002-1-01 左坏祭と一総の変化
勇者が集う島、アヴァロン。その日本支部は茨城県沖にあり、出入りする手段が限られているため、普段は関係者の入島しか許可されていない。
だが、年に二度だけ、多くの人々が出入りできる期間が存在した。
その名も『
アヴァロン全土を上げての祭りとあって意気や質は高く、外からの評判も高い。その影響もあって祭り期間中は外部からの来訪希望も多く、それらの要望に応えるため連絡船などが増えるのだ。
さて、その祭り――左坏祭の開催まで一月を切った五月の頭。アヴァロンにある教育機関のひとつである
そのひとつ、二年次で最も強い生徒たちが集まる“フォース”の教室では、出し物の案を出し合っているところだった。学級委員が前に出て進行を務め、黒板に意見を書き連ねていく様子が見て取れる。
大きなイベントだけあってかクラスの皆の意気込みは良く、大いに会議は盛り上がっていた。ただ一人を除いては。
熱を持つ面々の中、頬杖をついて虚空を眺める少年の名は
実際、見た目から彼が大それた記録を持っているとは分からないと思う。怜悧さは窺えるものの容姿は平凡な日本人、体格も筋肉質ながら細身で、特筆できるほどの特徴はないのだから。気迫の薄さも相俟って、人混みに紛れ込んだら姿を見失ってしまうだろう。
そんな彼は我関せずと言わんばかりに、盛り上がりを見せる話し合いを聞き流している。時折、あくびを噛み殺す仕草をするほどだ。
どんなことよりも平穏な日常を優先する一総ならば、こういった“如何にも日常的”なイベントは大好物なはずだが、彼の反応は冷めたもの。
まぁ、これに関しては仕方のない部分がある。
勇者たちが異世界へ召喚される回数というのは基本的に生涯で一、二回ではあるが、一総に至っては公にこそしていないものの、週一のペースで召喚されているのだ。
出し物の準備に参加すれば、重要な局面で召喚されて周囲に迷惑をかけてしまう。本番当日も出店などを散策しようにも、いつ召喚されるか分からない状態では気も休まらない。そういうこともあり、一総が左坏祭を純粋に楽しめるはずがなかった。
つまり、一総が盛り上がれないのは、どうでも良いと思っているのではなく、どうしようもない諦念を抱えているため。
だがしかし、そのような一総の事情を全く知らない且つ、例年通りを打ち崩す行動力を持った者が今年は存在した。
会話を右から左へと聞き流していた一総の耳に、凛とした繊細な音色が通ってくる。
「私は、調理担当にかずさを推薦、する!」
よほど力が入っていたのか、少々つっかえながら言葉が発せられた。
一総はギョッと表情を引きつらせる。
声の方へと顔を向ければ、ビシッと片手を天井へと伸ばす少女――
彼女は誰もが見惚れる美少女だ。腰まで流れる黒髪と深海を想起させる勝色の瞳が特徴的で、バランスの良い肢体ながらも小柄な体格ということもあり、彼女を愛でる者が後を絶たないほどの人気を誇っている。感情の起伏が乏しい無表情が玉に瑕ではあるが、それもそれで味があると高評価だとか。
それで、その人気者である蒼生なのだが、実は一総とルームメイトだったりする。
これにはきちんとした理由がある。
蒼生は使えば世界が滅びかねない異能を保持しているにも関わらず、その扱いが不安定。よって、彼女に異能を行使させないための監視役として、一総が常に行動を共にしているのだ。
そういう事情もあって、人付き合いの悪い一総にしては珍しく距離の近い存在の蒼生だが、まさか左坏祭の会議で自分の名前を出すとは思ってもみなかった。
話を聞いていなかったため、一総の名前が出た経緯が不明だ。だから、咄嗟に黒板へ視線を流し、状況の把握に取りかかる。
すぐに事態は理解できた。どうやらクラスの出し物は喫茶に決まり、今は各担当の割り振りを行っていたようだ。蒼生のセリフからして、一総に料理をしてもらいたいと推したのだろう。
彼女は一総の料理が大好物――それこそ、ご飯を何杯も食べてしまうほど気に入っているので、その提案をすることは然もありなん。一総は食事時にしか料理をしないから、喫茶店の調理担当にして、たくさん食べる魂胆なのだろう。
(いつもはボーっとしてるくせに、こんな時に限って精力的に動くなんて……)
思わず頭を抱えたくなる一総。
自分の作るものを好きだと言ってくれることは当然嬉しい。だが、こういう風に望まぬ形で示されても困ってしまうのだ。
ただ、蒼生としては、この機会にみんなと仲良くなってもらおうという、いつもお世話になっていることへの恩返しであって他意はない。これは、自分の事情を詳しく話していない一総にも非があるのだ。
そうこうしているうちに、蒼生は一総の料理が如何に美味しいのかを力説し始める。クラスメイトたちも「そんなのに美味しいの?」とか「伊藤って料理が趣味だったんだ」とか「村瀬さんがそんなに推すなんて、食べてみたいかも」とか、段々と乗り気な空気になってしまった。
このままでは不味い。そう感じた一総は、すぐさま断りを入れるため口を開こうとする。
しかし、実際に口が動くことはなかった。ひとつの思考を思い浮かべたゆえに。
果たして、蒼生の提案を断る必要はあるのだろうか?
