002-3-01 初日の朝礼
時刻は五時半ばを回ったところ。五月も末となれば陽も昇っているが、まだ顔を出したばかりということもあって、目に映る景色は灰色がかって見えた。
夜明け直後の街はアヴァロンでも人通りは疎らだが、その数少ない中に
何故、彼らがこんなにも早く外へ出ているかというと、風紀委員の朝礼に参加するためだった。今日から
「ふぁああああ」
道中、一総が大きなアクビをした。
それを見て、他の二人が反応を示す。
「センパイ、もしかしてお祭りが楽しみで眠れなかったんですか?」
「寝不足?」
対し、一総は目尻に浮かんだ涙を拭いつつ、「気にするな」と返すだけだった。
詳細を話すわけにもいかない。つい先程まで異世界へ召喚されていただなんて。
0時ちょうどに呼び出され、帰ってきたのは出発直前の五時すぎ。文字通り必死で事態を収拾してきたので、眠る暇などなかった。アクビくらいしても当然である。
本来なら分身に任せておけば必死に頑張ることもなかったのだが、一総としても色々と携わった祭りなので、できるだけ頭から本人が参加したかったのだ。
勘違いをした真実に「小学生ですか」とからかわれつつも一総たちは歩を進め、何事もなく風紀委員本部に到着する。
すると、建物の前に見知った人物が立っていた。
「
真っ先に挨拶をした真実の言う通り、そこにいたのは美波だった。
彼女はこちらに気がつくと、丁寧にお辞儀をする。
「おはようございます、皆さん」
「おはよう。どうしてエヴァンズがここに?」
十中八九、真実の仕業だろうと分かってはいたが、一応形として確認しておく。
「私が呼んだんです。左坏祭の間は裏方の仕事はありませんし」
「まぁ、そうだろうな」
「ご、ご迷惑でしたか?」
溜息の混じった一総の言葉を受け、美波がオドオドと訊いてきた。
彼は肩を竦める。
「すでに迷惑なやつがいるから、一人加わったところで気にしないよ。でも、何があっても関知しないから、そのつもりで」
「は、はい」
全然フォローになっていない本音を言う一総に、美波は苦笑する。
そこへ真実が声を荒げた。
「ちょっとセンパイ。迷惑なやつって、もしかしなくても私のことですか!?」
「他に誰がいるんだ?」
「うわっ、悪びれもせずに堂々と言い放ちましたよ、この人! いたいけな美少女に向かって『迷惑』とか。普通なら傍にいるだけで泣いて喜ぶところですよ?」
「自分で美少女と言う辺り、君は恥ずかしいやつだな」
「事実を言ってるだけですぅ。私は嘘を吐きませんのでぇ」
「オレだって嘘は吐いちゃいない」
「そこがセンパイの嫌なところですよ。照れ隠しとかじゃなくて、心の底から本気で言ってるから質が悪い!」
マシンガンの如く会話の応酬を繰り広げる二人。
蒼生は端然としていたが、美波はそういかなかった。オロオロと視線を
「あ、あれは止めなくてもいいんですか?」
「うん。じゃれ合ってるだけ」
全く動じた様子のない蒼生。
彼女はこの光景を見慣れていた。真実とすごす時間が増えていくにつれて、こういった言い合いは幾度となく起こっていたのだ。でも、最終的には二人とも仲違いすることなく収まるので、放置しておいても問題ない。むしろ、下手に口を挟む方が長引くこともある。
一総は蒼生と違って、決して口数の少ない人間ではない。それなのに、周囲からは寡黙な人物だと思われている節がある。
何故かといえば、彼に話しかける者がごく僅かしか存在しないからだ。機会が少なければ、必然と無口だと勘違いもされていくというもの。
本人に自覚があるかは不明だが、彼は真実とのやり取りで、今まで我慢していた“話したい”という欲求を満たしているのかもしれない。本気の口論など、面倒臭がりの一総が率先してするわけがないのだから。
こうして、止める者の一切いなくなった二人の
風紀委員本部内にあるホールへ入室した一総たち。そこには朝礼前とあって多くの人が詰めていた。
「風紀委員って、こんなにいたんですね」
「ひ、人がたくさんいます」
あまりの人数に、記者の二人は驚いているようだ。ビル一階を丸々使ったフロアが満員になっている光景を目にすれば無理もない。
ちなみに、風紀委員とは無関係の真実たちがこの場にいることは、何ら問題にはならない。機密を話すわけではない、ただの朝礼だからだ。もちろん、ベラベラと内容を他言することは褒められた行動ではないので、止められたりはするが。
閑話休題。
人の波に圧倒されながらも入口のすぐ横で待機する一総たち。そんな一同の元へ二人の人物が近寄ってきた。
「おはようございます、先輩!」
「皆さん、おはようございます」
気合十分といった様子の
「先輩たち、結構遅かったですね。何かありましたか?」
本部前でのことを加賀たちは知らないらしい。ならばと、一総は曖昧に返す。
「いいや。私用でゴタついただけだから、気にするな」
「そうですか?」
「ああ」
よもや口論をしていて遅れたとは思われないだろう落ち着き具合。無駄なところで強い胆力を発揮していた。
