001-5-01 終幕、日常を愛する者

 夕暮れの街中。


 背中から聴こえるのは蒼生あおいに対する別れの言葉。隣には後ろの女子生徒たちへ手を振る蒼生の姿。辺りを見渡せば、家路に着く人や買い物へ向かう人、これから仕事に赴く人など、多様な人間が変わりなく動いている。何の変哲もない日常の光景。


 勇者殺しが死んでから五日が経過したが、島中を震撼させた出来事も、終わってしまえばあっという間に風化してしまっていた。の者に怯えたのは僅かな時間のみで、それが死んだとなれば誰も気に留めない。


 一総かずさたちのすごす日々は何一つ変わりなく、彼の望む『日常』がそこに守られている。


(勇者殺し、か)


 悠然と歩を進めながら、一総は彼を殺した時を思い返す。



          ○●○●○



 ドサッという音を鳴らし、勇者殺しの亡骸が崩れ落ちる。一総が放った一撃は、呆気なく彼の命を奪い去った。遺体の外傷が全く見られないため気絶しているだけにも見えるが、その息は確かに止まっている。


 念を入れて『勇者殺し』典治のりはるの生死を確認し、さて退散しようかと足を動かしたところ。


「かずさ」


 と、蒼生が声を出した。


 思わず溢したといった感じではない。明らかにこちらへ向けてかけたものだ。


 一総は、仮面の下にある自分の表情が歪むのを覚える。


 しかし、露骨に反応を示すわけにもいかない。今の彼は正体不明の白面であって、伊藤一総ではないのだから。


 瞬時に表情を戻し、何事もなかったようにその場を立ち去ろうと歩き出す。困惑はコンマ数秒にも満たない。バレてはいないはずだ。


 だが、再び蒼生から声がかかった。


「待って!」


 先程よりも強い言葉。


 それに従う理由はなかったが、一総は何故か足を止めてしまった。ここは話を聞いておくべきだと予感があったのだ。


 一総本人だと肯定したわけではないのだし、いくらでも言い訳のしようはあるだろう。


 そんなことを考えつつ、落ち着いて蒼生の方へと振り返る。


 彼女はこんなことに巻き込まれたのにも関わらず、相変わらずの無表情だった。くらい勝色の瞳が真っ直ぐに突き刺さる。襲われたというのに、さすがの胆力と言えよう。


 首を動かして何の用か問うと、蒼生は口を開く。


「かずさ、なんで彼を殺したの?」


 質問の意図は分かる。典治を殺す必要性を問うているのだろう。イジメを目撃した時もそうだったが、彼女は案外正義感が強い部分があるようだから、無為な殺人は許せないのかもしれない。


 ただ、どうして当然とばかりに一総呼びをするのだ。姿は変装と幻術で完璧に偽っているし、声や口調も変えているというのに。


『……私は一総ではない』


 おかげで妙な間を空けてしまった。


 頭を抱えたくなる気分をグッと抑え、蒼生の方を見据える。


 蒼生はといえば、先程からずっとこちらを見つめている。


 二人の視線が交差した。


 すると、蒼生は小さく頷く。


「やっぱり、あなたはかずさ・・・


『だから違うと――』


「私にはわかる」


 否定しようとしたところ、蒼生が言葉を割るように口を開いた。その強気な姿勢が、いつになく彼女の存在を際立たせている。


 何を見て姿を隠す彼を一総だと断言しているのか。少なくとも、異能を使用している気配は感じない。ただの勘か、あるいは千を超える世界を見てきた彼でさえ知らない異能を使用しているのか……。


 異能を行使しているのなら問題だ。今は無事だが、いつ世界を滅ぼす力を使ってしまうか分からないのだから。


 それに気がついた一総は、詳細を彼女に訊くことにした。


 そんなことを問えば正体をバラしているようなものだが、正体がバレようがバレまいが蒼生の意見は変わりそうにもないし、世界の危機と天秤にかけるまでもない。世界が無事でなければ、彼の欲する日常はありえないのだ。


『何故、私が一総だと思うんだ。異能を使っているのか?』


「先に私の質問に答えて」


 対し、蒼生は毅然とした態度で言ってのける。その瞳の光は強い。


 一総は今までの、それから先の経験で察した。これは頑なに意見を曲げない時の彼女だと。


 それに、こんな悠長なことをしているが、実は時間があまり残されていないのだ。あと数分もしないうちに、勇気ゆうき分身一総を連れてココへ現れてしまう。白面の存在は多くに知られたくないため、鉢合わせだけは避けたい。


 よって、蒼生の要望通りにすることにした。


『殺さなければアレは同じことを繰り返していた。堕ち切った彼に更生の道はなかった』


 できるだけ簡潔に、こちらの意図が伝わるように言葉を並べる。


 それを聞いた蒼生は特に意見を述べることなく、「そう」と呟いただけだった。


 その反応は些か意外だった。もう少し「堕ち切ってなんかいなかった」みたいにごねる・・・かと思ったからだ。そこまで気にした質問ではなかったか、こちらの言葉を信用しているか。……今までの蒼生の傾向からすると、後者の可能性は高い。


 それから彼女は言葉を続ける。


「そっちの質問に答える。異能は使ってない。そういう約束」


 ぶっきら棒で感情のない声色。


 だが、様子から見て、蒼生が嘘をいているとは思わなかった。


(時間もない、ここから離脱しないと)


