003-4-04 連世の門

 つかさは急いていた。真実まみの治療と、気絶したままの彼女を安全な場所まで運ぶのに、思った以上の時間を消費してしまったためだ。少しでも早く蒼生あおいの元へ駆けつけるよう、異能を併用して全力で走る。


 ようやく辿り着いた時、現場は凄惨たるありさまだった。医務室は──いや、ホール会場は建物の体裁を保っていない。更地と表現しても良い状態で、一番大きいものでも手の平サイズの瓦礫しか転がっていなかった。地面のアスファルトも粉微塵。土が露出している割合の方が圧倒的に高い。


 そして何より、この場でもっとも異彩を放っていたのは、黒く巨大な半球体だろう。医務室だった場所を中心に、ホール会場だった敷地の半分を包み込んでいる。


 異様な代物を見ても司は取り乱さない。この半球はテロのあった会議場の一部も呑み込んでいるので、勇気ゆうきに取りつけていた擬似眼により、事前に確認できていたのだ。


 半球体が発生したのは五分前のこと。突如として現れた黒は、瞬く間に様々なものを呑み込んでいった。勇気側ではアルテロ含む英国救世主セイヴァー数名、中国救世主一名、各国アヴァロン首脳数名が被害者となったようだ。その結果、戦力差が覆り、テロリストたちを制圧できたのは、勇気たちにとっては幸運なことだっただろう。


 この現象の性質で判明しているのはふたつ・・・


 ひとつは、黒に接触したモノは等しく消滅してしまうこと。物質も非物質である異能も、全てが消え失せてしまう。つまり、呑み込まれた人たちの生還は絶望的だ。


 ふたつは、半球は常時吸収を行なっていること。五メートルくらいの距離から引っ張られる感覚があり、一メートルまで近づくと体が宙に浮きそうなほどの吸引力になる。


 接触も接近も不可能な半球体に対し、各国の救世主たちもお手上げのようだった。


 救世主でも解析不能の現象を、フォースの司がどうこうできるはずがない。いくら錬成術を極めたからといって、限界があった。


 しかし、それでも諦められない理由が彼女にはある。この謎の現象に蒼生が関わっているかもしれないのだ。


 確証は、一総かずさから前もって聞いていた情報だ。蒼生の異能具に、彼女の“世界を滅ぼす異能”の発動を補助する機能をつけたということや、それの制御が難しいということ。目の前の状況を見れば、確かにこれなら世界を滅ぼせそうだと納得できる。おそらく、追い詰められた蒼生が異能を発動し、制御が中途半端になってしまったのだと思う。


 であれば、半球体の中心に蒼生がいるのは間違いない。異能が発動状態である以上は彼女も無事だろうが、ただでさえ不安定な制御下で、長時間の異能行使がどんな影響を与えるか分からない。いち早く異能を解除させる必要があった。


 一番の最善手は一総に頼ることだろう。だが、何かトラブルでもあったのか、彼とはスペードと相対した時から連絡が取れていない。他の手段を考えるしかなかった。


 なれば、司自身が何とかするしかない。頼れる人間は誰もいないのだから。


「やるしかない!」


 己を鼓舞する呟き。


 その後、司は自分が使える最強の手札を切る。他人の目がある場所では使用を躊躇する、頼れると同時に忌むべき錬成術の最奥を。


 司の魔力が膨れ上がり、長いホワイトブロンドが緩やかに舞う。彼女の周囲を白い稲光が走る。光は円を描き、その内部に緻密な紋様を記していく。錬成円が完成に近づくにつれて魔力は昂り、発光が強まっていった。


 そして、開手を前に向け、いざ奥義を発動せんとする────その刹那、


「ほう、『連世れんせいの門』か。珍しいもん、使ってんじゃねーか」


 唐突に、粗暴な男の声が割り込んできた。


「なっ!?」


 術式を維持したまま、司は声の方へと顔を向ける。


 彼女のすぐ傍、後方五メートルの地点に二十歳くらいの青年が立っていた。クセの強い短い赤髪に燃えるような朱色の瞳、歯を剥き出す相貌は獰猛な獣を思わせる。体格も筋肉でガッシリしていて、とても野性味の溢れる人物だ。


