002-3-02 盛況する左坏祭
それらを考慮し、
これは客が多くなる時間帯を予想しての采配だ。調理担当の生徒たちは半月以上の修練で腕を上達させたとはいえ、やはり一朝一夕では彼に及ぶ技量が身につくわけもない。ゆえに、稼ぎ時は一総が料理長として出るのだ。
ちなみに、喫茶店には欠かせない紅茶やコーヒーなどの飲料だが、これは運良く腕に自信のある生徒がいたので問題は起こらなかった。それは一総も唸らせるデキで、当然ながら淹れ方は全員教わっている。
閑話休題。
一総の運用と
一部大げさに噂が広まっていて調理をする側としては恐縮してしまうのだが、訂正する暇もないので放置するしかない。
そんなわけで慌ただしく駆け回るホールと厨房の生徒たちは、全力を尽くして大量の客を
そうして、お昼を十分にすぎた頃。ようやく客足が落ち着き始め、一総たちは一息吐けるようになった。
次のシフトの者たちが気を利かせて早めに来てくれたので、休息を取ることにする一同。
「疲れたー」
スタッフルームとして設けた部屋にて、
そこへ
「田中さん、エヴァンズさん。クラスの人間じゃないのに手伝ってもらっちゃって、ごめんなさいね。ありがとう」
彼女の言うように、真実たちはホール担当として喫茶店に手を貸していた。
司に続いて、他のクラスメイトたちも二人へ礼を言っていく。
それを受けた真実は照れくさそうに手を振った。
「いえいえ、気にしないでください。私たちが勝手に手伝っただけですから。ね、美波?」
「は、はい。あの状況で何もしない方が気まずかったですから」
美波も恐縮した様子で答える。
一総に密着取材をしている関係で、左坏祭中はこの店にいることも多くなるのだが、如何せん多忙の知人たちを無視して呑気に居座るなど、罪悪感が生まれて仕方なかったのだ。
それに元来活発な性格の真実としては、ジッと待っているよりも動き回っていた方が楽でもある。疲労感はあるが、決して嫌な状態ではなかった。
一仕事終えた満足感に浸っていると、休憩室の扉が開かれ、お盆を両手に持った一総が現れた。
一総が同室にいなかったことに全く気づいていなかった真実は、彼の登場に首を傾ぐ。
「あれ、センパイは何してたんですか? その手にあるのは?」
「まかないを作ってたんだよ」
そう言ってテーブルに並べられたのは大皿に乗ったチャーハンだ。できたて特有の香ばしい湯気が立っている。
「昼の残りの野菜を再利用して作った。自由に使える食器があまりなかったから、小皿で取り分けて食べてくれ」
「どうぞ」
どうやら
一総の手料理と聞いて盛り上がる一同。料理の修練で毎日口にしていたためか、すっかり魅了されていた。
特に真実の反応は顕著だ。
「やったあああ! センパイの手料理を食べられるぅ!!」
諸手を挙げて大喜びしている。
一総につきまとっていた彼女は、修練時はもちろんのこと夕飯まで図々しくも同席していたので、他の誰よりも彼の料理への依存度が高かった。第二の蒼生と評しても良いレベルだろう。
高いテンションの元で始まる遅めの昼食。
全員が美味しそうに箸を進める中、一人だけ大きく驚く者がいた。
「何これ、すごく美味しい……」
目を見開き、思わず声を漏らしたのは美波だ。驚愕しながらも、彼女の口はパクパクと止まらない。
それを見て、真実が首を傾げた。
「美波がセンパイの料理を食べるのって初めてだっけ? 前にも食べてた気がするんだけど……あれ、気のせいだったかな?」
うーん、と頭を捻る彼女。
美波は手を止め、慌てて答える。
「き、気のせいだよ。私が伊藤先輩の手料理を食べたのは初めてだから」
「そっか。勘違いしてたみたい。ごめんね」
「気にしないで」
楽しそうに微笑む真実と、ややぎこちなく笑う美波。
そこへチャーハンの盛られた小皿を持った司が声をかけてきた。
「伊藤くんの料理が初めてなら、箸が止まらなくても仕方ないよね。それくらい美味しいし。はい、これはお代わりね」
すごい勢いで食べていた美波の皿はすでに空っぽで、司は気を利かせてくれたようだ。
美波は頬を朱に染めながらも、礼を言って器を受け取る。
その時、
「あれ?」
彼女と向かい合った司が、眉を寄せて怪訝そうな表情をした。
ジッと視線を注いでくる司に、美波はたじろぐ。
「ど、どうかしましたか?」
「あっ……なんでもないよ。急に見つめちゃってごめんね。まだ料理は残ってるから楽しんで!」