蒼生と美波の視線が突き刺さっているが、一総は全く気にしない。
そんなこんなしているうちに、部屋の奥の方が騒がしくなったかと思うと、次第に静けさが広がっていく。
それに気がついた佐賀が口を開いた。
「そろそろ始まるみたいです」
彼女の言葉の通り、すぐにアナウンスが聞こえてきた。
『これから朝礼を始めるわ』
人垣のせいで姿は見えないが、マイク越しの声は間違いなく
静まり返ったホールに、彼女の声のみが響く。
『まずは本日の行動予定を再確認します。警邏組、七時から九時の――』
それは形式的な確認作業。事前に配られた予定表を読むだけのものだ。
とはいえ、これも重要なこと。改めて、誰が何をしているか認識することは、いざという時の連携で大切になってくる。
予定の確認が終わると、今度は祭り中の注意事項や緊急連絡用の端末の使い方などに話が移っていく。
朝礼は滞りなく進んでいき、最後の議題へと入った。
『最後に、ひとつ伝えておきたいことがあるわ』
侑姫が真剣な声音で言った。いや、今までも真面目な声だったが、より緊張感の孕んだものになったと表現すべきか。
『みんなも知っての通り、この一週間で捕縛に及ぶ案件が増大してる。幸い『
逮捕者増加の件は一総も耳にしていた。何でも、前に一総らを襲ってきたような弱いシングルが、次々と問題を起こしているらしい。
侑姫が言うように、不特定多数の人間が外から大量に入ってくる左坏祭の間は、より注意を払うべきだろう。
最近の治安悪化を思い出して面倒そうに眉を寄せていると、侑姫の話は終わっていなかったようで、声が続いた。
『それから、今回の事態を憂慮して、心強い助っ人が手を貸してくれることになったわ。入ってきて』
そう彼女が促すと、ホール中の視線が部屋の出入り口へと注がれる。
同時に、助っ人と呼ばれた人物が入室してきた。
「「「「「「「おおおおお!!!!」」」」」」」」
室内にいるほとんどの者が感嘆の声を上げる。
約一名――一総だけは「げっ」と正反対の感情を表にしていたが、周囲の波に埋もれたせいで耳にした人はいない。
助っ人は『
少し考えれば予想できることだ。人助けを積極的に行う勇気が、人員不足で困っている風紀委員に手伝いを申し出ることは当然の帰結と言える。逆に、一週間も静観していたことの方が不思議なくらいだ。
人垣が割れ、ホールの奥へと消えていく勇気を見送りつつ、一総は息を吐く。
「ギリギリまで参加してこなかったから油断してた」
左坏祭の準備が始まってから彼と接する機会が減ったことも影響していたのだろう。今回の勇気の登場は想定していなかった。
一総の溢す言葉を聞き、真実は訝しげに口を開く。
「前に『勇者』センパイを利用させてもらった時にも思いましたけど、伊藤センパイってあの人のこと嫌いなんですか?」
「そうなんですか、先輩?」
「本当ですか?」
加賀や佐賀も興味がある話題だったのか、重ねて問うてくる。
一総は未だ騒がしい群衆を見ながら言葉を選ぶ。
「嫌ってるわけじゃない。ただ、ひたすらに面倒くさいやつだから、苦手意識を持ってるだけだ」
「面倒、ですか?」
「うーん?」
加賀たち風紀委員の二人はピンとこないようだ。見れば、美波も首を捻っている。
無理もない。困っている人がいたら迷わず助け、勇者の中でも一番の力を持っているのに、それを鼻にかけることはない。そんな実力もあり性格も良しの勇気に向かって、『面倒くさいやつ』などと評価する人間など、ほとんどいないはずだ。
だが、真実は理解できたようで、
「センパイって独特の価値観で動いてますもんね。それを人助けだからって踏みにじられるのが嫌なんですよね。でも、『勇者』センパイには一切の悪意がないから強く拒絶もできない。だから、面倒くさい」
と、得意げに語ってきた。
自信満々な表情は腹立たしくあったが、見事に正解しているので、素直に頷く。
「その通りだよ。よく分かったな」
「そりゃ、ずっとセンパイのことを見てましたもん。これくらいの思考パターンは読めるようになりましたとも」
フフンと鼻を鳴らす真実。発言の内容が若干恐怖を誘っていることには気がついていないようだ。
今回のことで味を占めてエスカレートしていかないか不安だが、今彼女のことを気にしても仕方がない。一総は話を続けることにする。
「まぁ、概ね田中の言った通りだ。必要に迫られれば致し方ないが、できるだけ師子王とは距離を置きたいな」
仕事となれば許容できる。しかし、積極的に近づきたいかと言えば、ノーだと断言できた。
「了解しました。たぶん、よほどのことがなければ、
「涼太、それはフラグ……」
佐賀が不穏な発言をしていたが、加賀の言うように、通常ならば接する機会はないはずだ。救世主複数人で当たらなければいけない事態など起こらないことを願いたい。
そんなことを心中で祈りつつ、一総は風紀委員の朝礼をすごすのだった。
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