去年までの状況だったら間違いなく引き受けない。週一で異世界へ召喚されてしまう自分が、喫茶店の調理担当という重要なポストをこなせるはずがないのだから。
でも、よくよく考えてみれば、今は前までと異なる点があった。それは他ならぬ蒼生の存在だ。
同居している関係で、彼女には『遠出』を頻繁にすることを伝えている。勇者召喚されていること『遠出』と偽っているが、多少でも話を通している人間がいることは大きい。それならば、調理担当を任されても融通が利かせられると思われる。
実際、蒼生が来てからというもの、召喚されるごとに分身を置いていくという、これまでにできなかった対処ができている。
となれば、一総が祭りに対して遠慮する理由はなくなるのではないか。彼が求めているのは平穏な日常であり、日常の範囲内で目立ってしまうくらいは構わないと考えている。調理関係で話題に上がっても、日常を壊すことはないはずだ。
そう結論に至った瞬間、彼の行動は迅速だった。
「調理担当、引き受けよう」
ガタッと席から立ち上がり、宣言する。その瞳は、いつになく気力に満ち溢れていた。
当然ながら、そのような行動を取れば注目が集まる。司会を担っていた生徒が、突然の一総の挙動に困惑しながらも、一言尋ねた。
「えーと……いいのかい?」
「任せろ」
即答する一総。
クラスメイトたちの動揺を残しつつも、こうして左坏祭での一総の役割は決まった。
左坏祭の会議が終わり、休み時間となった教室。いよいよ祭りの準備が始まるのかと、生徒たちは浮ついた空気をまとっていた。
喫茶店の調理という重要ポジションを任された一総はというと、自席にて突っ伏していた。どんよりと意気消沈しているのが分かる。やる気に満ちていた先程と同じで、冷静沈着な彼には珍しい光景だ。【気配探知】によって蒼生の監視を怠っていないところは、いつもの彼らしさはあるが。
何故、一総がここまで気落ちしているかというといえば、先の行動にある。
調理担当を引き受けた件。あれは非常に軽率すぎるものだった。
確かに蒼生がいるお陰で、今まで起こせなかった行動が起こせるメリットはある。だが、それと同じくらいデメリット――予測していなかった事態が発生する等――があるかもしれないのだ。
蒼生が現れてから一ヶ月ほどしか経っていない。本来であれば、もう少し色々と検証するべきなのに、一時の感情のままに動いてしまったのは反省点だ。
いくら歴戦の勇者といえど十代の子供。しかも、勇者召喚のせいで行事に深く関わったこともない。だから、初めての経験を前に、遠足前夜の小学生の如く浮かれた気分になってしまうのも仕方のないことなのだ。
とはいえ、当の本人が割り切れるかは別問題で、今まさに反省の真っ最中なわけだ。
そんな風に悔恨を抱える一総へ、ふと声がかけられた。
「伊藤くん、大丈夫?」
一総は伏していた顔を、億劫そうに持ち上げる。
視界に入ってきたのは
白く光を反射するホワイトブロンドをアップテールに纏めた美少女。文武両道で才色兼備という完璧無比な優等生で、協調性のない一総にも眉ひとつしかめることなく話しかけてくれる
司は申しわけなさそうな表情をしている(ちなみに、傍らに蒼生もいるのだが、そちらはいつも通りの無表情だ)。
彼女の性格や今のセリフからして、調子の落差が激しい一総を心配したのだろう。わざわざ声をかけてくるとは、ご苦労なことだ。
一総は肩を竦めて答える。
「問題ない、大丈夫だよ」
「そう? 大丈夫とは思えないほど落ち込んでたみたいだけど」
「少し、さっきのことで自己嫌悪してただけさ。心配してもらうほどのことじゃないんだ」
「あー」
軽く話しただけだが、司は察しがついたようだ。柔らかめの苦笑いを浮かべている。
彼女は訊く。
「本当に良かったの? 調理を引き受けて」
「それも大丈夫。一度口にした以上、投げ出したりはしないさ」
一総は努めて軽い調子で答えた。
考えなしの行動に反省はしたが、左坏祭へ精力的に参加できることに対しては、含むところは一切ない。言葉通り、しっかりと責務を果たすつもりだ。
その返しを聞き、司は笑顔で頷く。
「それなら良かったよ。伊藤くんって今までイベントに積極的じゃなかったから、無理してないか心配だったんだ。さっきも様子が変だったし」
「まぁ、今回は気分が乗ったんだよ」
「ふーん」
やはり感情のままに行動しすぎたな、と改めて反省しつつ、それとなく誤魔化しておく。
司も特に気にしていたわけでもないのか、誤魔化しを気取る様子もなく話を進めた。
「それで話し合いをしたいんだけど」
「話し合い?」
司と話し合う話題などあっただろうか。一総は小首を傾ぐ。
すると、彼女はやや呆れた視線を向けてきた。
「もしかしなくても、さっきの会議の内容、ほとんど聞いてなかったでしょ」
「すまない」
どうやら左坏祭に関することらしい。話を聞いていなかったのは事実なので、謝る他にない。
謝罪を受けた司は小さく溜息を
「喫茶店の調理責任者は伊藤くんと私に決まったんだよ。だから、これから責任者同士で色々決めようと思って話しかけたの」
「そういうことか………………って、責任者!?」
納得してすぐ、一総は驚きを露わにする。
調理担当になったのは理解していたが、予想以上に重大な役職を任されていた。一体どういうことだ?