美波の言葉で我に返った司は、手を振って取り繕い、その場を離れていく。
不自然な別れ方をしてしまった。そう反省しつつも、司は他のことに思考が囚われていた。難しい表情で何かを考察しているように見える。
「どうかしたのか?」
「え?」
不意に彼女へ言葉を投げかけたのは一総だった。
彼は不思議そうに司を見つめている。
司はほとんど反射的に口を開いた。
「エヴァンズさんが……」
「エヴァンズがどうかしたのか?」
――が、何か思うところがあったのか、彼女は半ばで口を閉ざして首を横に振った。
「ううん、何でもない。たぶん、私の勘違いだから」
「そうか?」
「そうそう。心配してくれてありがとう。もう大丈夫だから」
司は笑顔でそう答えると、別れを告げて他のメンバーのところへ向かってしまう。
それを見送った一総は目を細める。
彼が他人の心配をすることなど、ほぼあり得ないといって良い。それなのに、わざわざ司へ声をかけたのは、明確な理由があったからだ。
「勘違い、か」
本当に勘違いならいいんだが。
彼が口の中で発した呟きは、誰の耳にも届かない。
「そういえば、風紀委員には
まかないが全部腹の中へと消え、一総たちがそろそろ風紀委員の仕事へ行こうと準備を始めた頃合い。ちょうど良い話題だと判断したのか、そんなことを司が尋ねてきた。
出発する準備を進めながら、一総は頷く。
「ああ、人手が足りないから助かってるらしいぞ」
あらかじめ懸念していた通り、左坏祭開始から半日しか経っていないにも関わらず、捕縛に及ぶ事件発生がすでに例年を超えているらしい。定時連絡では、かなり
そこまで事件が起こっているなら祭りを開いている場合ではない気もするが、様々な利権が絡み合っている関係で、おいそれと中止にはできないようだ。重大事件が起こっていないというのもあるのだろう。
(上層部の方々はずいぶんと前向きな思考回路をしているらしい)
危うい状況にも関わらず、未だに金や権力へ気を回している者たちへ、一総は皮肉交じりの感想を抱く。
とはいえ、彼は左坏祭を楽しみに待っていた人間なので、本当に中止されたら困ってしまうわけだが。
真実は今朝のことを思い出したのか、少し興奮気味に話す。
「『
「さすがは『勇者』だよね」
美波も感心したようにコクコクと頷く。
すると、蒼生が余計な一言を投下した。
「かずさの時よりも盛り上がってた」
「それって、どういうことですか? 詳しく教えてください!」
案の定、真実が素晴らしい反応速度で食いついた。飢えた猛獣かと問いたい。
蒼生は過去の状況を説く。
「私たちが風紀委員の人たちに紹介された時は、あそこまで盛り上がらなかった。むしろ、テンションが落ちてたかも?」
「はて? 伊藤センパイはともかく、美人の蒼生センパイが参加すると聞けば、みんなハイテンションになりそうですけど」
ものすごく失礼なことを宣う真実だが、いちいち突っかかってはキリがないので無視しておく。その代り、蒼生の説明に補足をすることにした。
「風紀委員は田中みたいにミーハーじゃなく、実力主義なところがあるんだよ。そんな彼らは『
一総からしてみれば、テンションどうこうよりも、自分の登場で表情を渋らせなかったことへ関心を寄せたいくらいだ。それほど、彼の存在への評価は低い。
現に周りで耳を立てていた連中も、当たり前の反応だと納得している。
ただ、アヴァロンへ来て日の浅い蒼生や真実はピンと来ていないようだ。二人とも首を傾げていた。
「センパイって、そんなに嫌われてるんですか? いや、色んな噂が流れてるのは知ってますけど、実物を傍で見ている身としては実感が湧かないと言いますか」
訝しげに真実が尋ねてくる。
次に首を傾ぐのは一総の番だった。ずっと観察していれば、彼が周りにどう思われているのかハッキリと分かるイベントも確実に目にするはずなのだが……。
そこまで思考を回したところで、彼は疑問の答えに気がついた。
早速、真実へ説明する。
「週に三、四回決闘を申し込まれるくらいには嫌われてるぞ」
「ええっ、そんなにですか!? 私は一度も目撃したことないですけど」
「それは左坏祭の準備期間だったからだろう。みんな忙しいんだよ」
そう。左坏祭の前だったから、真実が現れてから決闘を挑まれることがなかったのだ。それでも一週間で0回なのは
