001-4-02 勇者殺しの正体と結末
図書館から四キロメートルほど離れたところにある立体駐車場。五階建てのそれには車ひとつ止まっていなく、人の気配もほとんど感じられなかった。
それもそのはず。この建物はすでに廃墟と化しており、今は運営されていない。建造したは良いものの立地の関係で周囲の人通りが少なく、結果的に廃業してしまったのだ。
床や天井、柱しか見られない吹き抜けの寂れたフロア。廃墟にしては劣化の少ない灰色の空間は、傾いた陽の光と影によって二色のコントラストに彩られていた。
そして、その中――三階にはふたつの人影があった。
立っている者と寝転んでいる者。前者がフードを目深に被った男で、後者は気絶した
男の方が呟く。
「上手くいった」
口元しか見えない彼だが、僅かに震える声から歓喜していることが分かる。
「さて、手早く起こすか」
男は蒼生の寝顔を見下ろしながら、小さく右手を掲げた。掌に、内側に紋様が描かれた光る円陣が浮き上がる。紋様のパターンから察するに、微弱な精神系魔法を行使するようだ。状況から見て、蒼生の目を覚まさせるためのキツケだろう。
魔法陣から光の粒子が蒼生に降り注ぎ、それに合わせて彼女は微かに声を上げながら瞳を薄く開いた。
「…………」
呆然とする彼女は上半身を起こして男の姿を捉えると、若干顔を強張らせた。
すぐに周囲へ視線を巡らせるが、他に人がいないことは明白。柳眉を寄せ、端正な顔立ちを曇らせる。
「ははは、起きたね。これで計画が進められる!」
よほど嬉しいのか、男のテンションは異様に高い。
そんな彼を見ながら、蒼生は声を固く尋ねる。
「あなたの目的は何?」
男は口元をニヤリと厭らしく歪ませる。
「なあに、君にひとつ簡単なお願いをしようと思ってね」
「お願い?」
警戒しながらも蒼生は言葉を紡ぐ。
その様子を、男はおかしそうに笑いながら観察する。
「そこまで警戒する必要はないさ。ただ、異能を使ってもらいたいだけなんだよ」
肩を竦める男。顔が見えれば、彼は苦笑いでも浮かべていそうな雰囲気があった。
確かに『簡単なお願い』に偽りはないようだ。だが、それだけではないことも事実だろう。蒼生に異能を使わせることは経過であって、目的とは言えない。異能を使わせた後に何をするか、それが不明瞭なうちは安心することはできなかった。
また、そんな『簡単なお願い』も、蒼生にとっては難しい注文だった。
彼女は首を横に振る。
「無理。異能は使えない」
「そこをなんとか――」
「無理」
男の要求を一刀両断する蒼生。
それを受けて、男は大きく溜息を
「自分の立場を分かってるのかな? 誘拐した
「勇者殺し……」
男が正体を明かし、蒼生の警戒が一層強まったのが分かる。僅かに距離を取った。
それを見た勇者殺しは、面白そうにクツクツと笑った。
「そんなに怯えなくてもいいよ。言うことを聞いてくれれば、殺しやしないんだからさ」
その場に蹲り、蒼生の顔を覗き込む勇者殺し。
対し、蒼生は少しの逡巡を経て、真っ直ぐに見つめ返した。
「それでも異能は使わない」
変わらぬ無表情。瞳に込められた意志は固い。
「チッ!」
「キャッ!?」
勇者殺しは立ち上がり、蒼生の肩を踏みつけて蹴飛ばす。そして、苛立たし気に声を上げた。
「お前は俺の言いなりになってればいいんだよ! なんで反抗するんだ。お前は一気にフォースに伸し上がれるほどの異能を持ってるんだろう? 出し惜しみせずに使ってみせろよ! 平然とした顔をしやがって。どうせ俺を侮ってるんだ。これだから上位勇者は嫌なんだ」
先程までの余裕ぶった態度は一変し、勇者殺しは鬱憤を晴らすように怒声を上げる。
それでも蒼生の表情は揺るがない。
「もっと怯えろよ! もっと恐怖しろよ! 俺は勇者殺しなんだぞ。お前をいつでも殺せるんだぞ! 俺はもう『
何かのスイッチが入ったのか、罵声を浴びせ続ける勇者殺しだったが、蒼生が揺らぐことはなかった。彼の紡ぐ言葉はどこか空虚で、妄執に取りつかれているように思えた。
その後も判然としない叫びを続けていたが、これ以上は何を言っても無駄と悟ったのだろう。勇者殺しは再び大きな溜息を
「はぁ……『勇者』殺しの前に、念を入れて君を取り込もうと思っていたが、時間の無駄だったか。もういい、君は今殺す」
そう言って、彼は悠然と蒼生に近づいていく。
「何か遺言があれば聞いてやるぞ。誰かに届けるかは俺の気分次第だが」
蒼生の胸元に指が触れるか触れないかの距離まで手を掲げたところで、勇者殺しは訊いた。
「じゃあ、ひとつだけ」
蒼生が口を開く。勇者殺しは耳を傾けた。
彼女はそこで初めて相好を崩した。本当に小さな小さな笑みだが、確かに笑っていた。
「私はまだ死なない」
絶望など一切ない不敵な言葉が蒼生から紡がれる。
勇者殺しは「そうかい」と不機嫌に呟くと、鋭い手刀を蒼生へと放った。どんな刃物よりも鋭く強い一撃が彼女の心臓へ照準を合わせている。瞬きした後には蒼生の死体が転がっている。そう実感させる強烈な技だった。
しかし。
“パンッッッ!!!”
