006-4-06 幕間、我が魂の在り方は(後)

 翌朝。朝食を済ませて早々に、侑姫ゆきとキムリは話し合いを始めた。内容はカミラの処遇に関して。


 といっても、主に侑姫がキムリへ情報提供するだけで、改めて何かを決めるわけではない。勇者である侑姫とカミラの別れは確定しており、他に身寄りのない彼をキムリの元へ預けるのは決定事項なのだ。


 ただ、少し不思議だったのは、同席していたカミラが大人しかったこと。だいぶ懐いていた侑姫と別れなくてはいけないと聞いても、ほとんど取り乱さなかった。


(たった一ヶ月のつき合いだし、その程度の関係だったのかもしれないわね)


 そう思うと、侑姫は些かの寂しさに囚われる。


 ──が、すぐに考えを改めた。永遠の別れになるのだから、下手に情を残されるよりは良いに決まっている。彼の長い人生に、余計な心傷を残す必要はない。


 話し合いは滞りなく進み、お昼前には一段落した。それはつまり、もはやカミラやキムリと関わる理由はなくなったということ。


 であるなら、彼らを厄介ごとに巻き込まないよう、早々にクオエーライルを発つべきだ。


 キムリに誘われた昼食までは滞在し、その後はすぐに別の街へ出立しようと決めた。


 昼食後、キムリ宅の前にて。三人は最後の別れの挨拶を交わす。


「改めて、カミラを助けてくれてありがとうね」


「いえ。こちらもお世話になりました」


 侑姫とキムリは軽く言葉を交えるだけで終わる。甥の命の恩人とはいえ、一日程度しかつき合いがなかったのだから、当然の対応だろう。


 続けて、カミラが侑姫へ声をかけた。


「おねえちゃん」


「カミラ。短い間だったけど、ありがとう」


 侑姫は彼と同じ目線になるよう腰を屈め、お礼を口にした。


 カミラの存在は、一総かずさとの一件や戦争で荒んでいた彼女の心の清涼剤となっていた。彼との生活のお陰で精神がだいぶ安定していた。その感謝を心より伝える。


 カミラは返す。


「ううん。ぼくの方こそ、たすけてくれてありがとう、だよ」


「……」


 純粋な感謝の前に、侑姫は言葉に詰まる。


 自分は謝意を示されるような人間ではない。君が両親を失う一端を担った極悪人なのだ。罪悪感から、それらの気持ちをぶちまけたい衝動に駆られる。


 しかし、グッと堪えた。それは無意味に彼を傷つける所業だし、昨晩キムリに指摘されたように、傲慢だと考えたから。


 自らに襲いかかる心痛は、唯々諾々と王国に従ってしまった自分への罰だと受け入れる。


 すると、カミラが悲しそうに眉を曇らせた。


「泣かないで、おねえちゃん」


「え!?」


 顔に出ていたかとキムリの方を見る。


 だが、キムリは首を横に振った。彼女も驚いていることから、ポーカーフェイスは完璧だった模様。


 では、何故に心のうちを感づかれたのだろうか。


 二人の驚愕を余所に、カミラは続ける。


「おねえちゃんの心、泣いてる。いまだけじゃなくて、ぼくがあまえたり、ありがとうするとき、パパとママの話するとき、いつもかなしそう。だから、あまりいわないようにしてた」


「カミラ……」


 完全に心の機微を読まれていて、侑姫は二の句を告げなかった。


 どうやら、カミラは人一倍、感情に敏感な少年だったらしい。十歳以上離れた子供に気を遣われていた事実に、少なくない衝撃を受ける。


「でも、かなしまないで? ぼくにとって、やさしいおねえちゃんが全部だから。ぼくのありがとうって気持ちはホントだから!」


 どのような事情があっても、自分の感謝の気持ちは変わらないと言いたいのだろうか。


 身振り手振りを加え、辿々しいながらも一生懸命に自身の気持ちを伝えようとするカミラ。その姿はとても微笑ましいと同時に、申しわけなく感じてしまう。彼の純粋な好意に対して後ろめたさを覚えるなど、かなり失礼なことだったのではないかと。


