001-4-01 悪意の噂と強襲

「……ちっ」


 学園の廊下、すれ違いざまに舌打ちが聞こえてきた。


 それだけではない。注意深く周囲を見回してみれば、一部の人間が親の仇かと言うほど睨んできている。


 一総かずさが違和感を覚え始めたのは、勇気ゆうきが同行するようになってから五日目のこと。救世主会議セイヴァー・テーブルがあって以来、決闘を申し込まれる回数が日増しに上がっているのだ。それも一総だけではなく蒼生あおいまで。むしろ、上昇量でいったら蒼生の方が高いくらいだった。


 一総はまだしも、今まで好意的に受け入れられていた蒼生の決闘が増加するのは妙だ。ひっきりなしに戦いを申し込まれているわけではなく、普段であれば、状況が落ち着いて彼女への不満が表面化しただけと判断しただろう。


 だが、勇者殺しの件が直近にあったからか、一総には何かしらの思惑が働いていると思えてならなかった。こういう時、気にしすぎだと放っておく方が危険なことは、培った勇者の経験として分かっている。


 ただ、一総には心当たりがない。決闘を申し込んできた相手に問い質すことも考えたが、それだと決闘を受けなくてはいけなくなる。今まで連中を無視してきた以上、それは避けたいことだ。だから、別の人物へ尋ねることにした。


「ここ三日で、何か変わったことはないか?」


 授業と授業の業間。次のコマが別教室のため移動している最中さなか、一総は声を潜めてつかさへと尋ねた。タイミングを見計らったので、蒼生の姿は視界内に収めつつも、聞き耳を立てられる距離に他人はいない。


 彼女を選んだ理由は消去法だ。交友関係が広く、何かしら知っている可能性があること。一総が話しかけても無理なく答えてくれること。質問した後に面倒ごとを持ち込んでこないこと。それらの条件を持ち出すと、司しか該当者がいないのだ。


 司はキョトンとした表情でこちらを見る。


「珍しいね、伊藤くんから声をかけてくるなんて。どうかしたの?」


「そういう日もある。で、何かないか?」


 再度尋ね返すと、彼女は人差し指を顎に当て、うーんと首を捻る。


「変わったこと、だよね? 具体的にどういったことを訊きたいの?」


「何でもいいんだ。誰かが数日休んでるだとか、特定の代物を見かけなくなったとか。些細なことでも全然構わない」


 小さな変化。それが重大なファクターを担っていることは割とあり得ることだ。


 しかし、司の表情は思わしくない。眉を寄せて首を傾いでいるが、曇ったかんばせが晴れる気配は見られない。


「噂とか、そういうのも聞かないか?」


 これでダメだったら別の者に訊くしかないかと諦めつつの一押し。


 それは効果的な一言だった。


「噂……ああ、そういえば!」


 両掌を合わせ、目を見開く司。だが、その表情は苦々しい。


「心当たりがあるのか?」


 司の顔色から良くないことなのだろうと察し、一総は神妙に問う。


 彼女は首肯する。


「うん。えっと……蒼生ちゃんの良くない噂が、密かに広まってるみたいなんだ」


 そう言って司が語った噂の内容は、かなり酷いものだった。


 曰く、連続召喚は真っ赤な嘘。


 曰く、政府の上役と関係を持って、フォースの立場を獲得した。


 曰く、救世主セイヴァーの男子陣とも懇ろで、その見返りに護衛をさせている。


 数々の蒼生の悪い噂がジワジワと流れているようだった。まだ、学園の一部で呟かれる小さなものらしいが、蒼生が異能を使った場面を誰も見たことがないことから、まことしやかに囁かれているとか。


「もちろん、フォースのみんなは、そんな話は信じてないんだけど、蒼生ちゃんって口数少ないから、どうしても関わり合いの少ない人は噂を鵜呑みにしちゃうみたい」


 多少気落ちした様子で語る司。


 確かに彼女の言う通り、蒼生は積極性がない。先日の街巡り以外は外出していなかったし、学園でもほとんど教室に留まっている。クラスメイト以外、蒼生の為人ひととなりを知る者は極少数だ。


 ともあれ、納得だ。嫉妬、軽蔑、色欲……それぞれ思惑は異なるだろうが、そのような噂があれば、決闘を申し込んでくる者も現れて当然。


 しかし、これは結構厄介な問題だ。人の噂も七十五日とは言うが、これが意図的に広められたものだとしたら、そう簡単に収束しないだろう。問題解決のためには、根本を絶つ必要がある。


