004-3-04 デリケートな問題

 翌朝。一総かずさが宿泊した個室にて、一総と蒼生あおい侑姫ゆきの三人は朝食を取っていた。和風のメニューで、白米、味噌汁、ほうれん草の胡麻和え、焼き魚といったバリエーション。どれも完成度が高く、反勇者の家で出された食事とは思えない豪華さだった。


 味を気に入ったのか、蒼生の箸は止まることを知らない。少ない口数が、余計に減っていた。


 かくいう一総も、手の込んだ料理たちを感心しながら口に運ぶ。


「どれも美味しいな。味噌汁はダシがしっかり効いてるし、焼き魚の焼き具合も絶妙。胡麻和えの味つけだって絶品だ」


 これぞお袋の味というべきか。懐かしく飽きがこない、優しい品々だ。


 一総の大絶賛を受け、侑姫が頬を染める。


「美味しいって言ってくれるのは嬉しいけど、ちょっと褒めすぎよ。一総の方が料理は上手でしょう?」


 侑姫が用意したものだったようだ。久道くどうが『世話は全面的に任せる』と言っていたから、予想通りではある。ここまで彼女が料理を得手としていたとは想定外だったが。


「そうですかね? この朝食を食べた印象としては、少なくとも和食は先輩の方が上手いと思いますよ。オレ、和食のレパートリーは少ないですし、作る頻度も多くないですからね」


 原因は一総が料理を始めたのは幼い頃であり、当時の味の好みが洋食に偏っていたせいだった。異世界で学んだ料理のアレンジもあるけれど、そちらも洋食風味だ。


 今では和食も好きなので、昔に比べたら作る機会も増したが、勇者としての活動やら他の趣味修行やらに時間が取られてしまって、そこまで上達はしていない。


「ゆきの料理は美味しい。自信持って」


 食べるのに忙しそうにしていた蒼生が、タイミング良く口を開く。


 二人揃って褒められてしまえば、反論の余地はなかった。侑姫は朱色の頬を軽くかきつつ、小さく言う。


「ありがとう」


「いえいえ、それはこっちのセリフですよ。美味しい朝食をありがとうございます」


「まぁ、喜んでもらえたのなら良かった。作った甲斐があったわ」


「しばらく先輩の料理が食べられるのは役得ですね。ついてきて良かったです」


「もうやめて! これ以上褒めたって、何も出ないから!」


 侑姫が顔を真っ赤にしてギブアップしたので、からかうのは終了しておく。


 本当に、彼女は賞賛されることに慣れていない。蒼生も言っていたが、もう少し自信を持って良いと思う。


 和やかに食事は進み、一総たち食後の小休止に雑談を交わしていた。


「二人は今日の予定を決めてるの?」


「オレは屋敷内の散策ですね。せっかく豪華な庭園があるので、そっちをメインに見て回ろうと考えてました」


「私も、かずさと同じ」


「別行動してもいいんだぞ?」


 うるさく言う政府の目もないし、「同じ家の中にいた」という屁理屈もとい言いわけもできる。


 一総としては気を利かせたつもりだったのだが、蒼生は首を小さく横に振った。


「別行動できるほど、屋敷の中に娯楽はない」


「それもそうか」


 桐ヶ谷邸は広大な敷地を持つ邸宅ではあるが、所詮は家。道場や庭園以外に見るものもないのだ。一総の予定している散策で事足りてしまう。


 遠回し(?)に実家を“つまらない家”と評された侑姫は空笑いをした。


「あはは、何もない家でごめんね」


「日本庭園や道場がある時点で、『何もない家』ではないですよ」


 普通の家に二日も軟禁されては、それこそゴロゴロする以外にやることがなかった。不幸中の幸い……で正しいのかは判然としないが、大きな不平不満を漏らすほどでもない。


 一総のフォローを受けて、侑姫は頬笑む。


「ふふ、そう言われたらそうね。でも、桐ヶ谷が行動の制限を強いているのは事実なんだから、何か不満があったら遠慮なく言ってちょうだい。可能な限り応えるわ」


「分かりました」


「ん」


 一総と蒼生の二人が頷くのを認めて、侑姫は満足そうに笑む。それから立ち上がり、空の食器が乗ったキッチンワゴンを手に取った。


「私もこの後に用事があるから、お暇するわね。あなたたちにつき添えないのは申しわけないけれど、何かあったらケータイにでも連絡して」


「気にしないでください。というか、食器の片づけくらい、オレがやりますよ?」


「一総たちはお客さんなんだから、そんなことさせられないわ。それじゃあ、昼食の時に、また来るから」


 そう言って、侑姫は退室する。


 僅かな沈黙を挟んで、一総と蒼生は顔を見合わせた。


「散策に行くか。やることもないし」


「うん」








 桐ヶ谷邸の日本庭園はとても豪奢ごうしゃだった。草木は綺麗に整えられ、池は澄み渡り、敷き詰められた砂や石も絶妙な味を出している。風光明媚という言葉が相応しい、素晴らしいところだ。


 そのような庭園の隅の方。景観を損なわないよう、ひっそりと建つ木造りの東屋にて、一総たちはティーブレイクをしていた。庭を一通り回ったので、軽い休憩というわけだ。


 ちなみに、テーブルに並ぶティーセットに紅茶、お茶請けのパウンドケーキは一総が用意したもので、空間魔法の【ストレージ】に保管しておいた代物。【ストレージ】は保存状態を維持する機能──要するに時間停止の機能があるため、どれも出来立ての温かさがある。


