003-4-05 錬成術対空間魔法

 錬成術は他の異能とは異なる性質を持つ。それは、どの世界でも同一の術式であるということ。


 たとえば魔法ひとつ取っても、世界によって法則や術理が違うことが多い。細部まで見れば、同じ魔法が存在する世界など存在しないくらいだ。ところが、錬成術の場合はそれが通用しない。その術がある全ての世界において、一から十まで丸っきり一緒なのである。


 これは錬成術の根幹が”循環”だというのが理由だと考えられていた。始まりが終わりで終わりが始まりという、始点も終点もない円こそが理念。ゆえに、どの世界においても錬成術は派生することなく、ひとつの円に収まっているのだ。


 その”循環の理念”に基づいた錬成術の奥義というのが、『連世れんせいの門』だ。


 理論上、門の先は錬成術の基礎から最奥までを通る道があり、一度でも通行することが叶えば術の全てを真に理解することができるという。また、錬成術の存在する世界は循環の上にある――つまり、なる界であると捉え、門を介して異世界転移を可能とするとも伝えられている。


 ただ、これらは理論上の話でしかないと認識されている。循環の理念が正しければ、錬成術の奥義は錬成術の基礎と同義であり、基本の術式で奥義を発動できるはず。しかし、それを行使できたと名乗り上げた者は誰一人としていないからだ。


 実例が存在しない定義など、机上の空論以外の何ものでもない。だから、『連世の門』という名称は廃れ、ごく一部の物好きしか知らない代物となり果てていた。


 だが、『連世の門』は実在する。つかさが今まさに行使しようとしているのだから間違いない。


 それなら何故、奥義とも謳われた術式を公表する者が一切いないのか。それは初回の発動条件に問題があったためだった。


 条件とは自分の命、またはそれと釣り合う数の他者の命を捧げること。後者の場合、術者と親しい間柄であればあるほど、生贄にすることへの忌避感が強ければ強いほど、支払う命の数が減るという残酷な代価。


 露見すれば殺人者の謗りは免れないし、親しい人を生贄に捧げた心労が口を重くする。犠牲を厭わない性質の者が挑戦したとしても、その場合は天文学的な数字の生贄を要求されるため、そもそも門を開くことができない。それらの理由から、『連世の門』の実態が外部に漏れることは皆無に等しかった。


 まぁ、完全なゼロではなく、だからこそ赤髪の青年は指摘できたし、一総かずさも司の研究の動機を察していたのだが。


 錬成術の奥義とは術者の精神性を問う試練であり、大罪人の烙印だ。司も例外ではなく、無二の親友を一人だけ・・・・犠牲にしてしまっている。その時の後悔を糧に、救われた自らの命を永遠にしようとしていた。


 閑話休題。


 青年の指摘は甘んじて受け入れなければいけないものだ。いくら致し方ない理由があろうとも、『連世の門』を開くことは、それだけで罪である。


 それでも、司は蒼生あおいを譲れなかった。かつては救えなかった友とは異なり、今は救える可能性が残されている。後悔だけは二度としたくないのだ。


 司は待機させていた『連世の門』を発動する。足元で輝いていた円が一際強烈な光を発し、錬成術の入り口を開く。そして、煌めく光に紛れるように、真っ白で平べったい手が大量に現れた。


 白い手らは円から生えていて、触手の如く揺らめく。数多の手は青年に向かって殺到した。大波を思わせる手の群れが押し寄せる光景は、一種のホラーと言っても過言ではないだろう。心臓が弱い人が目撃すれば、ぽっくり死んでしまうに違いない。


 男はそんなに貧弱ではないので、平然と迫り来る大群を眺める。彼は愉快そうに口を開いた。


「ハハッ、この俺と戦う気か。その意気や良し! こっちも出し惜しみせずに行くぜ!」


 言うが否や、青年は霞む勢いで右手を横薙ぎに振るった。ヴォンという風切り音が聞こえ、直後に強大な衝撃波が発生する。その威力は凄まじく、青年の前面の瓦礫は尽く消滅し、物理現象が及びにくいはずの白い手までも停滞させた。


 作られた間隙を利用して、青年は司の攻撃から距離を取った。


「『連世の門』が生み出した手にゃ、物理攻撃は効かねーのか」


 彼は感心しながら、先程の衝撃波を生み出した大戦斧を肩に担ぐ。


 全長二メートルはあろう巨大な斧だ。これが高速で振られたのであれば、先の威力も納得できるというもの。加えて、かなりの重量が見込める大斧を軽々と持ち上げる男自身も、相当のパワーを有していることが理解できた。