小気味良い音が建物に響き渡る。
勇者殺しは目の前で起こったことに
当然だ。勇者殺しと蒼生との間に、いきなり第三者が出現したのだから。動きやすいように無駄を省いた黒のローブが全身を覆い、瞳だけがくり貫かれた白面を被った人物。
それだけではない。繰り出された手刀も、白面に片手で受け止められていた。完全に勢いが殺されていて、まるでダメージが通っていない。
「な、何者だ!?」
混乱した思考の中、勇者殺しは辛うじて言葉を出した。
反し、白面の瞳は何の感情も湛えていない。心底面倒くさそうな、力のない表情をしていた。
白面は小さく息を吐くと、受け止めた手刀を離して勇者殺しを突き飛ばす。
たたらを踏む勇者殺しだったが、即座に体勢を立て直し、白面に向かって戦闘の構えを見せる。
「お前は何者なんだ! どうしてここが分かった!?」
殺気を放ちながら怒声を上げる勇者殺し。
だが、白面は答えない。蒼生を庇える位置に立ち尽くすだけだ。
答える義理も義務もない。白面やローブだけではない、強い幻影まで纏って正体を隠しているというのに、それを自ら語るなんて愚行をする気は更々ない。
勇者殺しに対して、白面が持ち合わせる言葉など一切なかった。
とはいえ、これだけは発言しておいた方が良いだろう。ほぼ百パーセントに正解に等しい推測だが、もしもがあってはいけない。
白面は変声の魔法を発動し、更には口調に気を遣って言葉を発した。
『お前に語ることなど一切ない、勇者殺し――否、
目の前の賊から(ついでに蒼生からも)驚愕の雰囲気が感じ取れる。
それを確認した白面――
一総が典治を疑ったのはいつからかと問われた時、彼はこう答えるだろう。「最初から」と。
無論、典治が勇者殺しだと見破っていたわけではない。ただ、初めて顔を合わせた時から、彼が悪意を持って一総に近づいてきていることに感づいていたのだ。だから、典治がいくら親友を自称しようと、友人として認めることはなかった。
それでは何故、一総は悪意を持つ人物を放置していたのか。端的に言えば、典治が一総の脅威になり得ないという一点につきる。彼では自分の日常を陥れることは不可能だと判断していたのだ。
しかし、状況が変わった。蒼生という爆弾が狙われていると分かった今、典治を放置することは看過できなくなった。
「どうして、勇者殺しが俺だと分かったんだ?」
動揺したのも束の間。典治は冷たい声を出しながらフードを取り払う。そこには確かに久保田典治の顔があった。が、教室で見せていた飄々とした雰囲気など微塵もなく、底冷えた眼差しが一総を射抜く。
「まさか彼が……」
ここまで身近な人物が勇者殺しだったとは夢にも思わなかったのだろう。典治の顔を確認した蒼生は目を見開いている。
対し、一総は無言を貫いた。
先程は正体を確認するために口を開いたが、それ以上に言葉を交わす意味を見出せないからだ。
ともあれ、彼に語らないだけで、典治と勇者殺しが同一人物だと判断した理由はきちんとある。
それは今までの被害者の死因、心臓を抉り取るという殺害方法からだ。そこから、ひとつの仮説を立てた。心臓を取るという行為は異能に関係があるのではないか、と。
一総の知識には、そういった縛りがある異能がいくつもあったが、死体を直接見る機会があったおかげで、その候補も五つに絞り込むことができた。そして、先の蒼生への『お願い』によって、典治が使っていた異能が判明した。
スキル【心臓喰い】。
強奪系のスキルのひとつ。それも魔法やスキル、霊術、神術などなど、異能なら全て奪取できるという破格の能力を持つものだ。
とはいえ、それだけ強力な異能であれば制約も存在する。スキル名の通り、奪う対象の心臓を食べなくてはいけないこと。加えて、対象が異能を使うところを目撃しなくてはいけないこと。また、奪える異能は一種類だけという制限もある。
そして、このスキルと典治が繋がったのは、事前に候補である異能らを調べていたからだ。図書館へ赴いたのはその一環だった。
確認したのは勇者たちの個人情報。
もちろん、一総にそんなものを閲覧する権限はない。
