004-4-03 包囲網、しかして計画始動

 牛無うしなしの死を以って事態は収拾した。


 とりあえずの小休止に一総かずさは安堵の息を吐く。


 肉体的疲労はほぼ皆無だったが、四時間強も戦っていたとあって、さすがに多少の気疲れがあったのだ。油断して良い状況ではないにしても、一仕事終えた満足感を覚える程度の緩みは許してほしい。


 細やかな休憩の後に『くろがね』をしまうと、一総は目前に広がる惨状に対して溜息を吐いた。廊下の随所が崩壊し、五十人弱の人間が倒れ伏しているのだ。この後片づけを考えれば、憂鬱な気分にもなる。


 念のため言及しておくと、死亡したのは牛無のみで、他の門下生に命の別状はない。


 意外に思われるかもしれないが、一総は敵対した者を全て抹殺するわけではない。自分や庇護対象に危険を招かないなら放置する方が多い。これまでの敵や牛無が偶然殺害条件に引っかかっただけで、そこまで残忍な性格ではないのだ。


 話を戻すと、門下生たちは気絶しているだけなので、この場に捨て置いても良いとは思う。しかし、第三者に目撃されたら大騒ぎだし、連中が起きて再び侵攻を始める可能性も否めない。どこか別の場所へ移動させるのが無難だった。


 五十人を移動させるのは骨だ。いや、異能を用いれば何てことはないのだが、面倒くさがりの一総にとっては億劫な作業である。襲われた側なのに事後処理を行わなくてはいけないという理不尽も、彼の気分を重くする要因だった。


 いつまでグダグダしていても仕方がない。そろそろ作業を始めよう。


 陰鬱な気分を振り払い、手早く終わらせてしまおうと気持ちを改めた時だ。常時展開していた探知魔法より、桐ヶ谷きりがや家に動きが見られたことを一総は察知した。


 久道くどうを筆頭にして、残る門下生のほとんどがこちらへ向かってきている。一総もしくは侑姫ゆきに用があるのは明白だが、桐ヶ谷家の総戦力が迫ってるとなると、ただならぬ予感を覚えた。


「ついに動いたか」


 桐ヶ谷家や裏にいる『ブランク』が仕かけてくるのは、あらかじめ予期していた。それに対して驚くことは何ひとつない。ただ、何かの計画があるとだけ判明していて、肝心の詳細は分からなかった。色々と調査し回ったものの、誰も内容を口にしなかったため知りようがなかったのだ。もっとも効率の良い【記憶走査】も、異能に耐性のない一般人に使用したら一発で廃人行きなので使うわけにもいかない。


 久道らは五分もしないうちに到着するだろう。それまでに倒れている連中をどうするかだが──。


 逡巡する一総だったが、程なくして結論を出す。


 牛無以外は放っておくことにした。もはや敵対が避けられないのであれば隠す必要はないし、気絶した者たちが起きる前に事態は動き出す。放置しておくことのデメリットは、すでにデメリットたり得なかった。


 さすがに牛無は片づける。身を守るためとはいえ、過剰防衛と判断されかねない。犯罪になる可能性を秘めた代物を、わざわざ残しておく必要性は存在しない。


 一総は【消滅】の異能で牛無の遺体をチリも残さず始末し、久道たちが到着するまで悠然と待った。


 五分ほどして、大勢の門下生を連れた久道が現れる。


 百名以上が一斉に行進しているから屋敷の床がグラグラと揺れる。敵意も膨大で、この圧力だと眠っている蒼生あおいたちも目を覚ますだろう。牛無たちとの戦いでは防音を施していたが、事ここに至っては屋敷からの離脱も十分にあり得るので、起床してもらった方が都合が良い。


