002-5-02 終幕、告白と変わりゆく日常
「二名を除き、ほぼ全員が元の生活に復帰したか」
彼の手には『
被害は施設の建て直しと二名の風紀委員の離脱といったところ。『空間遮断装置』は奪われず、他の面子も酷くて軽傷で済んでいた。あの大規模な爆発で軽微な被害で終わったのは奇跡だと、報道で取り上げられるほどだった。
まぁ、奇跡でも何でもなく、一総が動いた結果だ。新米風紀委員二人と別行動を開始してから
ちなみに、治癒を施したのが彼であると知っているのは同行した蒼生のみ。重傷者は須らく気絶していたので、誰も治癒者の姿を目撃していないのだ。
閑話休題。
そして、二名いる被害者というのが、新米風紀委員こと
加賀は右腕損失の重傷。戦線復帰は当分難しい。
異能が蔓延する現代社会ではあるが、肉体の欠損を元に戻すことは“とある事情”により、滅多に行えない。テロの被害者ということで優先的に治癒はされるらしいが、それでも、しばらくは不可能ということだ。
一方、佐賀の方だが、実は加賀よりも深刻な状況だという。彼女は、ケガ自体は軽傷だったが、精神面に深刻なダメージを被ってしまった。幼馴染であり恋人の腕を斬り落としてしまったことがショックで、今も引きこもっているらしい。
勇者と聞いて心が強い者を想像する人が多いかもしれないが、実際は逆。異世界にて幾多の戦場、数多の悲劇を経験してきた彼らの心は酷く脆い。それも、多感な年頃を勇者としてすごした者なら尚さら打たれ弱い。アヴァロン全ての教育機関に精神科医の常駐が義務づけられるほどだ。
『
知人二名の脱落。
日常が守られれば満足な一総ではあるが、だからといって他者が傷ついて無感情で済むほど非道でもない。心の隅っこに張りついた感情が、何ともやる瀬ない気分を浮かび上がらせていた。
とはいえ、彼が何か行動を起こすことはない。
所詮は一時的に一緒に働いていただけの間柄だし、こういうことは専門家である医者に任せておけば良い。自分の実力を晒す危険を犯すほど、彼らの優先度は高くなかった。
同情の欠片を振り払い、資料を読み進めること数分。全てを読み終えた一総は息を吐いた。
口裏を合わせていた甲斐もあり、一総の実力に関して一切の記述はない。先の会議で騒動の調査は終了したと言っていたので、これにて一安心といったところだ。
ただ、気になる点がひとつ。今回の主犯である二人が行方不明であることだ。
実は、
一総は眉根を寄せて黙考する。
あらゆる可能性を考え浮かべてみたが、結局のところ情報が足りない。再び厄介ごとが舞い込むだろうことしか断定できなかった。
「はぁ」
「溜息なんて吐いて
憂鬱な息を吐くと、ひょっこり顔を出した真実が、こちらを覗いていた。
「いや、別に。田中こそ、どうかしたのか?」
「むっ。気配を殺して近づいたのに、ちっとも驚かない」
「常に探索魔法を使ってるんだから、オレに不意打ちは通用しないぞ」
「あー……そういえば、センパイは規格外でしたね」
たはは、と苦笑する真実。
つい先日、真実と蒼生に約束していた真相――加えて、一総の実力とそれを隠す動機――を教えた。色々と考え込んだり驚愕していたりしたが、最後には「日常を守りたい」という彼の意思を尊重し、秘密を守ることに協力してくれることになった。
それ以来、真実の雰囲気はどこか変わったように感じる。悪い変化ではない。ちょこちょこついてきて鬱陶しいのは同じだが、溢れんばかりの喜びを感じるのだ。
心境の変化があったのは分かるが、一総はその感情の正体を掴みかねていた。
「で、どうしたの?」
改めて、蒼生が真実へ目的を尋ねる。
「会議はそろそろ終わったかなと思って顔を出したんですが、えっと……」
何を躊躇っているのか、真実は言葉をにごす。いつも明快な彼女としては珍しい光景だ。
一総と蒼生はお互いに顔を見合わせ、首を傾ぐ。