「それに、これからはおばさんと一緒だから、もうおねえちゃんのメイワクじゃないと思う。ぼくはおばさんとがんばる・・・・から、おねえちゃんもがんばって!」


 両拳を握りしめるカミラの姿は愛らしく、同時にまぶしかった。


 これからカミラが直面するのは厳しい現実だ。きっと、その困難の半分も彼は理解していないだろう。でも、大丈夫だと力いっぱい言う様子は、とても頼もしく見えた。


 キムリの言う通りだった。守られる側も彼らなりに考え、何かをなそうと頑張っているのだ。こんな小さな子供であっても、精いっぱい侑姫の力になれるよう考え、行動に移していた。ゆえに、それを否定してしまうのは、どうしようもなく傲慢で愚かなことなのだろう。


 まさか、カミラのような子供によって悟るとは──否、圧倒的被保護者である存在だからこそ、か。誰が見ても弱い彼が、強者である侑姫へ懸命に何かを与えようとしているから、強く実感できたのかもしれない。


(この感謝を素直に受け取らない方が、カミラに申しわけないわね)


 侑姫は、彼へ改めて言葉を返そうと口を開く。


 ところが、次にカミラから放たれたセリフを前に、紡ごうとしたものは霧散した。


「だから、あのおにいちゃんとも仲なおりして?」


「……は、え?」


 脈略のない話の展開に、侑姫は目を丸くする。


 あまりに突拍子もなかったせいで、考えもせず彼女はオウム返しに尋ねていた。


「あのお兄ちゃん?」


「こわい兵士さんたちから、ぼくをたすけてくれた人。ぼくのせいで二人はケンカしてたでしょ? ぼくのことは気にしなくていいから、仲なおりしてあげて!」


 どう考えても、お兄ちゃんとは一総を指しているのだと思われた。おそらく、グインラースの兵に囚われていた時に、かろうじて意識が残っていたのだ。その時に侑姫と一総の争う場面を目撃し、自分のせいだと認識。助かった後も険悪な雰囲気だったことから、その理由が自分にあると誤認してしまった。だから、自分に気兼ねしなく良いと心情を明かした今、仲直りしてほしいという話に繋げたのだろう。


 その推論はかなり無理やりなものだったが、カミラの年齢を考えれば無理ない話か。しかし、その誤解のせいで彼が悩んでしまっているのは見すごせない。


 侑姫はカミラの誤解を解くため、言葉を発した。


「あのお兄ちゃんと私がケンカしてたのは、何もカミラのせいじゃないのよ」


 殺し合い(一総は手を抜いていたが)をケンカと言い表すのは抵抗があったが、カミラに懇切丁寧に教えるわけにもいかない。


 すると、カミラはキョトンと首を傾げた。


「そうなの?」


「ええ。彼とは以前からケンカしてたから。それが原因で……今もそのことを怒ってるって感じね」


 ハッキリ覚えてはいないが、『心の迷宮』での一幕は心に刻まれている。一総がどう言いわけしようとも、簡単に許せそうにはなかった。


 ところが、そのような彼女の心境などお構いなしに、カミラは無邪気に返した。


「ケンカ中なら、もっと仲なおりしないと! ケンカはダメだって、ママがいってたよ」


「それはそうだけど……」


 侑姫は対応に困った。子供の純真さに、どう答えたら良いのか分からなかったからだ。


 ケンカはダメだという主張は正しいが、ことはそう安易に済むものではなかった。それを説明しようにも、カミラが理解してくれるか判断がつかない上、小さな子供にそういった内容を伝えて良いのか悩む。


 キムリに助言をもらおうとも考えたが、彼女は何も知らない。頼っても、的確なアドバイスは望めなかった。


「ケンカの原因は、あのお兄ちゃんの方にあるのよ」


 返答に困窮した侑姫は、かろうじて言葉を絞り出す。


 カミラは首を傾げたまま、すぐに返す。


「お兄ちゃんは謝ってないの?」


「いえ、謝ったわ」


「じゃあ、なんで、ゆるしてあげないの?」


「えっと……」


 またしても言い淀む侑姫。


 どこまでも純粋で真っすぐな疑問は、幼少より長い時間をかけてこじれてしまった彼女の精神に負荷をかけていた。


 そんなに容易く許せれば、今まで何ひとつ苦労などしていない。そう怒鳴りたくなるほどに。無論、子供に対して、そのような愚かな真似はしないけれど。


「おねえちゃん、とってもつらそうだよ? おにいちゃんの話するとき、いままでで一ばん心が泣いてる」


(今までで一番?)