 あちこち崩れている廊下と倒れ伏す五十人を見て動揺する門下生たちだったが、即座に久道が一喝したことで沈静した。


 彼は鋭い視線を一総へ投げる。


「これは貴様の仕業か?」


 声も表情も嫌悪感を隠そうともしない。何気に二人が直接対面するのは初めてのはずだが、久道の抱く一総の好感度はマイナスに振り切れていた。


 とはいえ、このような態度を取られることなど百も承知。一総は、特に気にも留めず頷く。


「この狼藉者が! 妖者ようじゃでありながら桐ヶ谷家で止宿するという破格の待遇を受けておいて、恩を仇で返すかッ!」


「久道様に慈悲をかけられておきながら、何たる無礼でしょう! もう我慢なりません、この妖者は私が排除いたします!」


 侑姫ゆきの祖父の玄道げんどうと母の侑美子ゆみこが怒鳴った。怒髪天を衝くとは、まさに彼らを表す言葉だろう。手にした武器を構え、今にもこちらに飛びかかってきそうな迫力があった。


 久道はその二人に対して何も言わない。変わらず一総を睨んだまま、黙して立っていた。二人が一総と戦うことを容認したも同然の態度だ。


 これに周囲の門下生どもは歓声を上げる。「やっちまえ」、「イビルドアを許すな」、「仲間の仇」などなど。どれも一総にとって思わしくない発言ばかりだった。


 当然の反応なのだが、如何せん百名以上がこの場にいる。歓声は眉をしかめるレベルの大音声と化していた。先の戦闘で窓が割れていなければ、今の声で全損していたように思える。


 音の暴力が巻き起こる中、玄道と侑美子はそれぞれの得物を構えた。場のボルテージがさらに上昇し、一総と二人が戦闘を行う空気ができ上がっていく。


 しかし、一総は一切の構えを取らなかった。構えずとも二人の相手はできるというのもあるが、本命の理由は別にあった。


「これは何ごとですか!」


 透明感のある凛とした声が響き渡る。今まで蔓延していた大歓声など、一瞬で打ち消されてしまった。


 声の主は侑姫だ。騒ぎに気づき、蒼生あおいを連れてやってきていた。一総の後方に、二人で並んで立っている。


 門下生たちは静まり返ったが、肝心の玄道と侑美子は動じていなかった。戦闘意欲を高く維持しており、今すぐにでも戦いだしそうな気配を漂わせていた。


「何があったんですか? 答えてください!」


 返答がないため、再度問いかける侑姫。その声は若干震えていて、内心でかなり混乱しているのが窺えた。


 無理もない。起きてみれば外が騒がしく、様子を見に行けば廊下はボロボロ、家の人間の大半が勢揃いしていて、五十人近くが倒れているのだ。おまけに祖父と母が友人と戦おうとしている。混乱するなという方が無茶である。


 だが、彼女の問いに答える者はいない。玄道と侑美子は戦闘に全神経を集中していて、門下生たちは答える立場を持たない。残るは一総と久道だが、前者はややこしい状況の説明を面倒くさがっており、後者は説明する必要性を感じていなかった。


 よって、侑姫の存在は無視され、沈黙が場に流れる。


 そのうち、一総は背後の侑姫の気配が高まるのを感知した。おそらく、彼女は怒っているのだろう。このような混沌とした状況なのに、説明もなく捨て置かれているから。


 玄道、侑美子、侑姫の戦意が極限まで高まり、いよいよ戦いの幕が切って落とされる。そう思われた刹那────


 PRRRRRRRR。


 森閑たる場に、情緒ない電子音が鳴り響いた。


 それは電話の着信音。とても空気の読めていないそれは、そう時間を置かずに止んだ。ただし、静寂は戻らない。


「はい、伊藤です」


 電話の主は一総だった。


 彼はあろうことか着信を受け、そのまま電話を続ける。その場にいた全員の視線が集中しても全く臆さずに。


「……君か。そっちの準備はどうだ? ……うん……うん、タイミングばっちりだな。こっちは今すぐでも問題ない。ああ、そうだ、頼むよ」


 電話先の相手と話を終えた一総は、手に持っていたスマホをしまう。


 すると、他の面子が呆気に取られているところ、今まで黙っていた蒼生が声を上げた。


「例の件?」


 短い問いかけは他の者には通じないが、一総は問題なかった。


 彼は首肯する。


「その通り。すぐにでも始めるってさ」


「それはナイスタイミング」


「だな」


「ちょ、ちょっと待って。今から何が始まるって言うの?」


 我に返った侑姫が会話に割って入る。始めるだの何だの、そこはかとなく不安を感じる単語が散見していた。桐ヶ谷家の面々も、ここに来て嫌な予感を覚えたらしい。久道以外の者らには動揺が起こる。