しばし言葉を選んでいた真実だったが、意を決したように口を開いた。
「せ、センパイ。この後のお時間をいただけませんか?」
彼女は何故か顔を真っ赤に染める。
「いいぞ」
特に用事もないので、ふたつ返事で頷いた。面倒ごとなら断るかもしれないけれど、話を聞くくらいなら問題はない。
真実は一瞬だけ顔を綻ばせたが、チラリと横にいる蒼生を見ると、気まずそうに言った。
「できれば二人きりがいいんですけど……。時間は取らせませんので!」
「うーん」
一総は腕を組む。
探索魔法の範囲内であれば何かあっても駆けつけることは容易いし、
彼が悩むのを見て、真実の表情が曇っていくのが分かる。何か二人きりで話したい重要なことがあるのだろう。
どうしたものかと頭を捻っていると、唐突に蒼生が立ち上がった。
「廊下で待ってる」
「勝手な――」
「待ってる」
「……分かった」
蒼生の動きを止めようとした一総だったが、いつになく強気の彼女に対して折れることにした。
もしかしたら、真実が何をしようとしているのか察したのかもしれない。
「……」
「……」
蒼生がスタスタと外へ出た後、二人の間には沈黙が降りる。蒼生と一緒にいる時の静寂とは異なり、かなり気まずい空気だった。
「それで、何の用なんだ?」
堪らなくなり、一総が口火を切った。
赤い顔で真実は答える。
「えっと、立ってもらえますか?」
「ああ」
それに頷き、立ち上がる一総。
二人は向かい合う形になる。彼我の距離は一メートル弱。手を伸ばせば届いてしまうほど近い。
(どこかで聞いたことのあるシチュエーションだな)
ここまでくると、さすがに感づくものがある。が、そういう感情を向けられた経験の少ない彼は、訝しむしかない。
大きく深呼吸を繰り返した真実は眼鏡を外し、力強い
「好きです! 私は伊藤一総センパイのことを一人の異性として、お慕いしてます! つき合ってください!」
全身全霊の叫びだった。リンゴのように染まった顔や透き通る翡翠の瞳から、本心からの告白だと理解できる。
淀みのないストレートな好意。そんなものをぶつけられれば、いくら一総だって感情を揺らす。息を呑み、僅かに頬が染まった。
彼が戸惑っている間も、真実は言葉を紡いでいく。
「センパイとは気が合いますし、会話するのが楽しかったです。嘘も吐きません。私の魔眼も怖がりません。そして何より、私のことを助けてくれました。嘘や偽りに塗れた私の人生を肯定してくれました。あの時はすっごく嬉しくて……これ以上の人は見つからないと確信するほどでした!」
告白した影響で歯止めが利かなくなったのか、今まで想っていたことを次々と吐き出していく真実。言葉のひとつひとつに熱い気持ちが溢れていた。
「吊り橋効果なんてものもある。勘違いの可能性は?」
ここまで愚直な好意を示されたことは久しくなかったので、思わず失礼なことを口走ってしまう。それほど、一総は愛という感情に慣れていなかった。
しかし、真実は気にした様子もなく、首を横に振る。
「それは私も少し考えました。この気持ちが一時の昂りに流されただけじゃないかって。だから、それを確認するために事件から二週間も置きました。それでも変わらないんです、この気持ちは!」
どうやら同様の疑念を抱いていたらしい。自分の感情にも疑いを持てるのは過去の経験ゆえか。そういう意見の一致があるからこそ、二人は気が合うのだろう。
ここまで言われてしまっては真面目に対応しなくてはいけない。それくらいは一総も承知していた。
真実のことを真っ直ぐに見据え、自分の想いをまとめる。
「田中の気持ちは素直に嬉しい。好意的な感情を向けられ慣れていないことと、告白されたことが初めてだから混乱は大きいが、嬉しく感じているのは本当だ。オレも君と話すのは楽しかったし、何だかんだ言って仲良くしたいとも思ってた」
しかし――――
