3.偽りの錬成師
003-0-01 序幕、三人の日常
七月上旬。初夏の兆しが見えつつも梅雨も中頃ということで、ジメジメとした嫌な天候が続いていた。そのせいで日曜の昼時にも関わらず、家の中でジッとすごしている
黒髪黒目の凡庸な顔立ち、やや筋肉質ながらも細身の体躯である少年は、気迫に薄いために、雑踏へ足を踏み込めば瞬く間に姿を見失ってしまうに違いない。
このような容姿の彼が世界最強の存在だというのだから、外見とは当てにならないものと分かる。まぁ、平穏な日常を守りたい一総にとって、埋没する見た目は歓迎するべきものなのだろうが。
一総はたとえ快晴であっても、休日を室内ですごすことが多い。それは揉めごとに巻き込まれないための防衛行動であり、彼の趣味の大半がインドアに偏っているからだ。今も、リビングのソファに腰かけて読書にふけっている。
本を読み進める一総だったが、ふと前方へ視線を流した。テーブルを挟んだ対面のソファに座るもう一人へ。
闇夜のような黒髪に染みひとつない白い肌、深海を思わせる
無表情ながらも美しい顔の造形、小柄ながらも胸部に大きなものを実らせる。完璧ではないからこそ、欠点があるからこそのギャップが、彼女の人としての魅力を引き立てていた。
名を
蒼生はテレビ番組を視聴しているようだった。内容は特撮、おそらく録画したもの。
アニメ鑑賞を趣味とする彼女だが、最近は特撮にも興味を抱いていた。推測にはなるが、一総が渡した変身機構のある
テレビを見る蒼生の表情は、いつもと変わらずピクリとも動かない。しかし、一総には何となく彼女が楽しんでいる風に映った。この三ヶ月をずっと共にすごしたからか、彼女の小さな機微が理解できるようになったのだろう。
日常生活の中で無意識に他人の顔色を窺うなど、前の一総には考えられなかった行動だ。蒼生が来てからというもの彼の周囲は騒がしく、孤独の「こ」の字も見受けられない。そんな変化が苦ではなく、むしろ楽しさを覚えているのだから、一総自身たまらなくおかしく感じた。
一総が仄かに笑んでいると、蒼生の瞳がこちらへ向く。
「どうかしたの?」
どうやら笑声が微かに漏れていたらしい。いきなり笑い出した彼を訝しそうに見つめている。
一総は
「何でもない。ちょっとした思い出し笑いだ」
「そう」
大して気になったわけでもないようで、すぐにテレビ視聴に戻る蒼生。笑っていた内容を教えるには気恥ずかしさがあったので、誤魔化せて良かった。
僅かに安堵の息を吐き、読書に戻ろうとする。
そこへ、背後から声がかけられた。
「セーンパイ」
語尾にハートでもつきそうな甘い声。
声の方へ向けば、
彼女は先日の
真実がいることは事前に知っていたので、一総は慌てることなく口を開く。
「終わったのか、田中?」
「真実って呼んでくださいって言いましたよね?」
「たな――」
「真実です!」
「……真実」
「素直でよろしい」
呼称ひとつで大袈裟だと思うかもしれないが、これは仕方のないことだ。彼女は一総に惚れており、現在は振り向いてもらえるよう猛アタック中。名前呼びもその一環なのだから。
話の腰が折れたので、改めて問い直す。
「で、終わったのか?」
「はい、バッチリ昼ご飯は完成しましたよ!」
真実は両拳でガッツポーズを作る。
今言ったように、彼女は今日の昼食を作っていた。普段なら料理は一総の担当なのだが、自分の手料理を振る舞いたいという彼女の意志により、役割を代わっていた。自己アピールのひとつなのだろう。
三人はリビングを離れ、食卓へと足を向ける。
テーブルの上には仄かに湯気を上げる出来たて料理が並んでいた。メニューはシンプルにナポリタンのようだ。ケチャップの赤い彩りが美しく、見た目は非常に食欲をそそるデキとなっている。
「おいしそう」
「うん。想像してたより美味しそうだ」
食いしん坊の蒼生が唾を飲み、一総も感心の声を上げる。
正直、真実が料理をしたいと言い出した時は、黒焦げの代物が出てくることも覚悟していた。彼女が料理をしている姿は欠片も見たことがなかったし、気合をいれすぎて空回りする未来が予想できたためだ。
その予想は正しかったわけだが、この数日で一総が鍛え直しただけあって、何とか腕前を矯正できた。少なくとも目前に品は、見た目と匂いは普通に美味しそうに出来上がっている。真実が作ったとは思えないほど。
「センパイ、なにか失礼なこと考えてません?」
「気のせいだろ」
真実のなかなかに鋭い指摘をかわしつつ、一総は席に着く。他の二人もそれに続く。
それから、「いただきます」のかけ声と共に食事が始まった。
一口目を口にした一総と蒼生は、それぞれ感想を言う。
「おいしい」
「うまい」