 一総の作ったケーキとだけあって味は見事で、蒼生はパクパクと忙しなく口を動かしていた。一総も優雅に紅茶をすする。


 東屋は風通しが良いようで、夏真っ盛りにも関わらず、すごしやすい空気が流れていた。ティーブレイクには打ってつけの環境といえる。


 しばらく、静かな時間をすごす二人だったが、不意に蒼生が言葉を漏らした。


「居心地わるい」


 何の脈絡もないセリフだったが、一総には何が言いたいのか理解できた。何も、二人でいる現環境を指して言ったわけではない。この家──桐ヶ谷家の面々に対する愚痴だろう。


 というのも、ここまでの行程で色々とあったのだ。


 門下生とすれ違う際に舌打ちや陰口、嘲笑されるのは序の口。酷い時は足払いをされたり、掃除に使っていたのだろうバケツの水をかけられそうになったことも。道場の見学も、「『イビルドア』に神聖な道場の敷居を跨がせるわけにはいかない!」と言われ、門前払いされた。


 当主命令のお陰か、直接的な攻撃は皆無だったけれど、それ以外のことは容赦なく行われた。蒼生がああ言うのも無理はない。


 桐ヶ谷家の者のみならず、門下生からも勇者はずいぶんと嫌われているようだ。念のためと、自室へ置いてきた荷物に結界を張っておいて正解だった。何も処置していなければ、今頃荷物は荒らされていたに違いない。


 蒼生は続ける。


「なんで、ゆきはこの家に留まるの?」


 きっと彼女の疑問は桐ヶ谷家が反勇者派と知ってから抱いていたものなのだろうが、散策するうちにそれが大きくなったようだ。


 屋敷を見回る最中、一総たちは何度も耳にしたのだ。門下生たちが侑姫のことをバカにしたり、けなしている会話を。異能に頼る弱者だとか、一人娘のくせに桐ヶ谷流を伝承できなかったとか、人の皮をかぶった化け物だとか。いちいち数えていられないほどの人数が口にしていた。


 しかも、質の悪いことに、これらは陰口ではない。コソコソと話しているのではなく、堂々と雑談の一環として喋っていたのだ。


 無論、あからさまであるのなら、当主の久道の耳にも入っているはず。それなのに収まる気配がないのは、久道らも止める気がないということ。侑姫の味方は、この屋敷にはいないことを示していた。


 だからこそ、蒼生は疑念を拭えない。これほどまでに迫害されていて、どうして侑姫は実家を捨てないのかと。風紀委員長に昇りつめる実力を持ちながら、家の言いなりになっているのかと。


 その疑問に対する答え……というより仮説を、一総は持ち合わせていた。


 彼と侑姫のつき合いは長く、それなりに彼女の思考を予測できる。侑姫が一総を慕う経緯や実家に対する反応、加えて自身の経験を鑑みれば、ある程度の結論は出せた。


 だが、それを蒼生には話さない。所詮は一総の予測にすぎない。本人から直接聞かなくては、実際はどうなのかなど分かりはしないのだ。余計な偏見を与えるのは良くないだろう。


 それに、この件に安易に踏み込むのは危険だ。


「さあ? その辺は先輩に聞かないと分からないよ。でも、だからと言って、直接尋ねようとするなよ?」


 一総は蒼生の問いに答えつつ、釘を刺す。


「なんで?」


「デリケートな問題だからだよ。家族のイザコザっていうのはな、安易に他人が口を出していいものじゃないんだ。向こうが助力を求めた場合は別だけど、そうじゃなければ、黙って見守っていた方が賢明だ。下手に口を出すと、話がこじれることが多い」


 これは一総自身の経験則もあるが、一般的な傾向に則った話でもある。人にはそれぞれの価値観があるように、家族にも家族ごとの価値観の差がある。そういった微妙な部分を理解せずにするアドバイスなど、破滅を呼ぶだけ。桐ヶ谷家は特殊な家系なので、いっそう慎重に扱うべきだ。


 そういった理由を説くと、蒼生は頷いた。


「わかった。そういうことなら、今は見守る」


 彼女の眉は僅かにハの字を描いていた。渋々了承したといったところか。正義感の強い蒼生としては、侑姫の現状を見すごすのは遺憾なのだろう。一総の意見に正当性を感じたからこそ、従ったというわけだ。感情と理性を上手くコントロールできる蒼生は、大変好ましく理知的な人間といえた。


 もうひとつ質問がある、と蒼生は問う。


「どうして桐ヶ谷の人は、ゆきを追い出さない?」


 先程とは類似しているようで、正反対の問いだった。


 「侑姫が」ではなく、「桐ヶ谷家が」何を考えているのか。反勇者思想を考えれば、当然の疑問だ。


 これに関しても、一総はいくつかの推測を立てていた。


 彼は一瞬だけ話すべきか逡巡し、言葉を選びつつも口を開く。


「まぁ……たとえ勇者でも、血の繋がった家族を追い出すのに抵抗があったんじゃないか? それなら陰口もするなとも思うが、勇者への憎しみと娘への愛情が混在して、複雑な気持ちなんだろう。あくまで予想にすぎないけどな」


「それが当たってたらいいね」


「だな」


 愛情が僅かでも存在するのなら、多少は救われると思う。愛のない家族ほど悲しいものはない。


 しかし、それは淡い願望だ。一総が声に出した推測は、彼の導きだした仮説のうちで一番確率が低いもの。もっとも可能性が高い道は、一番救いのない結果が待っているのだから。


(明日、遅くても明後日には結末を迎えるだろう。諸刃の剣は崩れ落ちるか、辛くも耐え切るか……)


 この先、暗い未来が迫っていると考えると、溜息を吐きたくなる。ただ、泣き言は言えない。最後まで侑姫につき合うと約束した以上、結果から目を背けるなど許されないのだ。


 一総の内心とは裏腹に、茶会は穏やかに進んでいく。鮮やかな陽光とさわやかな夏風が、嵐の前の静けさのように感じられた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る