X.後日談 閑章

xSS-x-18 閑話、BLUE HOLIDAY

「だい、じょうぶ」


 化粧台の鏡の前で、一人の少女が緊張感を孕んだ声を上げていた。


 彼女の名前は村瀬むらせ蒼生あおい。『破滅の少女プラエド』の二つ名を冠する勇者で、滅世めっせい異能という珍しい異能を保有する者なのだが――その辺りの話は置いておく。今肝心なのは、彼女の姿の方だろう。


 下ろしたてであろう白のワッフルボリュームスリーブに黒のプリーツスカートを身にまとい、いつもは無造作に流している黒長髪は一本に結んでいた。おまけに、薄く化粧まで施している。彼女は、気合の入ったオシャレをしていた。


 これを見て感づかない者はおるまい。蒼生は本日、はじめてのデートに赴くのだ。相手役は言をまたない。


 一総の帰還から一ヶ月、彼は事情聴取や提出書類の作成などで多忙を極めていた。そのせいで、せっかくハーレム入りしたのに、蒼生はイチャつく時間が取れていなかった。この休日は、彼女にとって念願の日だったのである。初デートということも合わさり、かなりの意気込んでいた。


 ただ、これまで恋愛ごとに無頓着だったこともあって、些か緊張しすぎていた。ファッションこそ他のハーレムメンバーから教授してもらったものの、デート中の行動は自分次第。失敗したらと考えると、指先が震える上に胃が痛くなる。


「……だいじょぶ」


 先程と同じように、鏡の映る自分へ言い聞かせる蒼生。


 やや青ざめた彼女の表情は、全然大丈夫そうには見えないのだが、当の本人に自覚はなかった。


 大丈夫大丈夫と繰り返し呟きながら、デートプランを反芻する。


 同じ家に住んでいるので、待ち合わせ等は考えなくて良い。そういうのも憧れるが、下手にナンパされる方が面倒くさいため、今回は見送った。約束の時間に玄関へ行けば問題ない。


 おおよその予定は、アーケード街を中心とした食べ歩きである。フトゥルーム新設を記念した新しいアーケード街が開いていて、そこを見て回る計画となっていた。お互いに、食べ物に関心が高いのも考慮した結果だ。


「忘れものはない、だいじょぶ」


 単純に食べて歩くだけ。財布やハンカチなどのエチケット品以外、必要なものはないはず。それでも、小さなカバンの中を何度も見返してしまうのは、ご愛敬ということで。


 何度目かの自問自答をし、蒼生は大きく深呼吸をした。


 チラリと腕時計――を搭載した腕輪型の異能具――を確認すると、時間まで五分程度。まだ緊張は抜けないけれど、覚悟を決めるしかない。


 今まで経験してきた修羅場以上の覚悟を秘めて、蒼生は玄関へと向かった。


 一総は先に待っていたようだ。スマホをいじりながら玄関に立っている。


「またせた、ごめん」


「オレも今来たばかりだから大丈夫だ」


 蒼生が謝ると、彼は少し悪戯っぽい笑みを浮かべて返した。


 何を笑っているのだろうと小首を傾げる蒼生。


 それを見て、一総も怪訝そうな顔をした。


「定番の返しを望んでると思ったんだけど、違ったか?」


「……嗚呼」


 少し間を置いて、蒼生は得心した。


 確かに、先のやり取りはテンプレのそれと同じだった。ちょっとしたジョークにも気づけないとは、かなり重症の模様。


 カチコチの彼女を不思議そうに眺める一総だったが、「まぁ、いいか」と呟いてから、こちらに手を差し伸ばした。


「さぁ、行こう」


 彼は朗らかな笑みを浮かべる。こちらの固さを解すための、思いやりのこもった笑顔だ。


 それに対し、蒼生も若干引きつった笑顔を向けた。


 何ともぎこちないスタートだが、こうして二人の初デートは幕を上げたのだった。








 当初の予定通り、一総たちは新しい商店街を練り歩いた。新設されたばかりだけあって、かなり人の流れが多かったが、そこは歴戦の勇者である二人。人混みに足を取られることなく、スルスルと合間を塗っていく。その辺は、たとえ緊張していようと、体が覚えているようだ。


 アーケード街では様々なキャンペーンやイベントが催されていた。露店も広げられており、定番のタコ焼きや焼きそば、大判焼きをはじめ、焼き鳥や綿菓子などの飲食店が多くある。もちろん、クジや射的といった飲食以外の店もあり、まるで祭りのようなにぎわいだった。


 一総たちは露店やアーケード街に元々ある店に次々と寄って行き、買い物を楽しんでいく。


 いや、正確には“楽しもうとしている“か。


 一総に問題はなかった。問題だったのは蒼生の方。彼女は、デート開始から一時間経過した今も緊張が解けておらず、カチコチに固まった表情をしていた。


 そんな状態でデートを満足に楽しめるはずもなく、今まで食べたものの味もよく分かっていなかった。


 このままではダメだとは理解していても、そう簡単に意識を改善できるわけもない。むしろ、何とかしないとと考えれば考えるほど、蒼生の緊張は深まってしまっていた。悪循環である。


「蒼生」


 帰還後から一総が呼んでくれるようになった自身の名前。いつもなら、耳にする度に頬を緩ませてしまうのだが、今はそれもなかった。


 それに対し、彼は小さく溜息を吐く。


 蒼生はさらに体を強張らせた。


(き、嫌われた!?)


