004-4-10 暴走と勇者召喚

 あと少しだった。残り数ミリだったのだ、彼の手が彼女に接触するまで。


 慢心があったことは否めない。最後の最後で気を抜いてしまった失態を認めよう。それで現状が変わるわけではないが、反省する行為はとても大事だ。


 目の前には、濁流の如くオーラを発する侑姫ゆきが立っている。彼女の目には感情の色が戻っており、背後にいたボスも消え去っていることから、洗脳から解放されたと分かる。


 しかし、事態は複雑だった。洗脳が解けたというのに、侑姫は一総かずさに向かって刃を掲げていた。彼女が向ける感情も敵意にまみれている。


 この状況、一総にも理解が及ばなかった。侑姫が最後の最後、自力で洗脳を脱したのは分かるのだが、そこから自分に敵意を向ける理由に繋がらないのだ。


 得物を向けられている以上、こちらも構えないわけにもいかない。──が、攻撃を仕かけることもできない。緊迫した空気の中、二人の睨み合いは続く。


 しばらくして、凍る沈黙を侑姫が破った。


「──いくせに」


「なに?」


 ボソリと呟かれた言葉は、一総の耳に中途半端に届く。


 思わず尋ね返した彼に対し、侑姫は怒声を張り上げた。


「何も知らないくせに、好き勝手言うなああああああああ!!!!!!!」


 ドス黒く濁った瞳をすがめ、侑姫は突貫してきた。刃の切っ先をこちらに向けた突き。しかも、ただの突きではない。桐ヶ谷流の特殊な加速に【身体強化】や【縮地】といった異能を重ね合わせ、さらには刀の先端に【空間魔法】をまとわせていた。


「ッ!?」


 瞠目どうもくする一総。侑姫が【空間魔法】を行使したためだ。彼が見紛うはずがない。


 よく考えれば当然なのかもしれない。一度は負けているし、一総が協力したと判定できるか微妙なところだけれど、彼女はボスモンスターを自力で振り払ったのだ。試練を突破したと判断されてもおかしくなかった。


 侑姫ほどの実力者が【空間魔法】を手にし、錯乱した状態で襲いかかってくる。非常に不味い状況と言えた。理性が残っているならまだしも、今の彼女が何をしでかすか分からない。洗脳されていた時以上の注意が必要だ。


 一総は突きを受けるため、『くろがね』を構える。空間魔法は使わない。どんな反発が起こるか予想できないから。


 侑姫の刀と一総の刀が触れる刹那、刃の周辺の空間が歪んだ。そして、次の瞬間──




 バチンッ!




 侑姫がいつの間にか一総の横に移動しており、刀の切っ先が彼の頭の手前を穿うがっていた。


 一総は舌打ちをし、大きく侑姫から離れる。


 今のは【穿うがち】だ。空間を削り取るという単純な異能だが、シンプルゆえに応用の幅が広い。今は自分の位置を動かすのに使ったのだろう。だから、真横から突きが迫ってきた。常時、防御結界を展開していなければ、今頃頭に風穴が開いていた。


 それよりも、侑姫のセンスが恐ろしい。今さっき空間魔法を手に入れたばかりだというのに、一総に察知されないレベルで使いこなしている。彼でも、これほどの熟練度になるまで相当訓練を積んだというのに。


 戦闘センスに関しては、侑姫は一総以上の化け物だ。


 一総は警戒度を改め、侑姫に相対し直す。


 瞬きさえ惜しんで侑姫を見つめていたが、次の瞬間にはコマ落としのように彼女の姿が消えていた。


 同じ轍は踏まない。空間の揺らぎを察知した一総は、すぐさま背後に刀を振るう。


 侑姫の振り下ろした真向斬りと一総の逆袈裟が交わった。――が、それは一秒にも満たない。音が鳴る時間さえない。一総が侑姫の姿を視認する暇もなく、彼女は別の場所に移動しており、第二の刃を放っていた。


 その攻撃も一総は防ぐが、またもや侑姫は消え失せていて、異なる地点から斬撃が繰り出される。


 衝突らしい衝突は一切起こらず、何度も何度も剣撃が交わされていく。傍からは剣を交えているか疑わしい光景に見えるかもしれないが、実際は酷く精神的負担を強いるものだった。