 本来、フォースに所属するだけで嫉妬を浴びることはない。フォースの利点はイジメを受けないこと、就職で多少有利になることといった、ほんの僅かなものでしかないからだ。決闘を受けるほどの強い感情を受けるのは人気者の勇気が傍にいるからか、懸念通り誰かが意図的に印象操作をしているのか……。


 一総はおとがいに指を当てて少し考えると、口を開いた。


「その噂、どこが発生源か分かるか? 大雑把でもいいんだが」


 司は「うーん」と唸ったが、首を横に振る。


「ごめん。さすがにそこまでは分からないよ。噂は学園内だけにしか広まってないから、ここの生徒が発端なんだとは思うけど……」


 あんまり学友は疑いたくないよね、と彼女は苦笑いを浮かべた。


 司の気持ちも分からなくはないが、ここで学園の者が犯人ではないことはあり得ない。この校内に確実に、蒼生へ悪意を向けている人物がいるはずだ。


 一瞬、深く思考を巡らせようとしたが、隣の司がジッとこちらを見ていることに気づき、軽く手を振る。


「ありがとう、参考になった。迷惑かけたな」


「ううん。伊藤くんの役に立ったのなら、私も嬉しいよ」


 横目に、司に話しかけようとしているのだろう女子生徒たちの姿が見える。それを認めた一総は、礼を言いながら彼女から離れた。


 蒼生と勇気のいる元へ戻ると、二人は視線を向けてくる。


「天野さんと何を話してたんだ?」


 尋ねてきたのは勇気一人だったが、真っ直ぐに見つめてくる蒼生の様子から、彼女も気になっていることが分かった。


 一総は小さく首を振った。


「いや、別に大したことじゃない」


 噂のことを聞いたら、勇気は絶対に何かしらの行動を起こす。後手に回ってしまっている今、それは好ましくない。行動に移すなら、密やかに一撃で相手を追い詰めるべきだ。


 蒼生に関しても、何を考えているか分からないところがあるから、下手に情報を与えるべきではないだろう。


 幸い、二人はそこまで気になっていたわけではないようで、それ以上の追及はしてこない。


 一総は先程中断していた考察を続ける。


 蒼生へ悪意を向けている者の目的は何だろうか。単純に、蒼生への嫉妬なら問題ない。そこまで大事になる可能性は低いだろう。


 だが、明確な目的があったとしたら?


 そうだとしたら、それは一大事へと繋がる蓋然性があると言わざるを得ない。一総たちの平和を脅かす脅威が起こり得るかもしれない。


(これ以上、傍観者は気取れない、か)


 一総はゆっくり瞼を閉じ、そして開いた。


 そこにあったのは安穏とした学生ではなく、歴戦の勇者の瞳だった。



          ○●○●○



 アヴァロンにはいくつ・・・もの図書館が存在するが、その中でも特殊な部類に属するものがあった。


 白と黒のモダンな色調と静謐な空気。外観と雰囲気だけは図書館として相応しい場所だが、そこには本棚がほとんどない。数ある衝立がフロアをいくつもの小部屋に分割し、その中にパソコンが並べられている。内装は図書館のイメージとはかけ離れたものだが、ここは確かに図書館なのだ。それも書籍媒体ではなく、データ媒体の資料のみが保管された珍しい施設だ。


 そして、一総かずさ蒼生あおい勇気ゆうきの三人は、放課後にここへ訪れていた。


 理由は、一総が調べたいものがあると提案したから。蒼生はこれといって用事があるわけでもなく、勇気は護衛として同行する必要がある。そのため、図書館行きはすんなりと決定された。


 現在、蒼生は勇気と共に待合室にて待機している。


 一総はこの場にはいない。彼は調べもののため、特殊書庫の方へと足を運んでいた。


 特殊書庫とは、閲覧制限のかけられた資料を読むことのできるエリアを指す。本来なら色々なところから認可を得なくてはいけないのだが、救世主セイヴァーともなれば容易く入室できる。無論、救世主と言えども無制限というわけにはいかないが、今回一総が閲覧を希望した資料は、許可の下りる範疇だった。


 そんなこんなで、一総に同行したにすぎない二人は、暇を持て余していた。とはいっても、蒼生は普段からボーっとすごしているため、持て余しているのは勇気のみなのだが。


 待合室でのんびりすることしばらく。同室には二人以外にも利用者がいたのだが、蒼生は気づいた。少しずつ人が増えていることに。加えて、増えてきた人たちが皆、自分たちの様子を窺っていることに。