 頭をよぎるのは、一総への心象である。


 ずっとデートをしていれば、どんな鈍感な者でも蒼生の異変に気づくだろう。


 『せっかくのデートを楽しめていない自分に、愛想を尽かせてしまったのでは?』。そんな考えが脳裏をかすめ、彼女の顔色はドンドン悪くなっていった。


 一総は再度息を吐き、蒼生の手を握る。優しく、こちらを労るような握り方だった。


「かずさ……?」


「いくぞ」


 訝しげに尋ねると、彼はぶっきらぼうに答える。そして、路地裏の方へ歩き出した。


 彼の行動に対して、蒼生に否はない。人気のない場所へ進んでいくのを気にも留めず、大人しくついていった。


 歩くこと数分、仄暗いビルの狭間へ到着した。


 まったく人目がないことを確認した一総は、不意に虚空へ人差し指を突き出す。それは、玄関のインターホンを押す仕草に似ていた。


 次の瞬間、指で突いた部分を起点に空間が割れる。ブロックを崩したように、バラバラと落ちていく。


 割れた空間の先はキッチンだった。蒼生にとって専門外ではあるが、かなり高性能な道具が備えられている気がする。


 なぜキッチンに? と疑問に思うが、有無を言わさず、一総はキッチンへ入っていった。必然、手を繋いだ蒼生も入室する。


 おおよそ十五畳ほどか。キッチンに加えて食事をするスペースもあるらしい。広めかつ高価なモノが並んでいるが、一般的な家庭のキッチンといった風体だ。


 突然の展開に呆然としていると、一総が声をかけてくる。


「座って待っててくれ」


 そう言って示したのは、飲食スペースにあるテーブルだった。


 緊張と混乱で前後不覚状態に近かった蒼生は、特に反論もせず席に座る。


 程なくして、一総はキッチンで料理を始めた。


 どうやら、彼自身が料理をするために、この場所へ訪れたようだった。いや、キッチンに来たのだから当たり前なのだけれど、それさえ考えつかないほど、蒼生は目を回していた。


 蒼生がグルグルと目を回している間にも、一総は調理を終えてしまう。さすがの手際だった。


(何を作ったんだろう?)


 鼻腔をくすぐる良い匂いに、ようやく蒼生の関心が料理へ向く。


 彼女の興味を察したかのように、タイミング良く料理が運ばれてきた。


「ほら、召し上がれ」


 はたして、一総が差し出してきたのはオムライスだった。彼の十八番であり、蒼生がもっとも好きな食べもの。


 キョトンと一総を見ると、彼は優しい笑みを浮かべ、顎をしゃくった。食べてみろ、ということらしい。


 腑に落ちないものの、蒼生はスプーンを手に取る。


 未だ緊張が抜け切れていないので、味は分からないかもしれないが、出された料理に罪はない。


「いただきます」


 パクリとオムライスを一口含んだ。


 すると、どうだろうか。


「おいしい」


 思わず言葉が漏れるほど、一総のオムライスは美味しかった。


 ──これだと語弊ごへいがあるか。美味しいのは当然なのだが、今まで喪失していた味覚が戻ってきたのだ。何も感じなかったのが嘘のように、幸福な感覚が脳を刺激する。


 そこからは早かった。蒼生はいつもの食い意地を発揮し、次から次へとスプーンを進めていく。そうして、五分と置かずにオムライスを完食した。


 その様子を温かく見守っていた一総は問うてくる。


「どうだった?」


「最高」


 即答だった。


 一総は嬉しそうに笑う。


「やっぱり、蒼生はその笑顔じゃないとな」


「あ……」


 指摘されて気づく。今の蒼生は笑っていた。先程までの緊張も、一切なくなっている。


 彼は、この結果を狙っていたのだろう。緊張で凝り固まっていた彼女を解きほぐすため、わざわざ料理を振る舞ってくれたのだ。


 自分を理解してくれていることを喜ばしく思うのと同時に、はじめてのデートで手間をかけさせてしまったことを申しわけなく思う。


 蒼生は眉を曇らせ、顔をうつむかせた。


「えっと……ごめん」


「なんで謝るんだ?」


「だって、迷惑かけたし。はじめてのデートが台なしに……」


 口にすると虚しくなってしまう。蒼生は言葉尻をすぼめてた。


 対し、一総は息を吐く。


「気にしすぎ」


 そういうや否や、彼は蒼生の傍に寄り、彼女の頭を撫でた。


「はじめてなんだから、緊張して当たり前だ。それをフォローするのが、カレシの役目なんだよ。計画通りに進める必要もないし、こういう場当たり的なことを楽しむのも、デートの醍醐味じゃないか?」


 彼の笑顔と頭に触れている手は、とても温かかった。心がポカポカしてきて、沈んでいたはずの気分も高揚してくる。


 蒼生に恋愛のあれこれは分からない。でも、彼が言うなら、そういうモノなのかもしれない。


 蒼生は目を細め、礼を言う。


「ありがとう、かずさ」


「その笑顔、オレのお気に入りだ」


「そう? なら、もっと見せる?」


「必要ないよ。キミが見せたい時に見せてくれ」


「かずさが望むなら、いつでも見せたい」


「それは嬉しいな」


 その後、二人は隔離されたこの空間でのんびりとすごした。


 当初予定していた内容とは異なってしまったが、はじめてのデートは大成功だったと思われる。

 

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