 縦横無尽に全くの予備動作なく攻撃が仕かけられる状況。しかも、【穿】の応用にて体勢もその都度整えている。一発一発が【空間魔法】の付与された全力の一撃なのだ。僅かでもかすればアウトである以上、細心の注意を払って防がなくてはいけなかった。


 こちらも空間魔法を行使すれば楽になるのだが、加減を間違えれば侑姫を殺してしまう可能性がある。そう考えると、下手に使うことはできないのだ。


 些細なミスも許されない攻防が続く中、侑姫は怨嗟の言葉を紡ぐ。


「私だって断りたかった! 拒絶したかった! 反抗したかった! それでもそれでもそれでも、どうしても逆らえなかったのよ。だって、仕方ないでしょう? 相手は恐怖の権化で、家族で、唯一の身内なんだから! 誰も私を支えてくれる人がいないのなら、たとえ利用されてるだけでも、あの人たちに従う他なかったのよ! だって、私は弱い。本当は一人で立つことなんてできない女なんだから」


 それは絶叫。心の奥底にしまっていた彼女の本音だった。


「勇者召喚だってそう。好き好んで頼みごとを聞いてたわけじゃない。みんな口をそろえて『世界を救ってください』なんて言うけど、本当は嫌だった! 戦いたくなかった! 私はただ、平穏に生きていたかった! でも、私以外になせる人間がいなかったから、私がやらないと結果的に死んじゃうから、やらざるを得なかっただけ! それを繰り返してたら、何かを頼まれる度に友達――あの子の顔がよぎるようになって……もうわけが分からなくって、頭がぐちゃぐちゃになって……それならもう、従った方が楽だって思っても仕方ないじゃない! それのどこが悪いって言うのよ!」


 侑姫の発するオーラがさらに高まり、攻撃の出力が増した。今までも膨大な量を放出していたというのに、これ以上続けたら生命維持にも支障が出てくる。


 そこでようやく一総は気がついた。侑姫がどうやってボスモンスターを振り払ったのかを。


 魂の根幹には、その人の持つ全ての力が貯まっている。傷ついた魂ほど内から溢れる力は多く、ゆえに精神的に弱っている人間ほど寿命が尽きるのが早い。


 侑姫はそれを利用した。こぼれていく力を意図的に噴出させ、ボスを弾き出したのだ。


 ただ、そんなことをすれば力の放流は止まらなくなる。現に彼女の力は暴走し、今まで秘めていた心の声が際限なく口を衝いていた。


「みんなが私にすがる。必死に弱い自分を守るために力をつけただけなのに、みんな私を頼ってくる。私の方が誰かに頼りたいのに、それを周囲が許さない。嫌だった! 悔しかった! 憎たらしかった! でも、そこまで苦しくても他人を恨むことはできなくて、私の淀みは溜まる一方で…………そんな時、出会ったのがあなただったのよ。私はピンときた。あなたは私よりも強い。私がすがっても平気な人だって! まさに運命の巡り合わせだった。あの時以上に私の心が晴れ渡ったことはなかったわ!」


 侑姫の独白は続くが、時間の猶予は残されていない。彼女の魂は、内から溢れる力によってボロボロであり、今にも崩壊しそうなのだ。


(手段は選んでいられない!)


 一総は踏み出す。


 侑姫もこちらに合わせて進み出た。


「それなのに、あなたは私を否定した。私の唯一の支えだったのに、あなたは私を切り捨てた! それなら、もうどうなったっていい!」


 強い感情を乗せ、侑姫が渾身の一撃を放つ。


 一総もそれを迎え撃たんと刀を振るう。


 力と力の衝突は強大な衝撃を生み、『心の迷宮』を以ってしても耐え切れない力場を発生させる。二人を中心にして、迷宮が崩壊を始めた。


 力が激しく吹き荒れる中、一総と侑姫は懸命につばぜり合いを保つ。両者一歩も退かず、刀が鳴らして良いものではない異音を奏でていた。


 ここが完全に崩れ去ったらどうなるかは分からない。一刻も早く蒼生あおいたちを回収する必要がある。


 ところが、一総は離れられなかった。彼自身が侑姫にトドメを刺してしまったと理解したから。


 心を揺さぶるという対応は正解だったが、それを一総がしてはいけなかったのだ。彼が侑姫のたったひとつの支えであったのに、彼女のありようを否定してしまった。心と言う名の脆弱な剣をへし折ってしまった。


