xSS-x-22 閑話、ミュリエルはツンデレ

 とある日の放課後、一総かずさたちは通学路の途中にあるカフェに訪れていた。言うまでもなくデートである。


 ちなみに、同行メンバーは一総と彼女組のみ。メイド姉妹は、空気を読んで夕方のタイムセール戦場へ出向していた。


 というわけで、仲睦まじく雑談に興じる五人だった――のだが、


「ああっ、申しわけありません!?」


 すぐ隣で響くガラスの割れた音と女性の悲壮な声。


 目を向けてみれば、女性店員がお冷の入ったコップを落としてしまっていた。ガラス製のコップは粉々に割れ、水が床に飛び散っている。そして、その水を浴びてしまったようで、一人の男性客が店員に詰め寄っていた。


「おい、俺の靴がビショビショに濡れちまったんだけど、どうしてくれるんだ? これ、十万はするブランドものなんだけど」


「ひぃぃぃ、すみません、すみません!」


「すみませんで済めば、警察はいらねぇんだけどなァ」


 男性客のガラは明らかに悪く、どこからどう見ても恫喝だった。


 というか、靴が濡れたと言っても、爪先に一滴かかった程度である。かなり大袈裟な表現の仕方だった。


 一部始終を見ていたらしい真実まみが、嫌悪感を滲ませながら言う。


「あの男、店員さんの足を引っかけてましたよ。カクシンハンですよ、あれ」


「まみ、確信犯は『それが正しいと思って行動した犯罪』を指す。その使い方は誤用」


「……今言う必要ありました?」


 蒼生あおいの無慈悲な指摘に、真実は若干涙目になる。


「二人とも呑気すぎない?」


「ハァ。仕方ないから、アタシが行くわ」


 つかさは苦笑いを溢し、続いてミュリエルが呆れつつも立ち上がった。


 一総は短く問う。


「大丈夫か?」


「大丈夫よ」


 同じく端的に答えた彼女は、真っすぐ問題の二人の元へ近寄っていった。


 ミュリエル以外の客は、怖がって遠巻きに見つめているだけなので、特に障害なく辿り着く。


「ちょっと、あなた」


「アァン? 何だよ」


 如何にも”注意します”といった調子のミュリエルの声を受け、男は不機嫌そうに彼女の方を向いた。


 すると、


「おお! お前、いい女じゃん。俺と一緒にお茶しない?」


 潔い手のひら返し――否、手のひらスピンとも言うべき態度の移り変わりだった。彼は目をキラッキラに輝かせ、ミュリエルに言い寄っていく。


 しかし、そのような相手になびく彼女ではなかった。小さく溜息を吐き、こちらの肩に触れようとする男の手を、ピシャリと払い落とす。それから、払った手に触れた箇所を念入りにハンカチで拭き始めた。


「さ、触るのは馴れ馴れしかったかな? ごめんごめん。俺、スキンシップが激しい方なんだよ」


 男は頬を引くつかせるが、めげずなかった。それだけミュリエルが魅力的ということなのだが、彼女にとっては全く嬉しくないだろう。


 ミュリエルは、わざとらしく鼻を鳴らす。


「ふっ、節操がないの間違いではないの?」


 これが致命傷だった。


「ふ、ふざけんじゃねーぞ。こっちが下手に出てりゃあ、調子に乗りやがって! ちょっと可愛いからって、人さまのことをバカにしてんじゃねぇぞッ!!」


 男は一瞬呆然とした後、すぐに顔を真っ赤にして殴りかかってくる。


 周囲の客は騒めき、傍にいた女性店員も「お客さま!?」と悲鳴を上げるが、当のミュリエルは冷たい眼差しのままだった。特に慌てた様子もなく、男の拳が迫ってくるのを待っている。


