007-2-02 傲慢な少女

 一総かずさの後ろ姿が見えなくなると、ミュリエルたちが途端に脱力したのが分かった。盗撮に関して、よほど追求されたくなかったらしい。


 バレて困るのだったなら最初からやらなきゃ良いのにと蒼生あおいは思ったが、恋は理屈で動けないのかもしれない。


 蒼生はヘンタイ行動を強引に美談として納得させ、事前に購入しておいた缶ジュースを飲む。日本では首都圏と静岡、沖縄くらいでしか販促していない、ドから始まるあの炭酸飲料だ。


「アオイさま、よくその飲み物を飲めるッスね」


 どこか唖然とした風に、ミミが口を開いた。


 蒼生は怪訝そうに目を瞬かせる。


「淫魔は飲めないの?」


 人間では平気な食材でも、淫魔は無理なものがあるのだろう。


 そう、種族的な問題だと判断した彼女だったが、ミミの反応は違った。


「いや、そういう意味で言ったんじゃないッスよ」


「じゃあ、どういう意味?」


「アオイさまの飲んでる飲料水、まずくないッスか?」


「べつに?」


 ミミが何を意図して発言しているのか、さっぱり分からない。蒼生は、先程までよりも深い角度で首を傾げた。


 ミミの方も伝達方法に悩んでいるようで、「えーと」、「あー」などと口内で言葉を転がしている。


 そのような二人を見かねて、ムムが仲介に入ってきた。


「姉さん。アオイさまは独特な感性の持ち主なのですから、正論をかざしても通じませんよ。アオイさま。姉は、そのお飲み物は大衆向けの味ではないと申したいのです」


 前半をムムへ、後半を蒼生へ向けて話す。


 “感性が独特“の辺りは物申したいところではあったが、今は流してあげよう。ミミに代わって、分かりやすく説明してくれたのだから。


 手に持ったエンジ色の缶を眺めた後、蒼生は問う。


「そんなにマズイ?」


 個性的な風味であるのは認めよう。好みが分かれるのも。しかし、マズイは言いすぎではないか。そう苦言を呈したのだが、皆から返ってきたのは乾いた笑みだった。全員、マズイと感じているらしい。


(解せぬ)


 釈然としない気持ちを晴らすよう、蒼生は缶ジュースを一気に飲み干す。炭酸飲料ならではの抵抗感を喉に覚えるが、構わず嚥下し続けた。


 蒼生が缶を空にしたタイミング。まるで見計らったように大声が響いた。


「何ですって!?」


 エントランス中を渡るそれに驚き、全員が肩を上げる。蒼生に至っては、危うくジュースを吹き出すところだった。乙女の尊厳にかけて何とか堪えたけれど、軽くむせてしまう。


 彼女が声の主へ非難の目を向けてしまうのは、無理からぬことだろう。


 視線の先には少女が立っていた。白いワンピースに身を包んだ、長い黒髪の美人。顔立ちから日本人だと思われる。


 また、かなり裕福な家庭の出だとも推測できた。というのも、少女の周囲には五人の使用人らしき者らが侍っており、彼女自身のたたずまいも、お嬢さま然とした雰囲気をまとっていたためだ。


 搭乗口へ続く通路付近にいることから、少女は今し方空港に降りてきたところと分かる。そして、スタッフの女性に詰め寄っている状況を考えると、何かしらのトラブルがあったとも予想できた。


 普通なら他人ごとだと無視を決め込むのだが、少女の声はアニメで登場しそうなキャラのようにカン高く、嫌でも蒼生たちの頭に響いた。詳細は不明だけれど、怒りの感情を込めていることもあり、かなりの不快感が襲ってくる。


「……どうする?」


 蒼生が皆に問うた。


 彼女としては仲裁案を推したかった。スタッフは少女の対処に困っている様子で、理不尽なクレームを受けている可能性があった。ゆえに、自身の正義感が助力を訴えているのだ。


 とはいえ、蒼生は自分の立場を弁えているし、他の皆に迷惑をかけてまで行動する意欲はなかった。


 ミュリエルはソファの背もたれに体を沈め、軽く手の平を振る。


「放っておいて問題ないでしょう。彼らはプロよ。ああいう場合の対処方法はマニュアル化されているでしょうし、アタシたちが手を出さなくとも同僚や上司が介入するわ」


 確かに、彼女の言う通りだった。下手に部外者が入った方が、事態を悪化させる確率は高い。


「でも、あの声がわずらわしいのは変わらないから、その対処はしておきたいわね」


 そう言うと、ミュリエルは指を鳴らした。同時に何かの異能が発動したらしく、蒼生たちを包むように魔力の幕が発生した。目を凝らさなければ見えない程度の、ごく薄の闇の天幕だった。


「音が消えた」


 天幕の効果か。少女の声どころか、周りから聞こえていた音のすべてが消え去った。


 結果を受け、ミュリエルは満足そうに頷く。


「即席だったけれど、問題なさそうね。本来は周りと隔絶する精霊魔法を、音だけ遮断するようグレードダウンしてみたの。あと、外から内側の様子が分からないようにもしたわ」


