xSS-x-21 閑話、MISSING BLUE
日本フトゥルームの一画。そこは開発区と呼ばれる、工場や研究所が密集したエリアだった。無骨な灰色の建物が多く並び、どこからか甲高い金属音が響く。人の気配とは些か無縁の場所だ。
そのようなところに、一人の少女がポツンと立っていた。黒真珠の如き長髪に白磁のような白い肌がキレイなコントラストを描き、それらに乗る
彼女の名は
というのも、
「……まよった」
絶賛迷子中だからである。
どうして彼女が迷子になってしまったのか。話の発端は、一時間前まで
○●○●○
自宅のリビングにて。一総の恋人たちだけで”嫁会議”ならぬ”恋人会議”を開いていた時だった。ふと、蒼生の第一の友である
「そういえば、蒼生センパイって単独で行動できるようになったんですよね?」
「うん」
蒼生は頷く。
異能の制御ができるようになったと国より認められた蒼生は、もう監視される必要はなくなった。よって、去年より続いていた
そこへ
「それがどうしたの?」
「大したことではないんですが、蒼生センパイが一人で行動してるところを見た覚えがなかったんで」
「
真実の言葉に、茶菓子の
司はミュリエルをたしなめる。
「行儀悪いよ、ミュリエルちゃん」
「はーひ」
今日はいつになくミュリエルの気が抜けている。
まぁ、無理もないのかもしれない。つい昨日、バイクの本免試験をクリアしたばかりなのだから。念願の免許を手に入れて、色々と緩んでしまっているのだろう。
『話を戻しますけど』と真実は言う。
「皆さん、蒼生センパイが一人で出かけてるところ、見たことあります?」
「ないね」
「
即答する二人。それほどまでに、蒼生が一人の場面を、外で目撃したことがなかった。
それを聞き、真実は首を傾げる。
「ですよね。どうして、蒼生センパイは許可が下りてるのに出かけないんですか?」
「うーん」
その疑問を受け、今度は蒼生が首を傾ぐ。
、というのも、彼女自身も、真実に問われるまで自覚がなかったのだ。言われてみると、出かける際は誰かと一緒だった気がする。
「あまり用事がない、から?」
「なんで疑問形なんですか……」
「そう言われても」
呆れた調子の真実に、蒼生は肩を竦める。
これといって理由はないのだから仕方がない。強いて言うなら、誰かと一緒で十分な用事しかないからか。インドア派の彼女は、私事による外出どころか、外出の頻度そのものが少ないのだ。
「なんか、ニートっぽいですね」
「失礼な。全国のインドア派にあやまれ」
「主語が大きすぎませんか!?」
蒼生と真実が漫才を繰り広げていると、煎餅を食べ終えたミュリエルが口を開いた。
「アオイって、一人で外出できるの?」
その発言に空気が凍った。もちろん、比喩的な意味で。
「失敬な。お出かけくらい、できる」
真っ先に、蒼生が反論した。
それに追随するように、司も言う。
「そうだよ。さすがに外出くらいは一人でできるって」
「家事スキルは壊滅的ですけどねー」
「そ、それは修行中なり」
「『なり』て」
真実のからかいに蒼生の口調がバグを起こした。手痛い話題だったようだ。
苦笑いに包まれ、空気がいくらか柔らかくなったところに、再びミュリエルが爆弾を投下する。
「本当に? アオイは一人で出かけた経験少ないんでしょう。最後に単独行動をしたのって、いつよ」
彼女がそう尋ねると、蒼生はアゴに手を当てて天を仰いだ。目を
記憶を掘り返す作業をしないと思い出せない時点で相当まずいのだが、その自覚は蒼生にない。
しばらくして、彼女は目を泳がせながら答えた。
「い、一年前。異世界で」
「「えぇぇぇぇ」」
真実と司が、呆れを多分に含んだ声を上げた。
二人を無視して、ミュリエルは続けて問う。
「異世界抜きだと?」
「……」
蒼生は無言を返した。
これは答えたくなかったのではない。答えられなかった結果だった。
理由は至極簡単である。