 結果はすぐに現れた。


「……」


 男は、物言わぬ氷の彫像と化していた。彼の拳はミュリエルの鼻先まで迫っているものの、皮膚一枚でさえ触れていない。


 ミュリエルは彫像を一瞥すると、詰まらなさそうな表情で手を振るった。途端、足元の影が広がり、彫像を地面の中へ引きずり込んでしまう。


「お、お客さま、今のは……」


 一連の出来事を間近で目撃していた女性店員は、彫像が姿を消した後、ようやく再起動を果たした。


 彼女の問いに、ミュリエルは肩を竦める。


「殺してはいないわよ。ただ凍らせて、その辺の路地に捨てただけだから、安心しなさい」


「そうなんですか……。あっ、いえ、そうではなくて! 助けてくださり、ありがとうございました!」


 最初安堵の息を漏らした女性は、すぐさま表情を改め、ミュリエルに向かって頭を下げた。


 対して、彼女は照れくさそうに、頬を指先で掻く。


「礼は不要よ。別に、あなたのために行動したわけではないもの。あの男の声を、アタシが耳障りに感じただけ」


「そ、それでも、お礼させてくださ――」


「いいの、いいの。気にしないで」


 なおも感謝を伝えようとしてくる女性を振り切り、ミュリエルは一総たちの待つ席へ戻ってきた。


「……何よ」


 一総たちが一様に笑みを浮かべていたので、不愛想に問うミュリエル。


 真実が代表して答える。


「ミュリエルは素直じゃないなぁと思ってるだけですよ」


「アタシは十分素直だけれど?」


 真っ向から反論する彼女に、今度は蒼生が呟いた。


「ミュリエルはツンデレ」


「つん、でれ?」


 しかし、ミュリエルには伝わらなかったらしい。聞き覚えのない単語に、彼女は首を傾ぐ。


 それを見て、真実がヤレヤレと肩を竦めた。


「知らないんですか? ツンデレって言うのは――」


「説明しようッ!」


 しょうがないなぁといった体で口を開いた真実だったが、それを遮るように声が響いた。蒼生が目を輝かせて、その場で立ち上がっている。


 思わぬ人物の立候補、加えて彼女らしからぬテンションの高さに、遮られた真実のみならず、他の面々も目を丸くしている。いや、それだけに留まらなかった。


「ツンデレというのは、『特定人物に対して敵対的な態度と過度に好意的な態度、その両方を取ってしまうこと』を指すのが一般的。でも、本来は『元々照れ隠しで冷たく接していたのが、あるキッカケを境にして素直になる』って意味だったとも言われてる。ツンデレと偏に言っても種類は結構あって、最初は本当に嫌っていたパターンや幼馴染みもしくは悪友パターン、孤高を極めているタイプもいれば、行き過ぎた真面目ってキャラもいる。一時はヒロインにはツンデレありとも評されるほど人気を博してて、声優の久木宮さんが担当した作品は――」


「お、おお」


「あ、蒼生センパイがペラペラ喋ってます……」


「ごめんなさい、話のほとんどが理解できないわ」


「安心して、ミュリエル。私も全然分からないよ」


 マシンガンかくやの語りが始まり、皆一様に困惑してしまった。


 そのような彼らの態度も目に留まらないのか、未だに蒼生は口を回している。勢いは、まるで衰えていなかった。


 それを認めた一総が、苦笑いを溢した。


「こうなったら、しばらくは止まらないよ。放っておこう」


「蒼生センパイって、度々こうなるんですか?」


 彼の話し振りより、何回も同じ経験があると察した真実。あの寡黙な蒼生がそんなバカな、と目を丸くしている。その驚愕は、他の二人も同様。


 一総は肩を竦めた。


「好きな物事を語る時は、いっつも饒舌になるんだ。ダルマの時とかヤバいぞ。この職人の作るディティールが良いとか言われても、全然分からんもの」


 真実たちは乾いた笑声を漏らした。


 ダルマを突き出して熱弁する蒼生の姿を想像したら、かなりシュールだったのだ。


 何とも微妙な空気が蔓延したところで、ゴホンとミュリエルが咳払いをする。


「で、結局、ツンデレって何なのよ」


 蒼生が暴走してしまったため、彼女はツンデレの意味を理解できていなかった。


 代表して、真実が口を開く。


「簡単に説明すると、好意を素直に伝えられない人でしょうか。有名なセリフだと、『べ、別にアンタのタメじゃないんだからね!』ですね」


「えっ、何、最後のセリフ……」


 酷く嫌そうに頬を引きつらせるミュリエル。どうにも、漫画やアニメのベタなセリフは、お気に召さなかった模様。


 真実はあっけらかんと答える。


「ツンデレの定番らしいですよ。『素直になれなくて、その人のためにやったことを、そうじゃないって否定してしまう』というシチュエーションみたいです」


「嗚呼、好きな人のためにお弁当を作ってきたのに、『作りすぎちゃっただけだから!』って照れ隠ししちゃうやつでしょ。私も知ってるよ」


「確かに定番だな」


「本当に存在するのね……」


 司と一総も肯定してしまい、ミュリエルは自分の価値観が崩されたように感じる。


 その後、ハッと我に返り、彼女は言った。


「待って。私、そんな感じではないでしょう? 少なくとも、変なセリフは口走ってないわ」


「いえ、セリフは単なるテンプレですし」


 必死に否定するミュリエルに、真実は呆れた表情を浮かべた。


 そこへ一総が疑問を投じる。


「あれ。似たいようなこと、前に言ってなかったか?」


 その言葉に、真実と司は「ほぅ」と興味深そうな声を上げ、ミュリエルはギョッと肩を震わせる。


 記憶を探り始める彼を止めようとミュリエルは動くが、それは真実と司によって妨害された。何やら面白そうだと判断した二人は、異能まで用いて彼女の足止めを敢行する。


 そうして数分。結局、二人の防衛を突破することは叶わず、一総は記憶を掘り起こしてしまった。


「そうだそうだ。ミュリエルの故郷霊魔国にいた頃は、さっきのセリフみたいな感じだったぞ。オレにケガの治療を手配してあげた時とか、お茶会に誘われた時とか」


「どんな感じだったの?」


 とても興味深そうに司が問う。


 その間にも、ミュリエルは必死に止めようとするが、真実が『真言』を使って黙らせていた。本気度が違う。


 えーと、と前置いてから、一総は語る。


「『べ、別に、あなたのために治療を手配したわけではないのよ。あなたという戦力を失わないため、これは必要な行為なのです』とか、『べ、別に、あなたが好きでお茶に招待したのではないの。あなたが暇そうだったから、仕方なく……そう、仕方なく呼んであげたのよ、感謝しなさい!』だったかな」


「「へーえ」」


 彼の内容を聞き、真実と司は揃って声を漏らした。それは、完全にからかいの混じった色だ。同時に、ニタニタとした表情でミュリエルを見る。


 とうのミュリエルといえば、両手で顔を覆ってうずくまっていた。耳が赤いので、相当恥ずかしがっているのだろう。まさに、穴があったら入りたい状況である。


「まんまじゃないですか。ミュリエルってば、ツンデレさん」


「これは否定できないよねぇ」


 二人の感想に、ミュリエルは慌てて反論する。


「ち、違うのよ。あの時は若かったの。王族で人間と全然接したことがなかったから、どう対応すればいいのか判断できなかったのよ。若気の至り!」


「「ふーん」」


「もう勘弁してッ!」


 その日のミュリエルは、終始真実と司にからかわれることになる。


 ちなみに、蒼生の暴走が止まったのは、実に三時間後のことだった。

 

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