では、どうしたのかといえば、クラッキングしたのだ。これでも一総は電子機器の扱いが達者だった。以前に訪れた異世界の中に電脳科学が発達したところがあったため、現代日本のセキュリティを突破することなど難しくなかった。
覗いた個人情報は、一総が前々から要注意人物と認識していた者たち。候補の異能を持っている者や、その異能が得られる世界へ行ったことのある者。それらをリストアップした。
そう、典治もその中に入っていたのだ。見事に『心臓喰い』のスキルが存在する世界へ行った経験があると記載されていた。
スキル自体のことは書かれていなかったが、おそらく隠していたのだろう。訪問した異世界のことや異能については完全に自己申告制。いくつかの能力を隠し持つことは難しくないし、むしろ全てを公開している者の方が少ないのではないかと、一総は思っているくらいだ。
事実、典治は勇者殺しだった。
まさか情報収集中に、しかも
「だんまりか。色々と気になるところはあるが、正体がバレてしまったのなら生かしておくわけにはいかないな!」
今までの経緯に思考を回していたところ、痺れを切らした典治が吐き捨てる。と同時に、彼は走り出した。影を残すような素早い走行。移動系の異能を使用したようだ。
典治は一般人なら視線を置いていかれそうな速度で一総の背後へと周り、抜き手を心臓へと放つ。
だが、それで殺される一総ではない。スキルや歩法を複数組み合わせ、予備動作や重心移動なく典治の攻撃を避けた。ついでに座り込んでいた蒼生を抱き上げ、ある程度の距離まで後退して下ろしておく。
同じ階層では絶対に戦闘に巻き込まれないとは断言できないが、多少は距離を取っておいた方がマシだ。
典治を見れば、一総の動きを目で追えなかったようで、辺りをキョロキョロと確認していた。そうして、背後数メートルにいる彼らを認めると、ギョッとした表情を浮かべる。
「チッ、移動系特化の勇者か。ならば!」
典治は何か勘違いをしながらも、その場に立ったまま魔力を高め始めた。掲げる両手に展開される二種類の魔法陣。
それを見て、一総は思考を回す。
次に繰り出される魔法は【
魔力操作の流れや魔法陣から、相手の術式を解析してしまう。普通の勇者にはできないような高難易度の技術を平然と駆使して、一総は対抗魔術を編み出した。
「これでも食らえ!」
典治のかけ声と共に、彼の周囲にバスケットボール大の炎球が十以上も出現する。そのまま、一総へ向かって炎球が走った。
球の炎はとても激しく、向かってくる速度もかなりのもの。空魔法で空気の成分を調整し、燃えやすくしたのだろう。直撃すれば、どんなに甘く見積もっても重傷は免れない。
ただ、わざわざ攻撃が当たるまで待つつもりもない。【魔力隠蔽】と【魔法陣隠蔽】によって密かに準備していた対抗魔法を解き放つ。
「――――『
声に温度を持たせられるのなら文字通り絶対零度であろう、低く冷ややかな詠唱。
空間が凍った。
この場にいた者全てが、そう錯覚したはずだ。それほどまでに濃密な魔力が空間を包み込んだ。
魔法の効果は迅速に現れる。まず、繰り出されていた炎球が瞬く間に凍りつき、塵以下まで砕け散る。続けて空魔法によって調整されていた空気が一瞬だけ凍り、これも散っていった。加えて、典治から滲み出ていた敵意ある魔力も凍り、砕かれる。
この廃墟にある典治以外の全ての敵意あるモノが、凍った上で排除されていった。
それらの光景を目にした典治は
「な、何なんだ、その魔法は……。絶対零度だと? 魔力の反応もなく発動したこともそうだが、なんで魔力や魔法だけを凍らせることができるんだ!?」
「……」
一総は答えない。
『絶対零度』の魔法は上級魔法に部類されるが、勇者たちからすれば珍しいものではない。多くの異世界で使われるメジャーな魔法体系だからだ。
しかし、この魔法、本当の効果は「使用した魔力に比例した距離だけ、周囲一帯の全てを凍らせる」というもの。決して、効果範囲内の対象を取捨選択することなどできないのだ。
そんな不可能を可能にしてしまった。なまじ術名を聞いているだけに、典治の困惑は計り知れない。
彼は焦りを滲ませたまま再度魔力を練り、攻勢に出た。
次々と発動される魔法たち。その種類といったら二十に収まらない。最多記録を持つ勇気の異能数が十五なので、明らかに異常な数字と言える。どれだけの勇者を殺したのだろうか。