「この世界で、一人で外出した経験がないのでしょう」
ミュリエルのセリフがすべてだった。
何も驚くことはない。冷静に考察すれば、自ずと導かれる回答だ。
蒼生が『勇者召喚』されたのは五歳の時分。それから十七まで、ずっと異世界で生活をし続けたのだ。五歳児を一人で出かけさせる親は少ないと考えられる。ゆえに、蒼生は一人での外出経験がないと結論が出せた。
この辺りを滔々と説くと、驚いていた二人は得心がいったと首肯した。
「確かに、納得の推理です」
「小学校に上がる前なら、一人で遊びに行くなんてこともないだろうね」
「……むぅ」
羞恥からか、蒼生は両手で顔を覆ってしまった。
気持ちは理解できる。高校三年生にもなって一人で出かけた経験がないというのは、恥ずかしく感じて当然だった。
真実は感慨深そうに言う。
「となると、蒼生センパイって、一人で電車に乗れないのでは?」
「そんなことない! ……たぶん」
蒼生は力強く反論するものの、最後には自信が薄くなった。
少し面白いと感じた真実は、さらに追撃する。
「地図も読めなさそうですね」
「そんなことない、読める。……おそらく」
「お買い物も任せられないかも?」
「任せられる。……きっと」
「出かけたら最後、迷子になっちゃいそうですね」
「迷子になんてならない! もういい。私が一人で外出できるって証明してみせる!」
痺れを切らした蒼生は、とうとう家を飛び出してしまった。【身体強化】でも発動していたのか、誰も彼女を止められなかった。
絶対に見返してやる。
蒼生の心の中は、それのみが満たしていた。
○●○●○
目的も当てもなく飛び出した蒼生が迷子になるのは、至極当然の結末だった。どうやったら開発区に辿り着くのか不思議ではあるが、そうなってしまったものは仕方がない。
ただ、勢いに任せて走ってきたものだから、今までどの道のりを通ったのか覚えていない。人気もないので、道を尋ねることもできない。八方ふさがりだった。
一応、スマホを持ってはいるが――
「このままだと笑われる」
皆を見返すために外出したはずが、完全に墓穴を掘ってしまっていた。助けを呼ぶのだけは、絶対に避けたい。
そんな意地だけで、彼女は開発区を
あっちにふらふら、こっちにふらふら。同じような外観の工場や研究所が並んでいるせいで、余計に道筋が分からなくなってしまっていた。歩けば歩くほど迷う悪循環である。
どれくらい時間が経っただろうか。東に傾いていた太陽は、すでに頭上へ移動していた。もうお昼の時間だが、当然ながら飲食店の類は近くにない。食いしん坊の蒼生にとって、由々しき事態である。
ぐぅぅと腹の虫を鳴らしつつも、蒼生は足を動かす。空腹で軽く目まいを覚えているが、立ち止まってしまう方が致命的なので、体に鞭を入れて歩いていた。
食堂どころか食べ物の匂いさえ感じられない。このまま行き倒れかと心配になり始めた頃。ウィーンと、どこかの自動ドアが開く音が聞こえてきた。
蒼生は首を傾ぎ、そちらへ顔を向ける。
そこは、何かの研究所のようだった。休日なのか人気はないが、エントランスのみは開放している模様。
人がいないのに、どうして自動ドアが開いたのか。そう不思議に思い、近くに寄ってみる。
すると、彼女は思いもよらぬものを発見した。
「食べ物!」
研究所のエントランスには、軽食の自動販売機が置かれていた。カロリーバーなどが陳列されている。
蒼生は先程までフラフラだったのが嘘のように、自動販売機へ駆け寄った。そして、残像を生み出すほどの速度で硬貨を投入する。――いや、もうすでに、カロリーバーは彼女の口の中だった。恐るべき速度だ。
「うまうま」
カロリーバーを十本ほど買った蒼生は、その足で隣の飲料の自動販売機に向かい、数本のスポーツ飲料を購入する。それから、無言で食事を続行するのだった。
数分後。カロリーバーを完食した
(もしかして、この研究所の関係者?)