 完全に己のミス。侑姫の魂は見えていても、自分の立ち位置まで把握していなかったせいだった。人づき合いを怠っていた弊害がここでも現れてしまった。


 だが、何とかしなくてはいけないとは考えても、悠長に対処する時間もない。


 一総は自身の感情にフタをし、冷徹に決断する。


「【魂魄鎮静スピリット・カーム】」


 魂を鎮静させる魄法を放った。それにより、侑姫の荒ぶる魂は瞬く間に落ち着きを取り戻し、彼女自身も眠りに落ちた。


 魂自体に術を施したので、起きたら再発するということはない。しかし、根本的解決になっていないのも確かだ。この先は、また別の機会に行うしかない。


 一総は一瞬だけ眠る侑姫を眺め、すぐさま切り替えた。


 周囲を確認すれば、迷宮の壁や床、天井はひび割れており、ところどころでは穴を開けている。迷宮の外に開く穴は真っ暗で、何も見えない。深淵の如き闇は見つめているだけで背筋が凍る。あそこに落ちるのだけは避けたい。


 脱出の方法は――【転移】が可能か試してみた。


「術の行使はできるみたいだが、安定しないな。まぁ、四の五の言っていられまい」


 不安は完全に拭えないが、えり好みしていられる状況でもない。


 あとは戦闘を見守っていた三人と久道くどうを回収するだけだ。


 一総は三人のいる方へ視線を向け、安心させるために手を振っておく。向こうも手を振り返したので、特に異常は起こっていないようだ。


 さて、侑姫を担いで三人の元へ向かおう。


 そう行動しようとした時、思いもよらぬ横やりが入った。


 言い知れぬ違和感を覚え、一総はとっさにその場を飛びしさる。すると、彼が何百と見た現象が発生した。


 侑姫を中心に展開される円柱状の光る結界。誰よりも一総が慣れ親しんだそれは――


「『勇者召喚』だと……」


 驚愕と苦渋をない交ぜにした呟き。


 言葉の通り、今まさに、侑姫は異世界へ召喚されようとしていた。それを阻止する術は、一総でも持ち合わせていない。結界が展開されてしまった時点で、侑姫は召喚される未来しかなかった。


 閉じた空間である『心の迷宮』から召喚されることなどあり得るのか、と疑念を抱く彼だったが、回答は即座に出る。迷宮が崩壊しているせいだろう。その影響で空間が外と繋がったのだ。自分も【転移】が解禁されているのだから間違いない。


 一総が見つめる先で、侑姫は次第に姿を消していった。もはや、彼女はこの世界に存在しない。


 未だ魂がボロボロな侑姫が異世界へ渡ってしまった事実に、一総は激しい後悔を抱いた。先に治療を施しておけばとか、一人で飛びしさらなければとか、そもそもトラウマをえぐる方法を取らなければとか。たらればが脳裏をかすめていく。


 ただ、それも一瞬だ。歴戦の勇者は、早急な対応が求められる時に余計な思考など回したりしない。やるべきことを迅速に行う。


 大きく息を吐いて気を落ち着かせると、彼は蒼生たちの元へ駆けた。


「一総センパイ、桐ヶ谷センパイは?」


 到着早々、真実まみが尋ねてくる。


 一総は淡々と返した。


「『勇者召喚』された」


「やっぱり……」


 自分も経験したことだけあって、予想はできていたらしい。沈痛な面持ちを浮かべる。他の二人も同様だ。


 そんな彼女たちを見守りつつも、一総は声を上げる。


「悪いが、落ち込んでる時間はない。すぐに脱出するぞ」


「は、はい」


「分かったよ」


「うん」


 三者三様に首肯するのを認め、彼は【転移】の術式を発動する。


 その場の五人は光に包まれ、一瞬のうちに姿を消すのだった。

 

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