確かに、これほどの異能数を行使できるのならば、トリプル程度なら瞬殺。勇気をも倒せると考えてしまうのも無理はない。
だが、今回は相手が悪すぎるのだ。
あらかじめ発動される魔法が予測できる一総は、冷静かつ的確に対抗手段を打っていく。迫りくる数多くの敵意は、ことごとく打ち払われていく。
魔法が叩き落とされる度に、典治の表情は焦燥に包まれていった。ついには、魔法戦を止めて接近戦を敢行してくる。
それをも余裕を持って捌いていく一総。その実力は圧倒的だった。
「なんで! なんで、手も足も出ないんだ!? 俺の異能は三十を超えるんだぞ。最強たる『勇者』よりも強いはずなのに、どうしてだ!」
典治は怒りに震えながら吠える。
「どいつもこいつもバカにしやがって! せっかく勇者になったっていうのに、なんで虐められなくちゃいけないんだ!? 見返してやろうと思っちゃいけないのか! 格下だとバカにする奴らなんて殺したっていいだろうが!」
なるほど。
一総は心の内で呟く。
典治が今まで殺してきた者たちは、全てイジメなどの悪行を行ってきた輩なのだろう。彼自身が過去にイジメを受けていたから、今の実力を見せつけたかったのだろう。
行動原理は理解できた。
しかし、それは一総に響かない。
悪人だからといって殺すのはやりすぎだとか、そういった善意からではない。一総の唯一の願いにとって典治が邪魔だからという、至極個人的な理由からだ。
一総の願いとは、『日常』を守ること。
平穏な日常。それが一総の求める唯一の願い。戦闘も殺し合いもない、平和で平穏で波乱のない日々を、彼は心から求めていた。何を切り捨てても日常を優先する。たとえ他人が不幸になろうとも。
彼の瞳に宿るのは妄執に近い願望。どんな経験をすれば、そこまで貪欲に日常を願うのだろうか。
答えは、彼らの実力差に現れている。
勇者同士の実力差は勇者召喚の数――異能の数によって決まる。要するに、一総は三十の異能を持つ者を圧倒できるほど多くの異能を持っているという結論に至るのだ。
打ち出される拳や魔法の数々。次第に状況は傾いていき、典治の方に疲労が見えた。彼の動きが鈍っていく。
その隙を見逃す一総ではない。すかさず典治の両腕を弾き、がら空きになった懐に拳を叩き込む。
「ガハッ」
典治は体をくの字に曲げ、吹っ飛んでいく。そのまま進行方向にあった柱へと激突し、大きく減り込んだ。
「ゴホッ、ガハッ」
その場に蹲り、血を吐く典治。
一総はそれを冷ややかに眺める。
満身創痍の典治と、余力を残した一総。
二人の差は歴然。そこから推測できる一総の異能数は百や二百では済まないだろう。
一総の
とはいえ、それは事実上不可能に近い。長期間も異世界にいては、偽ることなどできないのだ。
しかし、一総は違う。一総は異世界から早くて数時間で帰還することを可能としていた。数多の勇者召喚を経て研鑽した、早く帰還するための技術の賜物だった。
そう。彼が度々『遠出』と称して姿を消していたのは、全て勇者召喚をされていたのだ。
一週間に最低一回は勇者召喚に遭うという日々。そんな生活を続けていれば、平穏な日常へ憧憬を覚えるのも当然と言えた。
一総の異常なまでに日常を求める心は、彼の異常な勇者召喚数が生んだものだった。
『終わりだ』
一総は典治を見下ろす。
ようやく息を整えた典治は、蹲った状態のまま一総へ視線を向けた。
「俺は……死ぬのか?」
「……」
無言で頷く一総。
生かしておくという選択肢は彼にない。
典治の瞳を見れば一目瞭然だ。彼は絶対に改心しない。勇者生活で何百何千と見てきた、堕ち切った人間の目の色をしていた。
典治は自嘲気味に笑む。
「ははっ、とんだ貧乏くじを引いたな。最後の最後でこんな化け物に当たるなんて」
もはや典治に戦う体力はない。一総の威力調整は完璧だった。
一総は静かに魔法陣を展開する。
そして、必殺の魔法を『勇者殺し』へと解き放った。
その翌日、政府より勇者殺しが討伐されたことが発表された。
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