勝手に入ったことを怒られるかもしれないと考えた蒼生は、恐る恐る顔を上げた。
はたして、視線の先にいたのは、小学生低学年くらいの少女だった。サラサラとしたセミロングヘアを青のリボンで結わえており、水色のワンピースと相まって可愛らしい様相だ。
少女の登場は予想外で、蒼生は困惑した。どう考えても、ここは小学生の少女が赴く場所ではない。しかも、恰好は割とおめかししている感じがある。
結論。
「迷子?」
そう蒼生が口にした瞬間、少女は柳眉を逆立て、詰め寄ってきた。
「まいごじゃない!!」
「ご、ごめん」
頭突きでも繰り出さんと言わんばかりの勢いに、蒼生は思わず謝罪した。
まぁ、この年頃は、素直に迷子になったとは認められないのかもしれない。意地を張って連絡を取らない、誰かさんのことは置いておく。
「ふん。分かればいいのよ」
蒼生の謝罪に対し、少女は不遜な態度で腕を組んだ。
どうやら、彼女はかなり勝気な性格らしい。見た目はお人形のように可愛らしいのに、ずいぶんとギャップがある少女だった。
「「……」」
二人の間に沈黙が下りる。
これは仕方がない。蒼生は口下手だし、少女の方も年上相手にどう話しかけたら良いのか手探りなのだ。
ただ、一つ気になることがある。先程から、少女がチラチラとカロリーバーの包装を見ていた。
それはすでにゴミであったけれど、少女が何を求めているのか理解できた。
蒼生は口元に笑みを浮かべ、自動販売機で追加のカロリーバーを購入する。そして、それを少女へ渡した。
「はい、どうぞ」
「え?」
「食べていい」
「え、いや、でも……お金、ない」
先までの強気な態度を一変させ、遠慮がちになる少女。金銭感覚はキッチリしているタイプのようだった。
とはいえ、小さな子どもがお腹を空かせているのに、無視するのは良心が咎める。
どうしたものかと悩んでいると、ぐぅぅぅと言う聞き慣れた音が響いた。見れば、少女が顔を真っ赤に染めている。
攻め時だと判断した蒼生は、再度カロリーバーを差し出した。
「どうぞ」
「………………ありがと」
たっぷりの沈黙を置いて、少女はカロリーバーを受け取るのだった。
少女は舞子と名乗った。彼女はシングルファーザーの家庭なのだが、父は仕事ばかりで帰宅することは稀で、いつも寂しい思いをしていたのだとか。
それで休日を利用し、この開発区で働く父の様子を見に来たらしい。――らしいのだが、
「お父さんの働く会社の名前は?」
「……しらない」
何と、舞子は父の仕事場の情報を、一切知らなかったのだ。行けば分かると踏んでいた模様。
ものすごく無謀ではあるが、七、八歳の子どもには酷だろうか。世の中には、十八にもなって無計画に出かけて迷子になる者もいるので、まだ救いのある方かもしれない。
自分のことを棚に上げて呆れる蒼生は、仕方ないとスマホを取り出した。
「お父さんの名前は?」
「え?」
「お父さんの名前、おしえて」
「えっと……島賢樹」
舞子の父の名を聞き出し、スマホのブラウザに入力。検索を開始する。
すると、見事にとある会社の名前がヒットした。
当たればラッキー程度の行動だったのだが、思いのほか上手くいった。
「見つけた。この会社」
蒼生がスマホの画面を舞子に見せると、彼女はパァと表情を明るくさせる。
「本当!? ここにお父さんがいるの?」
「うん」
地図を見れば、会社の研究所は割と近場にある。徒歩五分圏内といったところ。すぐにでも彼女を送れるだろう。
「送る」
蒼生が立ち上がって提案すると、舞子は不安げに問うてきた。
「いいの?」
「乗りかかった舟だから」
「ありがと!」
舞子は嬉しそうに、その場で飛び跳ねる。
それが頬笑ましくて、蒼生は頬を緩ませた。
その後の流れは、実に早かった。
研究所の受付に舞子の存在を伝えると、そう時間を置かずに父親が駆けつけた。そして、舞子がとても寂しがっていたことを知り、今後は休みを増やすことを約束していた。
舞子は親の前でも強がる子だったらしく、父親もあまり心配していなかったらしい。大きなすれ違いが生まれる前で良かった。
親子のかけ合いを見るのもそこそこに、蒼生は研究所を後にする。『ありがと、あおいお姉ちゃん!』と舞子に礼を言われたのは、素直に嬉しかった。
帰り道。すっかり赤く染まった風景を眺めながら、蒼生は呟く。
「私、地図は読めた」
それは独り言ではない。誰かへ向けた言葉だった。
しばらくは静寂に包まれるが、不意に声が響く。
「いつ、気がついたんですか?」
その言葉を皮切りに、蒼生の隣――誰もいなかった空間に、真実の姿が現れる。
蒼生は彼女を見て、溜息混じりに返した。
「カロリーバー食べた後」
「やっぱり、あれは露骨でしたか」
「うん」
お腹を空かせていた蒼生へ、自動販売機の存在を教えたのは真実だったのだ。というより、彼女は最初から蒼生のことを見守っていたのである。
「私がけしかけた感じになっちゃいましたからね。ちょっと心配で」
「余計なお世話」
「そうですか? しっかり迷子になって、行き倒れかけてたじゃないですか」
「あの後、自力で挽回してた」
「本当ですかぁ? 絶対に目を回して倒れてたと思うんですけどぉ」
「言い方むかつく。やめて」
「えぇ、何をですかぁ?」
「やめろ」
あおりまくる真実に対し、蒼生が襲いかかる。
真実は華麗に回避し、さらに蒼生をあおった。
「きゃー、暴力はんたーい」
「むかつく!」
蒼生と真実の追いかけっこが始まる。
その後、真実があおりすぎたせいで追いかけっこは音速の領域まで到達し、一総の説教を受ける事態に発展するのだが、それはまた別の話。
ただ、二人とも終始楽しそうだったとだけは追記しておく。
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