 侑姫は訝しんだ。


 彼女は勇者だ。不本意ながら、悲しいことや辛いことは五万と経験している。加えて、複雑な家庭環境のこともあった。それらと比べると、一総との一件が特別つらいとは判断しづらかった。


 だが、しかし。心の奥底で、カミラの言葉を納得してしまっている自分も存在した。どのような局面でも、彼女の心はギリギリで耐え抜いていたのに、一総との出来事はまったく我慢ができなかったのだ。もっとも辛いと評されても不思議ではない。何故かと問われても、答えは出せそうになかったが。


 判然としない自身の心に、侑姫はモヤモヤと鬱屈した気分を抱える。


 ──が、その回答を、まさかのカミラが口にした。


「ぼく、どうしてそうなるのか、しってるよ。そうやって泣くのは、パパとママがケンカしちゃったときだもん。だから、おねえちゃんは、おにいちゃんのことが大好きなんだね」


 その言葉は、侑姫に強烈な衝撃を与えた。


 彼女は目玉がこぼれ落ちそうなほど目を見開き、体を強張らせる。


(私が一総を好き?)


 疑問が頭を駆け巡るが、それを否定することはできなかった。『まさか』、『そんなわけ……』という言葉は浮かぶものの、カミラの思い違いだと切り捨てられなかった。


 それはつまり、侑姫が一総を憎からず思っていることの証明だった。


 心当たりは──ある。


 彼女にとって、彼とすごす一時ひとときは楽しいものだったのだ。最初こそ冷たくあしらわれていたが、回数を重ねるごとに彼の態度が軟化していったのは嬉しかった。次第に、『こう突撃したら、彼はどういった反応をするだろう』と想像する楽しみも見出していた。期待や信頼といった重圧を感じる生活の中で、彼と顔を合わせる時間だけは気持ちを軽くできていたと思う。


 キッカケこそ自分より強き者への依存ではあったが、時間と共に彼自身への好意が増していったのは、間違いない事実だった。依存性がまったくないとは言えなかったが、それだけが心を占めていたわけでもなかった。


 心傷トラウマが大きすぎたために気がつかなかった好意。それを自覚した途端、侑姫は頬を赤く染めていく。白い肌が、リンゴのように真っ赤に変化した。


 恥ずかしさのあまり、侑姫は自身の顔を両手で隠す。


 カミラは、それを見ながら言う。


「ママがいってたよ。だいじな人ほど、かなしいことをされたときに仲なおりしにくくなるんだって。でも、そこでユウキをふりしぼって仲なおりしないと、あとでゼッタイ後悔するって。だから、おにいちゃんと仲なおりしてあげて?」


 彼の目は真剣そのものだった。子供の純粋さと、現実の厳しさを知ったことによる大人の強さ。その両面を孕んだ眼差しだった。


 それを受けた侑姫は、上気した気持ちを落ち着かせるために深呼吸をする。それから、顔を覆っていた両手を下ろし、カミラを見据えた。


 彼も、それへ応じるように見つめ返してくる。


 視線が交差することしばらく。侑姫は、おもむろにカミラを抱き締めた。当然、カミラも抱き締め返す。


 温かくも力強い抱擁。


 侑姫は言葉を紡いだ。


「ありがとう、カミラ。そんなにも私のことを考えてくれて。あなたのお陰で、私は前へ進めそうだわ。一総とも仲直りしたい思う。本当にありがとう」


「ぼくも、ありがとう。霊獣からたすけてくれて、ぼくといっしょに暮らしてくれて、おばさんのところに連れてきてくれて。本当にありがとう」


 熱い想いが溢れてきて、二人は思わず涙が溢れそうになる。でも、決して泣かなかった。目頭に力を込めて、懸命に涙を我慢する。


 長い抱擁の後、二人は示し合わせたかのように離れた。


「カミラをよろしくお願いします」


「任せて」


 今まで静かに見守ってくれたキムリへ声をかけると、彼女は力拳を作って応じてくれた。彼女なら安心だと信じられる。


 続けて、カミラを見た。彼もこちらを見ており、瞳は溢れ出そうな涙で波打っている。


 万感の想いを込めて、侑姫は言う。


「いってきます」


「いってらっしゃい」


 二人の間に別れの言葉はない。もう二度と会えないかもしれないけれど、無粋な言葉で最後を汚したくなかったのだ。


 侑姫は彼らに背中を向けて駆け出す。真っすぐに、どこまでも、誰よりも速く。


 目的地は決まっていた。


 カルムスド霊魔国の王都。想い人たる一総がいる地へ、彼女は走った。

 

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