 司は信じられなかった。周囲に人影がないことは把握していたし、誰かが接近してこないかも随時確認を行っていた。それなのに、目前の男はも当たり前といった風に存在するのだ。


 それだけではない。男は司の奥の手を看破していた。この術式を知ることは、並大抵の実力では不可能だというのに。


 得体の知れない青年の登場に警戒心がグングンと上昇する。


 そんな司の心情など気にした様子もなく、男は人によっては虜になるだろう猛々しい笑みを向けた。


「そう警戒するなって。俺はお前の邪魔をしにきたわけじゃねーんだから。むしろ、協力しにきたと言ってもいい」


 青年の言葉に、司は目をすがめた。


 信じられないわけではない。あの黒い半球体を放置することは、誰にとっても得にならないことは明らかで、力を貸す動機は十分にあった。だが、相手は得体の知れない人物であり、何か別の思惑を抱えていると読める。そして、その思惑が彼女にとってネックだった。


 赤髪の青年に対して類推できることは少ない。司の警戒網をかい潜るほどの実力者であり、『連世の門』のことを知っている。態度からして、半球体がどういうものかも理解しているのだろう。これくらいしか状況から導き出すことはできない。


 ところが、自分たちが何のために会場にいたのかへ焦点を当てると、嫌な仮説が成り立ってしまう。それは、目の前の人物が【空間魔法】の使い手だということだ。


 テロリストたちは蒼生を狙っていた。となると、その後ろにいる空間魔法使いも、彼女を獲物と認識していても不思議ではない。それどころか、後者が蒼生捕縛もしくは殺害を指示していた可能性だってあった。


 スペードが失敗した上に、空間魔法使いが出張らなければいけない状況になった。司に協力するのは、半球体の除去後に彼女を確保したいため。そう考えると辻褄があうように思える。


 これは推測に推測を重ねた妄想でしかない。そも、ここに空間魔法使いがいるのなら、一総はどうしたのだという話になる。彼がやられたなどというジョークは考えもしない。


 しかし、どんなに不自然な点があろうと、司はそれが真実しんじつだと直感していた。


 ゆえに、彼女は問う。


「蒼生ちゃんを殺す気?」


「おーっと、こっちの正体に気づいてたのか? 俺らのことはバレてねーはずだったんだが」


 返ってきたのは肯定でも否定でもない、純粋な疑念の言葉だった。


 でも、その反応だけで十二分に青年の目的は察せられた。司の推察は当たっていたのだ。


「あなたが空間魔法の使い手……」


「おう、そうだぜ。というか、やっぱりバレてんのか」


 あっさりと肯定する青年。


 目の前に最強一総でさえ警戒する人物がいる、それだけで胃が痛くなってくる。だが、彼女は目を背けない。


「悪いけど、あなたに手を出させるわけにはいかない。友達は殺させないから」


 司は毅然と相対する。絶対に後退はしないという意志を瞳に宿して。


 それを受けた赤髪の男は、意外そうに目を丸くした。


「へぇ、アレを守るなんて言うのか。『連世の門』を掌握してる奴が」




 ──嗚呼、やはり知ってるんだね。




 司は諦観の言葉を頭に浮かべる。


 続くセリフは想像に難くなかった。口にしてほしくない、それこそ汚い男の口調になってしまってでも止めたい事実が発せられるのだろう。司が錬成術の奥義を忌む理由であり、不老不死の研究を続ける理由でもある過去を暴かれるのだろう。


 しかし、彼女は何もしない。相手は格上の敵。不用意に突っ込むわけにはいかないのだ。自分の一時の感情より、大切な友の命を優先しなければいけないから。


 予想通り、青年は語る。


「錬成術の極致を見たいっつーだけで何千何万の犠牲を払う狂人が、友達ダチのために命張るなんてな」


 それは拭えぬ過去。背負うべき業。


 司にとって、錬成術とは生きる術であると同時に、大罪の象徴でもあった。

 

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