 錬成術主体の司では、男に近づかれた時点でアウトだ。対抗することもできない。


 それでも、彼女は怯まなかった。白い手をさらに増やし、こちらの姿が見えなくなるくらいの物力で押し込んでいく。


 物理攻撃の効果が薄い巨壁が押し寄せてくる。斧を主力武器とする青年にとっては絶望的な状況のはずだった。ところが、彼はむしろ歯を剥き出しにして笑う。


「ハハハハハッ、こりゃすげーな。手の数に際限なしか。話には聞いてたが、これは楽しめそうだ!」


 大戦斧を両手で構え、横一文字の大振りをかます。何の技術もない、ただの斬撃。


 たったそれだけの動作で白い手は全滅した。斬撃の線に沿って空間が斬り開かれ、それによって生じた大穴に吸い込まれてしまったのだ。しかも、穴に入った手の根元までも崩壊をし始める始末。


「チッ」


 このまま放置すれば『連世の門』まで侵食されてしまう。そう懸念した司は一旦門を閉じ、捕らわれた手らを放棄した。


 術式を展開し直しつつ、彼女は青年を睨む。


「今のが【空間魔法】……!」


 虚空に穴を生じさせる方法など限られてくる。司は一総の使用した【転移】しか空間魔法を知らなかったが、異能が使われた際の雰囲気から同質のものだと判断した。


 青年は興味深そうに笑う。


「そこまで知ってんのか。つーか、知ってて敵対するとか、ますます面白おもしれぇ奴だな」


 次はこちらの番だと言うように、彼は大斧を振りかぶった。頭上に持ち上げられた得物に、ゾッとするくらいの量の魔力が圧縮しているのが分かる。


 司の脳内に大音量で警鐘が鳴り響いた。あれを放たれたらマズイ、防御も回避も難しいと。


 再び大群の白い手を召喚し、男へ差し向ける──が、それは無意味な行動となってしまった。殺到した手により姿は隠れているが、男は無事だ。結界のようなモノで防がれている。


 白い手には触れたものを問答無用で分解する能力がある。通常の結界では防御不可能なはずのため、これも空間魔法なのだろう。つくづく厄介な異能だ。


 攻めあぐねている間にも、青年の攻撃の準備が整ってしまう。白い手の塊の中心から、荒々しい声が響いた。


「これが俺の必殺の一撃だ。期待はしてねーが、頑張って生き残ってみやがれ」




 破断爆空はだんばっくう




 その一言と共に、大戦斧が振り下ろされた。


ただの上下運動。それだけの動作だというのに、戦場の一切合切が無に帰した。男の正面の空間が裂け、広がり、膨張し、爆ぜていく。連鎖爆発の如く灼熱が彼の前面を覆い尽くしていった。


 結果、彼の前方一キロメートルは何も残されていなかった。瓦礫どころか塵のひとつさえ消え去っている。灰燼に帰すという表現では生ぬるい惨状だった。幸いなのは、攻撃の範囲内に司以外の人がいなかったことだろう。


 青年は状況を認めると、後頭部をガシガシとかいた。


「威力は抑えたつもりだったが、やっぱ制御し切れなかったか。あの錬成師も消滅しちまったみてーだし。ほんの少しは期待したんだけどな」


 彼に勝利の喜びはなく、ただ作業をこなしただけと言いたげな憂いた表情があった。


 とはいえ、いつまでも終わらせたことに気を取られるほど、後ろ向きな性格でもない。男はすぐに本来の目的へ意識を戻した。


「しかし、あの攻撃でも揺るがねーか。思ったより厄介だな」


 視線の先にあるのは黒い半球体。


 実は先の一撃の効果範囲に半球体の一部が含まれていたのだが、微塵も変化が起きなかったのだ。全てを消滅させる問答無用の攻撃を受けて無傷。ある程度の手加減がされていたとしても、その頑強さは目を見張るものがあった。


 いや、頑強というのは語弊があるか。『破断爆空』は空間を断裂し爆発させる技で、防御や耐性を無視する攻撃だ。つまり、これを耐え切ったということは、あの半球体は空間そのものを遮っていることになる。


