002-2-08 幕間、蒼生が信頼する理由

 太陽が地平線に接する時分。赤く染まった街はいつも以上に活気で溢れていた。左坏祭さつきさいが明日から始まるからだろう、ラストスパートをかける人々の姿が見て取れる。


 波渋はしぶ学園内も例に漏れずにぎわっているのだが、その枠に捉われない場所が一部ある。


 そのひとつ、人気ひとけの少ない職員室前の廊下にて、真実まみ蒼生あおいが手持ちぶさたに壁へ背中を預けていた。一総かずさが教師に呼び出されたため、用事が済むのを待っているのだ。


「遅いですねぇ」


 真実はボーっと呟きながら、これまでのことを思い返す。


 一総の密着取材を始めてから一週間と少し。必死について回った努力も虚しく、彼の情報はほとんど得られていなかった。たまに蒼生と二人で姿を消すことがあるのだが、何をしているかまでは分からない。それどころか、撒かれる度にとんでもない目に遭っているので、正直心が折れそうなくらいだった。


 一総は自分のことがそれほど嫌いなのだろうかと毎回悩んでいるが、それを蒼生に相談すれば「かずさは、まみを気に入ってる」と返される。どこが? と首を捻る他ない。


 とはいえ、自身の記者生命がかかっているのだ。辛くても諦めるわけにはいかなかった。


 シングルとは言えど勇者の端くれ。多少の嫌がらせで根を上げるほど柔いメンタルはしていない。


 色々と思い出したせいでゲンナリしてしまった真実は、気分を変えるように口を開く。


「蒼生センパイ、質問してもいいですか?」


「私たちが隠れて何をしてるかは教えない」


「うぐっ、訊く前に潰さないでくださいよ」


 出鼻を挫かれたが、それでもめげずに続ける。


「なら、それ以外の質問だったらいいですか?」


「………………答えられる範囲なら」


 しばらく逡巡していた蒼生だったが、最終的には頷いてくれた。


 真実は心の中でガッツポーズを取る。


 将来の夢の話をして以来は彼女との距離は縮まり、一週間を経てかなり仲良くなった自信があった。そのお蔭もあってか、ある程度の質疑応答が許されたのは、とても嬉しかった。


 喜びを噛み締めながら、真実は問いを口にする。まずは当たり障りのないところから。


「蒼生センパイの一番得意な異能って何ですか?」


 勇者インタビューで定番中の定番のクエスチョンだ。これなら問題はあるまい。


 そう意気込む彼女だったが、今回は相手が悪かった。


「ノーコメント」


 即答で返される回答拒絶の言葉。


 これには真実も固まってしまう。


「えーと、理由を訊いても?」


「ノーコメント」


 動揺しながらも問いを重ねた真実だったが、返ってきたのは先程と寸分違わないセリフ。


 どうしたものかと彼女は頭を抱える。


 答えやすい定番の質問をしたというのに、そこからつまずくとは思ってもみなかった。予想外のことで困惑が抜け切らない。


 とにかく質問を続けないと!


