006-4-05 幕間、我が魂の在り方は(前)

 霊魔国領の海岸沿いにクオエーライルという街がある。魚や貝、ワカメなどの海産物や海塩などが名産で、水族館をはじめとしたレジャー施設も多数ある。国内でも有数の観光都市だ。


 王国との国境線が王都を挟んだ向こう側にある位置関係上、クオエーライルは戦争とは無縁の平和を謳歌していた。観光客こそ数を減らしたが、今日もたくさんの人々が溢れ、にぎやかな喧騒が街を包んでいる。


 そのような平穏な街の中に、つい先刻まで戦争の渦中にいた侑姫ゆきが紛れていた。彼女の隣にはカミラ少年もおり、その手を固く結んでいる。辺りをキョロキョロと見渡しながら進むカミラと、彼に引っ張られる侑姫の姿は、周りから仲の良い姉弟のように映っているだろう。


 二人がこの場にいる理由は至極単純。戦禍に巻き込まれないためだ。自身の不甲斐なさのせいでカミラを戦いに巻き込んでしまったことを悔やみ、こうして戦場から遠い地まで逃げてきたわけである。


 一番の安全は戦争と関わりない第三の国へ赴くことなのだが、それはできなかった。カミラは吸魂魔ソウル・サッカー。かの種族の待遇は、霊魔国以外ではあまり良いものとは言えず、幼い彼の疎開地としては不適格だったからだ。


 侑姫は勇者である以上、ずっと一緒にはすごせない。そも、彼女と関わってしまったせいで戦いに巻き込まれた。であれば、吸魂魔に厚い保障のある霊魔国内に避難する他、選択肢は存在しなかった。幸い、この国には一総かずさがついているので、此度の戦争でどうこうなる心配はない。


 この地で自分に代わる保護者を見つけ出す。そういう決意の元、侑姫はクオエーライルの大地を踏んでいた。自分の甘さのせいで誰かが死ぬのは、もう二度と御免被りたい。一総のお陰で拾えたチャンスを無駄にしたくなかった。


(とは言ったものの……)


 侑姫は、自分の手を強く引っ張るカミラをチラリと見る。


 先の戦いで気絶していた彼は、ここがクオエーライルだと知った途端、このように街中の散策を始めてしまった。異能で簡単な治療は済ませたとはいえ、疲労が溜まっているはずなのに、それを指摘してもカミラの歩みは止まらなかった。


 周囲をくまなく見渡していることから、何かを探しているのだと察しはつく。が、その何かに心当たりはない。


 まぁ、当然の話だろう。二人が知り合ってから一ヶ月程度しか経っていない。侑姫はカミラのすべてを知っているわけではないのだ。


 何を問いかけても梨の礫で、幼い子供を無理やり止めるのもはばかられ。疲労度合いから近いうちに終わるに違いないと、侑姫は静観に努めることにした。


 街を練り歩いて二十分ほど。想定したよりは頑張った方だったが、カミラの体力は限界を迎えていた。歩速はかなり落ち、息も大きく乱れている。


 これ以上の活動は体に悪い、そろそろ止めるべきだ。そう考えた侑姫は静観を止め、彼に声をかけた。


「カミラ──」


「いやだ!」


 しかし、彼女が言い切る前に、カミラは大声で拒絶の言葉を発する。かぶりも横にブンブンと振っていた。


 侑姫は困惑する。彼を保護してから、こういった強情な姿勢を見るのは初めてだったためだ。両親を失った経験がそうさせるのかもしれないが、物静かで大人しく聞き分けの良い少年というのが、侑姫のカミラに対する評価だった。


 いったい、何が彼をそこまで駆り立てるのか。彼女の疑問は尽きない。


 しかし、そうは言っても、カミラが限界なのは一目瞭然。いくら彼が望まなくても、これ以上の散策は止める以外にない。


 侑姫は溜息を吐き、仕方なしとカミラを抱え上げることにした。今までは彼の意思を尊重していたけれど、やろうと思えば、いつでも強制的に運ぶことは可能だったのだ。


 抱っこするために、地面にうずくまって首を振り続けるカミラへ手を伸ばした──まさにその時、


「カミラくん?」


 侑姫の耳に、一人の女性の声が届いた。


 侑姫たちの現在地である市場は、二人が揉めていても見向きもされないくらいには多くの人が群れているのだが、身体能力に秀でる彼女は聞き逃さなかった。やや疑念混じりの呟くようなものだったとしても、聞き間違いでは断じてない。