「即席で魔法改変ですか。さすがはお嬢さまですね」


「相変わらずの天才っぷりッスねぇ」


 ミュリエルの言に、ムムとミミが呆れた声を漏らす。


 今行使した魔法は難しいものだったようだ。普通の異能・・・・・に疎い蒼生は完全に理解できないが、姉妹の雰囲気から相当レベルの高い技術なのだと悟る。


 元の世界に帰ってきて以来、何度か手合わせしたこともあって実感しているが、ミュリエルも規格外の部類だ。霊術と闇精霊魔法を手足の如く扱い、魄法はくほうや精霊化といった上位の術へ昇華させている。その実力はもはや、勇者ではないにも関わらずフォースを超える。


 これも才能に胡座をかかず、死に物狂いの努力を積んだ成果なのだろう。目標──一総と共に生きること──を達成するには必要な経費ゆえに、彼女は数多の苦を乗り越えたのだ。


 その気概は、とてもまぶしく映る。何かをなすために、現実から目を逸らさず立ち向かう。それは、かつての蒼生には出来なかったこと。


「アオイ?」


 ふと、ミュリエルが声をかけてきた。何故か心配そうな表情を浮かべている。


 蒼生は小首を傾ぐ。


「なに?」


「いえ。真剣そうな顔をしていたから、何かあったのかと思ったのよ」


 どうやら、深く考え込みすぎたらしい。


 今後は気をつけなくては、と蒼生はかぶりを振った。それから、何でもないと返す。


「少し考えごとをしてただけ。無問題もーまんたい


「そう? 何かあったら、遠慮なく言ってね」


 若干引っかかりを覚えたようだが、ミュリエルはそれ以上の追及はしてこなかった。


 突っ込まれたら返答に困っていたため、ホッと安堵する。


 それから、手慰みに喉を潤そうとしたところ、あっと蒼生は声を漏らした。先程、自分のジュースを完飲していたことに気づいたのだ。彼女の両手には、空っぽの缶が虚しく収まっている。


(買いに行くしかないか)


 二本目のジュースを購入しに行こうと腰を上げる。


 すると、ムムも同時に立ち上がった。


「アオイさま、ジュースのご購入でしたらムムが行って参りますが」


「いい。自分で行く」


「では、せめてご同行をお許しください」


「……わかった」


 同行も断ろうとしたが、考えを改めた。


 感知範囲内だとはいえ、今は一総が傍らにいない。不測の事態を考慮するなら、単独行動は控えるべきだろう。たとえ、ジュースを買う短い移動であっても。


 結果的に、それは正しい選択だった。


 ムムを伴って近場の自動販売機へ向かう蒼生は、ミュリエルの術の範囲外に出た直後、問題に巻き込まれてしまった。


「あなたたち、待ちなさい」


 聞き覚えのあるカン高い声が聞こえる。明らかに自分たちへ向けられたものだった。


 厄介ごとの臭いがプンプンする。


 しかし、ここで無視する選択肢はない。それを行えば、さらに厄介な事態へ陥るのが目に見えていたため。


 溢れ出そうになる溜息を堪え、蒼生は声の主に向き直る。


 そこには予想通り、先程スタッフに詰め寄っていた黒髪の少女がいた。つり気味の目を一層つり上げ、力強くめつけている。


 こちらは何もしていないというのに、どうして睨まれているのか。蒼生には皆目分からなかった。


「なにか用……ですか?」


 無難に尋ねる蒼生。途中、嫌な気配を察知して敬語をつけ加えたため、妙な間が空いてしまった。


 少女はフンと不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「如何にも敬語に慣れていないといった感じね。これだから労働階級の者は下賤なのよ」