 せっかく掴んだチャンスを無駄にしたくない一心から、真実は浮ついた気分のまま、勢いで口を開く。


「ご趣味は何ですか?」


 お見合いか! と自らツッコミを入れたくなった。いくら慌てていたからといって、この問いは如何なものだろうか。


 ただ、これは答えられる範囲だったようで、蒼生は普通に返事をしてくれた。


「これといってない……けど、最近はアニメをよく見る」


「アニメって、どういうものを見てるんでしょうか?」


 すかさず食いついた。後悔するよりも、今は繋がった流れに乗っかるべきだと記者根性を見せる。


「いろいろ。目についたものは片っ端から見てる」


「じゃあ、一番のお気に入りとかはあります?」


 蒼生は少し悩む素振りをしてから答えた。


「プリ○ュア」


「あー、日曜の朝にやってるやつでしたっけ。懐かしいですね」


 真実も幼い頃に視聴していた覚えがある。そういう方面には詳しくなくとも、辛うじて知識があった。


 彼女はひとつ疑問が浮かんだので、それを尋ねることにする。


「あれって子供向けの番組だと思うんですけど、高校生が見ても楽しめるんでしょうか?」


 バカにしているわけではなく、純粋に不思議に思ったための質問だ。対象年齢から外れた者が視聴しても面白いのかと。


 その問いを受けて、蒼生はチッチッチッと指を振った。


「歳なんて関係ない。騙されたと思って見てみるといい」


 彼女の表情はどことなく得意げで、愛らしい容姿と相まって、とても微笑ましく感じた。


 真実は頬を緩めて頷く。


「そこまで言うのなら、今回の取材が終わったらDVDでも借りてみます」


「……それは遠回しに『絶対に見ない』と言ってるの?」


「違いますよ! なんですか、その悪意に満ちた意訳は!?」


 悲しそうに顔を歪ませる蒼生に、思わず声を張って反論をしてしまう。


 彼女から見て、一総への取材が成功する確率はゼロらしい。そんなことを面と向かって言われては、さすがの真実も多少は傷つくものだ。


 真実は拗ねたように唇を尖らせる。


「平然とそう言っちゃうくらい、伊藤センパイへの取材って見込みないんでしょうか? やっぱり私ってセンパイに嫌われてます?」


「そんなことはない。かずさは、あなたのことを気に入ってる」


 蒼生は首を横に振った。その言葉には確信めいた意思の強さを感じる。


 前回相談した時と全く同じ回答。


 邪険に扱われる姿を目にしてきて、どうしてその結論に至るのだろう。美波みなみに同様のことを訊けば、真逆の答えが返ってくるというのに。


 一回目は首を傾ぐだけだったが、二度目となれば尋ねたい欲求を抑えられない。


 真実の口からは、自然と疑問が零れていた。


「なんで、私が伊藤センパイに気に入られてるって考えるんですか?」


 蒼生には何が見えているのか、それが知りたかった。


 ところが、


「見てればわかる」


 返ってきたのは、到底理解することのできない雑な答え。


 彼女にこういうところがあるのは、一週間のつき合いで心得ていた。感覚肌というか、要所要所で曖昧な表現が出てくるのだ。まさか、こんな大事な場面で発揮されるとは考えていなかったが。


 真実は額に片手を添える。


 こうなってしまっては具体的なことを訊き出すことは不可能だ。何度質問を繰り返しても、要領を得ない返答しか期待できないだろう。


 仕方がない。そう心中で呟き、彼女は前々から感じていた別の疑問をぶつけてみることにした。ノーコメントと返されるかもしれないが、減るものでもないし、思い切って尋ねてしまおう。


「蒼生センパイは、どうして伊藤センパイのことを信頼してるんでしょう? とても出会って一月とは思えないほどの頼り方だと思うんですが」


 蒼生が一総へ向ける信頼は、出会ってすぐの真実でも気がつけるくらい強いものだった。


 最初は長いつき合いなのかと軽く考えていたのだが、後でそうではないことが判明するし、見ていた限り恋人同士といった風でもない。


 蒼生が持つ尋常ではない信頼が不可解でならなかった。


 彼女は知る由もないが、これに似た質問は一総が蒼生との邂逅直後にしていた。当時は『優しいから』と口にしたが、果たして――――。


 蒼生は勝色の瞳を二回瞬かせると、ゆっくり言葉を紡いだ。


「それは私とかずさが似てるから」


「似てる、ですか?」


 簡潔なセリフに、真実は首を傾げる。


 蒼生は無表情で口数は少ないが、好奇心旺盛で正義感が強く、割と天然なところがある少女だ。対し一総は、仕事はきちんとこなすが、面倒臭がりで覇気は乏しい少年という印象。共通する部分と言えば冷静さくらいで、二人は容姿も性格も異なっていると感じられる。


 しかし、それでも蒼生は自分たちを似ていると評価する。彼女は何を持って、そう発言しているのだろう。


「最初はよくわからなかった。何故か優しい人だって確信が心の中にあったから、それに従っただけだった」


 蒼生は柔らかく目を細める。


「でも、かずさの瞳を何度も見ているうちに気がついた。『嗚呼、この瞳は私と同じだ』って」


「瞳……?」


 やはり首を傾ぐしかない真実。


 確かに色合いは類似しているが、二人の目の色は勝色と黒とで同じとは言い難い。形だって似ていない。魔眼を持ってるなんて話も聞いたことがない。


 そんな疑問を抱かれているとは知らず、蒼生は語り続ける。


「そう、同じ目をしてた。くらくて昏くて昏くて昏くて昏くて昏くて昏くて昏くて昏くて昏い、深い穴に落ちてしまったような深淵の瞳。だからわかった。私は覚えてないけど、かずさと私は似た経験をしてるんだって」