 自分のことは黙っているように、と簡素な釘を刺しつつ、一総は踵を返す。すぐに分身と入れ替わるので、蒼生が何か言おうとしても止められるだろう。


 すると、歩を踏み出した彼の背に向けて、またしても声がかけられた。


「最後にひとつ。どうして即座に殺さなかった? かずさなら戦わずして倒せたはず」


 僅かに足を止め、答えを求めて逡巡する一総。


 彼女の言う通り、勇者殺しを即殺することは容易かった。蒼生が目覚める前からココに到着していたので、不意打ちもできた。


 それをしなかったのは情報収集のためだ。典治を殺す前に、ある程度の情報を仕入れておきたかったのだ。無論、彼の語ったことは録音済みである。


 しかし、蒼生の問いはその先にある気がした。


 お前は殺してからでも・・・・・・・情報を聞き出せたのではないか、と。


 脳裏によぎったのは、いつかの恩人の顔。また、蒼生の先程の言葉。


 だから、一総はこう言い放った。


『そういう約束だったから、だな』


 そのまま、彼は駆け出す。


 もう、そこまで勇気たちが来ているのだ。余裕はない。


「無事か、村瀬さん!」


 勇気たちが駆け込んだ同時、何とか一総は建物から離れることに成功した。



          ○●○●○



 ここ数日は勇者殺しに関する事情聴取で、一総も蒼生も多忙を極めた。同部屋している二人が顔を合わせる暇がないほどに。


 一総としては、蒼生が自身のことを報告しないか(誤魔化す手段を用意していたとしても)若干ヒヤヒヤしていたが、懸念していたことは起こらなかった。むしろ、典治は突然死したと語った辺り、彼にとって都合の良い方向へ話を進めている節があるくらいだ。


 蒼生の思惑はよく分からないが、結果として典治が勇者殺しであったことは断定された。死因の方も、遺体が不自然なほど綺麗だったことから心臓麻痺死因不明と処理された。


 無論、謎の突然死を追求する声も上がったが、それを確かめる方法があるはずもない。白面が捜査上に影を出すことは一度もなく、有耶無耶のまま打ち切られたのだ。


 典治の名が世間へ上がることもなかった。彼が未成年であることもそうだが、アヴァロン自治が――政府がそれを許すはずがなかった。フォースまで上り詰めた勇者が三十人以上の同胞を殺していたなど、管理不行き届きとバッシングを受けるのは間違いないのだから。


 こうして、勇者殺しの騒動はひっそりと幕を下ろした。一総にとって最良の結果と言えよう。


 そうして今日。連日続いた聴取は昨日さくじつにて終了していて学園から直帰できた一総は、久方ぶりに料理を手がけていた。リビングには蒼生が今か今かと待ち惚けている。


「お待たせ」


 できたての料理を皿に乗せ、食卓へ運ぶ。


 それを見て、目を輝かせる蒼生。その姿は子供のように純真で、一総は思わず苦笑を溢してしまった。


 本日のメニューはオムライス。一総の一番の得意料理だった。


 いただきますの挨拶と共に二人は食事を始める。相変わらず、蒼生の食は旺盛だ。無表情なのに、どこかやる気に満ち溢れて見える。


 彼女は一総の料理を物凄く気に入っている。外食では見せない食欲を出すほどに。今も三人前はあろうかというオムライスを、超スピードで食べ進めていた。


 それは蒼生の不可思議なところのひとつだ。


 そう、ひとつ。


 初対面の時から一総を信用していることも、姿を隠蔽していたというのに一総のことを見破っていたことも、一総のことを政府へ黙っていたことも。蒼生の一総への対応は全て不可思議なことだった。


 今なら尋ねられるだろう。その時間はある。


 だが、わざわざ訊くほどのことなのだろうか。気がかりであり、多少の訝しさを覚えるものの、踏み込んで尋ねるほどの熱意を持っているのだろうか。


 一総には珍しく懊悩おうのうする。


 すると、いつの間にかジッと蒼生を見つめてしまっていたようで、彼女と視線が重なった。


 一時いっとき、怪訝そうに首を傾ぐ蒼生だったが、そのうち得心したように頬を緩めた。


「だいじょうぶ」


 彼女は言葉を奏でる。


「私は、こうやって一緒に食事をする『日常』が好きだから」


 果たして、蒼生はどこまで知っているのだろう。


 おそらく、見つめていた一総の瞳に不安が陰っていたから、安心させるために言葉を溢しただけなのかもしれない。


 でも、その言葉は確かに一総に響いた。どんな理屈をこねられるよりも、日常が好きという一言が、共感という名の信頼を僅かながら生まれさせた。


 一総は柔らかく頬を上げる。


「そうだな、オレも好きだよ」


 蒼生のことは面倒としか思っていなかった。


 しかし、いつの間にやら、ほんの僅か――ほんの少しだけ、蒼生は一総の『日常』に組み込まれていたようだ。このように静かに食事を共にするという、かつて己の手の中にあったモノに似た光景を作り出して。


 それならば、と心の内で呟く。


 蒼生との時間が『日常』だと言うのなら。


 今度は失わないようにしたいと切に願う。


 それが、日常を愛している異端者のなすべきことなのだから。

 

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