「うわぁ」


 思わず変な声が漏れた。小声だったので、向こうに聞こえなかったのは幸い。


 開いた口がふさがらないとは、こういう時に使う言葉なのか。下賤な発言をしているのは、あなたの方では? と思わず返したくなる。


 隣に控えているムムも同じ心境なのだろう。上手くポーカーフェイスで隠しているが、どことなく落ち着きのない気配が感じられた。


 それにしても、この傲慢な態度の少女は、如何な用があって声をかけてきたのだろうか。まさか、バカにするだけなどと宣うまい。


「いったい、何の用ですか?」


 若干イラ立ちを覚えつつ、蒼生は再度問う。


 対し、少女は数十秒こちらを睥睨し、ようやく口を開いた。


「あなた、『イビルドア人外』?」


 面と向かって蔑称で呼ばれた蒼生は、微かに眉をひそめる。


 以前の島外への遠出により、勇者を蔑む輩の存在は認識していた。だが、アヴァロンの玄関先で、遠慮なく物申してくる人物がいるのは驚きだった。


「そうですけど、それが何か?」


 驚きが勝り、冷静さが帰ってきた蒼生は、静かに肯定する。


 すると、少女の浮かべる嫌悪感が増した。


「『イビルドア』のくせに、私よりも美しいなんて生意気ね」


「はぁ?」


「まぁ、いいわ。あなた、私の下で働きなさい。そうすれば、あなたは私の所有物も同然。所有物が綺麗なのは許せるもの」


「……」


 器の小さいセリフに、蒼生は返す言葉もない。どこの暴君だとツッコミを入れたかった。


 どこからどう見ても、少女はワガママお嬢さまの典型だった。これ以上関わっても、ろくな目に合わないのは分かり切っている。


 だから、蒼生は早々に退散しようと決めた。


 ムムに目配せをし、軽く頭を下げる。


「せっかくのお誘いですが、お断りします。連れが待ってますので失礼します」


 早口で定型文を言い終え、素早くミュリエルたちの元へ逃げようとする。


 しかし、相手はしつこかった。


「『イビルドア』風情に、拒否権があるはずないでしょう?」


 少女が指を振ると、傍らに控えていた彼女の使用人の幾人か──おそらく護衛──が蒼生たちの進路を遮った。


 見た感じ、護衛たちは普通の人間だ。ゆえに、強行突破も可能だったが、事態がややこしくなると判断し、二人は大人しく立ち止まる。そして、うんざりした風に言った。


「通してください」


「二度も言わないと理解できないのかしら? あなたたちに拒否権はないのよ」


 心底こちらを見下した態度。いくら言葉を並べたところで、彼女の翻意は望めそうになかった。


 となると、現状取れる手段はひとつしかない。


 武力解決の意を決し、その旨を伝えようとムムの方を見る。


 ところが、彼女は首を横に振った。その目は、他に方法があると言っている。


 見当がつかない蒼生だったが、ムムを信じることにした。構えていた拳から力を抜き、なりゆきを見守る。


 こちらの抵抗がないのを都合良く解釈したようで、少女は笑顔で頷いた。


「やっと従順になったわね。あなたたちは私に従っていればいいのよ。すぐに契約を交わしましょう。ついてきなさい」


 そう言って、彼女は踵を返そうとする。


 しかし、それを遮る声がかかった。


「アタシの友人を、どこに連れていくつもり?」


「……誰?」


 蒼生たちのゴタゴタに気づいたようで、ミュリエルたちも闇の天幕の外に出ていた。


 突然現れた彼女たちに、少女も些か驚いている様子が見える。


 少女の誰何すいかに、ミュリエルは堂々と答える。


「アタシはミュリエル・ノウル・カルムスド。あなたがチョッカイをかけている二人の友人よ。それであなたは、アタシの友だちに何をしようっていうの?」


 にっこりと微笑むミュリエル。


 その笑みは王女然とした風格のあるもので、一種の威圧感を覚えた。


 側で見ているだけの蒼生でも重圧を感じるのだ。直接向けられている少女にかかる圧は相当だろう。実際、彼女の頬はヒクヒクと引きつり、顔色が少し悪くなっている。


「そこの二人の友人とは思えないほど、格式の高い家の出身みたいね、あなたは」


 見る目がないと嫌味を言う少女だが、ミュリエルは揺るがない。ただ、悠然と返す。


「そうね。未だに名乗らない誰かさんよりは、マシな家の出よ」


「……これは失礼しました。私は──」


「ああ、勘違いさせて、ごめんなさい。別に、あなたの名前を聞きたいわけじゃないのよ。疾く、この場から去ってくれるだけで十分だわ」


「ッ!? ちっ」


 言い合いの末、少女は不快げに去っていく。その後ろを、慌てて使用人たちが追っていった。


 よく分からないが、舌戦はミュリエルが勝利したようだ。


「ありがとう、ミュリエル」


「お嬢さま、ありがとうございます」


 呆然としながらも、蒼生は礼を言う。


 対し、ミュリエルは苦笑を溢した。


「礼には及ばないわ。ああいうのの相手は慣れてるもの」


「ああいうのって、貴族とか?」


「そうよ。こっちの世界に貴族はほとんど残っていないって聞いていたけれど、似た感じの人間はいるのね。少し驚いたわ」


 肩を竦めるミュリエルに、ムムが同意する。


「ですね。ムムも呆気に取られて、対応が遅れてしまいました。申しわけございません、アオイさま」


「気にしないで。私も驚いたし」


 ムムが頭を下げようとしたので、蒼生は手を振って動きを制した。


「それにしても、強烈な人でしたッスねー」


 一段落した空気の中、ミミが感慨深そうに語る。


 蒼生は首肯する。


「かなりの反勇者派」


「ここにいたということは、アヴァロンの関係者なのでしょうが……」


 続いたムムは語尾を濁した。


 彼女の言わんとしている内容は察しがつく。あそこまで勇者に悪感情を抱いている者が、どうしてアヴァロンに赴いているのか。その辺りが不思議だった。


「まぁ、気にしても仕方ないわ。この先、あの人と関わらないことを願いましょう」


 この話題はお終いと、ミュリエルは言葉を締める。


 しかし、蒼生は感じていた。あの少女とは、何か強い因縁で結ばれていると。


 米国アヴァロンの出だしは、一抹の不安を彼女の内に残したのだった。

 

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