 いつも無感情の蒼生らしからぬ、どこか妖艶さをまとった声音だった。


 真実は彼女の深海の如き蒼い目を見て、背筋を震わせてしまう。今の話を聞いた直後だからか、その瞳が闇へ続く入口のように錯覚してしまったから。


 真実はかぶりを振って、口を開く。


「共感したから、信頼できるということですか?」


「ちがう」


「え!?」


 今までの流れをぶった切る言葉に、目を剥いてしまう。


 その様子を見て、蒼生はおかしそうにクスクス笑った。


「笑わないでくださいよ。蒼生センパイのせいじゃないですか」


 半眼で睨んでくる真実に、蒼生は謝る。


「ごめん。面白かったから、つい」


「謝る気、あります?」


「ホントごめん。謝るから」


 蒼生が落ち着くのを見計らってから、真実は話の続きを促した。


「はぁ……それで信頼の理由って結局何なんですか?」


 散々意味深なことを話しておいてそれを一蹴されたので、彼女は正直脱力してしまっていた。声には投げやりな気配が滲み出ている。


 それに気がついた蒼生は肩を竦める。


「別に、今までの話が無意味だったわけじゃない。あれは前提の話」


「前提って、お二人が同じだってことでしょうか?」


「そう」


 コクリと蒼生は首肯する。


「私とかずさは、おそらく同じ経験をしてる。だけど、かずさは一歩先のところにいる。昏い瞳の中に温かい光があったから。出会った時に感じた『優しさ』はそれだと思う」


「光ですか。具体的に、それは何なんですか?」


「わからない」


「えええー……」


 最も重要なところが不明だと言いう彼女に、真実はガクリと肩を落としてしまう。


 先程、今までの話は無意味ではないと言っていたが、結論が不明確ではダメではなかろうか。


 落ち込む彼女の姿を見て、申しわけなさそうに蒼生は言う。


「ごめん。ここまでしか“今の私”にはわからない。私はかずさの進んだ先には歩めてないから。たぶん、進めなかったから私には記憶がないんだと思う」


 二人の最たる違いといえば、記憶の有無だ。ともすれば、そこに原因があると推測するのも当然だった。


「センパイ……」


 真実が気遣わしげな声を漏らす。


 蒼生はいつもの無表情を崩して微笑んだ。


「気にしないでいい。記憶がなくても、今の私は十分に幸せ」


 そう言う彼女には悲壮感は見られない。魔眼で嘘は感知できないし、心からの言葉だと理解できた。


 それよりも、と蒼生は続ける。


「喋りすぎて疲れた。質問は終わり」


 彼女はそれから口を閉ざす。


 真実も何だかんだで結構疲れてしまっていたので、否はなかった。


(それにしても)


 彼女は心中で呟く。


(蒼生センパイの異様な信頼は一方的な片想いかと思ってたんですけど……)


 下世話な予想を立てていた真実にとって、先の蒼生の話は非常に衝撃が強かった。


 抱く想いが憧れであることは変わらない。しかし、その本質はもっと別の何かであるように感じられた。もっと粘度が高くて重い何か。それが蒼生の忘却したという過去の片鱗なのかもしれない。


 とはいえ、これを記事に書くのは難しい。内容が強烈すぎる上に重いため、新米記者の真実の手には負えそうになかった。もっとポジティブな感情で信頼してほしいと、筋違いだとは分かっていながらも、そんな愚痴が浮かんでしまう。


 ただ、真実にはひとつ・・・、蒼生の話を聞いて思うところがあった。


「伊藤センパイなら、もしかしたら――――」


 彼女の呟きは最後まで形にならず、誰の耳にも届かないまま静寂の中へと飲まれていった。

 

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