 俺らの標的になるだけはあるな、と青年は独りちた。


「できる限り生け捕りって命令だが、あれを突破するってなると難易度たけぇだろう。すっぱり諦めて、殺すとすっかね」


 救世主セイヴァーが複数人で挑んでも突破不可能なものを、本気を出せば容易いと語る男。その声音に嘘偽りは感じられない。


 彼は腰を落とし、斧を正面へ突き出した。剣道でいう突きの構えにも似た、独特の姿勢だ。


 大気が震える。先程の攻撃以上の魔力が大戦斧に収斂されていくのが分かる。“眼”を持っていなくても可視できる膨大な力が、幾重にも圧縮されていく。


 これが放たれればアヴァロンが跡形もなく吹き飛ぶのでは? そう感じさせる魔力が男の武器に集まった。


 実際、次の一撃が成功すれば、この島ごと周囲一帯が消し飛ぶのは間違いない。彼にはアヴァロンに配慮する理由がないからだ。


 ついに魔力が貯まり切った。本気の一撃を放つため、ゆっくり斧を後方へ引いていく。一呼吸置いた彼は全身に力を込めた。


「なに!?」


 今まさに、攻撃の初動を始めた瞬間だった。青年の足元から、見覚えのある白い稲光を発されたのである。


 それは間違いなく、錬成術の発動光だった。いくつもの白い手が伸びてきているのだから、疑いようがない。


「ぐっ」


 男は白い手から逃れようとするが、苦悶の声が漏れるだけで、体は言うことを聞かない。自動車がブレーキをかけても急に止まれないように、魔法のキャンセルも即座には行えないのだ。それが大技であればあるほど、発動の直前であればあるほど、無理やりな制動は難しくなる。


 他の異能を使用しての離脱も不可能。今から発動しても間に合わないし、そもそも別の異能に回す余力が残っていない。半球体を壊すことへ力を注ぎすぎたのだ。


 男は心のうちで舌打ちをする。完全に慢心が生んだ結果だった。なまじ空間魔法が強力すぎるがゆえに、先の一撃で倒せたと思い込んでしまった。そのせいで、致命的な隙を狙われてしまったわけである。


 もはや回避や防御の手段は残されていなく、全身や斧に無数の白い手が接触してくる。白い発光が起こり、次々と体を分解していく。斧に貯められた魔力を消費することで得物自体の分解は防いだが、体は各所を虫食いのようにえぐり取られた。


 ようやく異能の発動が可能となったところで、間を置くことなく【転移】を行使。白い手の群がる場所から離脱する。


 赤髪の青年は血塗れだった。腕や脚、腹、背中など、あらゆる箇所が部分的に欠損している。ただ、あの状況でも致命傷は避けていたようで、見た目ほどの大ケガではないようだ。


 先程までとは異なり、青年は緋色の瞳に敵意を宿して怒鳴り上げる。


「コソコソ隠れてねーで出てきやがれ。ぶっ殺してやる!」


 普通、そんなことを言われて姿を現わす者などいないが、彼女は違った。


 男の前方十五メートルの地面が白く発光し、白い手が出現。手たちがジグソーパズルを組み立てていくみたいに、一人の少女が再構成されていった。


 そこには、傷ひとつない天野司が立っていた。


 彼女は嘲笑うように口を開く。


「さっきまでの威勢はどうしたの? 見事にしてやられたからって怒りすぎじゃないかな。油断してたのはアナタの責任だし、見るからにバカそうなアナタに相応しい状況だと思うけど。八つ当たりでキレるなんて、器も小さいんだね」


 あーやだやだ、と大袈裟に首を振る司。


 あからさまな挑発ではあったが、すでに冷静さを欠いていた青年には効果覿面だった。髪の色と同じように顔を真っ赤にして、声を震わせる。


「言ってくれるじゃねーか。今さら謝ったって許さねーぞ」


「これから死ぬ人間に許してもらう必要はないでしょ」


「ぶっ殺す!」


 気炎を上げる司に対し、青年は我慢ならないと大斧を片手で振り上げた。


 次の瞬間には、男はその場から消え失せ、同じ姿勢のまま司の背後に陣取っていた。そして、彼女の頭頂部に目がけて真向斬りを放つ。


 転移による不意打ち。並みの相手なら対応し切れない攻撃だが、青年はこれで司が倒せるとは考えていなかった。


 予想通り、彼女は淡々と対処に出る。


 幾層にも重なった白い手が二人の間に出現、接近する凶器を遮った。接触時、パァンと風船を割るのにも似た音が響く。


 空間魔法を行使しているから斧が分解されることはないが、背後からの攻撃は予期されていたようで、反撃に見舞われる。壁にしていた白い手の流れが変わり、男を囲み込もうとしてきたのだ。


 司の思惑に気がついた男は武器を引き、即座に【転移】で離脱した。


 それを司は逃がさない。白の群れが彼を追跡する。


 転移で逃れながら合間合間に不可視の斬撃を放つ男と、白い手や転移といった『連世れんせいの門』の能力を駆使する司。転移と攻撃が入り乱れる乱戦が繰り広げられた。伝説の魔法と錬成術の奥義の対戦は、目で追うこともままならない常軌を逸した激戦だった。


 白い光が幾度と煌めき、虚空が際限なく爆ぜる闘争は、周囲を吹き飛ばしながら苛烈を極めていく。

 

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