「でも、田中の気持ちに応えることはできない」
真実のことは受け入れられない。
先程まで赤らんでいた彼女の表情が、悲哀に歪むのが分かる。心苦しいが、意見を翻すつもりはなかった。
「自分で言うのも何ですが、私ってチョロくて可愛い後輩ですよ? 結構尽くすタイプですし、お買い得だとは思いません?」
茶化すように口を開く真実だったが、一総は揺らがない。
それを見て、彼女は尋ねてくる。
「断る理由はわたしに魅力がないからですか? それとも、実力を隠してることに関係してますか?」
「君に魅力がないわけじゃないし、後者の理由がゼロだとも言いがたい。けれど、大きな理由は別にある」
「それはなんですか?」
「それは――」
一総は大きく息を吸い、ゆっくり吐き出した。絞り出すように、自嘲気味に声を出す。
「オレは親しい者――家族を作ることが怖いんだ。詳しくは語れないけど、友人以上の関係を築くことが酷く恐ろしい」
脳裏に浮かぶのは、かつての家族たちの顔。それらを思い出すだけで胸が苦しくなる。昔のように動けなくなるなんて重度な症状はないが、それでも精神的にきついものがあった。
最強たる異端者の弱点は、意外にも“家族”だった。
下唇を噛む彼を見て、真実は静かに問う。
「恋人は家族に当たるから怖いってことですか?」
「ああ。情けないし、申し訳ないとも思ってるが、心が受けつけられない」
いつかは克服したいとは思う。だが、今すぐは無理だと断言できた。これでも前よりはマシになったが、彼に刻まれた傷は深く、完治には程遠い。
すると、真実がポツリと呟いた。
「ひとつ尋ねたいんですが」
「何だ?」
一総は怪訝そうに問い返す。
何故か彼女がソワソワし始めたからだ。微妙に頬が緩んでいる気がする。決して、告白を断られた人間のする表情ではない。
彼女は問う。
「センパイは私をカノジョにしたくないんじゃなくて、カノジョ自体を作れないってわけですね?」
「ああ」
「つまり、私に脈がないって話じゃないんですよね?」
「そうだな。考えたことがなかったから恋愛感情があるかは判断できかねるけど、田中のことは好きだよ」
好き、という言葉を耳にして、真実の表情がだらしなく緩む。分かりやすい少女だ。
彼女は両の拳を握り締め、ぐっと胸元で構える。
「分かりました。恋人になるのは一旦諦めます!」
「一旦?」
一総は首を傾ぐ。
真実は小気味良く頷いた。
「はい、一旦です。要するに、私への好意が恐怖を上回るようにアピールすればいいんですよ! センパイが私のことを好きで好きで堪らなくすれば、そのうち恋人になれるって寸法です!」
「はぁ?」
いきなり言い出した彼女の理論に、先程までの鬱屈した感情も忘れて呆けた声を上げてしまう。
理屈は分かる。恐怖に打ち勝てるほどの好意が一総にあれば、恋仲になることもできるだろう。
しかし、突然そんな発言をされたら、間の抜けた顔にもなるというものだ。
呆ける一総を放って、一人で盛り上がり始める真実。
「こうしてはいられないですね。色々と誘惑の準備をしないと! センパイ、私は先に帰りますが、これからは覚悟してくださいね!」
宣戦布告のようなことを言い放ち、彼女は会議室から走り去っていく。
呆然とその後ろ姿を見送った一総は、しばらくして笑い始めた。
「どうしたの、かずさ」
いつの間にか入室していた蒼生が、不思議そうに尋ねてきた。
一総は笑いながらも答える。
「いいや、これから楽しくなりそうだなって思っただけさ」
真実との関係がどう変化するかは分からないが、確実に一総の日常は変わっていくだろう。
今までの彼であれば、それを疎んだかもしれない。
――けれども、そんな未来も悪くないと、今の一総は心から強く思った。
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