 眉をひそめる侑姫に対し、一総は肩を竦める。


「大丈夫ですよ。先輩には・・何も被害はありませんから」


「ん、無問題もーまんたい


 無表情でサムズアップする蒼生を見ても、やはり不安は拭えなかった。


 詳細を問い質そうと一歩踏み出す侑姫だったが、その前に事は動き出す。


『あー、あー。桐ヶ谷邸に住まう者たちに告ぐ。この屋敷は我々特警とっけいが包囲している。ただちに建物から出てくるように。繰り返す──』


 外部から、そのような声が聞こえてきた。


 特警──特殊警察とは、日本本島の警察組織に属する異能関連専門の部署だ。異能者の犯罪行為の取り締まりはもちろん、一般人の異能者迫害や犯罪異能者への幇助の取り締まりなども管轄となっている。反勇者思想を持つ桐ヶ谷にとって、天敵と言うべき部署だろう。


 ゆえに、桐ヶ谷の者たちは慌てふためいていた。家を包囲されてしまったのであれば、もはや逃げ道は存在しないのだから。


「貴様が仕組んだのか」


 統制を失い右往左往する桐ヶ谷の面々を差し置き、久道が低く鋭利な声を出した。その表情は苦味が全面に広がっている。


 一総はほくそ笑む。


「発起人はオレだけど、実行したのは別さ」


「実行者は私たちですね!」


 彼のセリフに続いて、第三者が言葉を発した。


 声の方を見ると、崩れ落ちた壁の向こうから二人の少女が侵入してきている。


 二人の姿を認めた侑姫が驚愕の声を上げた。


「田中さんと天野さん!?」


 栗色ツインテールとメガネが特徴の田中たなか真実まみ。そして、ホワイトブロンドをアップテールに結わえた天野あまのつかさ。この両名が、新たな登場人物であり、ここに特警を呼び出した張本人だった。


「なんで、あなたたちが?」


 一総の傍に近寄ってくる二人に、侑姫はそう疑問を投げかける。


 真実たちは窺いを立てるよう一総の方へ視線を向け、彼が頷いたのを確認してから話し始めた。


「私たちがここにいる理由を簡潔に言うなら、特警を案内したからですね。役目が終わったので、センパイのところまで馳せ参じた次第です」


「特警を案内するに至った経緯を知りたいということなら……一総くんに依頼されたからですね」


「い、依頼?」


「はい。『桐ヶ谷家がキナ臭いから、そっちで色々と調べておいてくれ』って感じで丸投げされたんですよー。センパイLOVEの私でなければ断ってましたよ、もう」


「あはは。でも、私たちは一総くんに内緒で本島に渡ってたのに、よく分かったよね。さすがにビックリしちゃったよ」


「オレたちの出発前に怪しい動きをしてたからな。あとは君たちにあげた異能具いのうぐを探知して気づいた」


「なるほどねぇ。この腕輪、そんな機能もあるんだ。一総くんって、結構束縛強いタイプ?」


「そういう目的でつけてないから……」


「冗談だよー」


「二人とも、私を差し置いて、いい雰囲気を作らないでくださいよ!」


「ちょ、ちょっと待って! なんか盛大に話が逸れてるけど、私の家がキナ臭いってどういうこと?」


 いつの間にか雑談が始まっていたところを軌道修正し、実家の疑惑を追及する侑姫。


 それに対して、真実と司は少しだけ言いづらそうにしつつも語り出した。


「色々出てきましたよ。最たるものだと地元警察と癒着。強盗や窃盗をやっては揉み消して、を繰り返してたみたいです。事件自体をなかったことにしたり、逮捕されても即釈放とか証拠の抹消も。地元警察を取り調べたら、ウジャウジャ関連書類が出てきました」


「あとは勇者の殺害かな。こっちは確たる証拠が上がったわけじゃないけど、可能性は高いですよ。門下生から発生した勇者を、帰還直後という無防備な瞬間を狙って殺してたようです。周囲には異世界へ召喚されて戻ってきてないと説明してるみたいですけど」