 侑姫は伸ばしかけた手を止め、バッと声の方へ顔を向ける。


 視線の先、人々が好き勝手に行き交う雑踏の中には、確かにこちらを見つめる女性がいた。


 見た目は二十代後半といったところか。赤い瞳と整った容姿から吸魂魔と推測できるゆえに実年齢は定かではないが……どことなく見覚えのある顔をしている。


 女性は侑姫が気づいたことを認めると、恐る恐るといった体で近づいてきた。そして、改めてカミラを見て息を呑む。


「やっぱり、カミラくんじゃない。どうしてクオエーライルに!?」


 大きく目を見開いた彼女は、慌てた様子でカミラに駆け寄る。


 それを侑姫は止めなかった。悪意は察知できなかったし、どう考えても二人は知り合いだったからだ。


 女性が寄り添うと、カミラはそこで初めて彼女に気づいたようで、ゆっくり振り向いた。それから、疲労を湛えながらも笑みを浮かべる。


「あ、おばさん。やっと見つけた」


 その言葉により、侑姫はようやくカミラの探しものの正体を──そして、彼との別れが目前に迫っていることを理解した。








 カミラの叔母はキムリと名乗り、二人を自身の家へ招待した。自分の甥が複雑な状況に置かれているのを、察しのだと思われる。


 今までの経緯を話す必要があった侑姫にとってキムリの提案は渡りに船だったため、二つ返事で了承した。


 現代日本の家屋と似た雰囲気を持つキムリ宅に着くと、リビングにて侑姫とキムリは話し合う運びとなった。疲れ切ったカミラが寝てしまったので、混み入った話をするタイミングも良かった。


 話し合いといっても、キムリからは「カミラの母の妹にあたる」と自己紹介をされた程度で、大半は侑姫の語りだった。


 最初、どこまでキムリへ話すべきか悩んだ侑姫だったが、すべてを打ち明けることにした。自分が王国で勇者を担っていたことやカミラの両親が殺される一助をしてしまっただろうことなど。彼に関わるすべてを話した。


 カミラに対する負い目を軽くする、自己満足の側面を否定することはできない。自身の心が脆弱であるのは十二分に理解している。


 だが、それが全部ではない。包み隠さず語ることが誠意になると──彼を保護した者の責任だと考えたのだ。たとえ、物別れになる可能性を孕んでいたとしても嘘は吐けなかった。もう逃げるのは嫌だった。


 すべてを打ち明け終わった時、キムリの顔には怒りと憎しみが宿っていた。直接ではなくとも、姉の仇が目前にいるのだから当然。


 予想できていたことだが、これは穏便にはいかなさそうだと侑姫は体を強張らせる。


 彼女は一撃──いや、数撃くらいは攻撃を受け止めようと考えていた。殺しにかかられても仕方ないと諦めていた。見方を変えれば、これも自己満足にすぎないだろうけれど。


 ところが、キムリが手をあげることはなかった。


 彼女は瞑目しながら大きく深呼吸をし、湧き上がっていた感情を鎮める。それを幾度か繰り返すと、静かに言ったのだ。


「カミラを守ってくれて、ありがとう」


「ッ!?」


 侑姫は絶句する。同時に、ドッと激しい感情が押し寄せた。


 その名は罪悪感。自分はカミラを追い詰めた原因だというのに、自分の優柔不断のせいでカミラを戦闘に巻き込んでしまったのに。侑姫が彼へ与えたものは、恩よりも仇の方が多いというのに、キムリは悪態ではなく感謝を口にした。


 後ろめたさは計り知れなかった。心臓がズキズキ痛み、視界が歪む。呼吸が小刻みに乱れた。


 それらを何とか制し、侑姫は震える唇で言葉を紡ぐ。


「私に……礼を言われる資格は、ありません」


 自分が王国に加担していなければ、カミラの両親は死ななかったかもしれない。彼が、今の孤独を感じずに済んだかもしれない。保護してすぐに霊魔国側へカミラを引き渡していれば、無用な戦闘に巻き込まれなかったかもしれない。


 仮定の話だが、侑姫の関与がなければ被害が小さくなったのは事実で、お礼を言われるような事態に陥っていなかった確率は高かった。だから、その謝意を受け取る資格など、侑姫にあるはずがない。そう、彼女は考えていた。


 目を伏せて震える侑姫を見て、キムリは一旦その口を閉じる。数秒、逡巡した態度を取ると、彼女は言葉を発した。


「あなたは傲慢ですね」


「え?」


 思いがけぬセリフに、侑姫は驚きと共に顔を上げた。目前のキムリは怒りと悲しみ──加えて、何故か同情の表情を浮かべていた。


 傲慢。


 今の流れから、どうしてその言葉が出たのか。侑姫は呆気に取られながらも、キムリの意図を読むために思考を巡らせる。


 しかし、いくら頭を凝らそうと、解を得ることは叶わなかった。


 カミラ関連の話をして。殴られるかと思ったら感謝を受けて。でも、資格がないと拒否して。その流れから、呆れられるか怒られるかなら理解できようが、傲慢だと言われながら同情される理由はさっぱり分からなかった。