「良かった。口に合わなかったらどうしようかと不安でした」
二人の反応を待っていた真実は安堵の息を漏らした。
大仰に安心する彼女を見て、一総は苦笑いを浮べる。
「こんなに美味しく作れるなら、そこまで不安がることもなかっただろうに」
それを聞いた彼女は、大きく首を横に振った。
「不安にもなりますよ! だって、センパイの料理の腕は店を出せるレベルなんですよ? せいぜい家庭料理程度の私なんて比べるまでもありません」
「じゃあ、なんで料理を振る舞いたいなんて言ったんだよ」
「それは私の女子力が如何ほどかをアピールしたかったですし、それに――」
「それに?」
「……好きな人に自分の手料理を食べさせるのが夢でしたから」
顔を真っ赤にして答える真実。
「そ、そうか」
初心な反応を見せるものだから、一総も照れが出てしまった。気まずそうに視線を横に逸らす。
何とも言えない微妙な空気が流れるが、それも長くは続かない。この場にいた三人目の人間が言葉を発したからだ。
「まみ、お代わりはある?」
「え、あっ、はい。もちろんありますよ。今、よそいますね」
抑揚のない蒼生の言葉を受けて、真実は慌ててその場から立ち上がり、お代わりを用意し始めた。
別の行動を挟んだお陰で、先程までの空気は霧散している。
一総は内心で蒼生へ礼を送った。
彼は他人から好意を向けられることに慣れていない。そのため、ああいった状況に直面した時の対処はさほど上手くはないのだ。ゆえに、蒼生の存在は非常にありがたかった。
そんな一幕がありつつも、昼食はつつがなく進んでいった。
「テスト、ですか?」
真実の疑問の声がリビングに響く。
一総たち三人は今、食後の雑談に興じていた。真実が「せっかくなのでお話ししましょうよ」と声をかけた結果だ。
彼女の言葉に一総は頷く。
「ああ。
「ひとつでいいんですか?」
こういうものは全部良い点数を取っていないといけないのではないだろうか、と真実は素直な疑問を口にする。
それに対し、蒼生が言った。
「私たちは勇者だから」
「それって、どういう?」
が、端的すぎる言葉に、真実は理解が追いついていないようだ。
仕方がないので、一総は補足する。
「オレたち勇者は、いつ異世界に召喚されるか分からないだろう? テストと勇者召喚が被ったら目も当てられない。かといって、テスト以外――出席日数とか授業態度を評価基準にするわけにもいかない。だから、年に複数回あるテストを一回でも合格すればOKってシステムになってるんだ」
「へぇ、そういうことですか」
納得がいったようで、真実は呑気に相槌を打つ。
その反応を受けて、一総は眉をしかめた。
「そんな呑気にしてて大丈夫なのか?」
「何がですか?」
何を指摘されているのか分からない彼女は、ただ首を傾げる。
一総は言う。
「君は勉強が苦手なんだろう? 次のテストが二週間後に迫ってるのに、のんびり構えてて大丈夫なのかと訊いてるんだ」
そう。波渋学園の第二回の大型テストは七月の下旬なので、残り約二週間ほどしか残されていなかった。勉学が大の苦手である真実ならば、もっと焦って然るべきだった。
耳に痛い話だったのか、彼女は顔をしかめつつ、言いわけを語る。
「た、確かに次のテストは危ないですけど、まだチャンスは残されてるんですよね? だったら、直近のテストに焦るよりも、後々に懸けたいかなぁなんて」
真実の言い分を聞いた一総は、彼女へ半眼を向けた。
「真実は後々のテストを無事に受けられると思ってるのか?」
「え?」
「君はシングル。つまり、他のクラスよりも勇者召喚されるリスクが高いわけだ。今回のテストで手を抜いたら、他二回のテストを勇者召喚で棒に振ってしまう可能性もあるんだぞ? それで留年したら目も当てられない」
勇者召喚は一人一回ではない。数が増えるごとに確率は減っていくが、複数回召喚されることは度々ある。一回しか召喚されていない真実が再び召喚される可能性は、十二分に存在した。それがテスト期間と被ることもあり得るだろう。
万が一の可能性を認識したようで、真実も冷や汗を流し始める。
一総は追い打ちをかけるように、言葉を重ねた。
「ちなみに、今言った感じで留年してしまった奴を、オレは何人も見てる。だから、他人事だと思わない方が賢明だぞ」
その言葉が決定打だった。
真実はすさまじい勢いで、その場に土下座をした。
「センパイ、お願いします! 私に勉強を教えてください!」
「まぁ、こうなるよな」
「当然の帰結」
一総は肩を竦め、蒼生は無表情に首肯する。
こうして、真実のための勉強会が決起される運びとなった。
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