一総の内心を悟ったのだろう。司は嗚呼と続ける。
「伊藤くんは担当するのが調理だけだから、自然と責任者になっちゃったんだよ。ほら、フォースは他のクラスより人数が足りないから、どうしても兼任になっちゃうし」
司の言う通り、一総たちのクラスは人が少ない。フォースが二十人しかいないのに対して、他クラスは最低でも三十人以上いるのだ。
ともなれば、必然的に責任者以外は仕事を兼任することになる。一総と司以外の調理担当は、別の仕事も受け持っているのだろう。だから、自動的に一総が責任者になったと……。
「あっ、私は少しだけだけど、ウェイトレスもやるんだけどね。みんなにどうしてもって頼まれちゃって」
……と考察していたら訂正が入った。
当然と言えば当然か。容姿の良い彼女が表の仕事をしないわけがない。売り上げが大幅に変わる。
「天野も大変だな。責任者なのに兼業させられるなんて」
一総が労いの言葉をかけると、司は首を横に振った。
「そんなことないよ。ウェイトレスやる時間はちょっとだけだし、頼られるのは好きだから」
向ける笑顔には一切の澱みがない。本当に良くできた人間だと思う。他の者なら、少なからず愚痴が口をつくだろうに。
彼女の反応に感心しつつ、一総は先程から気になっていた疑問を口にした。
「ひとつ質問があるんだけど」
「なに?」
「オレが責任者やることに、誰も文句を言わなかったのか?」
他者から受ける一総の評価は結構低い。実力をまるで出さないため、様々な蔑称で呼ばれたり侮られたりしている。クラスメイトたちもバカにするまではいかないが、そのほとんどが彼のことを厄介者のように見ていた。
一総本人としては現状を気にしていないのだが、良く思っていない人物を責任者に据えることへ不満はなかったのか、純粋に疑問だったのだ。
その問いへ答えたのは司ではなく、ここまで沈黙していた蒼生だった。
「それなら問題ない。私が、かずさの料理の美味しさを、誠心誠意伝えた」
「あ、うん。蒼生ちゃんが伊藤くんの料理の腕を一生懸命喧伝したから、今は好奇心の方が勝ってる状況かな。たぶん、文句は出ないと思うよ」
司が補足する。
蒼生がクラスメイトたちを説得している光景を思い出したようで、その表情は苦笑いだ。
「喧伝って……。一体どんなことを話したんだ?」
「知りたい?」
「…………いや、遠慮しておこう」
妖しい光を宿す蒼生の目を見て、一総は頬を引く。何となく詳細は聞かない方が良い気がした。
クラスメイトの不信感を拭うレベルの宣伝をしてしまうとは。蒼生の食欲は恐ろしい行動力を生むようだ。
「というか、天野が来た理由は分かったけど、村瀬はどうして? まさか、君も調理担当なのか?」
前に料理はできないと言っていたはずだが。
そう訝しんだ一総だったが、即座に答えは示された。
「ううん、私は内装準備と接客の担当」
蒼生は首を横に振り、続けて両の拳を胸元に掲げた。
彼女は力強く声を発する。
「ここに来たのはメニュー内容の相談に参加するため。オムライスは絶対に外せない!」
「ああ、この前食べたやつ、気に入ったんだな」
一総は現実逃避気味に遠くを見た。
蒼生はこれほどまでに腹ぺこキャラだっただろうか。一総の料理の時だけこうなるのならば、自分に責任があるのだろうか。
そんなことを堂々巡りに思考する。
「伊藤くん、逃避したくなる気持ちは分かるけど、現実に帰ってきて」
「……そうだな。話し合わなきゃいけないんだった」
司に声をかけられ、ようやく元に戻る一総。
その後、蒼生に振り回されることはあったが、三人で滞りなく話は進められた。
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