いていた。
しかし、今は異なる。何よりも『平穏な日常』を守ることを優先し、己の利にならない人助けは行わなくなった。そこに正義感など一切存在しない。
ところが、ミュリエルの考えは違うようだった。
「確かに、昔と比べて自分を優先するようにはなったけれど、根っこの部分はあまり変わっていないように感じるわ」
「何を根拠に……」
「だって、真に利己的な人間なら、あなたについてきた女の子たちは今頃死んでいるじゃない」
そう言って、ミュリエルは一総をまっすぐ見つめる。
「守るよりも排除した方が苦労は少ないわ。あなたには、それをこなせる力がある。ああ、周囲への弁明が面倒っていう言いわけは通用しないわよ。カズサの世界には勇者召喚っていう便利な方便があるのだからね。だから、いくら理屈を並べようと、あなたの根本にあるのは自己愛ではなく、他者への思いやりで間違いないわ」
「……」
一総から反論は出ない。したくてもできない。ミュリエルの言葉は論理立ったもので、疑念を挟む余地はなかったからだ。
それでも言い返したくなるのは、感情面の理由だろう。自らに、昔のような純真さが残っていると認めたくなかったのだ。
一総の内で蠢く感情を理解しているのか、ミュリエルの眼差しは柔らかい。
そして、彼女は言った。
「そんなカズサだからこそ、アタシは今も変わらず愛しているのよ」
「……そうか」
顔を赤くし、目を潤ませるミュリエル。百人中百人を射止められるだろう愛らしい様相を目の前にしても、一総は動揺しなかった。
彼女の気持ちを事前に知っていたこと、彼女の告白が二度目であること、数々の戦場を潜り抜け精神が図太くなったこと。それらが、彼の冷静さを繋ぎ止めた最大の要因だと思われる。一度目の告白では盛大に慌てふためいたのだから、この推測は的外れではない。
一総はミュリエルの告白を冷静に受け止め、そして、冷静に返した。
「十年前にフッたっていうのに、想い続けてくれたのか」
「ええ。簡単に諦められる恋ではなかったから」
頬を染めつつも、ミュリエルは力強く答える。それだけに、想いの強さが実感できた。
自分はそこまで惚れられるほど大した人間ではない。そんなある種の申しわけなさが湧いてくるが、そう考えることこそ彼女の想いに対する侮辱であるのは理解していた。だから、真剣に“答え”を考える。
「オレとキミは住む世界が文字通り違う。そこに存在する壁の厚さは理解してるか?」
物理的距離も
「ええ。今のアタシが持っているモノ全てを捨ててでも、カズサについていく覚悟はあるわ」
対するミュリエルの返事は肯定。しかも、王女の身分――それどころか生まれた世界を捨てる気概でいると断言した。その意志の強さについては言及するまでもない。
一総はこれ以上なく真剣に思案した。彼女の想いと覚悟を無下にしないよう、深く、懸命に熟考した。
ここまで好意を寄せられているのなら、考えるまでもなく受け入れるのだろう。十年のブランクがあるとはいえ、ミュリエルのことは深く理解している。家族に対する忌避感も、先刻語った通り薄れてきている。
だというのに即答しないのは、
真実もまた、一総へ好意を抱いている。その想いの強さがミュリエルに負けないほどなのは、彼も既知としていた。
このタイミングでミュリエルが告白をしてきたのは、近いうちに一総が真実を受け入れると判明したからに違いない。手遅れになる前に、同じ舞台に立ちたかったのだと理解できる。
だからこそ悩ましい。
確かに、一総の心は真実へと傾いていた。だが、ミュリエルは十年前に自分を支えてくれた恩人。加えて、ずっと一途に思い続けてくれた上に、全てを投げ打ってでも共にありたいという。
そのような女性の想いを簡単に拒絶できるだろうか。
――さすがの一総でもそれは難しい。
ゆえに悩む。いつもは即断即決を旨とする彼の面影はなく、優柔不断に悩み続ける。
こういう他人を容易に切り捨てられない辺りが、ミュリエルのいう一総の変わらない部分なのだが、彼自身に自覚はない。
答えを出そう苦悩する一総を微笑ましそうに眺めていたミュリエルだったが、彼が結論を出す前に口を開いた。
「カズサ、それ以上悩まなくてもいいわよ」
「どういうことだ?」
怪訝にミュリエルへ目を向ける一総。
ミュリエルは満足そうに笑っていた。
「それだけ悩んでくれるということは、脈がないわけではないのでしょう? 今はそれで十分よ。カズサを試したくて様子を見ていたけれど、今すぐ結論を出してほしいわけではなかったし。十年も待ったのだから、まだまだ待てるわ。それに……」
「それに?」
「アタシはカズサを独占する気はないの。だから、もしアタシを選ぶようなら、他の子も愛してあげてほしいわ」
「何っ!?」
ミュリエルの発言に、一総は
それを見た彼女は、おかしそうに笑声を漏らした。
「意味が分からなかった? 第二夫人以降や妾を容認するって言ったのよ」
「いや、それは分かってるんだが……」
彼女の言いたいことは理解している。異世界――もちろん、ミュリエルの住む世界も――では、一夫多妻制度を取り入れている国も多い。一総の世界でもそういう国はあるし、日本にだって愛人を囲っている人間は稀に存在する。
一夫多妻が当然の環境で育ったミュリエルがこういったことを言うのに違和感はないのだが、如何せん、自分が一夫多妻云々の話に関わるとは考えもしなかったのだ。いくら異世界を渡ろうと、いずれ元の世界に帰る一総にとって一夫多妻制度は他人ごとと変わらないゆえに。好意に鈍感であるのも、動揺を誘う原因のひとつに加わっていると思われる。
目に見えて慌てる一総を尻目に、ミュリエルは続ける。
「さぁ、お喋りを続けましょう。まだお茶会は始まったばかりなんだから」
「この状況で続けるのか?」
「当たり前でしょう? 十年のブランクを早く詰めてしまわないと」
カズサを手玉に取れる、またとない機会だもの。そううそぶくミュリエルに、一総は顔を盛大にしかめた。
それからしばらく、宣言通りにミュリエルは一総をからかい続けた。
ただ、その後に倍の仕返しをされたことは言うまでもない。
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