「う、嘘……」


 実家が犯していた犯罪を聞き、侑姫は絶句する。軽犯罪どころではない内容は、彼女に相当のショックを与えていた。


 そこへ一総は追い討ちをかける。


「加えて、とある異能犯罪者集団と結託してるんですよ、この家は。この前のアヴァロン襲撃にも関わってる集団だったので、見すごせなかったわけです」


「…………」


 もう言葉も出ないのか、侑姫は目を見開いて固まってしまった。嘘だと突っぱねるのは簡単だが、特警が動いている時点でそれが事実である証左。覆しようがなかった。


 良い関係を築けていなかったとはいえ、家族の闇を聞かされては仕方ない反応なのかもしれない。


「そこまで知られてしまっていたか」


 一総たちの語りを静かに聞いていた久道が言う。否定の言葉が出ない辺り、先の証言を認めたと言っているようなものだった。


 侑姫は愕然としているが、一総たちは逆に緊張の糸を張りつめる。


 というのも、久道の声音に諦観が含まれていないからだ。まだ逆転するつもりでいると、一総らは悟った。


 何をしでかすのか分からない。裏にいるだろう『ブランク』も動いていない以上、最大限の警戒が必要だった。


 久道はわらう。それまでのいかめしい表情を崩し、不気味な笑声を上げた。


「ここまで追いつめられるとは全く思っていなかった。いやはや、まさか特警まで動かすとはな。致し方あるまい、最後の手段に任せよう」


「何を──」


 真実が問おうとした瞬間、一総は感じ取った。一総のみが感じ取れてしまった。世界が異能に包まれるを。刹那を。一瞬を。


 一総は未だかつてない戦慄を覚えた。


(まさか……そんなバカな!?)


 急ぐなど生温い。死ぬ物狂いの速度で、彼はとある異能を組み上げる。


 しかし、全てが遅かった。それ・・の前では後手に回ったら最後、どんなに手を尽くしても、ほんの一歩が届かなくなってしまうのだから。


 それでも一総は止まらない。必死で異能を組み上げ、やっと動き出した彼は立ち向かう。突如出現した敵を排除するため、彼の全力・・を以って。








          ○●○●○








 それは一瞬のできごとだった。いや、一瞬なんて言葉で片づけられるものではなかったかもしれない。


 蒼生が気づいた時には全てが終わっていた。


 目の前にいたはずの一総は、何故か息を荒くして侑姫の目の前に立っており、そんな彼の正面には正体不明の少年が、右肩から血を吹き出しながら立っていた。少年の右腕は床に転がっている。


 蒼生が状況を把握するのに、それほど時間は必要としなかった。理解すると同時に、彼女は怖気を覚える。少年は自分らの敵であり、一総以外に感づかれることなく、これほどまで近くまで接近したのだと。


 敵がどれくらいの実力者であるかは、一総を観察すれば分かる。一総が余力をなくしている。つまり、本気でかからないとマズイ相手だということ。


 そのような相手、一総以外が敵うはずがなかった。彼の邪魔にならないよう、ここは一刻も早く離脱しなくてはいけない。


 そう判断したのは蒼生だけではなかった。彼女と視線が合った司もまた、現状の深刻さを理解していた。


 二人は頷き合うと、すぐさま行動に移る。真実と侑姫を回収し、さっさとこの場を離れるのだ。


 前者は問題ない。司の隣にいたので即座に完了する。問題は後者だ。侑姫は一総の後ろにおり、回収するには強者二人の間を通らなければならなかった。


 迷っている暇はない。自分たちが一秒でも早く戦場からいなくなることが、一総の勝率を上げるのだ。


 意を決して、侑姫の元へ駆けようとする蒼生。


 ところが、それは他ならぬ一総によって止められた。


 彼は、珍しく焦った様子で声を上げる。


「全員、先輩から離れろ!」


 一総がこちらへ走ってくる。あれは本気の走行だ。


 彼は一瞬で蒼生の傍まで辿り着き、彼女を担ぐ。そのままの勢いで司たちの元までも向かい、同じ行動を取った。


 何をそんなに焦っているのか。司たちを抱えた時に尋ねようとしたのだが、それよりも前に事態は変化した。


 ピキリ。


 氷を踏み砕く音に似たものが耳に届いたかと思うと、全てを白く染める閃光が蒼生たちの視界を奪っていった。

 

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