 どうしたのだろう。彼女は怪訝に首を傾ぐ。


 隣にいた勇気も、周りの変化に気がついたようだ。身構えるまではしないものの、辺りを警戒し始める。


 徐々に剣呑な空気が生まれていく中、一人の少女が蒼生たちの前に出てきた。蒼生と同じ制服を着ているため、波渋学園の生徒だと分かる。


 少女は二人を――蒼生を睨みつける。


 そこに宿る感情は憎悪だろうか。蒼生は何となく少女の抱いている心を察することができた。


 だが、分からない。彼女の内包するものを理解できても、どうして自分にそれが向けられるのか、さっぱり分からなかった。


 だから、蒼生は口を開く。


「どうして、私を憎んでるの?」


「「「――ッ」」」


 彼女のストレートな物言いに、周りの人間が息を呑む。


 しかし、蒼生は気にしない。答えを聞くため、ジッと少女を見る。


「あ、あなたが不正をしてるからよ!」


 少し狼狽えながらも、少女はきっぱりと言い放った。


 それに対し、再び小首を傾ぐ蒼生。


「不正って?」


「あなたが記憶喪失と偽ってフォースに入ったことよ! それも、政府の上層部や救世主の人たちと関係を持って手に入れた地位だと聞いたわ! それが不正じゃなくて何だって言うのよ!」


 呑気な返事をする蒼生に苛立ちを覚えたのか、声を荒げる少女。


 彼女の言葉を聞き、傍にいた勇気は眉根を寄せる。


「今のはどういうことだ? そんなデタラメな話、どこから聞いたんだ」


「そういう噂があるのよ。彼女は異能を使わない。ということは、本当はフォースの実力がないんじゃないかって! 師子王くんはこの女に騙されてるのよ!」


 少女は声高々に言い、蒼生をビシッと指差す。そんな彼女に、周りの者たちも「そーだ、そーだ」と同調する。


 勇気は余計に眉を曇らせた。


「そんな根も葉もない噂を君たちは信じてるのか。村瀬さんはそんな人じゃないぞ」


 そう言って周囲の人間を説得しようとする彼だが、少女も周りの人も話を聞かない。勇気が完全に籠絡されているなどと宣う始末だ。


 その後も、勇気と少女と周囲の者は激しく言葉を交わし合う。いつまで経っても平行線の水かけ論に終わりは見えない。


 その中、蒼生は行き交う言葉に耳も向けず、少女や周囲の人たちを眺めていた。


 何とは言えないが、彼女たちに妙な違和感を覚えたからだ。


 視線をずっと向けていると、次第に少女たちを覆う揺らぎが見え始める。焦点が合わないような、とても見えづらい揺らぎ。もっと力を込めればハッキリ見えるかもしれない。


 ――が、蒼生はそれをしない。それをしてしまえば、恐らくだが、異能を使うことになってしまうと感覚的に理解したから。異能は絶対に使わない、一総と約束したことだ。


 蒼生は腕にある銀のブレスレットに触れる。


 先日貰った腕輪は効力を失っているが、デザインを気に入ったため、今もまだ身に着けていた。


 そうこうしているうちに、少女たちは声を上げた。


「その女が本当にフォースの実力があるのならば、私たちが試せばいいのよ!」


 少女が蒼生に掌を向ける。


 それに連動して、周りの人たちも一斉に彼女へ手を向けた。


「そんなこと許すわけないだろ!」


 勇気が慌てて阻止しようと動き出す。


 ところが、それは叶わなかった。


「ッ!? この魔力反応は!?」


 唐突に出現した巨大な魔力反応に驚愕し、勇気は蒼生の背後の壁へと視線を向けた。蒼生も同じことに気がつき、後ろへ目を向ける。


 刹那、待合室の壁が爆ぜた。


 少女たちの攻撃準備に気を取られた一瞬。その間隙かんげきを狙った攻撃だった。そのせいで、二人とも初動が遅れ、蒼生はなす術なく爆発の煙に飲み込まれる。


「村瀬さん!」


 土煙に覆われた視界の中、蒼生は勇気の叫び声を耳にする。


 しかし、そのすぐあと、体に衝撃が走った。


「あっ……」


 口から漏れる声。


 何が起こったのか。それを確認する間もなく、蒼生の意識は闇へと堕ちていった。

 

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