なるほど、と納得する真実。その表情が困惑気味なのは決闘を申し込まれる頻度に驚いているのか、一総を慮っているのか。
やや暗くなった空気を払拭するため、真実は明るめの声を上げる。
「参考になりました! いやー、やっぱり情報収集だけじゃなくて、実際に取材対象と触れ合わなくちゃ分からないことってありますね」
「君はもっと事前の情報収集をするべきだけどね」
「……今後はしっかりやります」
「目を逸らしながら言われてもなぁ」
これからも行き当たりばったりな真実を想像してしまい、苦笑いを浮かべる一総。
すると、蒼生が声を漏らす。
「あれ?」
「どうしました?」
「まみの取材って、左坏祭で出す記事のためなんじゃ?」
すっかり忘れていたが、真実が一総へついて回っていたのは、そもそも左坏祭で出す救世主特集のためだったはずだ。しかし、左坏祭当日だというのに彼女は同行している。言われてみれば妙な状況だった。
「そういえば、村瀬には言ってなかったっけ」
口を開いたのは一総だ。
「田中の取材はどう足掻いても達成できないだろうから、慈悲として代わりの記事内容を提供してやったんだ。美味しいおまけも添えて」
「何が『慈悲』ですか。本当に慈悲を与えてくれるなら、素直に取材に答えてくださいよ」
「嫌だ」
唇を尖らせる真実を、一総は
置いてきぼりの蒼生の頭の中は疑問符だらけだった。
「結局、どういうこと?」
真実が一総の反応に肩を落としながらも答える。
「伊藤センパイの記事の代わりに、センパイの料理記事を載せたんですよ。『オレの情報を載せるってことは、別に料理のことでも問題はないだろう』って説得されまして」
「……それはアリなの?」
救世主特集という枠組みからは外れているのではないか。そう疑問に思うのは正しい感性らしく、真実は大きく頷いた。
「本当はダメですね。でも、センパイは用意周到でした。私に最終兵器を持たせて、新聞部の部長に交渉をさせたんです」
「最終兵器……?」
わなわな震えながら不穏な言葉を口にするので、蒼生は思わず唾を
真実は十分に余韻を置いて答えた。
「センパイは部長へのお土産として……センパイの手作り菓子を提供したんです!」
アニメであれば荘厳な効果音が鳴り響いただろう、大仰なポーズを取る真実。
「なるほど、それは最終兵器」
対し、蒼生は至極真面目な表情で首肯した。一総の手作り菓子を渡されたのなら、新聞部の部長とやらも折れて仕方がないと。
ただ、周囲の者は内心で強くツッコミを入れていた。最終兵器とか大げさすぎないかと。ただの買収じゃないかと。
そんな心の声など聞こえない二人は、そのまま会話を続ける。
「とはいえ、こちらの要求が全て通ったわけじゃありませんでした。今回は料理記事でいいから、伊藤センパイへの取材は続行しろと命令されたわけです」
「だから、今もここにいるんだ」
それなら合点がいく。
真実の説明を静聴していた一総が、渋い顔をした。
「取材続行を指示してくるとは思わなかった。まぁ、喫茶店の宣伝にもなったから、こちらも利益は貰ってるんだけどさ」
そう。初日からの盛況は、記事による宣伝の影響もあったのだ。やるからには徹底的にという一総の意気込みがなせたこととも言える。
本気で嫌そうな表情をする一総を見て、真実は空笑い。
「センパイとここまで長く一緒にいられた記者が私しかいないって言われました。チャンスだと考えたんだと思いますよ」
「ダメ記者だからと放置してたツケが回ってきたってことか。自業自得だな」
一総が溜息を吐くと、真実が噛みつく。
「ダメ記者って私のことですか? 私はダメじゃないですよ!?」
「あー、はいはい」
「なんですか、そのテキトーな返しは!」
「そんなことよりも、そろそろ風紀委員の仕事に向かおう」
激昂する真実を柳に風と流しつつ、彼は荷物を持って立ち上がる。
「わかった」
「わ、私もいきます」
「ちょっと待ってくださいよ、センパイ。話は終わってませんよ!」
追従するのは蒼生、美波、真実の三人。
ガヤガヤと騒ぎながら、四人はこの場を後にする。
静まり返るスタッフルーム。
「本当に仲がいいよね、あの二人」
苦笑いを浮かべる司の言葉に、誰もが強く頷いた。
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