 困惑する侑姫を認めると、キムリは微かに溜息を吐く。まるで、デキの悪い生徒を前にした教師にも似た態度だった。


「なるほど。勇者として喚ばれるだけあって、あなたは常に強者だったみたいですね」


「いえ、今の強さを手に入れたのは最近──」


「そうだとしても、弱者側……守られる側に立ったことはないんでしょう?」


 勇者に対する誤認を正そうと口を開く侑姫だったが、半ばで遮られてしまう。そして、今の発言は、彼女に否定できるものではなかった。


 生まれてより桐ヶ谷きりがやの継承者たる実力を求められ、その才に恵まれた侑姫にとって、弱者に甘んじる瞬間などありはしなかった。


「それは……」


 言葉を失う侑姫。


 対し、キムリは息を吐きながら天を仰いだ。


「私が傲慢と言ったのはね、あなたが私たち弱者を自然に見下してるからよ」


「そんなこと──」


「──ないわけないでしょう!」


「ッ」


 聞き捨てならない発言に反論しようとしたが、再びキムリに阻まれた。その声は今までで一番力強く、侑姫は思わず息を呑んでしまう。


 キムリは続ける。


「見下してなかったら、どうして『自分がいなかったら“絶対に“カミラが不幸にならなかった』なんて思えるの? もし、あなたが王国に与してなくても、同じ結果に至る可能性だってあるじゃない」


「だ、だって、私という大きな戦力が王国の強気な侵攻の後押しになって……」


「そうね。あなたがカミラの現状を招いたのは疑いようのない事実よ。でも、それがさっきの結論に落ち着く理由にはならないわ。私は政治に詳しくないけど、最近の王国兵は異様に強いって噂くらいは聞いてる。であれば、あなたがいなくても、同様の侵略を行った可能性は否定できないでしょう?」


 キムリの意見は正しい。勇者というイレギュラーがいなくとも、王国は霊魔国を圧倒していた。ゆえに、侑姫は温存される機会が多かったのだから。侑姫の存在が保険として安心感を与えていたのは確かだが、だからといって、今回の戦争で必須だったわけではない。


 つまり、彼女がいなくても、カミラが同じ状況に陥った可能性は大いにあり得るのだ。


 だのに、侑姫が先の結論を下してしまったのは──


「あなたは自分以外の者を、弱者を見下してる。自分がいなくちゃ何もできやしないって、最初から見限ってる。だから、すべては強者である自分の責任だなんて自惚れてるのよ」


 鋭い赤い瞳が向けられ、侑姫はたじろいだ。


 彼女自身、そのような自覚は一切なかった。自分が他者を侮っているなど、信じたくはなかった。


 だが、それを否定する材料を彼女は有しておらず、順序立てて説明されたからか、キムリの指摘を納得しかけている自分がいた。


「『礼を受け取る資格がない』ってところもそう。感謝を受け取る資格って何よ? ありがとうって気持ちは当人がどう感じたかが大切であって、受け取り手の考えなんて関係ないの。自分の都合だけ押しつけて礼のひとつも受け取らないだなんて、傲慢以外の何ものでもないわ」


 返す言葉もなかった。


 仇にも近い相手へ怒りを呑み込んで感謝を伝えたというのに、それを拒否したら侮辱とも取られるだろう。キムリの言うように、自分勝手な行動だった。


「ずっと強者側に立ってたあなたには分からないでしょうけど、弱者っていうのは強者よりも弱いだけであって、決して無能ではないのよ。それぞれが考え、行動し、結果を出してる。弱者だって、何かをなし遂げられるわ」


「……弱者でも何かをなせる」


 その言葉は、侑姫の胸へ強烈に突き刺さった。かつての友が、死際に私へ言葉を残した瞬間が思い出される。あれがあったからこそ、侑姫は最初の世界を生き残れた。あれも、弱者がなしたことなのだろうか。


 キムリは肩を竦める。


「まぁ、甥の危機に何もできなかった私が言っても、説得力は薄いでしょうけど」


「そんなことは……」


 とっさに否定しようとしたが、彼女は首を横に振った。


「いいのよ。自分が無力だってことは、私が一番よく理解してる。だからこそ、あなたには感謝してるの。何もできなかった私に代わって、可愛い甥っ子を助けてくれてありがとうってね。だから、素直にこの気持ちを受け取ってくれると嬉しいわ」


 寂寥感の混じった笑みを、キムリは浮かべた。


 それに対し、侑姫はやや顔をうつむかせて悩む。


 礼を受け取る資格がないという気持ちは、未だ自分の中に残っている。いくら傲慢だと言われても、今まで培ってきた価値観を一朝一夕では拭えない。


 でも、それでも、キムリの言葉に耳を傾けてみて、侑姫の心が揺らいだのは確かだった。


「……分かりました。私には過分なものですが、その感謝を受け取ります」


 逡巡の果てに、侑姫は自身の意見を翻した。まだ完全にとはいかないが、彼女の心境に変化が生まれた瞬間だった。


 キムリは頬笑む。


「それは良かったわ。じゃあ、夜も遅いし、そろそろ寝ましょうか。カミラについて話し合いたいことがあるけど、明日に回しましょう」


 気がつけば、日づけが変わる直前だった。どうやら、時間感覚が曖昧になるほど話し込んでしまったらしい。


 キムリの提案に否はなく、侑姫は首を縦に振った。


 その日、彼女は久方振りに熟睡できた気がした。

 

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